「三人称」厳密には心理を書いてはいけない。【改訂

 これ、割と周知されてないのだろうか。


 一人称は、主人公の視点。三人称とは「他人」の視点。


 つまり、登場人物の誰でもない視点。(だから神視点とも言う)


 もっとはっきりしてるのはゲーム。FPS型のゲームが一人称で、TPS型のゲームが三人称です。モンハンやファイナルファンタジーみたいなゲームは、主人公の背後をずーっと画面が追っかけてるよね、あれが三人称と思ってください。


 で、今は解からんけどドラゴンクエストの初期、Ⅴくらいまではプレイしてたんですが、それの戦闘シーンはプレイヤーのキャラが見えずに正面に敵のスライムとかだけ映ってたでしょ、あれが一人称です。視点主は映らない。そうそう、バイオハザードのゲーム画面が一人称です。


 三人称ってのは、だから厳密には『誰の内面も書いてはいけない』だったんですよな。日本の作家なら「蝿」は完全三人称で、まったく心理描写はありません。これはまた、ハードボイルド手法とも呼ばれました。「マルタの鷹」が有名。


 少し縛りを緩くして、そのうちの一人だけは内面描写許可しちゃおうとなったのが『三人称一視点(自由間接話法)』で、なのでこの場合は視点主に限っては心理も顔色も書いて構いません、となってるはずです。その代わり、神視点ではないので場面転換なしに別の場所で起きている事をカメラが二分割で映してはいけないとなってます。(後々に、さらに「神視点」として全員の心理を書くというのもOKになった)


 なので、一人称なら「悲しかった。」と書くところを、三人称は、涙が流れてると書いていい代わりに「悲しんでいるようだった。」と書かねばならないわけです。

 厳密にはアウトです、地の文で「~ようだった」と書けば、それは誰かの感想になり、人格が現われるので。三人称はあくまで、、なので地の文に人格がでて感想を述べてはいけなかったんです。淡々と、見えるものを描写するだけ。カメラになりきる、ということです。


一人称(間違い)

 僕は、青褪めた表情のまま、呆然と立ち尽くした。ただただ、悲しかった。

一人称(正解)

 僕は、青褪めていたと思う。呆然と立ち尽くした。ただただ、悲しかった。


三人称(正解)

 彼は、青褪めた表情のまま、呆然と立ち尽くした。ただただ、悲しかった。

 彼は、青褪めた表情のまま、呆然と立ち尽くした。悲しんでいるように見えた。


三人称(間違い)

 彼は、青褪めた表情のまま、呆然と立ち尽くした。泣かないで、彼女は思った。


 三人称の間違い例は、書き方によっては正解になります。ずーっと彼固定のカメラだったのに、ご都合で唐突に彼女の内面を書いたらアカンよ、てだけ。


 しかも三人称では、視点主の心理や心情の吐露も詳しく書いてしまう手法として、『自由間接話法』っつー、超絶便利チートを使えるのでほぼ無問題っす。




 んでは、三人称の方が書きやすいかと言えばトントンだと思いますね。一人称は縛りが多い代わりに、それを逆手にとって、「解からん」で済ませてしまえます。

 三人称だとこの「解からん」が使えませんので、常識に照らして知られていて当然のモノは書かれて当然となります。科学知識から政治情勢から何から何まで。なので、三人称を使うと調べものが増えます。


 逆に、一人称というのは主人公の「視野」そのものなので、実は視覚情報の方に大きな制限が出てきます。俯瞰の構図で書いてはいけなくて、主人公の「意識に上っている視覚情報」のみしか書けないのが本当です。(←これ追記)

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