惨めな生について

 私は、ちゃんと調べたわけじゃないけども、たぶんADHDとかあの類です。テストを受けに行ったんだけども、「来週もう一度来てください、続きのテストがあります。」て言われて、それで次の週にはそのテストを受けている事を忘れてしまって、そのまま半月か放ったらかしてしまったんで、結果は解からないままです。


 ルーティンワークとか、マニュアル通りとか、繰り返しの作業が壊滅的にダメで、手順どおりという仕事が出来ません。どれかが抜けてしまう。毎晩、ご飯を炊かないと朝にお弁当が作れないのだけど、お米を洗うのを忘れたり、スイッチを入れるのを忘れたり、そもそもお米を切らしてたりの失敗を、週に一度くらいの頻度でやります。他を合わせると、無事に失敗なく一日が終わることがほとんどありません。


 そういうわけなんで、日常生活が送れない障害レベルではありますが、運よく家族に恵まれて、お情けで生かしてもらっています。就職して、三年くらいは続けられたりしたんですけどね、相手の我慢の限界でクビになります。

 なにせ、普通に出来て当たり前のルーティンが出来ないってのは理解の範疇にない人ばかりでしょうから、私は不真面目なのだとレッテルされていました。出来るのにしないのだと思われていて、職場には恵まれたので皆さん良い人ばかりで、相当に苦しめました。理解を越える者が居るストレスは大変なものだと思います。


 自身がどうしようもないくらいに仕事の出来ない人間だということを認めるのはツライものがありますが、事実は受け止めるしかないので。カンタンなお遣い程度がこなせないのだから、仕事など出来ようはずもない。よく、三歩で忘れるトリ頭だ、と書いていますが別に冗談で書いているわけでもなく、本当のことです。『博士の愛した数式』という小説を読んで、とにかく忘れてしまうあの博士がまるで他人事とは思えず、泣けましたね。


 忘れるという記憶障害、いつ何時でも忘れてしまい、出てくる時もあれば出てこない時もあってで、流れに任せているしか仕方がないというか、臨機応変にその場その場の応急処置でなんとかするしかない、という感じになります。

 どうしようもないのですが、諦めだしたら生まで投げださねばならなくなるので、諦めているわけではないというか。刹那しかないけれど、それなり、元気に生きられるもんです、人の優しさで生かしてもらっています。けれど、人は優しいなという実感は、私にとっては自身のどうしようもない無能とセットなので、惨めで辛い実感です。


 私は結果的には無能で役立たずです。どれほど手先が器用でも、知識を収納していても、臨機応変さに自信があろうとも、肝心な時には忘れるのだから何の役にも立たない。出来るのに出来ない。期待を必ず裏切る人間です。信用されない人間っていうのは、わざとそのように仕向けてきたわけもないのですが、だけど結果的には人を裏切る人間になってしまったのです。


 惨めさに病気になる方もいるけれど、幸い、私はこういう惨めな気持ちすら三歩向こうに忘れてしまうので、病気になることはありません。ADHDという病気はまず疑いようがなく濃厚です。色んなケースがあるという辺りもそれっぽい。(笑


 私の感情は、自動車のようにシフトがあって、常にニュートラルをキープするように出来ているようです。三歩で忘れてニュートラル、だから反省している風に見られたこともないです。そうでなければとうに生きていないでしょうし。

 幸か不幸か、そういう仕様の人間なので普段はのほほんと生きていますが、鬱々と悩んでいる方の心情の吐露を見ると、自身の惨めな実態を掘り当ててしまって辛くなる時があります。いつも掘り当てるわけではないですが。


 いつもいつも煽りを受けて掘り当てて厭な気分を味わうので、たまには私も誰かを鬱々した気分にでもしてやろうと、今日は吐露してみました。心配はご無用、明日も待たずに忘れてしまうから平気です。

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