“0” -Ⅲ-

「さあ、ミス・ツェルプストーも早く来たまえ! 急ぐに越したことはないぞ!」

「・・・・・・ジャン、早くても遅くても結果は逃げないし変わらないわよ」

 身体を弾ませ光球へ向かうその黒い外套を、寝ぼけ眼を擦りながらキュルケは追いかける。先ほど空に上がった白い光で目を覚まし、不審に思って教えたらこの元気さだ。心なしかその頭も、普段より照り返しを増しているかのように思える。

「・・・・・・それにしても、あの子もあの子だわ。勝手に人の記憶から消えたり、かと思えばいきなり出てきたり。おかげさまで“のーとぱそこん”の研究も無駄骨になったじゃないの」

「まあまあ、収穫はあったからいいではないかね。それにせっかく彼が帰って来るというのだ、温かく迎えようじゃないか!」

言うが早いか躊躇うことなく、白い球の中へ飛び込んでいくコルベールにキュルケも続く。臆することがないのは、この白球が“悪いもの”ではないことは不思議と分かってしまうから・・・・・・というよりも、失敗することはないだろうと踏んでいたからだった。

(・・・・・・信じてる、っていうわけじゃないけれど、あの子の性格から考えると『失敗するわけがない』ってなっちゃうのよねぇ・・・・・・)

 誰よりも迷い傷つくけれども、一度覚悟を決めればその心は誰よりも強く、何があっても折れることはない。

 また、端から見ても“使い魔召還”の繰り返し行うだけのこの儀式に、意思の力以外に成否を分ける要素があるとは思えなかったことから、シエスタの言葉通りこの儀式が彼女が使い魔を喚び戻すためのものだとすれば、成功しない方がおかしいという結論に至った次第なのである。

(・・・・・・まあ、結果としてサイトが帰ってくるならいい、か・・・・・・) 

 分析に把握に疲労に困惑。絡みもつれる思考と感情をほどいて整えながらも、キュルケは白球へと足を踏み入れ・・・・・・

「おいマリコルヌ、泣くんじゃない! ぼくらがしっかりしなければ・・・・・・誰が、誰がサイトを・・・・・・ッ!!」 

「・・・・・・でも、ギーシュ、うっ・・・・・・ひぐぅ・・・・・・うぅ、うぁあああ・・・・・・」

「・・・・・・あ、あぁあああッ!! サイト殿、サイトどのッ・・・・・・!!!」

「そんな、ひどいわ・・・・・・こんな、こんな、・・・・・・ことッ・・・・・・」

「ミス! ミス・ヴァリエール! 気を確かにッ!!」

 ───そしてそこに広がる阿鼻叫喚の様相に、思わず息を飲み込んだ。

ひとり、またひとりと、手前からゆっくりと露わになっていく仲間たちの姿。水精霊騎士の隊長は涙を流しながらも泣きじゃくる部下を奮い立たせようとし、ハーフエルフの少女は呆然としたまま座り込んで首を振るばかり。メイドは残る白の領域に必死に声を投げ、トリステインの女王は、使えもしない癒しの魔法を唱え続けている。

「・・・・・・これはどういうことかしら。タバサ、あなたはなにか・・・・・・、・・・・・・ッ!」

 光の中から姿を表した親友に声をかけるが、彼女も瞳を見開き固まっているだけで答えはしない。

 ただごとではないと再認識したキュルケは、戸惑いながらもコルベールに声をかけ・・・・・・

「・・・・・・ねえジャン、なにが、どうなって・・・・・・」

 ・・・・・・しかし、目の前に現れた最悪の光景に、二人揃って言葉を失った。






「・・・・・・サイト?」

 ・・・・・・閉じられた目、沈んでいくその身体。自分を引き寄せたその手からも力が抜け、頬をずるりと滑っていくのを感じながら、その名前をルイズは口にする。

「さっさと起きなさいよ、ほら。手伝ってあげるから」

声をかけ再び地に転がったその身体を起こそうとするが、両肩を引っ張った勢いで、その顔はぐにゃりと下を向いてしまう。

「ねえ、ねえってば。聞こえてるでしょ?」

 身体を前後に動かすが・・・・・・返事はない。もはやその首は直角といってもいいほどに傾き、ルイズの力に合わせてただ前後に振れるだけで、それが一層ルイズを苛立たせる。

「・・・・・・ねぇ、もういいでしょ! いい加減にしないと怒るわよ!?」

 せっかく再会できたというのに、からかうなんてあんまりではないか。

 ルイズはその肩を掴み一層強く揺さぶろうとするが、ふとか細い力で袖を引かれ振り返る。そこには唇を噛みしめながら涙を堪え、子供に諭す母親のように、自分に向けゆっくりと首を振るシエスタの姿があった。

「~~~~~~!」「ーーーーーー!」「・・・・・・、・・・・・・ッ!」

 ・・・・・・みんな、何を言っているのだろう? 声が混じって分からない。見ればアンリエッタにティファニアにタバサ、ギーシュにマリコルヌ、・・・・・・一様に自分とサイトを見つめ、顔を悲しみに歪ませているではないか。   

 “・・・・・・なんで? どう、して?”

 なぜみんなは泣いているのだろうか。儀式は成功したのだ。ここにいる才人はちょっとふざけてるだけで、きっとすぐに目を覚ましてくれるはずなのだ。

 “だってほら、こうして手を離しても自分で、・・・・・・ちゃん、・・・・・・と・・・・・・?”

 ぱっと肩から手を離すと同時、その身体は抵抗なく地面に倒れる。地に頭を打ち付けた衝撃だろうか、僅かに開いた口元からとろりと鮮血が漏れ出すと同時───。

 “・・・・・・あい、し、て・・・・・・”

 耳元で囁かれた、彼の最後の言葉が。

 “・・・・・・あり、が・・・・・・と・・・・・・”

 ルイズの頭の中で、蘇った。


・・・・・・頬を撫でた風が、自分の目から流れる涙の存在を教える。


「・・・・・・・あは。あははは、はっ・・・・・・」

 気付けば、ルイズは笑い声をあげていた。

「冗談でしょ? サイトってば、ねえ」

 ・・・・・・問いかけながら再び、身体を揺する。

 ───幾度となく重ねたその唇は返事を紡ぐことはなく、とく、たくと紅を流し出すだけだった。

「分かってるんだからわたし。ほら、ケガなんてどこに、も・・・・・・」

 否定するようにその身に纏う白衣を解く。途端、背後からアンリエッタの絶叫が聞こえた。

「・・・・・・あ、あぁあああッ!! サイト殿、サイトどのッ・・・・・・!!」

かつてその胸の中で喪った恋人にその姿を重ねているのだろうか。取り乱したトリステインの女王は即座に“癒し”を唱えようとするが・・・・・・魔法が使えない今では、その行為は何の意味もなさない。いや、唱えたとしても間に合いはしないだろう。

───悲しいときや辛いとき、何度も自分を優しく包んでくれた大きな胸元は横一文字にパックリと裂けていて、おびただしいほどの鮮血を撒き散らしていた。

「ミス! ミス・ヴァリエール! 気を確かにッ!!」

「・・・・・・そんな、ひどいわ、こんな、こんな、ことッ・・・・・・」

「おいマリコルヌ、泣くんじゃない! ぼくらがしっかりしなければ・・・・・・誰が、誰がサイトを・・・・・・ッ」 

「・・・・・・でも、ギーシュ、うっ・・・・・・ひぐぅ・・・・・・うぅ、うぁあああ・・・・・・」

 まわりの声がゆっくりと染みこんでいくにつれ、ふわふわとした頭の中が固められていく。無意識のうちに拒み、否定していた現実が、徐々にルイズに迫ってくる。

「うそ、だよね。・・・・・・これ、あなたが前に言ってた“どっきり”でしょ?」

誤魔化すように歪んだ笑みを浮かべつつ、力の抜けたその手をルイズは見つめる。・・・・・・自分を引き寄せ抱きしめてくれた腕。自分を護るために剣を握ってくれた、大きくて少し固い、・・・・・・手の、ひ、ら・・・・・・

「わたしが泣いたらいきなり飛び起きて、“かめら”がどうとか、“まいく”がどうとか騒ぎ出すのよ。・・・・・・知ってるもん」

眠っているように穏やかな顔を見つめながら、ルイズはその手に触れようとするが・・・・・・しかし何度やっても、才人の手はすり抜けるばかりで握れない。

「そうよね? ・・・・・・そうでしょ? ・・・・・・ねえ、返事してよ、サイ───」

 不審に思い再び視線を指先へ向け、今度こそルイズは言葉を失う。

 ・・・・・・その手のひらは既に、この世界に存在してはいなかった。

「・・・・・・え? なん、で・・・・・・」

 “命ある使い魔を呼び出して”という願いは“命を失った使い魔”に適用されることはない。契約は果たしたとばかりに、ハルケギニアは異物となった彼を拒み、元の世界へと送り返していく。

「待って、お願い、まってよ」

 戸惑いに染まる心も、混乱に乱された思考もお構いなしに、世界はルイズに淡々と現実を突きつけていく。 

 ───既に腕は肘、足はその付け根の辺りまで消えて無くなってしまっていた。

「いや、うそ。起きてよ、サイト」

 欠けたその身体をルイズは抱き起こし、狂ったようにその名を呼ぶ。

しかし何度呼びかけてもその瞳が開くことはなく、その腕がルイズを抱きしめ返すことはない。

 なぜならその魂は、既にここに在りはせずに。

 なぜならその身は、既に終わりを迎えている。

「・・・・・・いや、いやッ、わたしをおいて、いかないで・・・・・・止まって、ねぇ、止まってよッ ・・・・・・」

 肩、腰、腹。躯は何も語らず、動かず、静かに消えていく。

 たとえどれだけの想いを残そうとも、死者が生き返ることは、ない。

「あんたわたしの使い魔でしょ、だったらわたしを護ってよ・・・・・・だったらわたしを、助けて、よッ・・・・・・ねぇ、おねがい、だか、らぁあッ・・・・・・」

 しかし世界はどこまでも残酷で、運命はどこまでも非情だった。

 ルイズの懇願もむなしく光は舞い、胸から上が透け、才人は消えてしまう。 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、ああ、あ・・・・・・・・・・・・」 

 自分の中の何かが壊れると共に、喉から悲しみが叫びとなって込み上がる。もうすべてがどうでもよくなったルイズは、その衝動に身を任せようとして・・・・・・

「───いや、い───」

 しかしそれを吐き出す前に、首筋に衝撃を受け気を失った。

 





「ミス・ツェルプストー・・・・・・本当にこれで、よかったのかね?」

 少女に当て身を入れ気を失わせた後、コルベールは自らの行いの是非を元教え子に問いかける。

「ええ、ジャン。・・・・・・嫌な役割を押しつけてごめんなさいね」

「・・・・・・いいや、きみの判断は正しかった。魔法が使えないいま、うまくやれたのはわたしぐらいだろうし・・・・・・なによりみな精神的に安定していないからな」

弱気になって済まない、と付け足すコルベールの呟きに罪悪感を覚えながら、キュルケは悲しみに細めた目で周囲を見渡す。

 ・・・・・・ギーシュにマリコルヌ、アンリエッタにティファニア、シエスタにタバサ。みな一様にサイトが力尽き消えていったことを嘆き、悲しんでいるのだが・・・・・・、しかしどういうわけだろうか。この桃髪の少女がここにいる理由がわからない。

 というかそれ以前に、この少女は一体誰なのだろうか? 

 消えていったサイトと同じくその身を透過させていく彼女を見て、自分の中の何かが発した警告を鵜呑みにして、こうして助けた訳なの、だが・・・・・・?

(・・・・・・まあ、姫さまでさえこうして駆けつけてくるくらいなんだし、あたしの知らない女の子の一人や二人いてもふしぎじゃないけどね・・・・・・)

・・・・・・なにはともあれ、この国の王やそれを護る近衛の隊長がこんな場所にいては色々とまずい。夜が明けたいま、とにかくみんなをこの場から移動させなくてはと、キュルケはまずタバサに協力してもらうことにした。

 ・・・・・・決闘や戦が常のこの世界。死んだ生きたで悲しむにしても、壊れるほどに心を痛めてしまっては意味がない。戦いの中で生きてきた彼女ならそれを一番分かっているはずだし、シルフィードに頼めば一度に全員運べる。頼まない理由はなかった。

「ねえタバサ、悪いけどここじゃいろいろとまずいわ。シルフィードに頼んで、みんなを学院まで・・・・・・」

 運んで、と言おうとして、その肩が小刻みに震えていることにキュルケは気付く。

 親友である彼女は声を殺して、ぼろぼろととめどなく涙を零していた。

「お姉さま・・・・・・・! ・・・・・・ごめんなさいなのね、お姉さまが落ち着くまでちょっと待っててほしいのね」

 剥き出しになった感情を隠すこともせず、タバサは泣いている。普段の様子からは考えられない年相応の幼さを見せる彼女に、使い魔であるシルフィードも人型に変わって主を抱きしめる。

(先住魔法は使えている、魔法が使えないのはわたしたちメイジだけ。異変が起きたのはさっき空に光があがった時。・・・・・・もし、このままずっと魔法が使えなかったら・・・・・・?)

 真っ裸のシルフィードにマントをかけながらも冷静に現状を分析できている自分に、キュルケは呆れたようにため息をつく。

 もちろんキュルケにだって悲しみはある。しかしそれは泣きじゃくるこの親友や仲間たち、そして沈痛な面持ちで視線を地に向けるこの教師よりもは少ない。

 ・・・・・・死者はその存在含め過去のものだ、どれだけ想い願おうと何も変えられはしない。

 しかしだからといって過去に囚われず、現実の問題に目を向けてしまう自分は、少し人間味に欠けはしないだろうか?

 頭をよぎる嫌な考えを振りほどく。悲しみに浸れないのならば、悲しむみんなの代わりに自分が動けばいいのだ。

(そうよ、魔法が使えないんじゃ貴族も王権もあったもんじゃないんだから。・・・・・・わたしとジャンは後から来たけれど、先に着いてたなら何か知ってるかもしれないわね・・・・・・)

 胸に残るもやつきを払い、諦観と達観が入り交じった考えを自らに言い聞かせながら。

 キュルケは様子を窺い、落ち着いた者から一人ずつ声をかけていった。

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