神話~セカイ系までの遍歴
セカイ系も議論が分かれる分野ですが、先の、なろう系関連で色々と書いてて、ふと思ったことがあって。
そもそもの神話って、神の偉大さ、世界の大きさ、人間の無力さを描くことが多いなって思って。まぁ、神=世界、て感じで引き比べて、人間が小さいって。だから英雄譚でも悲劇が多いし、神の力を借りて最後は増長したりで神の怒りに触れて自然災害的なモンで死ぬ、と。割と神話の形態って、対比から出ないなと思って。
まぁ、神話もそんな詳しくはないんで幾らでも例外あるとは思うけど。
ただ、それを踏まえると、貴種流離譚ってのも、ちと現在の無双系とかとは解釈が違ってくるなと思って。神=世界には敵わないんだよ、が前提にある、というか。
なんで高貴な、王様とかを視点に使うかが違ってくる。高貴な人間は視野が平民よりも比較的に高いとこにある。特に中世以前だと平民は本当に村や国しか視野にないけど、王様や英雄は世界が見える。その視野が必要だったんだろう。
スケールを確保するには、最初から王様、最初から英雄で、最初から世界が観えている人物でないと、物語が小さいトコからになるんだ。神話の主要舞台は「世界」であり、「広大な世界には敵わない人間」にあるから。
村人視点からではかなりまだるっこしい。これは、現在のラノベが展開速いのと同じ理由だろう。本番は、王様、英雄になってからなのだ。なので、ラノベやなろう系ならササッと終わらせる部分を、機種流離では最初から書かない。けど、端折られているだけで、本来はあるわけだ。例えばアーサー王とか、三国志でも劉備パートは。
現在の流れは、従来のスポコンや艱難辛苦をヨシとする物語価値のカウンターで出たセカイ系の、さらにカウンターという流れのはずで、ただ一周回っただけではなかったんだね。「君と僕」という非常に狭い範囲の観測に対するカウンターであるはずだから、だから機種流離になったんだ。君と僕、その僕はしかし貴種で広い視野を持つ。世界が観えている、という体裁になるはずの。
実際にそれで機能しているかはまぁ、別問題としても、神話形態の、貴種流離の視野でありつつ、比較としての「小さい人間と大きな世界」は踏襲しないんだろう。そこは、大きな世界=敵わない、にはならない。だから神は尊厳あるカタチで出ることが少ない?
まだなんともモヤモヤしてるけども。
ちょっと紐解けたよーな気がします。(気がするだけ)
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