第三話 ベイビーベイビーエンドいつか、



 毎日の暮らしに不満はなくて、満ち足りているかと言われると……どうなんだろう。窮屈な家を出たら自由だった。苦痛らしい苦痛がないからひとりでも頑張れた。慣れない仕事に集中出来た。


 ひとりの暮らしはまるでゼロ。プラスでもマイナスでもない時計仕掛けのゼロ。一日も一週間も一ヶ月も一年も、あっという間だね。このままいったら、そう、人生もあっという間。



 貴方への気持ちが恋だったかはわからない。でも、あれが恋じゃないなら私は一生それを知らずに終わるの。貴方以上に私に色を与えてくれたひとはいないから。今も感謝の気持ちは忘れていない。



 貴方がいなくなっても、貴方を思い出す。貴方が残していった温もりが、私の中に生きている。悲しいとか寂しいとか、そんな気持ちもわからない。だったらこのまま二度と会うことがなくても、きっと私は平気。ずっとひとりで平気。





 父から電話がかかってくるなんてまずないことだから、驚いて電話を切りそうになった。見間違いかと思って、次に夢かなと疑って、きっと掛け間違いだろうと納得した。掛け間違いなら仕方ない、私は安心して電話に出た。



 電話越しの父の声は誰の声かわからなかった。知らないおじさんといって過言ではない。それもそのはず、まともに会ったことがほとんどないんだし、見合いの時にいたような気もするけど最初はどのひとが父かさえわからなかった。



「一緒に食事でもどうだ」



 何を言われているのか頭が上手く理解をしない。これは日本語なのだろうか。もしかしたらドイツ語とかが混ざっているのかも。


 でも耳に飛び込んできた日付には聞き覚えがあった。ちょっと先になるんだが、と前置きされてのことだ。その日は確か何か予定があった、聞いたことがある。仕事の手帳を捲ったけれどまだ何も書いていない。仕事じゃないなら、何の予定だったろうか。



「母さんに会いたくないか」



 父は偶然母に会い、食事に誘ったのだという。せっかくだから私も一緒に、と言われた。父と食事だなんて意味がわからないと思ってしまったが、母が来るなら話は別。小さな頃に別れたきり一度も会ったことない私のお母さん。



「琉依に、会いたがっているよ」





 仕事が休めるかまだわからないからと、父には返事を保留にしてもらった。


 翌日珍しくウキウキと明るい気持ちで会社へ行き、休めるように有給休暇願いを提出しておいた。


 そうだ、何かお母さんにプレゼントを用意して行こう。何がいいだろうか。


 連絡先を聞けばこれからも会いたいときに会えるかもしれない。色んな考えが後から後から湧いてきてじわじわと喜びが深まる。私はその日が待ち遠しくなった。



 でも、確かに何かの日だった。何の日だったろう。



「――――あ、……」



 思い出した瞬間、声が出た。



 思わず目が泳ぐ、無意識。天秤にかけ、迷う。


 その日は駄目。だって同窓会の日だ。まだ返信用葉書を出してもいない。どうしよう。お母さんに会いたい。でも、同窓会には泉谷が来るかもしれない。



「……来るとは限らない」



 同窓会は高校のクラスメートの集まりで、都合のつかないひとは欠席するのだ。私に逢いに来なくなった泉谷が、今も私を好きでいてくれるかなんてわからない。それはあまりにも不確かで、暖かな思い出さえ打ち砕く可能性すらあった。







 例えば。


 この数年で泉谷に彼女が出来ただとか。とっくに結婚してるだとか。泉谷だもん、こどもだっているかもしれないんだよ。そんな同窓会に参加しちゃったら、私、惨めだよ。



(それはさすがに……知りたくないな)



 一気に憂鬱になった。綺麗な思い出だけを大事にして、これまで潜在的に考えるのを避けてきたんだろう、あ、これ超ダメージ大きいかも。うわ。


 泣いていいよとか言われたらもしかしたら今泣ける。マジで。



 そんな伏魔殿みたいな同窓会にとても行けない、私、無理。


 あの頃に引っかかって前に進めない。心地よい思い出に満足したまま大人になるのを放棄している。



 それをわかった上で、


 私は

 お母さんに逢いにいく。



 欠席に、丸をつけた。



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