“零” ᚷ


 ・・・・・・数日前から、いきなり風が強くなってきた。動かさない背中や足に積もる雪の重みと、透明でツン、とする匂いが辛い。きっと顔を上げたなら、辺りは一面真っ白なのだろうとルイズは予想する。

 ・・・・・・虚無の力によって保たれたこの身体は、外的干渉を遮断する。なので雪や地面といった触れるものから温度が伝わることはなく、故に痛みも覚えることはない。

 ・・・・・・しかし、要となる呪文を唱える以上、その調べを伝える空気はそうもいかない。

 吸い込む息や荒ぶ風から絶えず冷気を浴び続け、いつしか温度を感じなくなっていたルイズだったが・・・・・・とはいえ、これでも失ってきたものの中ではまだマシな方だった。

・・・・・・春には視界が徐々に狭まり、自分を守り、支えてくれる人たちの姿が滲んでいった。

・・・・・・秋には音が失われていき、シエスタの読み聞かせも徐々に聞こえなくなっていった。

 しかし悠久とも思える時間の中、失われていく五感はルイズにとって絶望ではなく救いだった。自分が失い削れていくだけ、才人と再会する時が少しづつ近付いていると思うと、どんな苦しみだって耐えられるのだ。

(・・・・・・でも。サイトが帰ってきた後はできるだけ、身体が動いてほしいものね。抱きつくことも出来ないなんて、さみしいもの・・・・・・)

 ・・・・・・幾度も繰り返してきた詠唱は、視界が薄れようとも違えることは無い。

 ただただ巡り会えるその時だけを願い、今日も銀の世界で少女は一人、詠唱を続ける。

 親しい人々の記憶からも、自分のことが薄れていることを知らぬまま・・・・・・



 “・・・・・・だーかーら、そっちで何とかして頂戴! 悪いけど、わたしそんなに暇じゃないんだからッ!”

「いや、そうはいってもだねルクシャナ嬢・・・・・・きみたちエルフじゃないと、あの結界は・・・・・・って、切れてる・・・・・・」

 すきま風が流れ込むゼロ戦の格納小屋、通話相手から貰った筒状の魔道具を耳から外し、ギーシュは深いため息をつく。冬が始まるとともに結界が自壊し、先住魔法をかけなおしに来てくれるよう頼んでいるのだが、ルクシャナは聞き入れてはくれない。以前は何かあったら教えなさい、と言ってくれたのに・・・・・・

・・・・・・こうしている間にも“彼女”の身は冬の冷気に晒されている。もちろんギーシュたちだっていろいろ試したが、しかし時が立ち元通りになった雲の代わりとばかりに、降りゆく雪がおかしくなってしまったようで、頭上にテントを張っても雪が降ればすぐさま消滅してしまうのだ。

 ・・・・・・服や毛布を上から着せても、濡れて凍ってしまえば意味がないし、マジックアイテムも同様でその効果を打ち消されてしまう・・・・・・。

「・・・・・・参ったなぁ・・・・・・」

 悩み事はそれだけに尽きない。ギーシュの呟きと同時に“遠見”の魔法で見張っていたスティックスが立ち上がり、声を上げた。

「来たぞ、5人だ。しかも全員・・・・・・杖を持ってる」

「くそっ、またメイジか! しかしどうしてこんなに魔法を使うやつが多いんだ!? 僕たち貴族しか使えないはずなんだぜ!?」

「・・・・・・はぁ、マリコルヌのやつ、帰ってきてくれねえかなぁ・・・・・・“遠見”はあいつの得意技だろ? 見張り番が一人増えてくれるだけでも、だいぶ助かるんだけど・・・・・・」

「無理なことは言うもんじゃない。あの日、嫌がるあいつを追い詰めて捕まえたぼくたちには、そんな泣きごとを言う資格なんてない。学生寮の空き部屋借りて寝てるだけだろ? それであいつの心が癒えるなら、それに越したことはないさ。・・・・・・レイナール、この前出撃したのは誰だった?」

「・・・・・・えっと、ギーシュ隊長にエイドリアン、ギムリにカジミール。だから今回はオスカルにエルネスト、そしてぼくときみだよスティックス。それと交代の時間だから、帰ってきたら次の“遠見”役に代わっていい」

「・・・・・・ああ、もうそんな時間か。エイドリアン、後は頼んだ」

「ん、了解。・・・・・・でも正直“遠見”はあんまり得意じゃないんだよね・・・・・・、精神力が切れて気を失ったら、その時はヴィクトル、よろしく。次の出撃代わるから・・・・・・」

 話しながらぞろぞろと、小屋を出て行く仲間たち。光を纏う彼女を目当てに、やってくる人攫いや山賊たち。水精霊騎士たちはその相手をするのに、精も根も使い果たしていた。

 以前のようなことが無いようにと、襲撃に備え夜も通しで見守らねばならず、一人が“遠見”を使える時間もそう長くは無いので、交代制といえども休まる暇は無い。・・・・・・それに・・・・・・

 「・・・・・・なあ、ギーシュ隊長。それにしても本当に、あんなことでサイトが戻ってくるのか?」

「悪いけど、それはぼくも思うな。口も利かずに、身じろぎすらしないで、延々と“サモン・サーヴァント”・・・・・・いくら彼女が“伝説”の担い手といっても、あんな儀式正気の沙汰じゃない」

「なあギーシュ、本当に彼女・・・・・・ルイズは、我々の副隊長を救おうとしてくれているのかい?」

「恋多ききみならわかるだろう。・・・・・・いくら使い魔だ、恋人といっても、人は誰かのためだけに、あそこまで捧げられない」

「もしや彼女はぼくたちを利用して、何か別のよからぬことをたくらんでいるんじゃないのか?」

 溜まる疲労に不満も高まり、疑惑の声がまた挙がる。・・・・・・いま現在ルイズのことを覚えているのは、甲斐甲斐しく世話をしていたシエスタ、彼女の姉であるエレオノール、そしてどういうわけか自分だけだった。

(・・・・・・それでも、誰とも知れない女の子のために、みんな命を張って戦ってくれている。怪しむのは仕方の無いことなんだ・・・・・・)

自らに何度も言い聞かせながら、ギーシュは曖昧に言葉を返す。自分だってその記憶は断片的なのだ。断言などできはしない。

「・・・・・・わからない。でも、やるしかないんだ。僅かな希望にだって、縋らないわけにはいかないんだから・・・・・・」

 誤魔化しに発した言葉は意図せず沈み、沈痛な面持ちで俯く仲間たち。こんなときにマリコルヌがいてくれたらなぁ、とギーシュは思う。どんなに剣呑な雰囲気が漂っても、たちまちくだらない恋と嫉妬の論争で塗り潰し、あのぽっちゃりさんは場の空気を変えてくれていた。・・・・・・しかしその彼も、部屋にこもって出てこない・・・・・・。

「・・・・・・ところで隊長、さっきからもそもそ動いているけど、なんだいそれ?」 

 背後を指差され、振り返る。壁際に置いた樽の上、いつの間に入っていたのかフクロウが、くちばしでギーシュのマントをくいくいと引いている。

 ――――その足には、見覚えのある便箋が結ばれていた。

「おいおいギーシュ、こんな時でも学院の子に目をつけてるのかよ!」

「まあいいじゃないか、どうせまたすぐモンモランシーにバレるのがオチさ」

「まったく、本当に懲りないヤツだなきみは!」   

 張り詰めた空気が解け、どっと笑い出す仲間たち。ギーシュも笑う。

 ・・・・・・固まった表情を、無理矢理吊り上げながら。

「―――はっはっは、まあそういうことさ! 陛下の近衛、水精霊騎士の隊長たるぼくが辛気臭い顔をしていたら、後輩たちのバラのように美しい笑顔も、たちまちしおれてしまうからね! きみたちも心に余裕を持ちたまえ!」

 そう言い残すとフクロウを腕に止めて皆に背を向け、ギーシュは小屋を出る。・・・・・・今年は例年と比べて雪が多い。まるで雨期に降らなかった分を取り戻すかのように、連日連日止むことなく積もり、外を歩くと足首まで雪でずぶ濡れになってしまう。

 ・・・・・・だがそれでも、夕方の今はまだマシな方だ。夜が更けるにつれその寒さも、降雪も激しさを増していく・・・・・・

「・・・・・・生憎と、ぼくがこんなことされて喜ぶのは女の子からだけでね。盗み聞きなんてせずに、出てきたらどうかね? ・・・・・・多いんだよ。足あとが、ひとつ」

 吐息を白く染めて、ギーシュはフクロウを空へと放る。フクロウは空中をさまようことなく一直線に飛んで行き、目の前の何も無いはずの空間に止まった。

「おっと、うっかりしていたよ隊長殿。・・・・・・ところで、きみの仲間たちはみな、ルイズのことを忘れてしまったみたいだね。もしやきみもそうなのかい?」

「質問をするのはこちらが先だ。虚無が世界から消えたいま、きみには動物を操る力も、マジック・アイテムを扱う魔力もないはず。・・・・・・それになにより、きみに答える道理は無い」

 フクロウが飛び立つと共に、姿を見せるジュリオ。小脇に抱えた布切れがその姿をくらましていたのだろう。ギーシュはその出現に驚きはしなかったものの、彼の様子を訝しんだ。

 以前会ったときには、仮面の内に何かを押し込めているような危うい印象を覚えたが、不思議と今はそれが感じられない。・・・・・・それどころか、自分の全てが見透かされているような、不思議な不気味さをその月目から放っていた。

「なに、ロマリアの使い魔はちょっと役割が違ってね、色々融通が利くのさ。

 ・・・・・・それにしてもよかった。その様子を見ると、きみは覚えているみたいだね。大方サイトに彼女を頼まれた責任かな、・・・・・・」

 うるさいその口を塞ごうと、静かに懐、薔薇の造花に手を伸ばすギーシュ。

 しかしそれを取り出すよりも、降り立った何者かの、刃を纏った杖が首筋を舐めるのが早かった。

「おっと、そこまでだ。これ以上聖下に無礼な真似は、このカルロ・トロンボンディーノが赦しはしない」

カルロ? そしてどこかで聞いた名前だと視線を向けると、杖の持ち主は自分をロマリアで負かした聖堂騎士隊長であった。いや、その前に聞き逃してはならない単語があった。聖下、聖下だって? 

「まあ、そういうわけさ。きみたちがこの一年と半分頑張ってきたように、ぼくもいろいろとやってきてね。ああ、名前でも敬称でも、好きなように呼んでくれて構わないよ。・・・・・・さて。もう下がってくれていいよ、カルロ」

「はっ。聖下の御心のままに・・・・・・」

 そう言うと杖を収めたカルロは、フライを唱えて上昇していく。どこに行くのか、というかどこからやってきたのかと顔を上げると、学院の外壁に風竜がとまっていた。その背に幾人かの聖堂騎士もいる。・・・・・・それはギーシュに、目の前の男が本当にロマリア教皇の座を得たのだと、理解させるには十分な護衛であった。

 「・・・・・・話を戻そう。さて、きみたちのルイズに関する記憶のことだが、とりあえず安心していい。恐らく“それ”は一時的なものだ。彼女の詠唱が終われば、何事も無かったかのように元に戻るはずだ。

 ・・・・・・しかし、それだと困ったな。彼女を覚え、支えられるきみを、始祖の名の元に裁くのは心苦しい。・・・・・・どうだい? この前の手紙の返事は無しにして、きみ以外の・・・・・・」

「断る。友を売るくらいなら、このギーシュ・ド・グラモン、喜んで異端の罪をこの身で贖おうとも・・・・・・不敬と知って言わせてもらうが、それにしても勝手だね。アクイレイアでは英雄として祭り上げたかと思えば、ネフテスへ向かった独行を戦犯として咎め、罪を問う・・・・・・自分たちだって好きにやってたくせに、本当に神官ってのはいい身分だな」

「仕方ないさ、いくら担い手を助けるためとはいえ、エルフの首都の象徴をきみたちは破壊したんだ。かといってネフテスのエルフたちに“虚無”・・・・・・彼らにとっての悪魔の説明をすれば、戦火だけじゃなく、大災厄で傷ついた人々の恨みも買う。これじゃせっかく結んだ和平条約も意味がない、誰かが矢面に立って民衆の憂さを晴らすオモチャになるしかないんだ」

そこでジュリオは言葉を切り、その指に嵌めた指輪を撫でる。アーハンブラ城でビターシャルが使った物と同じものか、その体がふわりと浮かぶ。一瞬その顔に浮かんだ悲哀は、かつて彼が被っていた仮面ではない、本物の感情のようにギーシュには思えた。

「・・・・・・分かってくれとは言わないが、せめて覚えておいて欲しい。ぼくだってこんなことで、ルイズのことで苦しむきみたちを訪れたくはなかったんだ。・・・・・・明日の明朝、学院の門の前で待ってるよ」

 外壁を沿うように空を昇っていきながら、ジュリオは現れた時と同じくその身を広げた布で覆うが、しかしその姿は消えない。・・・・・・同時に、盗賊を追い払ってきた仲間たちが“フライ”で帰ってきた。

「おっ、隊長殿。こんな寒い中、出迎えとはありがたいね」

「・・・・・・おいおいギーシュ、何してるんだ? ぼーっと外壁なんか眺めて」

「疲れがたまってるんじゃないのか?」 

「ぼくでいいなら次の当番代わろうかい?」

 口々に心配の言葉を投げてくるが、どういうわけかジュリオや風竜、その背に乗る騎士たちの姿が見えないらしい。・・・・・・それとも“”よう、何か細工をされたのか。いずれにしろこれで、いつでも人目を気にせず自分を裁けるというわけだ。

「・・・・・・いや、ちょっと色々考えてただけさ。きみたちこそ怪我はないかい?」

「そんなの当たり前さ! ぼくの杖さばきに、恐れをなして逃げてったよ!」

得意げに杖を振ってみせるポールに殺伐とした思考が緩むが、その隙間に一つの懸念が、ギーシュの心中に忍び込んだ。 

(・・・・・・自分がいなくなった後、水精霊騎士隊のみんなはルイズのことを守ってくれるのだろうか?)

シエスタとエレオノールは水精霊騎士隊とは関係ないし、・・・・・・形ばかりの隊長である自分の意を汲もうとしてくれても、これ以上みんながルイズを忘れ、その姿すら認識できないようになってしまってはどうしようもない・・・・・・。

(・・・・・・いや、待てよ。そもそもみんなですら忘れてるのに、どうして夜盗どもは“ルイズがここにいる”と知っているんだ?)

 たとえ辱めるのが目的だとしても、わざわざこの雪降る冬に来るだろうか? 人攫いにしてもおかしな話だ。ルイズがこの場所から動けないと知らずとも、微塵も動かず淡々と詠唱を繰り返す彼女を目の当たりにすれば、事情を知らぬ者ならその異常さに、攫ったとしても売り物にはならないことなど気付くだろうに・・・・・・。

 次から次へとひっきりなしにやって来る敵の影に、何者かが潜んでいるような気がしたが、不安を煽るようなことはしたくない・・・・・・。

 ・・・・・・と、考えるうちに難しい顔をしていたのか、レイナールが心配そうな表情で聞いてきた。 

 「ギーシュ、本当に大丈夫か? 隊長のきみが無理したら・・・・・・」

「ああ、問題ないさ。それどころか最近やけに調子が良くてね。・・・・・・そうだ、今晩の見張りはぼく一人でやろう。みんなたまには酒でも飲んで休むといい」

 自分を案じてくれる友に笑ってそう返すと、同時に仲間たちから歓声があがった。

「その言葉、間違いないなギーシュ!?」 

「酒なんていつぶりだろう・・・・・・最近眠りが浅かったから、今日は良く寝れそうだな!」

「ぼくみんなに知らせてくるよ!」

「気遣いは無用だ・・・・・・といいたい所だけど、正直助かった。その好意、ありがたく受け取らせてもらうよ」 

(・・・・・・おいギーシュ、流石にそれは・・・・・・!)

「まあ、たまにはいいじゃないかね。副隊長ばっかりにいいカッコはさせてられないし、少しは隊長らしい所を見せなきゃまずいだろ? 賊の一人や二人くらいなら、ぼくのワルキューレでどうにでもなるさ」

 近付き耳打ちしてくるレイナールに、ギーシュは小声で応じ、久しぶりの休暇に喜ぶ戦友たちの姿に微笑んだ。

 ・・・・・・もちろんさっきの言葉だってただの強がりだ、気力でそう見せているに過ぎない。明日になれば断たれるこの命とあれば、少しでもみんなの安寧になれればいいと思っただけのことだ。

(・・・・・・それに、疲弊しきってるみんなに、これ以上の負担は強いたくはないからね)

 ・・・・・・もしいま事情を話せば、この良き友たちはみな自分の為に聖堂騎士たちと戦ってくれるだろう。この半年も野盗相手に杖を磨いてきた、追い払うことは決して難しいことではない。

 ・・・…だが、それは仲間の内から死者を出すのと同義だ。疲弊しきった友たちが精鋭である聖堂騎士に立ち向かい、誰一人欠けることなく生還できると思うほど自分は楽観的ではないし、・・・・・・たとえ一時は退けようともロマリアの教皇に楯突いたとあれば、自分たちの未来は異端審問の末の処刑だ。自分の為にみんなを危険に晒すことはできないし、それに、それではルイズを守る者がいなくなる。

 ―――無理をするのは、彼女を覚えているぼくだけで十分だ。

「さて、ぼくは料理長に言って、樽でワインを用意してくるとしようか。もちろん僕のおごりだ、遠慮はいらないさ!」

 仲間たちに気取られぬよう食堂へ向かう素振りを見せ、ギーシュは久しく会っていなかった恋人の元に向かう。

 ・・・・・・水精霊騎士隊以外の学院を卒業した者の大半はいま、故郷の領地に帰ったり、そのまま学生同士で結ばれ、新しい土地を買って暮らしたりと各々の道を歩んでいるが、中にはコルベールの手助けをするキュルケのように、理由を持って学院に留まる者もいる。モンモランシーもその一人、自分たち水精霊騎士隊の治療をするためと、学院に残ってくれていた。

 ・・・・・・・最後に言葉を交わしたのは、メイジの山賊に傷を負わされ、治療室に運ばれた時だったか・・・・・・。

(こうして自分から出向くなんて、いつぶりだろうな。マリコルヌのことも他人事じゃない、か・・・・・・)

 浮かびそうになる憂いを、両手で顔を擦り笑顔に変える。

 女子寮のドアを、ギーシュは軽く手の甲で小突いた。


「・・・・・・いやあ、助かったよモンモランシー。それにしてもすごい効き目だね」

 格納小屋。机に突っ伏し椅子にもたれ、ぐうぐうと気持ちよさそうに眠る仲間たちに毛布を掛けつつ、ギーシュは恋人に感謝を伝える。しかし、当のモンモランシーは浮かない顔のまま、ギーシュのことをじっと見据えていた。

 「アーハンブラ城でのことを思い出すよ。エルフビターシャルはルイズとサイトが何とかしてくれたけど、それもあの時きみがこうして作ってくれた眠り薬入りのワインで、城の兵士たちが眠ってくれたおかげさ。今でも鮮明に思い浮かぶよ、きみの踊り子姿は、まるで・・・・・・」

「ギーシュ、はぐらかさないで教えて。なんのために、こんなことするの?」

「・・・・・・彼女の、ルイズの結界が壊れた。ぼくはそれを直しに行かなくちゃいけない」

眠り薬の入った手元の小瓶に視線を向け、ギーシュは呟く。

「だからその、ルイズって誰? あの原っぱに座ったままの、女の子のこと?」

 モンモランシーの冷たい物言いに、ギーシュは心中項垂れた。やはり恋人も、ルイズのことを忘れてしまったらしい。ということはつまり、彼女から見る自分は、誰ともしれない赤の他人に、昼夜問わずに尽くしている訳で・・・・・・

「なんでそんなにあの子のことを気にかけるの? 王命でもないのに、みんなを動かしてまでなんて・・・・・・彼女のこと、ずいぶんお気に入りのようね」

 (やっぱり、そうなるよなぁ・・・・・・)

 日頃の行いが悪いとわかっていながらも、ギーシュは眠り薬を懐にしまい、恋人を優しく抱きしめる。何度も繰り返してきたやり取りだ、いまさら失敗なんてしない。

「モンモランシー、これにはわけがあるんだ。聞いて、くれるかい?」

幼い子供を諭すようゆっくりと柔らかい口調で言って、気付く。腕の中にあるその小さな身体は、初めて口づけを交わした時のように、固く、こわばっていた。

「・・・・・・モンモン?」

 驚きを覚えたギーシュはさりげなく1歩身を引き、その顔を覗き込む。彼女の表情は晴れるどころか、曇りと翳りに満ちていた。

 いつもならば、おしおきで水の塊が飛んできてもおかしくないというのに、どうしたことだろう? ふと覚えた胸騒ぎをかき消すように、ギーシュは言葉を並び立てる。

 「・・・・・・ぼくはサイトに託されたんだ。あの子を、ルイズを頼むって。そしてルイズはいまサイトを助けるために、ああして凍えながらも頑張ってるんだ、助けない訳にはいかない。誓って下心なんてない、きみに疑われたら、ぼくは・・・・・・・」

 「疑ってなんかないわ、ただ、考えて欲しいの。他の子の為に傷つくあなたを、何度も治すわたしの気持ち。・・・・・・ねえギーシュ、わたしはあなたのなんなの?」

 かすれた声が震えだす。自分を見つめる瞳が悲しみに満ち、濁り始める。ギーシュは慌てて答えた。

「もちろん、恋人に決まっているじゃないか! どんな女性よりも、ぼくはきみが大事さ! もしきみの身が彼女のように危うくなっても、ぼくは命を賭してきみを・・・・・・」

 その不安を取り除いてあげようと、声を大にして想いを伝えるが、恋人の反応はギーシュの予想とは違った。

「・・・・・・ちがう、ちがうの、ギーシュ。だってあなたは、他の子にもそうするでしょう? 婦女子を見過ごすは騎士の恥って、そういうひとだもの。

 ・・・・・・・ガリアでの戦役から帰ってきたとき、あなたが贈ってくれたこの貝殻もそうだったわね。ねえギーシュ、あなたが振りまく優しさと、わたしにくれる優しさは、どこが違うの? この貝殻と、他の子にあげた貝殻、何が違うの?」

 唇を噛み、俯いて静かに首を横に振ったかと思うと、モンモランシーは顔を上げた。そしてどこから取り出したのか、自分があげた貝殻のブローチを見せつけて勢いよく詰め寄ってくる。

「だから誤解さ、本当に作りすぎちゃっただけなんだ。もちろんきみにあげたのは、その中で1番出来のいいやつで・・・・・・」

 その剣幕にたじたじになりながらも、機嫌だけは損ねるまいとギーシュは言葉を選んだ。・・・・・・選んだ、つもりだった。

「・・・・・・そう。それがあなたの違い、なのね。返すわ、これ」

 しかしその結果、モンモランシーはそう言って机の上にブローチを置き、身を翻してドアの方へと向かい始めた。ギーシュの心が警鐘を鳴らす。今まで何度も険しい場面を切り抜けてきたが、それとは異なる雰囲気が辺りに静かに漂い始めていた。

「・・・・・・・久しぶりにあなたと会えてよかったわ。たとえそれがわたしの薬が欲しかったからとしても、嬉しかったの、わたし」

「違う! 眠り薬は言い訳さ、ぼくはきみに会いに・・・・・・」

「気付いたの。わたし、あなたの特別になりたかった。他の子と違う、わたしになりたかったの。・・・・・・でも、わたしがあなたをどれだけ想っても、あなたはその半分もわかってくれてないんでしょう? 

 だからあなたは、わたしが嫌がることが平気でできるの。本当に私のことを想ってくれているのなら、ほかの女の子になんて目もくれないはずだもの」

「話を聞いてくれよモンモランシー! それに、それは一度試して、きみだって心の枯れた僕を嫌がったじゃないか!? だからぼくは、きみを他の子より何倍も・・・・・・」

「言い訳はやめて! ・・・・・・本当にわたしのことを愛してるなら、わたしがいなくなったらッ、・・・・・・あなたの言ったあの子みたいに、いなくなったわたしのために雪の中、ずっと“サモン・サーヴァント”を唱えてくれるの・・・・・・?」 

 歩みを止めない恋人の、肩にかけた手は払われた。振り向いた際に零れた涙が虚空を舞う。その瞳に張りつく自分への諦観に、ギーシュは言葉を失った。

「・・・・・・モン,モ、ラン、シー・・・・・・」

「・・・・・・いいえ、あなたには出来ないわ。きっと、わたしより素敵なひとを見つけたら、わたしのことなんてすぐに忘れるでしょう? だってそんなに会いたいのなら、こんなに近くにいて一年も、わたしをほったらかしにするわけないもの。 ・・・・・・だから、もういいわ。もう、もういいの、だって・・・・・・」

 ドアノブを開け、ふらふらと外に出ていくモンモランシー。その背中を、ギーシュは追いかけることができなかった。長く抱えていた漠然とした悩み。恋人が最後に言い残した言葉は、その答えとなってギーシュの心を穿ち貫いた。

“わたしはあなたのために、あんなこと、できないから・・・・・・”

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・それから、どのくらい経っただろうか。自分が呆けて立ち尽くし、限られた時間を無為に消耗していることにギーシュは気付いた。

「・・・・・・しまった、ヴェルダンテが待ってる、はやく行かないと・・・・・・」

 恋人に突き放された放心からか、ふらつく足に思わず笑ってしまう。

 ・・・・・・まったくおかしな話だ。戦場で死に怯えずとも、言葉一つでここまで恐怖や不安を覚えてしまうなんて・・・・・・。

 零れた苦笑いは、なかなか治まってはくれない。ドアを開けると、日が暮れたこともあってか、外の雪は吹き荒び始めていた。

「・・・・・・・」 

 女子寮がある火の塔を刹那、無言で見つめる。

 ・・・・・・ギーシュは、ゆっくりと雪原へと歩を進めた。

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