描写無双

 文章。風景描写など緻密に沢山書く意義。


 ラノベと文学文芸は違うので、描写の許容範囲が違う。


 文学文芸における描写の多さは、それが許され、その意味が周知されているからで、大量な描写によって成すモノがある。それを読者は承知している。これがラノベ読者との間には暗黙の約束事として成立していない。


 描写で多彩なことが出来る。もちろんシンプルに削っても通じる。大量に書いても通じる、阿吽がある。ラノベ読者との間にはその了解はない。彼らはラノベの約束に通じていても、文学文芸の約束を知っているとは限らない。知っている読者ならば、そのお約束で大量な描写の意図も知っているから拒否しない。

 わっかるかな~?


 ヒント:飯テロ小説。



(もちろん、文章力ある作家に限りで許されているわけだけど。)



つづき~。



 この、「描写を大量に重ねて何某かの効果を演出する」というスキルを発動するには、かなり条件が厳しいものとなる。


 術者(作者)の執筆レベルがそうとう高いことはもちろん、読者層の読解力レベルもそうとうに高いところが望まれるためだ。読者の平均レベルが高くなければ、ぶっぱなしても理解されずにスカって不発となる。


 これは、学術書における『著作タイトル大量放出引用手法砲』も同様であり、アレはとにかく関連書籍のタイトルでページを埋めることで威力を発揮するが、正直、内輪向けの最たる手法であったそうな。

 ま、同じ学術畑の学者さんたちにだけ解かればよろしーもんなので、別に構やしないのであろう。てなもんだ。頭良いはずの学者さんたちですら、違う畑の方だとチンプンカンプンだったりもするってんだから物凄く範囲狭い武器ですが。威力はデカいのよ。「引用量スゲー、解かる俺スゲー」だからね。(しかもハリボテや飾りではない、実用のもの、実の詰まった羅列だ)



 つまり、描写を大量にぶっぱして、それによって引用手法砲と同等の効果を引き出しているわけ。『描写SUGEEE』である。

 けれどもちろん、スゲーと思ってもらうには、単純に描写をだらだら並べりゃいいってもんじゃなく、ひとヒネリふたヒネリが重要なのは説明不要と思いますん。


 要するに、「誰でも出来る小技じゃないってこと」で、初心者向けの書き方教本じゃ、危険物扱いか、真似出来るとか思うな甘いんじゃー、と書かれているってだけです。


 しかも読者側にもスキルを要求する技なんで、批判されたりもする。お客様は神さまとは言え、神さま低レベルとか言えないし、困った問題ですな。


 飯テロ成功させられる作者さんは、この技が使える可能性高いが、読者層に受け皿あるかどーか、という話。下手に描写の云々とかは触れんほうがいい話です。


 上を見ればキリが無く、下を見る意味もない。そのうち、自分の描写力は通用するんだろうか、どうなんだろうか、と果てしなく悩み始めても、その答えを問う相手を誰に求めればいいかも解からなくなる。

 巧い描写とはどんな描写で、下手な描写とはどんな描写か、基準はどこに求めればいいのか、読み手の方にもこれに対応するスキルがあり、高低で回答まで変わるというなら、平均値すら信用ならないという事なわけです。


 私も、すごく巧い人の描写はその価値が解からない。解説を、ちゃんと解かる人から教えてもらってようやく理解した。だから言うのですよ。下手に描写はどうこうとかは触れたらアカンよ、と。

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