3-6『エミリⅠ』

 男爵は、刻限の直前になってやっと姿を見せると、城の中庭に立つ僕へと近づいてきて、口を開く。

 

「貴殿がサミュエル・ポウプ卿か?」


 それは、「貴殿」を「貴様」あたりに置き換えても、なんら違和感を感じない言い方だった。


「ええ、そうです。ケビン・ギレスピーさま」


 僕とだいたい同じぐらいの歳だろうか。肩まである黒い長髪に、均整のとれた体つきのケビンは、良い意味も悪い意味でも貴族風な雰囲気を――ああでも、悪い意味の方が明らかに多いけど――感じさせる男だった。


 僕とケビンは、鎖帷子を身につけ、決闘裁判の行われるダヴェッドの中庭で、対峙するようにして向かい合っており、その周りでは、東側の外壁沿いにはウィリアム伯と伯の家臣たちが、西側の外壁沿いにはギレスピー家の家臣たちが、僕たちを取り囲むようにして陣取っている。


「貴殿は勇気があるのだな」と、ケビンは、意味深に微笑んでみせる。

 ええっ?


「貴殿は、本当に私が誰なのか知っているのか?」

 きゃー。


「いや――何者を相手にしようとしているのかを?」

 え。ずっとこの感じなの? 本当? この人、大丈夫?


 ちょっとした恐怖を感じて、僕が適当な表情でそれを聞き流すと、ケビンはまた同じように微笑んで、

「私は王の御前試合で、優勝したのだよ。言うまでもなく、最も強かったという意味だ」


 と、本当に言うまでもないことを披露してから、


「わかっているよ。貴殿がそれを知っていたことは。言いたくなかったのも理解できるしね――」


 そう続けて、今度はわざとらしく歯を見せて笑う。


「それに真に強いものは、相手を殺さないやり方も知っている。だから安心するといい」

 …………。


 僕が恐怖の果てに、心の声すらも失う最中さなか、ケビンは、僕の返答など待たず、一方的に話を終わらせると、さっさと背を向けて、僕から離れていく。


「では、よろしいですかな」

 王都から来た裁判権を持つ官吏が、僕ではなくケビンへと了解をとるが、そのケビンは「まあ待て、あせるな」と、余裕たっぷりな声で言った。


「一つ贈り物があるんだ――君は本物の舞というものを見たことがあるかな、なかろう? ではお見せしよう。こんなにも高貴な舞いなど、もう二度と見ることはないだろうからね」

 ケビンは相変わらず一人で言葉を並び立てると、完璧なまでの「施し」の笑み浮かべてみせる。


 うおぉぉー。

 なんか俄然やる気出てきた。どうやって面子を潰してくれよう。


 えーっと、まずは脛に一撃を入れて、くるくる片脚で回っているところを、体当たりで突き飛ばしてから、覆い被さって兜の間から鼻に指を入れて――などと、僕が暗い妄想に絆されているとき、ケビンの口から思わぬ名前が飛び出す。


「私の勝利のために踊ってくれないか、王宮道化師エミリ・ジュエル嬢!」

 え? エミリ・ジュエルって言った? なんで? どうしてこんなところにエミリがいるの?


 そこでギレスピー家の側にいた一人が、羽織っていた外套を脱ぎ始める。するとその下からは、王宮道化師だけが身につけることの許される、赤と白の二色を左右に彩った服が露わになる。頭巾が後ろに垂れて、金色の短い髪とその大きな瞳が、僕の知る王宮道化師エミリ・ジュエルが、そこに現れる。


 よく見れば、彼女の後ろには、ジュエル家お抱えの吟遊詩人たちの姿も見える。


 エミリは、そのまま中庭の中央まで歩いてくるが、僕の顔を見ようともしない。

 だが、気づいていないはずはなかった。ここ二年ほど会ってはいなかったが、僕とエミリは顔を見忘れるような仲ではない。

 

 なぜなら僕が、この旅に出た本当の理由を知っているのは、エミリただ一人だけだからだ。

 

 エミリが二人の間に立ったところで、僕とケビンはひざまづくと、それぞれに手をとって口づけをする。ちらりとエミリの顔を見る。しかし彼女の瞳は、僕を見ているようで見てはいない。


「私のために、踊ってくれるなんて本当に嬉しいよ。もちろん私は、最後にはこうしてくれると信じていたけどね」


 そんなケビンの気色の悪い嬌声を、エミリは、もう全く完全に無視してから、おもむろに腰に吊った横笛を取り出すと、瞼を閉じ、少し厚めの唇をゆっくりと触れさせる。

 相変わらずエミリからは何の声もなかったが、演奏が始まることを察して、僕とケビンは、彼女と、その側にいる竪琴を持つ二人の吟遊詩人から離れていく。


 すると一拍の間があってから、エミリの横笛から荘厳で澄んだ音色が溢れ出す。続けて、付き従うように奏でられる竪琴。


 短い鼓動のような旋律で、それは始まっていた。

 最初は、ゆっくりと這うように奏でられていた調べは、ゆるやかに拍節を速めてゆくと、何かをこいねがうような、眼に見えぬものを求めるような、強い衝動を感じさせる音色へと移り変わってゆく。


 やがて、喜び、怒り、切なさ、希望、それに絶望、それをはっきりと感じさせる旋律が結ばれると、それらは代わるがわる訪れては過ぎ去ってゆく。しかし音色は常に、何かあと一つ、あと一つの音が得られぬような渇望を拭えぬまま、その拍節を刻み続ける。


 そこで突然、歓びとともに一つの音が爆ぜる。


 すると、それを契機にして横笛の奏でる旋律に、竪琴のが寄り添うようにして奏でられ始める。やがて二つの音色はぴったりと重なると、希望を抱いたそれを織り上げるようにして、互いが互いを美しく彩ってゆく。


 そして、あるべきものを得た旋律はその勢いを増すと、一気に高みへと駆け昇って、調べは、そこで頂点へと達する。

 

 そこからは、最初に奏でられていた――喜び、怒り、切なさ、希望、そして今では絶望を乗り越えてゆく旋律が、ずっと力強く、揺るがないものとなって、再び繰り返されてゆく。


 誇らしい気持ちが、胸に広がってゆく。

 求めていたものに光が当たり、意味が露わになってゆく。


 恍惚とした時間が過ぎると、調べは、導かれるようにして深く、穏やかで、優しいものへと変わり、いたわるような音色に、満たされた気持ちがこみ上げてくる。


 そこまできて聴衆は、この調べが、自分や、自分の大切にする人々の、一生そのものであったことを知る。


 だがその時にはもう、旋律は抑揚のない、かすかな、短い音色だけで奏でられていることに気がつく。やがてそれは、耳を澄まさねばならぬほどに小さくなると、地に伏せるようにして、そっと、最後の音が消えていった――。


 エミリは、横笛からゆっくりと唇を離す。

 

 それで、一斉に打ち鳴らされる心からの拍手。そして歓声。


 決して心を弾ませるような調べではなかった。

 だが、染み渡るような音色は、心の奥底の琴線に触れるもので、今も鳴り止まない拍手と賞賛の声は、エミリたちへ与えられる、当然の敬意だろう。


「本当に素晴らしいよ。エミリ嬢。まさに私に相応しい前奏だ」

 ケビンは言って、中庭の中央で、自らが披露したかのように腕を広げて見せる。

 明らかに君には相応しくない前奏だけど、「本当に素晴らしい」という言葉には、僕も心から同意するよ!


「今日は踊らないけど、構わないでしょう?」

 無表情のまま、エミリはケビンへと言った。


 それで面子を潰されたと思ったのか、わずかにケビンは表情を曇らせるが、すぐに、下心みえみえの下卑たる笑顔に戻して、

「エミリ嬢は芸術家だからね。芸術家は気難しいものさ」

 と言って、傷つけない為の弁明を自らで口にする。


 聞いたエミリは頷きもせずに、背を向けるが、その一瞬、射貫くような視線で僕の顔を見る。


 しかし、すぐに何事もなかったようにして歩き出すと、ギレスピー家の取り巻きの中に戻って、渡された外套を羽織ると俯き、僕が見ている間は、決して顔を上げることはなかった。


 ケビンもまた、僕と同じようにしてその後ろ姿を見ていたが、エミリが取り巻きの中に紛れると、顎を上げ、あたかもそこが劇場の舞台であるかのような、芝居がかった態度で周りを見渡しながら、張った声を上げる。


「さあ、心地の良い気分になったところで、〈ホウル〉さまの真実に耳を傾けようか皆の者。人は誓った約束を守らねばならないのだ。それを犯してしまえば、それなりの罰を受けねばならない。そうだろうダヴェッド伯よ。貴殿はこれほどの借金がありながら、名家であるオークリー家のアン嬢を妻として娶られた。だがこれには、我が父ジェイソンも心を砕いておられた。なぜならば、オークリー家は我が家の婚姻相手でもあるからだ。そして残念なことに、父の憂慮は的中してしまった。ダヴェッド伯はそれを期日までに返せないと言い出してしまったのだ――」


 ほぼ一息で言ってのけたケビンは、大きく息を吸い、そして大げさに吐き出した。


「我がギレスピー家は高い身分にあり、私自身も男爵を任じられ、父は公爵の地位にある。しかしながら――私はそれ以前に一人の騎士である!」

 今度は意図的に一拍開けた……のだと思う。

「ならば、名誉を持たぬ伯爵から、淑女を取り戻す義務が私にはあるのだ」


 そこでゆっくりと、ウィリアム伯へとケビンは振り返る。

「〈ホウル〉さまが定めたことわりに反してしまった者よ。よって私は父の〈代弁者〉となり、貴殿とアン・オークリー嬢の結婚を無効とする決闘裁判を今ここに開く! 私は、彼女を救わねばならないのだ!」


 これは一種の前口上であり、決闘裁判での段取り通りだが、ここにいる大半の人間が理解しているとおり、これは単に儀礼的なものに過ぎない。

 

 すでに両家の官吏によって、実務的な内容は決定されているものだし、だいたい、僕がここで武装して突っ立っている上に、ケビン自身も武装している。確かに権利の主張はする。するけど、よくもまあ、これほど恥ずかしげもなく、朗々と唱えられるものだ。


 対して伯は、そもそもの借金の返済の期日が違ったこと、そして、自らの妻にその意思がないことを主張する。


「よく分かった。ダヴェッド伯ウィリアム・ウィンターバーンよ!」

 ウィリアム伯がなんと答えようと、変わらないはずのその台詞で、お互いの口上を終わらせたケビンは、

「この剣に賭けて、真実を〈ホウル〉さまにお示しいただこう……だが、その前に、アン・オークリー嬢はどうなされた。姿が見えないようだが?」

 そう伯に問う。


 自分の芝居を潰したくないから、触れないでおくのだろうかと楽観的に考えていたが、ケビンも、そこまで馬鹿ではないようだ。


 ウィリアム伯も、さすがに苦々しい表情のまま頭を下げる。

「それには、私も詫びなければなりません。昨夜の宴に続いて、妻が礼を欠いていることは私の失態に他なりません……」


 ケビンは伯の言葉を聞いて、その顔に、明らかな嘲笑を浮かべる。


「やはり誓いを守れぬ者は、何事にもそのような態度だな。だが、これは公正な決闘裁判であり、その判断を下されるのは〈ホウル〉さまだ。この場にアン・オークリー嬢がおられず、隠し立てしているような貴殿に、このような正当な裁判を履行する義務があるだろうか?」


 自分が、ダヴェッドに早く来た事は棚に上げているが、アン夫人が間に合わないとすれば、どうしようもないかもしれない。だが――。


「私ならここにおりますよ。ケビン・ギレスピー男爵さま!」


 中庭の入り口から、数人の従者に囲まれた一人の女性が声を上げて入ってくる。


 どうやら、あれが……アン……伯爵……夫人……?


 を見た自分の顔から、急激に血の気が引いていくのがはっきりと分かる。 近づいてくる彼女の瞳に眼をこらす。シェリー・ピアースと、が眼に入ってくる。

 確実だった。彼女こそは――。


 僕はちらりとエミリの方を見る。

 彼女もまた、僕の顔とアン夫人の両方を見て、驚きの表情を浮かべている。先ほどまでは避けていた目線をこちらに向けて、自身の考えが正しいのかを僕へと問いただしているように見える。


「帰ってきてくれたか、アン」そこでウィリアム伯の妻を呼ぶ声が聞こえる。


 やはりあれは、ウィリアム伯の妻、アン伯爵夫人であった。そして『翠の瞳を持つ、額にいぼのある女性』すなわち――僕が六年ものあいだ探していた女性ひとで、拐かしてでも連れていかねばならない女性ひとであった。


 その瞬間だった。


 ――おめでとう、サミュエル・。君はとうとう見つけ出した。彼女こそ三人いるはずの二人目の女性だ――


 六年前、『あの日』に聞いた声が、僕のに、はっきりと響いていた。

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