昭和初期のノスタルジー

 いや、別に昭和初期に街を闊歩してたりはしませんが。影も形もまだないし。


 ただ、昭和初期という時代はその後も引き続いて昭和の終わりくらいまでは存在してたよなぁと思うのです。都市再開発だとかで、局地的に切り取ってデリートはしてたけど、一気に消え去ったわけではなかったと思います。

 明治大正昭和、とその前の江戸から明治になる時もデリートは行われたとは思うんですが、今日のように徹底的に消されたような時代などなかったろうなと思うわけ。


 江戸時代の建築は残す価値が大有りで、誰の目から見ても残すべきと解かるんです。明治大正あたりの建築も多くは残すべきとひと目で解かる。昭和初期のものだって、残っていれば価値のあるものばかりになっている。

 古びたモルタル建築にいつしかノスタルジーな価値が現われて、昭和通りなる名物横丁も出来上がるわけです。モダンな注文建築や都市部の超高層ビル群が古びた時も、その古色蒼然とした佇まいを良いと見做される日が来たりするんでしょうかね。


 新しいモノはそりゃあいいです、使う分には。現実で自身の身の回りに置くものはそりゃ新しいモノに限ります。けれど、創作の場面でそれらはすぐ飽きますし、小道具としてはチャチだと思うのです。軽薄な空気の演出には欠かせない最新の数々ですが、逆に、重厚な空気の為に必要なノスタルジーのアレコレを実物として体験しているかどうかは大事だなと思います。


 大家の作家さんのエッセイには、ほぼ例外なくノスタルジーな記述があります。経験してらっしゃるわけです。学生運動の熱気だとか、バンカラ気風なかつての大学風景だなんてものは、想像するしかないわけで、羨ましく感じます。

 バブル景気だの昭和ノスタルジーだのはかろうじて引っ掛かっている時代の人間なので、その辺りは書けそうですが、私よりも若い世代が書く明治大正はどうにもファンタジーだなという感覚もあり、私が思うくらいだからもっと古い人たちはもっと感じていることだろうと思うわけです。

 もっともらしい嘘も吐けない未経験世代が書いたファンタジーな時代モノ。それは結局、体験したかどうかの違いなのだ、と得心がいった次第です。ペンを棄てて街に出よう、といったところで街にはもう残っていないというわけですか。


 ノスタルジーといって、時代小説、明治モノ、大正浪漫、昭和初期ノスタルジー、ときて、その後のヒトカタマリな何かの時代というものが思いつかないのです。

 昭和のあのノスタルジー、バブルまでの一区切り、その後の時代は? 今がその只中だからかも知れませんけど。


 私は幸い、京都に近い都市に住んでいます。京都はしょっちゅう出かけますし。奈良も区画整理に遭うかなり昔に何度か訪れており、貴重な体験でした。セーフ。デリートされたら文字通り、大切な何かまできれいさっぱり消されてしまうので、それまでに何度か訪れ、空気感をしっかりと身体に覚えさせる事が大事なのでしょうね。

 イギリスなんかは古い町並みを大事にしますが、日本人はそれをしないので、体験できる機会は短いです。デリートされる前に、街へ出ましょう。

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