第3話 京の都

 次の日弥兵衛は伊賀を出た。姿は饅頭笠にぼろぼろの袈裟を羽織り手には錫杖をもっている。錫杖の中には正宗が仕込んである。ご丁寧に坊主頭になっている。

そして京へと向かっていった。

京に近づくにつれて弥兵衛の神経は鋭くなってゆく。

3日後山城の国境についたが何事もなく通ることができた。

京の都が近づいてきても、なんの変化はなかった。

伊賀からの3日間、桔梗の旗印どころか、兵の姿もなかった。

(これはいったい。。。。どうなっておるんじゃ?)

弥兵衛の頭の中は混乱した。

道中の町々でも人々は何事もなかったかのように商いをしたり畑仕事に精を出している。「狐に化かされた」ような感覚だった。そして京の都に弥兵衛は入ってゆく。

 京に「山城屋」という薬種問屋がある。店は足利将軍家開幕以前からづづいている。主人の名を亀兵衛といい50ほどの浅黒い男だった。女房のお菊は亀兵衛より5歳若い。夫婦とも働き者で節約家だった。番頭に丁稚2名女中が2名という小さい所帯の「おたな」だが周囲の評判はすこぶる良い。丁稚、女中の小者でさえ教育が行き届いており、皆親切であった。亀兵衛の人脈は広く、医者の曲直瀬道三などの文化人から摂関家をはじめとして多くの公家衆とも交流がある。和歌や茶の湯などの教養も備えており、亀兵衛を「ひとかどの人物」と思っている。

その山城屋の裏口に一人の百姓が菜を売りに来たのであろう、中に声をかけた。

女中のおはなが出てきて「はっ」とする。しかしそれは一瞬であった。

「菜をくださいな」おはなの若くて張の良い声が聞こえる。

「おありがとうごぜえます」

「それにしても今日は暑いわね。中でお水でも飲んでいってらっしゃい」

と百姓を裏口から店に入れる。

「ありがてぇことで」百姓は深々と頭を下げて中に入っていった。

百姓が中に入ったことを確認するとおはなは裏口を閉め、用心棒をした。

そして土間に膝を付け頭をたれる。

「弥兵衛さま。お久しぶりでございます」

百姓はほっかむりを取るとそこに弥兵衛の顔があった。

「おはな、女らしくなったな、好きな男でもできたか?」と弥兵衛はからかう。

おはなの頬は「ぽっ」と赤くなった。

「図星か」と弥兵衛は微笑む。

すると水でも飲みに来たのだろう。女将のお菊が勝手に顔を出す。

「弥兵衛さま??」

「しばらくだなお菊。皆息災か?」

「はい、」「とりあえずこちらへ」

お菊の髪油のにおいがする。

お菊は勝手口の柱に手をやると柱の表面がまるでふたのようにとれた。

柱の中は空洞になっており、上からひもが垂れている。

そのひもをお菊が引くと台所の小上がりになっている板が動き下に階段が見えた。

その階段を弥兵衛は下っていく。お菊が弥兵衛が入ったことを確認して再びひもを引くと板は元に戻る。そして柱の表面のふたを元に戻す。

その後も山城屋は何事もなかったかのように一同が汗して働いた。

もうお分かりかと思うが、この「山城屋」は百池家が代々使用している。京の「支店」なのである。亀兵衛はもちろん丁稚女中の全員が伊賀出身の「忍びの者」なのだ。

この夜、亀兵衛をはじめ店の者と弥兵衛が一堂に膳を共にした。

亀兵衛夫婦には子供が二人いる。一人は女中のおはな。もう一人は男の子で伊賀の里で忍びの修行をしている。亀兵衛は下戸であり、奈良漬でも酔うほどであるが、ほかの者は呑める。特にお菊は「うわばみ」なのである。

番頭の名は「平蔵」30半ばになる。京で女房をもらい五つの女の子の親である。

女房は平蔵の過去をしらない。女中にはもう一人お玉がいる。年はおはなの2つ上だから17になる。

丁稚は弥兵衛と小助の二人である。二人とも同い年で13になる。

亀兵衛夫婦とそのこおはな以外は皆「下忍」である。

忍者社会にもヒエラルキーというものがあり、丹波や喜内のような上の忍者を「上人」といい弥兵衛もこれに含まれる。その下の中間にいるのが亀兵衛夫婦やおはななどの「中忍」である。現場指揮官といった立場かと思われる。「下忍」は現場指揮官の命令を実行する「現代のわれわれがイメージする」忍者である。

したがって上忍と下忍が膳を共にすることはない。本来ならば中忍の食べ残しを食べるのが下忍である。

それを変えたのが百池丹波である。丹波が当主になってからそういうことを禁じた。現場の士気高揚をするためである。

さて話を戻そう。

前述の通り亀兵衛以外は皆呑める。弥兵衛は皆の盃を満たした。

いろいろな話が出た。忍びの術の話から伊賀の里の話。おはなやお玉の恋の話などなどである。皆頬を赤らめ歌ったりもした。

「それにしても若。変装が徹底しておりますな。まさか御髪を下すとは。」

亀兵衛は一滴も酒を飲んでいない。しかし酔っぱらいのように話しかける。

「ああ、さっぱりした。こうでもしないと命がないからなあ。」

弥兵衛はざらざらした頭に手をやり答えた。

「ところが、明智どころか、どこの兵にも会うことがなかった。」

丁稚女中はもう床に就いている。お菊は酔って眠っていた。

「そのことでございますが。。。」

「なにかあったか?」

「毛利軍と戦っていた羽柴筑前が京に戻って明智と一戦交えるようです。」

「なに。。。。」弥兵衛の酔いはさめた。

羽柴秀吉が毛利と和睦しているというのは伊賀の里で聞いた。

しかしもう戻ってくるとは、いささか早すぎる、のである。

「その話真か?」

「噂ではございますが、羽柴軍に紛れたものが直にもどる様子だ、と伝えてまいりました。」

「して、今回の謀反の事、京の者はいかが見ておる?」

「公家衆は信長嫌いが多いため、非常に喜んでおりましたが、しかし帝はひどくお心を痛められ贈正一位をお考えだとか。」

「うむ」

「首はとれたのか?」

「わかりませぬ。なにしろあの大火事ですから。、、、」

「あっ」

「いかがした?」

「五右衛門なら何か知っておるかもしれませぬ。」

「五右衛門。。。」

「石川秀門さまのご次男でございます。」

「ああ」

石川秀門は元は一色家の家老であったが、故あって出奔し百池家の客分に収まっていた。弥兵衛も幼い時はよく遊んでもらったが五右衛門は本ばかり読んでいて、体を動かすことが嫌いであった。だからともに遊んだ記憶がないのは当然である。

「五右衛門はわしが発ってからいかがしていた?」

「五右衛門は秀門さまがなくなられてから人が変わりました。それまでは体を動かすのが嫌いだったのですが、忍びの術はおろか剣術、槍術の免許をとるほどの立派な男になりました。昨年信長が攻めてきたとき以降、ずっと信長のそばを離れないそうです」

「今の根城が知りたい。」

亀兵衛は頭をひねった。「さあ?つなぎは豆に来ますが、今はどこにいるのか。。。」

「そういえば巷のうわさに聞いたのだが、、、」弥兵衛は話をそらした。

「博多の豪商である、島井宗室と申すお方が、かの折り、寺の坊主に扮して空海の書を持ち帰ったと聞いた。あの戦場で火事場泥棒とは、なかなかの豪傑だわい」

「あっ」亀兵衛は思い出したようだ。

「たしか五右衛門は情報を集めるため島井様の茶会にたびたび参加しているとか。。。」

「名は?」つまりは使用している偽名である。

「たしか、、、、宗次とか申しましたな。、、、山上の宗二、やまのうえのそうじでござる」

「堺にある「薩摩屋」、あそこの根城の主と称しております。」

「薩摩屋か。、、、して亀兵衛、島井殿とは知り合いか?」

「はい、機内一円に拠点を置くあきんどとはよしみを通じております。島井様は九州の豪商、新参者ではございますが信長に気に入られ飛ぶ鳥を落とす勢いでございます。そういえば前回の茶会の折り、「本能寺」に信長から招かれてると、申しました。」

「その茶会に五右衛門はいたか?」

「おりません。最近は千宗易殿のもとで修行しておるとか。」

「まずは島井宗室殿に会うしかないな。」

「次の茶会はいつだ?」

「たしか明後日堺にておこなうとか。私も招かれております」

「わしもいこう。。ちょうど茶人のような頭をしておるでな」

といって弥兵衛は坊主頭を再び撫でた

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