宗教的「強欲」で見過ごされてきたカタチ
うだうだと朝日新聞とジャーナリズムと誹謗中傷との関係を考えていたのです。
ネットでの言論で誹謗中傷がなぜこれほど非難されるのか、て辺りをね、だって陰口だの誹謗中傷なんざ有史以前から延々と存在してて、気にしたら負け、てな感じで言われていたじゃん。まー、ネットは有形でずーっと残るから、泡沫のように消えてく会話の類と同じに考えるのはアホだけだけどもさ。
現実社会だとただの陰口、だけどネットでは有形の名誉毀損なわけだ、その差に気付かず実名で誹謗中傷なんかしたらアカンくらいは解からんとね、てのはある。アホだろ、と思うのよ見かけるたびに。
お手紙やらメールでたった一人を相手にして愚痴ったり悪口を書いてもバレやしないが、それをツイッターだらラインだらで不特定多数に向けてやっておいて同じだと思っている、この頭の悪さ、てなところだわな。そこは誰に向けてんのかを曖昧にして名誉毀損から外してく、くらいの知恵は動かせよ、というような事件がまぁ世間にはあるあるで。
そういうおバカさんが目に付きやすいからか、世間では誹謗中傷はダメ絶対、的な機運が高まってんだが、ちょっと待ってくれよと冷や汗モンで眺めているわけよ。
例えばだ、ジャーナリズムを肩書きに持つ人間が偏向たっぷりの意見を垂れ流したとしてだ、それをボロカスに言うのは悪口になるわけだよ、その人の主義主張を批判したり、やり方に文句言いたいだけにしても言い方がある、と。だが、それを正確に論理的に批判できる人ばかりではない、てとこに注目しないとダメなんだ。
するとだ、悪口雑言というのを封じるってのはあんまり良いことじゃないのだ、誰しもが理路整然と綺麗な言葉で批判が出来るわけではないからこそ。それは言葉が悪いだけの反対意志の表明と受け取らねばいけないんだから、それを封じてどうする、と。有名税だってのは本来はそういう意味だよ、言葉付けがオカシイだけで。
そのジャーナリストは肩書きと権威を持っている、この人物が間違ってしまっていると解かってても、なかなかその影響力を止める手立てがないという結果になる。個人が大きな影響力を持つ時に対抗する術は、数しかないわけだから。
昨今の、誹謗中傷に対するヒステリーなくらいの機運って、なんだか権威の不当な防御のように思えるんだよなぁ。権威なんてのは知らず知らずで勝手に付いてくる手垢みたいなもんでさ、有り難がるようなものではないだろうに、持ってしまうと皆、後生大事に抱え込もうとするよね。
宗教で人が棄てるべき欲の一つと数えられる「強欲」っての、ここにもあるなぁとふと思ったんであるね。人に影響を及ぼしたい、てのもまた、強欲なのだね。
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