総合プロデュース力が重要
今の時代、ビッグヒットを飛ばしたコンテンツに共通するのは、総合プロデュースだと思う。この流れの走りは、モー娘。のつんく氏からだろうとも思う。
バックに誰が付いているかで売れるかどうかが決まる。
ディズニーやジブリは積み重ねたものだったが、AKBやパフュームはプロデューサーの手腕と知名度によるし、もはや作品が良ければ自然に日の目を見られるという時代ではないんだろうとも思う。
それとは別に、ある意味で『業界再編』のようなものも起き始めているのかも知れないとも思うし、ネットは今までずっと無法地帯だったけれど、そこに秩序が持ち込まれ始め、区画分けが出来始めているのかも知れないとも。
人々は知らず知らずのうちに、フリーダムだったはずのネット内での行動範囲までもを狭められ、囲い込まれているのではないだろうかとも。
我々は、行きたい時に行きたい場所へ行けるし、食べたい時に食べたいものを食べていると思い込まされているが、決してそんな事はないのだし。
限られた範囲の中での選択肢しかないものを、まるで無限に何でも選んで良いかのような錯覚に囚われていたりするけれど、本当は作為的な枠の中で暮らしているし。
与えられた選択肢以外を選ぼうとしたら、とたんにものすごく大変になるし、時には妨害まで生じるわけで、それに気付かない人々は、安い感動作を素直に受け入れて納得していたりする。
それはそれで、知らないほうが幸せというものだろうけど。
つくづく、今という時代はグローバルとか言いつつ実際はまったく逆で、細かい区分けの中に閉じ込めようとする力が強く働いている時代なんだなぁと思うばかりだ。
どこかに所属しないとダメ、なんていう不自由さがネットにまで及んで、こういうSNSだとかが大盛況しているわけだし。かと言って、個人がネットの大海を泳ぎきることを考えたら、もはやネットの広がりは手に負えない大きさに到達してしまった感があったりもする。
本来は無限の世界だったのに、いつの間にか人々の集落が出来て、裁断された小さな世界になっていくってのは自然な流れなのかもなぁとも思うのでした。
集団が集団であるためには結束が必要で、結束とは、同じものを良しとする事で、集団であることは個人を殺すのだよね、皮肉なことに。
話がズレた。
今は、宣伝まで含めた総合のプロデュース力がないとヒットは難しいよね、と言いたかったの。作品が取り立てて優れていたわけじゃなくてもヒットしたり、もっと優れた作品があるのにと思ったりするカラクリはそういう感じ。
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