小説とコミュニケーションと早トチリマン

 またまた棘の話題なんだけども、最近見たスレで『全文読まずに最初の方の文言だけで勝手に思い込み理解して批判してくる人多過ぎ問題』的なのがあったのね。


 そこから発展させてった思考で、小説ってのは冒頭部ではこの思い込みが発生するのを見込みで書かなきゃいけないってのあるなぁ、と思って。タイトルもだけど。

(読者と作者の間で行うポーカーゲームみたいなモンと喩えるコト多いデス)


 ネット全盛期に入ってから、人々のコミュニケーション手段って口頭から文章に、より比重が掛かってきたと思うですが、読み方ってまず真っ先に「コイツは何が言いたいのか?」を探りながら始まるわけですよ、それで冒頭のような思い込みも発生するわけですわな、表面上の字面さえ見えているか怪しいという勝手な理解ね。


 普通の人は、全体通してその著者が言いたいコアの部分を推測しながら読むもんなんだけど、字面しか見てないって人も…まぁ…割と…てな感じですわ。確かにね。

 小説の場合、厄介なことに、コアでなく「作者の本音」てのを見透かしてしまうケースもあってですね、舐めプで書いてるとバカにしてんの透けちまうぞ、てワケです。ここが悩ましい。(これをまた思い込みで読み取るヤツも居て…ああ悩ましい)


 まぁ、書き手の方でも先回りして「勝手な理解はさせねーぞ、コラ」な対処で慎重に文章綴ってるわけですけども。そりゃ隙あらば「読みたい意味に読もう」って読者が多いのは承知してるからこうならざるを得ないっていうかさ。(私が長文にシフトしてんのもそれで、一文の中で逆接とか平気で使うから読み手は慎重に読まざるを得ないはずなのね)


 勝手な解釈で読まれてしまう、てのは厄介なんす。作者的にはぜんぜん意図してない読み方しといて、勝手にプンスコされたって知らんがな、てなもんなんでね。


 ブンガクとかの難解な描写でも実は同じ流れがあったんじゃねーかと思うわけで、「精読してね(はぁと)」ていう意図の元でそうなって来たんであって、味わいだの機微だの美学だのをくっつけて、精読に足るだけの充足を見返りに出そうという努力がないとフェアトレードになんないっていうかさ。読者に努力を強いる代わりに作者も文章を努力する、て構図が出来上がったんじゃねーかなぁ、と。


 どうもラノベとかWeb畑のヒトは、ここを呑んでくんなくってさ、すーぐ技術に走ることを否定するのがさ、不満なんだよねぇ…。(そのくせ自分らは否定されるとめちゃくそ怒る)


 思うのは、こういうのって、別にいちいちお断りしておくよーなモンでもなくって、ぱっと見で判断がつくもんなわけでさ。そこは誰もが納得してもらえると思うんだが、精読が必要な文章か流し読みでも可の文章かはひと目で分かるでしょ、て。そこが右と左の分かれ目にはなってると思うんよ。傾向的な。


 ひと目、あるいは二三行も読めば解るって、それにて判断付けてるはずなんよ、「好きなものか、苦手なものか、」て基準で。そこが、ブンガクと一般文芸の分かれ目、人によっちゃ文学文芸とラノベ他との分水嶺、てコトでさ。


 だから、この二者は方法論からしてベツモノだ、つーてんのがなんで解んねーんだよ、ボケが、とか思っちゃうのでした。まる。(最後の最後で本音出た)


 文学文芸ってのは、そもそもで「文章の技巧を競うものだ」てのが私の論だよ。

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