“零” ᚹ

・・・・・・深雪に覆われた原っぱの中、いくつも空いている穴ぼこの中に茶色い毛むくじゃらを見つけ、空から降り立ったギーシュは駆け寄る。

「ああ、僕のかわいいヴェルダンデ、待たせてしまってごめんよ!」

 愛しの使い魔は自分を待ってくれていたのか、土の中から顔を覗かせ、寒さにその身を震わせていた。そのうえやってきた賊も追い払ってくれたのか、辺りには掘ったらしい落とし穴がぽっかりと空いており、ギーシュは申し訳なさでいっぱいになる。

「ああ、見張りご苦労だったね! ここはぼくが引き受けるから、きみはドバドバミミズを食べに行っておいで! 今は寒いからね、動きが鈍くなって捕まえやすいことだろうさ!」

ヴェルダンデはうんうん頷いてふがふがと鼻をこすりつけてくると、満足げにずぼりと土の中に消えていく。

 ・・・・・・使い魔の掘削音が聞こえなくなったあと、ギーシュは一息ついてルイズに近付き、皮手袋をつけてその髪や肩に乗る雪を掬う。懐から薔薇の造花と取り出し、それに“固定化”を唱え、その傍らに置いてみる。・・・・・・雪の塊は白を失い透き通っていったが、消えはしない。

(透明な雪、か。綺麗とは思うけど、すこしおっかないな・・・・・・)

 どうやら思っていた通り、この雪は詠唱の影響を受けているのか干渉されないようだ。ルイズの身体に触れていた分濃度も高くなっていたのか、放り投げると同じ効果を持つはずの周りの雪すら消してしまう。

「・・・・・・よし、あとはどれだけあるかが問題だな。また賊がこないうちに、さっさと作ってしまおう。・・・・・・しかしこれ、前より力が強くなってないか? 手で触ったらぼくまで消えてしまうのかな・・・・・・」 

 触れただけにも関わらず穴が開いてしまった手袋を外し、ギーシュは新しいものに付け替える。寒さをどうにかできないなら、せめて傍にいたいとテントを張りたがったシエスタの願いすらも、危険だからと聞き入れてはやれなかったのはこれが理由だった。

「・・・・・・正直、地面の土もあればよかったんだが・・・・・・」

 使いたいのはやまやまだったが、こうして周りに積もる雪でさえ触れるものを消滅させるのだ、一年近くその影響を受けた土なんてどうなるかわかったものではない。前もって伝えていたからかヴェルダンテもそれを分かってくれたようで、地面に掘った穴はルイズから一定の距離を置いて空いていた。

「・・・・・・いいや、これだけ教えてくれれば十分さ。きみは本当に素敵な使い魔だね、ヴェルダンデ・・・・・・」

 使い魔が掘ったルイズに一番近い穴の距離から、ギーシュは影響のある雪を見定めるべく、一歩進んでは雪に“固定化”を唱え、透明になるかどうかを判別する。半径5メイルを境に、白と透明がはっきりと分かれた。・・・・・・正直微妙な量だ、一掬いも無駄にはできない。

 歩き回るにつれ靴の底も消えているのか、つま先が冷たくなっていく。ギーシュは雪をひたすらルイズの周りへかき集め、一塊ごとに形を整え“固定化”をかけ、レンガのように積み上げる。

 強度や耐久については心許ないが、冬の間の雪や風避けには十分だ。密閉してしまえば、その内部は外より暖かくなる。ルイズを中に閉じ込めてしまうことにはなるが、彼女が動かず、そして動く必要がないのが不幸中の幸いか。

(・・・・・・いや、正面に一塊分空気穴をあけておこう。“固定化”で息すらしていないってシエスタ嬢から聞いたけど、一応念のためだ・・・・・・)

「・・・・・・くそっ、うまく固められないなぁ・・・・・・」

 ぼやきながらも、ギーシュは雪の中に手を突っ込む。幸い先ほどのように手袋が消えるようなことはなかったが、当然その冷たさはどうすることもできず、かじかんだ指先は鈍くなっていく。

「・・・・・・ふん、こんなの、サイトの像を作った時の粘土より、ちょっと寒いだけさ・・・・・・」

 自らに言い聞かせるように呟く。戦争が終わりアルビオンから帰ってきた冬、7メイルもある銅像を自分は作ったのだ。あの時と比べれば作業量もなんてことはない。ただ時間が限られているだけだ。

(結局はルイズとシエスタ嬢に潰されて、作り上げられなかったけど・・・・・・)

 そう。これから像を青銅に変えようって時に、モンモランシーの目の前で錬金を唱えようとしたんだっけ・・・・・・・、

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、五つの力を司るペンタゴン・・・・・・・」

 白い地面に土の黒で五芒星を刻み、絶え間なく使い魔召喚の詠唱を続けるルイズ。彼女を囲み廻る光に沿い、ギーシュは雪を積み立てその外周を覆っていく。

(モンモランシーとはケンカ別れになっちゃったな。最後に一言、謝りたかったけど・・・・・・)

 ・・・・・・・いや、きっとこれでよかったのだ。会えばきっと自分は心を乱し、恋人に自分の運命を打ち明けてしまうだろう。自分のせいで、あの可愛らしいそばかすに彩られた頬が・・・・・・悲しみに染まってしまうならば、言葉無く別れた方がマシだ。

「・・・・・・なあルイズ。本当にこれで、良かったのかな・・・・・・」

 皮手袋に雪が染む。じくじくと、指先が痛み始める。

「我の運命に従いし、“使い魔”を召喚せよ・・・・・・」

「なあ、教えてくれないか。どうして僕はこうなんだ? どうしてきみは、サイトはそんなにお互いを想い合えるんだ?」 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール・・・・・・」

「・・・・・・分かってる、悪いのはぼくさ。でもこんな、こんなのはあんまりじゃないか。 ぼくらの愛が、この雪のように冷たくなってしまうなんて・・・・・・っ!!!」

 頭では分かっているつもりだったのに。気付けばギーシュは、ルイズに問いかけてしまっていた。

(・・・・・・いや、何を驚いてるんだ、当然のことじゃないか。誰だってこんなこと、できるわけがない・・・・・・それに、サイトだって一度は、ルイズを悲しませたんだから・・・・・・)

 止まらなりそうになる言葉に、ギーシュはとっさに自らの頭の中、釈明の言葉を想おうとして、そんな自分をまた嫌悪する。

 ・・・・・・そう。確かにルイズは逃げ出して、サイトは彼女を追いかけた。

 だがあのときの親友の必死な顔を、ギーシュは未だに忘れられない。あの日帰ってきたルイズの、はにかむようにサイトに向けた笑みが、消えてくれない。

 ・・・・・・きっと。間違ったからこそ、二人は強くなったのだ。互いの想いを確かめ合い、以前より深く、固く、強く繋がりあったのだ。

 サイトは二度と、ルイズを悲しませるような真似はしないだろう。

 ルイズはサイトのために、こうして今も吹き荒ぶ雪に耐えている。

 自分の振りまく薄っぺらな“愛”とは違う、確かな“永遠”が、二人の間にはあった。だからこそサイトが攫われた時、自分はルイズに同行してオストラント号に乗ったのだ。

サイトやティファニアを助けたい気持ちも、もちろん嘘じゃない。ただ、あの二人の“永遠”を見ていれば、自分も彼らのような一途さを手に入れられるような気がしたのだ。

「・・・・・・でも、ダメだった。いくら頑張ってもぼくは浮ついたぼくのままで、自分の心を好きな子一人に向けることさえ、できなかった。

 ・・・・・・なあルイズ、サイト、教えてくれよ・・・・・・ぼくは、ぼくたちは、きみらみたいになりたかったんだっ・・・・・・」

 答えることは無いとわかっていても、許しを請うようにその瞳を覗いてしまう。この場に居はしないとは分かっていても、友の名を呼んでしまう・・・・・・。

 ・・・・・・しかしどうやら楽天家の自分は、悲しみにすら浸れないようだった。作業をしているうちにだんだん心も落ち着き、気付けば外周はほぼ出来上がり、空も白み始めていた。

「・・・・・・いいや、こんなこと言ってる暇はないんだ。急がないと・・・・・・」

最後の一つを積み上げて、正面、真ん中の一つを引き抜く。あとは屋根を作るだけではあるが、正直これが一番難しい。気付けば重ねていた手袋も、全て雪に溶かされていた。

(さて、問題はここからだ。“錬金”で、青銅に変えられるか試してみるか? 物理的に頑丈にすれば積もっても・・・・・・いや、それだと春になって崩れたとき、詠唱の妨げになってしまうな・・・・・・)

 外側はともかく、屋根は降る雪を“消さなければ”ならないので、ルイズの身に積もっていた物のように濃度が高くないといまずい。作業中にも降ってきたおかげで雪にはまだ余裕があるが、使い物にはならないだろう。

(土を使ったら大丈夫だろうけど、触れなくちゃどうしようもない。ワルキューレを喚んでも、触れば消えてしまうだろうし・・・・・・どうすればいいんだ・・・・・・?)

 とりあえず“錬金”が効くかやってみよう。水に変えれば、時間までにはなんとか凍ってくれるかもしれない。ギーシュは薔薇を振って唱え、足元の土一帯を水に変え・・・・・・


 そして次の瞬間には、作り上げた水溜まりの中にその身をバチャン、と沈み込ませていた。


(ま、まずいっ!? ぼくは泳げないんだ、溺れて・・・・・・って、え? あれ、おかしいぞ?)

 練成した水もやはり異質なのか土と混ざり濁ることもなく、服に染みないどころか、目や喉にも入ってこない。いや、そんなことより・・・・・・ 

(何でだ!? 身体が、動かない!?) 

 精神力が切れたのか、それが虚無に触れた影響が、今頃出てきたのだろうか? 首どころか、開いた瞳すら、まともに閉じることができない。

(これじゃ溺れなくても、窒息で死んでしまうじゃないか!) 

肌を包む刺すような冷気に、驚いた胸から飛び出した息が目の前で泡となり昇っていく。パニックを起こした思考に早まる鼓動。藻掻くことすら許されず、ギーシュの命は無情に削れていく。

(あと少しってところなのに! ・・・・・・・ここで終わりなのか、ぼくはっ・・・・・・!?) 

 できない呼吸をどうにかしようと、必死に収縮を繰り返す胸が辛い。表情が動かせなくてよかった。苦しみに悶えた顔をして死ぬなんて、そんなのはごめんだ。

(・・・・・・くそっ、どうせ殺されるのにわざわざこんなきつい死に方するなんて、ドジ踏んじゃったなぁ・・・・・・)

 自分の生死に関わらず、ロマリアは裁きを下すだろう。そういう連中だと知っているから、そのことについては心配していない。・・・・・・それよりも・・・・・・

(ルイズの屋根、誰かが作ってくれるといいんだけど・・・・・・)

 酸欠で爆発しそうになる頭の中、想ったのは自らの生よりも、作りかけの雪の小屋のことだった。・・・・・・ああ、自らの命すらこうしてすぐに諦めてしまうのだ。いくら嘆こうともやはり自分は変わらず、そして、・・・・・・変えられないのだろう。

(ごめん、ごめんよ、モンモランシー・・・・・・こんな不甲斐ない、ぼく、で・・・・・・)

時間と共に倍増していた苦しみが、少しずつ薄れていく。おぼろげになっていく意識を、とうとうギーシュは手放そうとしたが―――、唐突に水中から引き上げられ、叫ぶ声に頭を揺らされる。

「・・・・・・シュ! ギーシュっ!!」

「ゲホッ、げほっ・・・・・・た、助かったよ・・・・・・」

 咳き込みながらその顔を見つめるが、虚無の水に浸していたからかぼやけてはっきりしない。耳も同じで、声がくぐもって聞こえる。

「・・・・・・ところで、きみは誰・・・・・って、わぷっ!?」

 しかし、その戸惑いに相手も気付いたのか。やっと解放されたというのに再び水塊で全身を包まれ、ギーシュは慌てる。

「ふーん、そう。じゃあこれでちょっとは目が覚めたかしら?」

「ごぼ、ぐげっ!? 待ってくれ、違うんだモンモラン・・・・・・シー?」

 ガブガブ水を飲み、いつもの癖でお決まりのセリフを吐いてしまうギーシュ。しかし水に洗い流された瞳と耳に、映り入ったその姿と声は、自分が呼びかけた恋人のものだった。

 モンモランシーが杖を振ると共に、身を包む水が弾ける。寒さに震える身体を抱き、息を整えつつも、ギーシュは恋人に問う。

「っく、はぁ、ふぅ・・・・・・ど、どうしてきみがここに・・・・・・?」

「なによ。わたしがいて何か困ることでもあるの?」

「い、いや! 決してそんなことは、」

「・・・・・・まあいいわ。ところで、わたしはなにをすればいいの?」

 焦って否定しようとするギーシュをよそに、モンモランシーは氷の壁に囲われたルイズを一瞥して、無愛想ながらも聞き返してきた。

「え? ・・・・・・そ、それじゃこの水を、固めて屋根に・・・・・・」

「それだけでいいの? だったら最初から、わたしを呼べばいいじゃない。・・・・・・それと、その紫になってる指先見せて。ほら早く」

「・・・・・あ、うん・・・・・・」 

 未だ醒めない驚愕に唖然としつつ、言われるがままに手を前に出すギーシュ。

「まったくもう、仲直りしようって様子を見に来たら勝手に溺れてるなんて、一体どうやったらそんな器用なことができるのよ・・・・・・わたしが言い過ぎたせいかしら、ってびっくりしたんだから・・・・・・」

 呆れたように文句を言いつつも“癒し”を唱え、あっという間に氷の小屋を作り上げていくモンモランシー。わたしどうしてこんなひと好きになっちゃったのかしら、と恥ずかしそうにぼそりと呟く恋人の後ろ姿に、ギーシュの心は喜びに踊ると同時に、悲しみに沈んでしまう。

(・・・・・・そうか。きみはまた、こんなぼくを許してくれようとしてくれるんだね・・・・・)

 愛する恋人が自分のことを想ってくれているのだ、うれしくないわけがない。しかし、それもこれでお終いにしなければならない。それが恋人のためにもなるし、・・・・・・そして、もう時間だ。

「・・・・・・なあ、モンモン。もう終わりにしないか、ぼくたち」

擦れ、消えそうな声をギーシュは恋人にかける。

「・・・・・・ああ、あの時きみの作った惚れ薬をぼくは飲むべきだったんだ。そうすればラクドリアンの湖畔で、心からきみだけを愛すると誓うことができたんだ」

 モンモランシーは、依然として背を向けたままだ。聞こえていないのだろうかと、ギーシュは声を張る。

 ・・・・・・身体の震えが、寒さのせいだけではなくなった。

「・・・・・・でも、ぼくはそれをしなかった。できなかったんじゃない、きみのことを愛するためだけに、自分を失うことがイヤだったんだ。水の精霊への制約も同じさ。・・・・・・思い出せばいつもそうだった。最初からぼくは、きみのことを見続けようとしてなかったんだ」

とめどなく溢れてくる言葉が、朝焼けの空に舞っていく。背中を向けた恋人は、答えない。

「・・・・・・きっとぼくは、これからも変わらず他の子に目移りすると思う。きっと、さっきみたいに、今までみたいに・・・・・・何度もきみに悲しい思いをさせてしまうだろう。だからこんなぼくと、一緒にいる必要なんて・・・・・・」

「―――そうね、終わりにしましょ。きっとあなたは変われないし、わたしもあなたを怒ることも、他の子にやきもち焼くのも疲れちゃったから」

「・・・・・・ッ」

 ため息を挟みながら恋人が発した言葉に、ギーシュは俯く。・・・・・・抉れた心を“これでよかったのだ”と繰り返して埋めながら、モンモランシーが唱えるルーンの調べを待つ。彼女がレビテーションを唱えれば、もうこれで今生の別れだ・・・・・・。

 ・・・・・・。・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「ねえ、いつまでそうしてるの?」

「・・・・・・そっちこそ、なんで学院に戻らないんだ。きみだって言ったじゃないか。ぼくたちは、もう・・・・・・」

 彼女の問いに、足元を見つめたまま問い返す。本当にこれで最後なのだ、こんな情けない顔を見せるわけにはいかない。

・・・・・・・しかし、両頬に添えられた暖かい手により、沈めた視線は引き上げられる。

「ええ、お終い。―――だから、もう一度始めましょう?」

「・・・・・・え? んむっ・・・・・・・」

 そこにいたのは、笑みを浮かべた想い人。驚きにあげた声は、その唇に塞がれた。

「・・・・・・モンモランシー? どうして・・・・・・」

「わたしがあなたを好きだからよ、ギーシュ・ド・グラモン。ヘンなセンスしてて調子良くて、口を開けば他の子に“バラのようだ”って、捻りのない褒め言葉を繰り返すあなただけれど・・・・・・アルビオンから帰ってきてすぐ、サイトの像を作って・・・・・・そしてさっきも、寒さに身体を震わせながら氷の小屋を作ってたあなたの優しさを、わたしは知ってる。

 ・・・・・・友達や恋人を想えるひとは多いけど、その想った“誰か”のために動くことは、誰にだってできることじゃないわ。わたしはあなたのそんなところが素敵だと思ってるし、他の子もそこに惹かれるんでしょうけれど・・・・・・、それが本当にわたし『だけ』に向けたれたら、疎ましく思ちゃうんでしょうね、きっと。だからあなたの気の多さは、そのままあなたの優しさの裏返しだと思うことにするわ」

「モンモン・・・・・・・ぼ、ぼかぁッ・・・・・・」

本当の自分を見てもらえたような気がして、思わずギーシュは恋人を抱きしめる。少し力が少し強すぎたか、むぐっ、と声をあげるが、寒いわよ、と小さく呟くだけで突き放しはしない。

「ごめん、ごめんよ、こんなぼくで・・・・・・」 

「・・・・・・違うわ、わたしも悪かったの。気が多いあなたを許してるから、浮ついたあなたが悪いからって・・・・・・でも、気付いたの。あなたにとっての1番で在れるように、なにもせずに甘えてたのはわたしも同じだったって。

・・・・・・だから、これからもっときれいになるわ、わたし。あなたがよそ見できないくらい魅力的になって・・・・・・、それで、あなたより素敵な人がいたらすぐに乗り換えるから。だからあなたも、いまよりもっと立派な騎士になって。わたしによそ見をさせないよう“素敵なひと”になり続けて。・・・・・・これが、わたしにできる精一杯よ。どうかしら?」

恥ずかしそうにそばかすに彩られた頬を染めつつも、不安げに見つめてくる恋人。冷え切ったギーシュの身体、その奥にぽっ、と暖かいなにかが灯る。途端、目の前の彼女が一層愛おしくなり、離れたくない、一緒にいたいと心が叫び始める。

(・・・・・・・ああ、そうか。きっと、これが・・・・・・)

・・・・・・・しかし、もう遅いのだ。ギーシュは恋人の小さな顎を引き寄せ、口付けを交わしつつ・・・・・・誰かが来た時のために用意していた“それ”を懐から取り出す。

「もう、キスなんかで誤魔化さないで・・・・・・って、あなた・・・・・・!?」

 眼前に現れた小瓶・・・・・・他ならぬ彼女自身が調合した眠り薬に気付いたのか、声をあげるモンモランシー。しかし錬金を唱え、杖を振る自分の方が一瞬早い。

「・・・・・・そうだね、いつもぼくは、きみを誤魔化してばかりだった。でも、いまだけは言わせて貰うよ。・・・・・・モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。ぼくはきみを、誰よりも愛してる・・・・・・」

 揮発した眠り薬を吸い込み、腕の中に倒れこむ彼女を抱き上げ―――、一部始終を無言で見ていた聖堂騎士たちと月目の教皇に、ギーシュは視線を移す。

「・・・・・・もういいのかい? まったくこの観衆の中、顔色一つ変えずに睦み合うとは大したものだね。ぼくも見習いたいくらいだよ」

「ふん、どうしてきみたちにじろじろ見られたくらいで、ぼくらの愛の語らいを止めなくちゃいけないのかね。・・・・・・末っ子といえどぼくは名家グラモン家の男で、水精霊騎士の隊長だ、逃げはしない。だから彼女を学院に送り届けるまで、少し待ってはくれないか?」

「残念ながら、それはできないね。・・・・・・なぜかって? それならぼくじゃなくて、そっちに聞いてくれ」

ジュリオが指差すと共に、雪塵を撒き散らし風竜が着地する。

「・・・・・・待ってくれ。どうして、きみが、ここに・・・・・・?」

その背から降り立った彼に、浮かんだ疑惑を問う暇もない。背後からカルロの詠唱が聞こえしまったと振り返るも、時既に遅し。

 眠りの雲に包まれ、恋人を抱えたままギーシュは膝から崩れ落ちた。


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