第6話 ピグマリオン

 クラスメイトの「藪島ユキコ」は、ロボットだ。


「日誌は書き終わりましたか?」

 放課後。日直の俺が学級日誌を持って立ち上がったのを見て、彼女(?)が声をかけてきた。声に抑揚がないことを除けば、それは機械が発したとは思えないとても流暢な日本語だった。

 製作者の趣味なのか。雪のように白い肌と、腰まで届くみどりの黒髪を持つ彼女は、終始無表情であることを除けば、十二分に美人と呼べる外見をしている。

「書き終わったよ。この日誌を職員室にいる先生に届けてくれ」

 俺は書き終えたばかりの学級日誌を彼女に手渡した。彼女は冷たい声で「わかりました」と応えて、日誌を受け取った。

 ロボットである彼女は、人間の命令に絶対服従するようプログラミングされていた。

「ああ、それから」

 日誌を手に教室を出て行こうとする彼女を、俺は呼び止めた。

「今日は一緒に帰ろう」

 感情のこもっていない「わかりました」という冷たい声が、教室内に響いた。


「お前は俺のことをどう思ってるんだ?」

 一緒に通学路を下校しながら、俺は彼女に聞いてみた。

 彼女は機械特有の微かな駆動音を響かせながら、首から上だけを動かして俺の顔を見つめる。

「氏名『木村ヒロシ』。身長170センチ、体重65キロ。得意教科は体育。家族構成は父、母、弟が一人……」

「わかった、もういい」

 彼女が個人情報をペラペラとまくしたてるのを、俺は片手を上げて制する。

 俺が聞きたかったのはそういうことではないのだが、ロボットである彼女にそんな俺の心の機微を理解できるはずもなかった。



 ピグマリオン・コンプレックス。

 人間よりも人形を愛してしまう人のことをそう呼ぶらしい。最近、俺はよくその言葉について考えるようになっていた。

 彼女には感情がない。

 彼女には自分の意見がない。

 彼女には笑顔がない。

 彼女には心がない。

 彼女は、人間ではない。


 ピグマリオン・コンプレックス。


 その言葉を、俺は最近よく考えるようになっていた。



「私はなにか木村さんの気に触ることをしたのでしょうか」

 唐突に彼女が言った。彼女は相変わらず感情の宿らない瞳で、俺の顔を見つめていた。

「木村さんは先程からずっと不機嫌な顔をしています。私は何か木村さんの気に障るようなことをしたのでしょうか」

「……何もしてないよ」

 あからさまに不機嫌な態度で俺は答える。彼女はいつだって必要最低限のことしかしない。命令が無ければ不要なことは絶対にしない。

 ――それが不満だとは、言えなかった。


「それでは、私の帰路はこちらですので」

 T字路にさしかかった所で立ち止まり、彼女は抑揚のない声でそう言った。T字路を右へ曲がれば俺の家。左へ曲がれば彼女の帰るべき研究所。俺たち二人の下校は、いつもこの場所で終わりを告げた。

「それでは木村さん。さようなら」

 感情を含まない平坦な口調で、彼女は俺に別れの挨拶を投げかける。

 俺は黙ってうなずくと、不機嫌な顔のままその場で踵を返した。

 彼女は無駄なことを一切しない。余計なことは一切しない。だから、何もせず――何も言わずにこの場から立ち去るのがいつもの彼女の行動だった。


「また明日、学校でお会いしましょう」


 歩き出そうとした俺の背中に声がかけられた。

 振り返ると、いつもならさっさと立ち去ってしまう彼女が、その場で立ち止まって俺の顔を見つめていた。

「木村さん、なぜ笑っているのですか? 私は何か変なことを言ってしまったのでしょうか?」

 俺の顔を見つめていた彼女が、表情を変えないまま平坦な口調で尋ねてくる。

「いや、変なことは何も言ってない」

 笑顔のまま、俺は答えていた。

「全然、変じゃないよ」

 彼女は、不思議そうに首をかしげていた。

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