今年の大河ドラマは「明智光秀」ですか。

 歴史資料のインフォメーション的に重宝している番組、ヒストリアで、二週連続して光秀と信長をやっててね、ふと思ったんさ。


 どっちも実はよく似た性格をしていたんだな、と。


 実直で、政務家向きで、信長なんかは実は戦争ヘタだよね、て。鉄砲をいち早く主力に据えるとかの、ものすごい先見の明はあるんだけど、戦略家としての実力はといわれると、あんまり…、ていう。(笑


 本人もどうやら解ってたフシもあって、最初は将軍の義昭を擁立して彼にしっかりしてもらおうという計画だったみたいだけど、義昭がダメと解ると今度は朝廷を立てて天皇に頑張ってもらおう、となったらしい形跡があり。


 だけど、これは予測だけど、どっちも周囲の側近が頼んないという感じだったんじゃないかな。明治期の、ちょうど山縣有朋がそんな不平から派閥政治を生み出したって感じだったのとなんか似てるんだよね。コバンザメ排除に動いた、というか。


 政務家にしたら、口が巧いだけで実力がないくせに分不相応な地位にいるヤツって、邪魔以外の何者でもないと思うんだよ。それがまた大人しくしてればいいのに、口を出して余計な茶々入れて、政策を左右する一票を持っていたりしたら……排除したくなるよなぁ、て。(笑


 信長も光秀も、同じく政務家としての手腕の方が長けていたフシがある人物なんで、山縣同様に、天皇や将軍っていう”てっぺん”の周囲が無能で囲まれていることを問題視したという感じがするですよ。彼らからしたら、自分より頭固いヤツとか古いヤツはみんな”無能”に見えるだろうし。(そもそも自分を”普通”の基準に考えてる)


 で、信長と光秀が袂を分かった原因は、考え方の違いかなぁと。


 信長は、”てっぺん”がしっかりしてればワンチャンある、という考えで、政権の威信回復によって戦乱が終息すると観てたんだろう、と。

 光秀は、同じ考えなんだけど、信長がその”てっぺん”自体を取り替えることも辞さないのに対して、彼は天皇だけは除外、だったんだろうな、と。信長は、天皇さえも資格がなければ降ろしてしまえ、という考えだったんじゃなかろうかと思うの。実際に、足利幕府の最後の将軍も自分が追放の命を出してるし。


 信長が、足利義昭を「追放」で済ませているのが、キーだな、と。


 トップのすげ替えって、実際はどこででも行われていたし、将軍家でさえ例外なくて、都合で排除された殿様ってのは全国に何人も居るわけだしねぇ。それを知っていたら、今さら神聖視はないと思うんよ、実務家として優れていればいるほど。神聖視なんて迷信だもん。同様に、(殿さえ排除されるってのに)一人で天下取れるとか考えるほどバカでもない。


 だけど、”天皇”だけは例外っての、実に根強かったんだと思うの。そこすら取っ払っていたのが信長の非凡なトコで、逆を言えば光秀の悲しいトコ、というか。


 天下取りって、現代人がイメージするのは「ルールに守られたスポーツ的なもの」でしかなくって、実際は、個人が天下狙えるとか思うのは愚かだよね。一枚岩だとかいうのは、思想とか色んな利害が噛み合ってこそ、なんだし。ひとつ歯車が狂えば、絆もへったくれもなくなるのが、世の人間関係の正体じゃん、て。


 何があっても変わらず付き合い続けてくれる人、てのは貴重なんだよな、と妙な結論で、なし崩しに締めます。(笑

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