最後のおはなし、ベイビートーク

第一話 ベイビーベイビーエンド




 春。


 暖かな風に乗って桜の花びらが髪に肩にこぼれていくのを覚えていますか。



 秋。


 色づく紅葉や銀杏の絨毯を踏み鳴らし、木枯らしが背中を押したのを覚えていますか。



 季節は何周も巡り、その度に思い出す。どの場面にも一緒にいたのは貴方でした。


 思い出す度にこの胸を温めるのは今も――。



 私は元気です。







「週末には帰って来られるかい琉依」



 突然の訪問客は祖母だった。独り暮らしを始めてからはお茶をたてることもなく、用意がない。祖母に珈琲を出すわけもいかず、悩んだ末に紅茶をいれた。



「週末は仕事が入っていて……」



 自分からは年に一度、お正月にしか帰ることはなくなっていた。でも時々祖母から呼び出しが入り、その都度仕事を調整して帰ることが多い。


 祖母の用事と言えばそのほとんどはお見合いだった。


 最初のうちは、断って構わないから見合いに慣れておきなさい、というものでしぶしぶ従っていたが、回を重ねるごとに祖母からの圧力が強くなっていた。


 まさかマンションまで直接出向いてくるとは思っていなかった私はにわかに慌ててしまう。



「私が呼んでいるのに帰れないほど忙しい仕事ならば辞めておしまいなさい」



 そんなことを言いつつ、紅茶には文句をつけなかった。



「突然いらっしゃるから驚きました。電話でもくだされば良かったのに」


「どうしても苦手なのよ、あの電話の音が。耳が痛くなってしまうわ」



 そう言われてみれば電話で話をしている祖母は見たことがない。いつも呼び出しは封書だったし私が返事の電話を家にかけても応対していたのはお手伝いさんたちだった。





 着物を着こなしている所作は相変わらずで美しい。歳を重ねても毅然として崩れない。皺は深くなった気がするけれどこの人は変わらない。



 私はどうだろう。高校を卒業して家を離れ、二年の専門課程を経て社会に出た。今ではリーダーを任され新人を育成する側だ。


 祖母の目に映る私は何か変わったのだろうか。それとも変わらず物言わぬ人形のままなのだろうか。



「週末に、何かあるのですか」



 自分から切り出した。でなければ祖母はずっと主導権を握る。



「琉依が帰って来られないのなら何もありはしないねぇ」


「また。お見合いですか?」


「新しい着物を作ったから、写真館へ行こうと思ったんだよ」



 祖母は私のためにこれまで何枚もの着物を買ってくれた。一度袖を通したものを再び着た記憶はないくらいに。


 おそらくは唯一の楽しみなのだろう。



「私は振袖のような華やかな着物より普段お祖母様がお召しになっている着物のほうが好きです」


「家に戻るなら琉依も着物で暮らせばいいさ」


「戻りません。今の仕事は好きです」





 やんわりと。でもはっきりと断る。私があの家に帰ってどうなるというのだろう。鳥籠の中の飼い慣らされた鳥は羽根を切られて羽ばたけもしない。自立して自分の意思で生きていける。私は鳥籠には戻らない。



 祖母は意外にも静かで、私の返事を聞き流した。連れ戻しに来たわけではないみたいだ。



 紅茶を飲み干した帰り際、ふと思い出したように一通の手紙を取り出した。



「忘れていたよ、お前宛に来ていた手紙を持って来たんだ」


「わざわざありがとうございます」



 受け取ったのは二つ折りの葉書。隣に返信用の葉書がついている。



(――これって……)


「じゃあ元気でおやり。また時々来るからお前の紅茶を飲ませておくれ」


「あ……はい。今度はお茶菓子も用意しておくので事前に連絡をください」



 祖母を見送り扉が閉まる。私は再び葉書に視線を落とした。



(同窓会……)



 卒業以来初めての、高校の同窓会案内だった。




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