なろう系のアンチ意見を解析してみよう!

 えー、まず、最近のアニメやラノベの中だけで語るな、と。(笑



 なろう系というと、「一切努力せず、ピンチにも陥らず、それなのに強くてモテるみたいな主人公」というのがポピュラーなイメージとして浸透してますので、某スレからコレを引用して定義の一部に仮置きしてみる。(これに当て嵌まらないモノが多量にあるとしても、それは全て世間的には「ない」のだ、なろうじゃない。)


 けど、努力なし、ピンチなし、強くてモテる、の程度ってものが定まらないから、割とアンチ意見は叩かれておりますな。そんな主人公、昔から居ただろ!とか。


 無双系の漫画の有名所だとコブラとか北斗とか、なにげに鉄腕アトムだって最強系だったりするんだが、ピンチがないって部分で当て嵌まらないのばっかなんだ。昔から居た、という意見には申し訳ねーが。(笑

 コブラなんざ、何回ヒロイン殺されたか知れんしなー。コブラ自身は割と楽勝ムード出してんだけど、代わりにヒロインセーブ率低いのよ。昔は、敵が強いのってデフォだったし。コブラはほら、質で勝っても量で完敗っていうピンチの描き方だし。


 ドラゴンボールを例にするまでもなく、有名所の漫画でもアニメでもゲームでも、まず盛り上げイベントには「死闘」が入ってくるから、ピンチなしなんてねーよ。


 たぶんね、「死闘」の事を言いたいんだと思うのよ、モヤってる方々。

 最大の山場だもん。いっぺん死ぬくらいはあってもいい、て思ってる。


 私も古参の昭和生まれだもんで、主人公や味方が強くてもピンと来ないんだよね、それよりも敵が絶望的に強大な方がワクワクしない? スケールデカくて。


 古くはヤマト。彗星帝国の全貌が出た瞬間のワクワク。あるいはガンダム。コロニー落としの冷徹さに痺れなかったかい? それに、スターウォーズのデス・スター。

(ここらを出すのは私がアレだ、巨大建造物スキーだからってのもあるけど)


 SFだと主人公を最高点にしてしまうと、モロに物語の規模に影響してしまうでしょ、狭苦しくなってしまう。人間一人の能力を超えたところまで行けるのが、敵が強いことのメリットだから。だから、転生モノでは神を出したんでしょ、ほとんどがタテマエの強さに留まってて、ぜんぜんスケールには繋がってないけどな。


 ドラゴンボールだって、敵のスケールが宇宙規模で征服繰り返してるフリーザにまで広がったし、セル編なんか時間まで越えてきたでしょ。主人公に最強というキャップを被せてしまうと、そういうの一つ取ってもツラタンだと思うよ。


 なろう系は、ストーリーの舞台、どこまで広がってるの?

(最近のはほとんど読んでないから観測不能ですまんね)


 どのくらいのスケールがあるか、で測ると、どうなの? せいぜいが国一つで終わってるよーなの多くない? そんなことない?

 最近は特にほとんど見なくなっちゃったんで実情を知らんから、なろうの事が言えないのだよね、誰か検証してくれとしか。


 例えば「ネバーエンディングストーリー」みたいに『その世界が崩壊する危機』とか、ゲーム「サモンナイト」みたいに『複数の異世界にまたがっての敵と闘う』とか、原版デビルマンみたいに『現在・過去・未来・宇宙・想念、に跨ったストーリー』という具合に広がってるのは、ランキングに何作ある?


 セカイ系っていわれる作品はあんま知らないんだけど、例えば「エヴァ」、もさほど詳しくはないけど、哲学的なテーマで深堀りしてるよね? 「まどか・マギカ」もそうだけど、ああいう専門性のトコをどんどこ穴掘って掘ってトンネルになってるよーな作品は? まどかマギカは時空と宇宙まで話広がったな、そー言や。


 最近のだと、それこそ「君の名は。」なんてそのものじゃん。ストーリーの複雑さとか、広がりとか。思わずアレコレ考察してしまう難解さ? 「シュタインズゲート」とかレリゴーで皆が歌ってた「アナ雪」とかさー。ディズニーは一見単純ストーリーと見せかけて、色々伏線張りまくりだよ、隠れミッキーはお家芸なのだ。

 ストーリーの規模とか考察の容量でいうと、「君の名は。」より「シンゴジ」のが圧倒的に軍配挙がるけどさ。(ここにもヒントあるよね、シンゴジより君の名は。のが世間的なウケは圧倒的だったわけで、シンゴジはのかもね。)


 考察班が出動するくらいに深い世界観って、なろう作品にある? 残念ながら思い浮かばないのだ、自身にデータが少ないから無いとも言わんけど。色んな反論意見にも触れてきたけど、題名上げてあるのってそー言や、観たことないなぁって。

「エウレカ」とか、掘り下げたらついでにスケールもデカくなった、て作品はアニメや漫画にゴロゴロあるだろ、いちいち挙げないけどさ。「ワンピース」とか。


 こっちは充分ありそうなんだけどな、セカイ系の系譜に入るなろう作品って、割とありそうなイメージじゃん? 誰か詳しい人、纏めてくれたら読みに行くわ。そーゆー作品が読みたいわけよ、昭和のノスタルジーおじさんおばさんは。



 山ほど作られた中の、特に上澄みの極少数をもって比較すんのもナンだけどさ、最近見た洋画でも、B級といいつつ「シャークネード」は馬鹿馬鹿しいながら規模のデカい馬鹿馬鹿しさだったよ。竜巻に巻き上げられるサメと聞いて、何匹想像する?


 ああいうのを『派手』と認識している世代なので、主人公一人が派手と言ってても、こちらからしたらそれは『地味』にしか見えないんだ。コンパクトに纏まった舞台で、地味に主人公まわりの人間関係の、非常に些細な問題を書いている、という風に見えるのだね。だって、宇宙だの改造惑星だの時空だのがデフォだったから。世界崩壊だの宇宙征服だの次元の裂け目ガー、て課題がデフォだったから。


 アンチの方の不満は、たぶん、そゆ事だと思います。まる。

 (皆モヤモヤしてる割に何が不満なのか見当違いの気がする)


 昭和の感覚からするとさ、なろう系って、地味なんだよ……

(いや、スターウォーズやらバイオシリーズと比較すんなってのは解かってる)



 横浜駅SFも日本一つが舞台だけどさ、スケールはそこそこに感じる。異世界系の話と舞台規模的には変わらんようにも思うけど、何が違うのかよー解からんのよな。

 異世界系はなんか物語が地味なのよ……設定かしらん???


 ヒントかは解からんけど、そう言や、日常系系譜の異世界なろう系は割と見るな。

(ゲームでもヒットしてたな、私は挫折したが「アトリエシリーズ」な。結構な市場があるよね、これ。)


 もしや……、日常系から派生していくのがなろう? だから死闘がタブーとか。

 時代の要請とか、流れ的なものもあって、絵柄でも時代ごとに移り変わるんで、なんとも言えませんわ。懐メロ世代だしな。(笑


 そうそう、セカイ系への批判でもやはりスケールが言われてたんだと思うな。どうしても、スケールが大きいと「君と僕」では納まらず「小さな主人公と大きな世界」という対比になってくから。世界規模の問題の前では主人公は無力、てののカウンターで現われたのがセカイ系と言われてたでしょ。それが現代の創作シーンにも影を落としてるよね。一人称視点による、世界全体の不透明性をまるまる無視するカタチというか、さ。主人公から見える範囲に限定しちゃう、というか。(笑

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