3-7『サミュエルⅤ』

 僕は驚きに包まれるが、膨れ上がるように沸いた怒りの方が、すぐにまさった。


 ――都合のいいときには出てくるんだな!――


 そうことだけで毒づいてみるが、返答はない。


 ――何か言えよ!――


 さらに、心の内側だけで叫んでみるが、やはり返答はない。


「ああ、くそっ!」


 僕は、たまらず声にして、汚い罵りの言葉を吐き出していた。

 わずかな時間に、たたみかけるように起こった出来事で、僕は動揺しているが、現実は決して待ってなどくれない。


「……良かろう。事実は何も変わらないがね。ではサミュエル卿よ、〈ホウル〉さまが、どちらを正しいと言ってくださるか聞いてみようではないか。この剣でね」


 そこからが、僕の耳に、再び届いてきた眼前の現実だった。


「どうしたサミュエル卿。先ほどより顔色が優れないようだが?」

 当然だが、決して気遣うそれではない。しかもそこでケビンは、とても我慢できないという感じで笑い始める。


「もしかすると、貴殿はアン嬢が帰ってこないと思っていたのかな? そうすればこの私と戦わなくて済むと――」さらに、感に障る声で笑いながら「そうなんだろう。残念だったねサミュエル卿。でも駄目だなぁ、それはとても騎士にあるまじき態度ではないな」


 わざとらしく肩をすくめて、満面の嘲笑を浮かべる。


 ケビンの言葉は、僕へ向けられた的外れの嘲りだったが、中庭の真ん中で声を上げている以上、それは伯の耳にも入る。それはケビンとて計算済みだろう。

 視界の端で見る伯の表情からは何も読み取れないが、じっと僕の顔を見つめている。


 僕はその視線に気づかぬふりをした。馬鹿馬鹿しいほど明白だが、ケビンの言ったことが理由ではない。



 僕はこれから先の未来で、この男と同じ事をするのかもしれないのだ。



 いや、シェリーの為には、アン夫人を奪い取らなければならない。しかもそれは、おおよそ確実に、目の前で笑い続けるこの愚かな男と大して違わないやり方であるはずだった。


 そこで、僕の脳裏に伯の弟の姿が、サイモン・ウィンターバーンの顔が浮かんでくる。雨の中で僕を罵り続けていた、あの顔が。


 もう言い逃れをすることは出来ない。

 僕は、サイモン・ウィンターバーンのようにしてアン夫人を浚う為に、ケビン・ギレスピーと同じようにして、ウィリアム伯爵にやいばを向けなければならないのだ。


「……大丈夫だ。なるべく殺さないようにはするよ。しかし、覚悟は決めたほうがいい。これは〈ホウル〉さまの名の下に行われる、決闘裁判なのだから」


 ケビンは微笑んでから、決められた場所へ向かうために離れようとするが、その背中に向かって「『戦争の剣』に変えても構わないか?」と、僕はそう願い出る。


 本当のことを言うと、僕が最も上手く扱えるのは剣――『戦争の剣』だ。


 普段、斧槍を使っているのは、あの武具が父から送られたものであることと、柄を上手く使えば、相手に致命傷を与えずにやり過ごしやすいからだ。


 しかし今の僕は、どうしようもないほど苛立っていた。


 これから僕が犯さなければならない伯や伯爵夫人に対しての罪と、眼前でその行為を振りかざしているケビンとが重なって見え、傷つけてやりたかったし、罰をあたえてやりたかった。


 だから自らの気持ちへと正直に従って、最も相手を傷つけられるものを選ぼうとしていた。この時点まできて僕は、本気でケビン・ギレスピーの相手をする気になっていた。


「貴殿は斧槍を使うと聞いていたが? 構わんよ、好きにするといい」


 ケビンの表情から、わずかな当惑が伝わってくるが「私が認める、彼に『戦争の剣』を!」と声を上げ、それに従って僕は伯の騎士から『戦争の剣』を渡される。


 ケビンと僕が改めて対峙したところで、ケビンは、側に置いてあった兜を拾い上げて被る。僕の足下にも兜は置いてあったが、中庭に立ったときとは違い、それを身につける気はなくなっていた。


 僕は、そのまま渡された剣を鞘から引き抜くと、その刀身を白日の下にさらした。


 今日二度目の声が上がる。僕が兜を身につけぬまま、剣を構えたからだ。


 そして僕は言った「――では〈ホウル〉さまに教えていただきましょう。何が真実かをね」と。


 僕なりの皮肉が詰まった言葉を口にしたが、耳にしたであろうケビンどころか、エミリを除いて、ここにいる誰にも、その意味が通じるはずはなかった。

 

「……ほう。突然、剣に変えて、兜も着けぬままこの決闘裁判に望むとは、どうやら貴殿は心を失ってしまったようだ」

 それでケビンも、自らの『戦争の剣』を構え直す。


 そこで戦いの始まりを合図する喇叭が、中庭に吹き鳴らされる。


 どよめきと歓声、喇叭の音が折り重なる中、僕とケビンは、たった今離れたばかりの間合いを求めて、一気に踏み込んでゆく。

 一度、そして二度。そのまま七度は、僕とケビンは、激しく剣を打ち合わせる。


 だが、そこまでだった。いや、それだけだったと、言うべきだろうか。


 僕とケビンの『戦争の剣』が再びやいばを合わせた瞬間、僕は力のこもったケビンの剣を、あえて受け流すようにして、その勢いを外す。ケビンの身体は、僕の剣で導かれるようにして前のめりになると、彼の腕の中の剣は、地面をえぐって、その切っ先を沈めた。


 驚愕と恐怖で目を見開いた、ケビンの顔が見える。

 だが僕は、それを無視する。


 ケビンの剣が、土を巻き上げながら引き抜かれるが、すでに僕の剣は、彼の兜と鎧の継ぎ目へと迫っている。その首を胴体から切り落とすために――。


 中庭に金属が打ち合う、激しい音が鳴り響いていた。


 僕は――寸前で剣を寝かせていた。刀身の腹が兜の上からケビンの横っ面を叩き、巻き付くようにして、L字型へと変形する。

 それでケビンは、力なく膝から崩れ落ちると、そのまま地面へと倒れ込んで、うつ伏せのまま動かなくなる。


 さざ波のような驚愕の声が、ほどなくして両端から上がる。

 僕は屈み込んで曲がった剣を置くと、倒れたケビンの身体を仰向けにして、首の部分の鎖帷子をめくる。そこへ指を差し込み、彼の脈に触れる。


 やはり大丈夫だ。生きている。


 それを確かめた直後、僕はギレスピー家の騎士たちに、突き飛ばされるようにして、その主人の身体から引き離される。


 むろん、喜びの感情などあるはずもなかった。


 騎士たちに介抱されるケビンを、僕は押し出されたその場所で、ただ眺めるようにして見ていた。


 ケビンの言葉を借りれば、確かに僕は心を失っていた。そうして、今、自らの不安をと憂いを彼にぶつけることで平常心を取り戻していた。僕は、ケビンを倒した今さらになってから、感情的になってしまった自らの態度を悔いる後味の悪さを味わっていた。


 そんな思いの中、僕は不意に右手を握られる。


「私は、貴卿になんと感謝の気持ちを伝えれば良いのか分からない。本当にありがとうサミュエル卿」


 祝福のために、僕の側まで来てくれたのだろうウィリアム伯は、純粋な感謝の言葉を僕へとかけてくれる。そして次には、僕の身体は横取りされるようにして、老騎士の喜びの抱擁に絡めとられると、祝福の口づけを、両頬に何度も受けることとなる。


 しかし僕の方は、一体どんな顔をしていいのか分からなくなる。


 果たして僕に、伯やグラハム卿の心からの祝福を受けとる権利はあるのだろうか? 僕がこれからするかもしれない悪行からすれば、ただ結論を先延ばしにしただけではないのか? いや、こんな事をして善人面している僕の方が、ケビン・ギレスピーなんかよりも、ずっと悪人ではないのか?


「勝ってしまうと、余計にややこしいことになるのでは?」

 僕は自分の気持ちが読まれてしまいそうな気がして、咄嗟に思いついたことを伯に問いかけてみる。

「……可能性はある。しかし、貴卿は確かに勝ったのだ、裁判権を持つ官吏も見ていた。簡単には覆らないはずだ」


「そうですか……それは良かったです」


「だが、意外だな。貴卿がそんなことを心配しているとは――」

 そう伯は切り出すと、

「そもそも私は、この上流貴族の慣習である決闘裁判などという不条理なやり方が、全く理解できなかった。しかしアンは、そう特別な事ではないと言った」


 そこで、ちょうど横に来たアン伯夫人を見る。


「そして私が、この決闘裁判の話をした時、貴卿もまた、さほど不条理とは受け取らなかったように見えた。だから私のような下流貴族出身ではないのだろうと思った。ならば、決闘裁判にどれほどの意味があり、その結果がどの程度、くつがえされることがないのか、むしろ貴卿の方がよくわかっているだろうと考えていたのだが――」


 伯は話している間、厳しい表情でずっと僕の顔を見据えていたが、そこでふと、思い出したように微笑んで言葉を続ける。


「……いや、余計な詮索だった。貴卿には貴卿の事情があるのだろうし、あくまでこれは根拠の薄い私の予想に過ぎない。ただ……少し貴卿という人間に興味を持ってしまったことが、私にそう言わせた理由だ。すまない。非礼を詫びさせてほしい」


「……いえ。そんな……」

 完全に図星である僕に、何も言い返す言葉はない。確かに伯の言う通り僕は、身分を偽っていたし、それを言えない理由もあった。


「そうだ、非礼ならばもう一つ私にはあったな。紹介させてほしい、貴卿が命を賭けて守ってくれた妻のアンだ」

 伯の横にいたアン夫人が前に出てくる。


 僕はアン夫人の腕をとってひざまづくと、その手に口づけをする。額のいぼと翠の瞳から、なるべく逃れるようにしながら。


「今回は、夫と私を助けてくださって、本当にありがとうございます。サミュエル・ポウプ卿」


 僕より一つだけ年下だと聞かされていたアン夫人は、そう言って笑顔を見せる。

 

 長い黒髪が、美しい銀の頭飾りで彩られており、顔立ちはケビンの父親が夢中になっただけあって整ったもので、過去の血にたがわず上品で、温和な印象を与える女性だった。


「でも本当に良かった……」

 アン夫人は少し声を詰まらしたようにしてから「あなたのお身体の傷も、もう大丈夫そうで、何よりです。使者の話を聞いたときには、本当に心配いたしました」と言って、まさに胸をなで下ろしていた。


「ありがとう、アン」

 そこでアン夫人は僕へ向き直ると、

「それに、その傷を癒やして下さったのも、サミュエルさまであると伺いました。そうなると私たちは、二度も助けて頂いた事になります。なんと言葉に表していいのか。本当にありがとうございます」と言って、深々と頭を下げる。


「いえ……」僕の言葉は、それ以上続かない。何を言えばいいのかも分からない。


「〈ホウル〉さまが遣わして下さったに違いませんぞ!」

 グラハム卿は、満面の笑みのまま僕の顔を見て喜びの声をあげた。

 だが、僕の心はその言葉によって、やり場のない怒りと、虚しさ、それに冷たい罪悪感で、胸を突かれた思いだった。


 僕は口を開くことすらままならないでいたが、そこで、伯の官吏だろう男が現れて、決闘裁判の最後の段取りがあることを、恭しく告げた。


 それでウィリアム伯は「私としたことが、喜びで忘れていたよ」と、アン夫人や僕へと微笑んでみせたが、すぐに表情を引き締める。


「官吏たちと話してくる。本来は、真実の誓いを、私とサミュエル卿で宣言しなければならないのだが……」

 夫の話の先を引き継ぐようにしてアン夫人は頷きつつも、僕の顔をのぞき込みながら心配そうな声をあげる。

「ケビン男爵の容態も心配なのですが……私にはサミュエルさま、先ほどから、貴方さまのお顔の色もすぐれないように見えます……ケビンさまとの戦いで、どこか怪我でもされたのではないでしょうか?」


 伯爵も、夫人の言葉に頷く。


「私にもそう見える。少し休んだ方が良いようだ。いずれにせよ、貴卿は姿を現さない方が良いだろう。それに容体の悪さを伝えれば、彼らの溜飲も少しは下がるというものだ」


 この場を一刻も早く離れたい、僕にとっては願ってもない申し出だった。僕は「申し訳ありません、実は――」と言って、口ごもりながら頭痛を訴える。


 それでグラハム卿が驚いたように、

「何ですと! ならば、お部屋へご案内いたしますぞ。こちらへ」

 と声を上げて、グラハム卿は僕に肩を貸すようにして横に並ぶと、身体を支えながら歩き出す。


 アン伯夫人は、そんな僕の姿を心配そうに見つめていたが、僕とグラハム卿が歩き出した方角は、その視線を背中へと追いやるものだった。


「お二人とも、信頼しあっているのですね……」

 僕は頭が重いように偽りながら、地面を向いたままそれをグラハム卿へと言ったが、口にしてから、すぐに、なぜそんなことを言ったのだろうと思った。


「奥さまは、お若いのにしっかりしておられる。伯さまに相応しい女性です……」 

 グラハム卿のその言葉を聞いた時、僕は、それを否定してほしくて言ったことに気がついた。僕の知らない理由や何かで……。


 自分の言葉に呆れて、僕は短く頭を振った。それでグラハム卿が僕を気遣うように声を掛けてくれて、さらに自分に呆れる。

 老騎士を欺く為に、身を引きずるようにして歩きながら僕は、横目でエミリを探していた。自分勝手な態度だが、いったい僕はどうしたらいいのか聞きたかったし、答えを知っているのならば教えてほしかった。


 だって僕には――ホウルへ縋ることも――許されていないのだから。


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