泣き虫ジェミー

ソウ

泣き虫ジェミー


 そこは小さな村でした。

 その村は小さすぎて、村人や動物たちはほんのわずかしかおりません。そのため村は名前すら、ありませんでした。

 村人たちは名もなき村の住人として、世間からずいぶんと長く孤立していたのです。いまでは満足な物資が与えられず、続く日照りで農作物も上手くゆかず。村人たちの生活は、毎日が『その日暮らし』でした。ときには空腹で小さな争いが起こることもあるほどです。

 まるでこの村だけがこの世から弾かれてしまったようで、村人たちは希望さえどこかにいってしまったようでした。その悲しみは人間だけではなく、食べ物がなく困っている動物たちも同じことです。

 あるとき、村一番の泣き虫ジェミーが、村長に尋ねました。

「どうして、この村には名前が無いの?」

 ジェミーは、悲しむばかりの村人たちを見ていると、自分も悲しくなってきたのです。

 だから、この村に名が付いて世間に認められれば、途絶えてしまった物資もまた与えられるのではないか、と考えました。

 しかし、ジェミーの質問に村長は目を丸くします。

「判らないのかい? ジェミー。この村をよぉく見渡して御覧。ここには人間も、動物たちも、数えられるほどしかいないだろう」

「そんなの、知ってるわ」

「知ってるのなら、おかしなことを訊くものだね」

 村長の言葉に、ジェミーが「どうして?」と小首をかしげました。

「村人が少ないと、物はもちろん、名前さえ貰えないものなの?」

「ああ、そのとおりだとも。こんな小さな村など、誰の目に留まらずとも支障はない。――そういう事なのだ」

 ジェミーは村長の言いたいことがよく理解できませんでした。

 村長はそんな彼女に分かるように言い直します。

「いいかい。お前は知らないだろうが、この村を出れば何十億という人間がいるのだ。それに比べれば、ここに住まう人間たちなど……、ほんの一握りにすらならないのだよ」

 ――辺境の地に住む、名もない村の人々。自分たちの存在など、世間からすれば取るに足りないものなのだ、と村長は言いました。それこそ、今ここで餓死しようと、日照りにこの身を焼かれようと、医者にかかれば治癒するだろう病で息絶えようとも、です。ここで村が名を持つことに、いったい何の意味がありましょうか。

 村長の話を理解したジェミーは、悲しくてだんだん泣きたくなってきました。

「そんなの、かわいそう……ひどいわ」

 村が小さくともジェミーたちは、恵まれてはいないけれど立派にここに居るのにと、彼女は泣きました。

 けれどジェミーも知っています。まだ目にしたことはない、大きな村には立派な名前が付いていて、数えきれないほど大勢の人がいることを。いろんな食べ物があり、着る服にも寝る布団にも、それにお医者様にも困らないと聞きました。

 たとえば大きな村では助かる人が、この村では助からないことを、彼女はまた知らされたのです。

 どうして、生まれた場所の違いだけで、これほどの理不尽があるのでしょう。

 ジェミーの涙は止まりません。

「――おやおや、ジェミー。泣くのはおよし。泣いてもどうにもならないよ。それに、泣いてしまえば喉が乾いてしまうだろう」

 ただでさえ村には水がありません。涙一粒でも惜しむべきだと、村長は言いました。

「ぅ、ぅぅ、……っ」

 村長に言い聞かされたジェミーは、一生懸命泣き止みました。




 翌日、泣き止み元気を取り戻したジェミーは、田畑で汗を流していました。

 もう夕暮れ時なのに、朝早く両親に言いつけられた畑仕事をまだ終えてはいません。

「日が暮れちゃった……。どうしよう」

 仕事はあと半分近くも残っています。このまま帰れば父に怒られてしまうでしょう。

(おなか空いたな……)

 ジェミーは飢えを我慢して、もう少し頑張ろうと畑を耕していきます。

 そうしていると、数人の子どもたちが畑の側を通りました。少年らは与えられた仕事を終えて、家へ帰る道中なのでしょう。

 しかし、彼らは足を止めてジェミーの傍に近寄ると、しゃがみ込んで畑の土を一掴み。それをそのまま彼女に投げ付けたのです。

 ジェミーが耕して柔らかくなってはいる土が、ジェミーの顔に命中しました。

「きゃぁっ」

「当たった、あたった、百点だ~! 泣き虫ジェミー、泣き虫ジェミー、働かないで泣いてばかり」

「泣き虫ジェミー、泣き虫ジェミー、泣いた分だけ水を飲む」

「泣き虫ジェミー、泣き虫ジェミー、飲んで喰うのに働かない」

「ずるいぞ、ズルいぞ、泣き虫ジェミー!」

 ――そうです。ここの村人は、ジェミーを好いてはいませんでした。好くどころか、

『ろくに働かず、泣いてばかりの役立たず』

 と、ジェミーはいつも厳しい目を向けられていたのです。

 それはジェミーの両親も、十分すぎるほど知っていました。とくに一家を養わなければならない父は、ジェミーの無能さを耳にするたびに彼女を庇い、どれほど落胆したことでしょう。

 からかわれたジェミーは、誰の役にも立たない自分への情けなさに、「わぁっ!」と泣いてしまいました。

「ううぅ……っ、ひっ……く」

 ジェミーの泣く姿を見て、少年たちは大はしゃぎです。

「泣いた、泣いた、やっぱり泣いた~! 泣き虫ジェミーは今日も泣く~!!」

 ジェミーの周りを歌に合わせて踊りながら取り囲みました。

 ちょうどその時です。少し離れた場所から一人の男性が駆け寄ってきました。

「ジェミー!」

 ジェミーの父親でした。彼の後ろには、母も居ます。どうやら両親は帰りの遅いジェミーを心配し、様子を見に来たようでした。

「お前らっ! なにをやってる! 今すぐ家へ帰れッ!!」

 父の怒号を浴びせられて、少年たちは一目散に逃げ帰って行きました。

 それでも怒りの収まらない父は、少年たちを追い払うとジェミーを振り返ります。

「ジェミー! またお前は! 泣いて仕事をしなかったのかっ! 見ろっ、半分しか耕せていないじゃないかッ!!」

 お前はまったく、なんて情けない奴だ――!

 心配して様子を見に来れば、このありさまです。

 父はジェミーが見たこともない、とても恐ろしい顔をして休みなくジェミーを問い詰めました。ジェミーは、また泣いて俯いてしまいます。

 けれど我慢の限界を超えて激しく怒る父が、ジェミーの涙を許すはずがありません。

 ジェミーの手を掴み上げ、大股で歩きだしたのです。その方角は家とは正反対でした。

「お、お父さん……、どこへ行くの……っ?」

 ジェミーは不安になりました。

 父の突然の行動に母も困惑しています。

「あなたっ? どうしたの、……もう遅いわ。話なら、家でしましょう」

 母とジェミーの言葉も、頭に血が上った父には遠く届きません。彼は無言でただ足だけをひたすら動かし続けました。



 やがてすっかり日が落ちて、あたりは真っ暗闇に包まれました。

「おとう、さん……、疲れたわ……」

「お願い、もう休ませてあげて下さいな……、昨日の朝から何も食べていないのよ」

 へとへとになった弱い声が静まる場所にこだまします。

 ――ここは、いったいどこだろう。

 ジェミーの疑問は直に解決されました。一夜を越して、村人を苦しめている日照りが、再び彼らを照らし始めたのです。

「わぁ……っ」

 うっすらと、徐々に強く、光が差し込んできます。

「森だわ。あなた、どうしてこんなところに」

 ジェミーの母が言いました。父が彼女たちを連れてきたこの場所は、この村にある、ただ一つの森の中だったのです。

 すでにこの森は、満足な雨水が得られずに、萎れ、枯れている樹もあります。その虚しい光景を見たくないために、村人たちは決して森へ近づこうとしませんでした。

 人気のない森のなか、父がジェミーの手をやっと放しました。

「いいかい、ジェミー。今日は、ここを動いてはいけないよ」

 そう優しく言われて、ジェミーは――、いいえ、ジェミーの母は悟りました。

「あっ、あなた……ッ、まさか――」

 母の嫌な予感は的中してしまったようでした。

 父がしようとしていること、それは――『口減らし』――だったのです。

 ようは、食うに困るならば、物を食べる口を減らせばいいだけのことです。物喰う口が、泣きじゃくるばかりで何の役にも立たないとなれば、なおのこと。行くあてのない『口減らし』など、村では珍しくも非道でもありませんでした。

 ですが、そうはいっても……。

「まさかっ、ジェミーを、ここに置いていくのッ?」

 母は半信半疑で捲くし立てます。いっぽうジェミーは――黙って祈るしかできません。役立たずとよからぬ名で知られ、両親を困らせてばかりだと、誰よりもジェミーが自覚していたのでしょう。

 そしてついに父は、今度は母の手を引いて、森を歩きだしました。ジェミーを置いて、もと来た道を……。

 一人きりになったジェミー。

(わたし、お父さんに、捨てられたのね……)

 どれほど……いままで涙を堪えようとしても、やはり泣いてしまいます。せめて泣いた分だけ一生懸命みんなのために、村のために役立とうと彼女なりに頑張ったつもりでした。けれど、いっつも失敗ばかり……。そしてとうとう見放されてしまったのです。

 ジェミーは悲しくて、悲しくて、悲しくて……。けっきょく、最後までみんなの役に立てないまま。村に貢献できないまま。……親孝行も、出来ぬままに。

(わたしは、ここで枯れた樹々に囲まれて死んでいくのね)

 ジェミーは絶望していましたが、不思議と怖くはありませんでした。むしろ、何かに包まれているようで、心安らかになったのです。

 なぜだか、とても心地よくて……、知らず疲れ果てていたジェミーは、このまま休みたくなりました。

 すっかり干からびた大地に腰を下ろします。大きな大きな大木に、身を任せました。土の上では、何十匹もの蟻が列を作り、虫に食われて穴の開いた葉っぱを運んでいます。

「ふふ。蟻さんたちも、お腹が減ったのかしら」

 蟻たちに微笑むと、思いがけずジェミーの瞳からポトリと涙がおちました。

 泣き虫ジェミーとからかわれ、仲間外れにされることが多かったジェミー。彼女はこの蟻たちのように、友達と力を合わせて何かを成し遂げたことはなかったのです。

 ジェミーの瞳から、またポロリと涙が落ちました。

 からかわれるけれど、もうジェミーは涙を我慢しません。森には、『泣き虫ジェミー』と怒る人は一人もいませんもの。

(ここでなら――)

 ジェミーは奇妙な解放感に囚われました。

 だれに責められることなく、ジェミーは一人、泣き続けました。静かな森に包まれ、大木に見守られながら……。




 ジェミーを置き去りにした日。暑かった日照りも力を失くし、夜が訪れようとしていました。

 だれも近寄らないはずの森に、二つの足音が響いてきます。

 現れたのはジェミーの両親でした。

「ジェミー、ここに居るのか、ジェミー?」

 母は一日中ジェミーを心配し、怒っていた父は落ち着きを取り戻していました。

 いまならジェミーは生きているだろう、まだ間に合う。そう踏んで、彼らは再び森へとやって来たのです。泣き虫ジェミーと嫌われるけれど、やはり彼らにとってはたった一人の子どもですから。

 彼らはジェミーを懸命に探しました。子どもの足で、そう遠くへはいけないはず。

「おかしいな。たしか、この辺りだと……」

「あなたっ……!」

 母の悲鳴が上がりました。慌てて駆け寄る父。見ると、そこには――。

 とても綺麗な……、目を見張るほど透きとおった、小さな泉が出来ておりました。そして泉のすぐそばに見たことのないほどの大木が、そびえ立っているではありませんか。――いえ、それどころか、枯渇していた森の、なんと緑鮮やかなことでしょう。

 信じられないことに、たった一日で森は息を吹き返し生い茂っていたのです。

「――ジェミーの服だわ!」

 泉の真ん中に、ゆうらりと浮かぶ服がありました。それはまるで、気持ちよく泳いでいるような、水をたらふく飲んでいるような、子どもが無邪気に遊んでいるような……。

「ぁ……、そ、そんな……。あぁ……、ジェミー……」

 父はずぶ濡れになるのも構わずに泉のなかへ走りました。楽しげに揺れるジェミーの服をすくい上げて――悟りました。

 ジェミーが惜しまず零し続けた、とめどない涙の渦が、この泉になったのだと。そして大地に根を張る樹々に、たくさんの水を与え続けたのです。

「なんてことだ……、わたしは、なんという愚かなことを、してしまったッ」

 ――すまない。すまない、泣き虫ジェミー。

 彼女の零す涙ほど、純真なものはきっとどこにも無かっただろう。

 喉が渇くのをいとわずに、村のために、人のために、惜しみない涙を流すことのできるジェミー。

 涙を見せる父に母がそっと寄り添います。

「ジェミー……。ごめんなさい、ジェミー」

 ――泣き虫ジェミー、愛しているわ。

 彼女の豊かな感情ほど、飢えない心はきっとどこにも無かったでしょう。

 まるで村人のことを自分のことのように、時に嬉しく時に悲しく、共感することができるジェミー。

 両親はジェミーの服を握り締め、しばらく泉から去ることが出来ませんでした。




 泉は村人に生きる希望をもたらしました。

 村人たちは泣き虫ジェミーを『恵みのジェミー』と仰ぎ、自らの行いをそれは深く深く悔やみました。村の動物たちもこぞってジェミーに感謝し涙を流します。するとどうでしょう。小さい泉はいくら使っても減ることはなく、大地から再び湧き上がってくるではありませんか。おかげで農作物は豊富になり、人間と動物で合わせても、食べ物は有り余るほどです。空腹からの争いはなくなり、村人たちは悲しむことを止めました。

 小さな村は相変わらず数えるほどの住人しかいないけれど、どこからか風の便りが世界じゅうを巡ります。噂を聞きつけた、日照りで困る人々や動物たちが、豊かな森を訪れ、この村はたちまち有名になりました。

 旅人たちの間では、名もなき村は『天使の村』と、謳われるようになったのです。







                *おしまい*



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