「テンプレラノベ」と「テンプレでないラノベ」
ラノベは私、無関係なんでもう触れないようにしようと言ってた舌の根も乾かないうちにコレですだよ。思えばずーっと書いてますな。(呆
ぜんぜん別途のジャンルなので無関係を決め込んでもいいようなものだけど、そうも行かないのがジャンル問題ですわ。交わらない部分がないわけでもないからさ~。
ぜんぶちがってぜんぶいい。みつを。なんて感じに突き放してもいいんだけど。
テンプレでないラノベをさ、そうと知らずに作者さんがテンプレ技法使っちゃってダメにしてたってさ、ラノベ書きでも読みでもない私には無関係ですよ、ホント。
たぶんね、ラノベの懸賞に出して一次で落ちる作品なんてのはコレなんだろうなぁと最近になって編集部の講評読んでて思い始めたくらいだし。(編集部でも原因を突き止めてなさそうな気配もあるけども)
多くのラノベ懸賞で欲しがってんのは、「テンプレではないラノベ」に違いないだろうし、書いてるワナビたちも「テンプレではないラノベ」を書いてるつもりだろうに、実際には「テンプレラノベ」の手法で書いてるから、もはや「テンプレの欠点と非テンプレの欠点とのハイブリッド小説」になっちまってんのに、気付かないんだ。
書いてる意味、解かる?
テンプレでないラノベを書きたいなら、文学文芸の書き方に倣うしかないんだよ。
スピード感だ? 展開の速さだ? 解かりやすさだ? それ、ぜんぶ代入だからだよ。読者が自分の好きにカスタマイズして読んでるから、理解が早いってだけだ。それの正体はむしろ設計図。設計図を元に実際に脳内で組み立てるのは読者。それが「テンプレ」の作法で、ディアゴスティーニ的な楽しみ方に通じる、創造の楽しみがある小説だから、チョー楽しいだろう。すごい発明なのよ、テンプレ自体は。
ある意味、他のメディアに輸出不可能な媒体ね。小説形態ならではの究極の楽しさってヤツを体現してて、なんせ読者が完全に好きに出来る娯楽だもん、勝てっこない。アニメにしようが漫画にしようが、そこに原作にはない押し付けが生まれる以上、テンプレラノベの良さを減じてしまうんだよな。メディアミクスに向かない媒体にまで成長した。いわゆる「映像化できない作品」になったの。皮肉だね。
けどさ、この設計図だって、ラジオ製作なら誰でも愉しめるだろうけど、パソコンを組み立てろとなったら、投げ出さないかい? つまり、作れるモノも限られてくるのが「テンプレ」の手法なの。そこを誤解してる作者は多い。テンプレは似たモノばかりになる、それは当然の帰結なわけよ。
ディアゴスティーニ系の製作読み物は、他の読み物系とは別途でしょ? ラノベ含む他ジャンル小説の、純粋に読むだけの作品群と、テンプレの製作読み物は別途なの。あれは設計図を元に読者が自分で細部を組み立てて楽しむジャンルの読み物なの。だからハマると面白いのよ。
その代わり、製作する物語そのものも非凡なモノは作れないからね?
代入を基礎ルールに置いた以上、物語そのものも、代入でなければいけないから。その中でほんのちょっとだけ、読者にほんのちょっとだけの閃きを与えるのだけは許されている、それがテンプレにおいて「ちょっとずつ違う」の工夫になってんの。
あんまり読者が既に知っている事柄以外のモノを放り込んでしまうと、読者は設計図を難解だと認識してしまうからさ~。
ここにジレンマが生じるわけでもあるのよね。作者はお馴染みのパーツしか使えないのに、読者はお馴染みのストーリーには飽きてきちゃってんの。もっと別のテンプレ寄越せ!て、テンプレの意味を考えるとなんとも矛盾した要求をね、してんのよ。
それで、あんまりテンプレ界隈では馴染みのないテンプレでないストーリーを持ってくるでしょ、そしたらもうそれ、テンプレの大前提から崩れてるよね? て。
つまり、一次で落とされる作品ってのはそういうストーリーだろう、と睨んでる。
どっかで見たストーリー、どっかで見たキャラクター、どっかで見た設定、どっかで見たアイデア、とにかく「どっかで見た」で構成されるのがテンプレで、それでないと読者は楽しめない。見たこともないモンでドシロウトが創作なんか出来ねーだろ。点線で書いてあるストーリーを実際に自分でなぞる楽しみ方、あるいは線だけ入った絵本に好きに色を付ける楽しさ、それがテンプレ。原型を知ってなきゃなぞれないし、色を塗れないじゃん、て。
点線での書き方、ぬり絵としてのイラストの描き方、それがテンプレの作法。
具体的に書くなら、「描写の技法」に集約される。文学文芸の描写は、冗長で遠回りしたような細かな指示書を、指示書とは思わせないように、冗長とか遠回しとか思わせないように、工夫を凝らして書かれたものだからね。
本来、心地良くはない描写という文章を、心地良いと錯覚させて読ませるの。その為の工夫を凝らしていくのが文学文芸。普通のラノベ。
テンプレは真逆。描写を省く方向へ行ったわけよ。真逆よ、真逆。果てには、代入で済ませりゃ早いよね、との結論に達した新しいジャンル小説。
でだ、テンプレでないラノベはそっちの、文学文芸の「描写を工夫で読ませる」がベースの考え方にあるジャンルの読み物なわけよ。文学文芸ほど描写バリバリにやらないってだけで、基本は同じになってんの。その基本をテンプレと都合よく解釈してさ、代入でやっちゃうと、一次で落ちるわけさー。(笑
別に無関係なんだから、こんなモンをわざわざ時間割いて書く必要もないんだよ?
けど、カクヨムでいよいよ読者選考が廃止という流れで、あまりにも多くのワナビがそこんトコを誤解してんじゃないかと思ったから、放っときゃいいのに、書いたの。某グループで講評とかしててもよく言われたもんだよ、「箸にも棒にも引っ掛からないような作品まで講評してたら身がもたないでしょ?」て。
それは解かってんだけどさ、こっちは解かってることを、相手は知らなくてもがき苦しんでるだろうと思うと、黙ってるのもなんかヤじゃね?てさ。(笑
そんだけよ。(笑
中世ヨーロッパ風の異世界、てのを禁止して、一から描写で世界観を伝達しようとしてごらんなさい。冗長でだらだらとした風景描写を延々と続ける? それともやっぱり冗長でだらだらとした世界設定の解説を延々と続ける? 代入系の「中世ヨーロッパ風の異世界」だとか、「○○ではお馴染みの」で、他のメディアの情報を当て嵌めてね、は禁止だよ?(笑
それで書いて、読者に「読みやすかった」「面白かった」と言わしめたなら、どこの懸賞応募でもきっとイイ線行きますよ。纏めサイトとかの記事なんかでさ、作家とか編集者とかの苦言って、要約すりゃぜんぶ言ってんのはコレだからね。
代入でズボラかますな、描写しろ。でしょ。よく読んでごらん?(笑
まずは、今読んでいるその文章が「代入」かどうかの区別が付くようにするところから始まるわけよ。私も二次創作から入ったクチだからさ、区別が付くまでは苦労したもんね。プロ作品ともなると、また巧い具合に区別させてくんないんだ。(笑
テンプレの技巧も呑み込んで、さらなる進化を遂げた「描写」になってたりすると、代入なんだか描写なんだか、いやこれは描写なのか、巧いなぁ、となる。
面白いプロ作品は技巧の塊だよ。文学文芸のその技巧ってのはようやく見よう見まねで出来るようになってきたってレベルだから、ぜんぜん解説なんかは出来ないけどね。正直なトコを言うと、自身の戦うフィールドの敵を増やすのもなんだかな、と考えなくもないよね。(性格上、それでも、やっちまうんだろうけどね)
文学文芸というジャンルはさ、「著者それぞれのQ&Aを提示してある読み物」なわけよ、著者のモノの考え方に触れるのを愉しむ娯楽だと私は思ってマス。以上!
『彼女は泣いている。』とだけ書けば、通じるでしょう。好きに状況を創造して、個々で足りない味付けをするならこれでも十分。だけど、素材そのものだからさ、それ。素材の味に各自で味付けしてね、では著者の味なんて解かんないよ?
それでオリジナリティだのアイデンティティだのと言われてもね。
アレだよ、自分で好きに出来過ぎちゃって、脳内麻薬的にはドバドバだからさ、普通の小説なんかは作者が出しゃばり過ぎに感じて反感感じるんじゃない?
なんか知ってる人がそんな感じで普通の小説書きたいなら二次とかWebテンプレを断ちなさい、言ってたが、今になってその意図がはっきり理解できたわ。うん。
麻薬みたいなもんなんだ、普通の感覚から遠ざかってくんだな、あまりに簡単にドーパミンが出てくるから。ソシャゲのガチャみたいだな。(笑
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます