3-5『ケビン男爵Ⅱ』

「アンがまだ、戻ってきていないのだ」


「戻ってきていない、ですか?」


「金策が理由でなければ、アンにここの留守を任せるところだが、私などより、オークリー家の娘であるアンの方が、王都ではずっと顔が利く。そこでアンを伴って王都で借金の工面をしていたのだが、知らせがあり、ケビン男爵が、予定よりも早く出発してダヴェッドへ向かったということを聞いた。ひとまず、私だけでも戻らねば決闘裁判自体が成立しなくなる。それで急ぎ、グラハムや信頼する数人の騎士たちと共に、ここへ戻ってきた。だからアンはまだ王都からの帰路にある。ただアンから送られた使者の話では、決闘裁判の時刻である、正午には間に合うという話だが……」


 と、そこで伯は、何かに思い当たったようにして、鼻で笑うと、

 

「サイモンがあの日を狙って私を襲ったのは、バイロンか、あるいはギレスピー家の人間に、そそのかされたからだろう。仲の悪い兄弟同士の金をめぐる争いなら、それ自体が――ありきたりの話だという訳だ。そしてその目論見は、ある程度、成功したのだろう。貴卿がいなければ、私は囚われの身で、何も出来ぬままアンを渡すことになっただろうし、今でさえ〈請求者〉として戦うことは叶わなくなった――もっとも、ケビン男爵に勝てたかどうかは……〈ホウル〉のみぞ知る、だろうがね」


 それでウィリアム伯は、両手をあげてから肩をすくめる。


「というわけだサミュエル卿。私は窮地に陥っていると」


 先ほどから、少し気になってはいるんだけど、何か良い手があっての余裕なのか、それとも動揺を隠すためなのかわからないが、僕には、伯の態度から妻を失うかもしれないという緊迫感をあまり感じない。それがウィリアム伯の性格、領主としての度量だと言われればそうなのかもしれないが……。


「伯さま!」

 むしろ老騎士の方がずっと余裕がない。


 しかしその抗議の声にも、自嘲めいた微笑みで伯が応えると、グラハム卿は、ウィリアム伯へと詰めよらんばかりの勢いで声を上げる。


「伯さま、負ければ、あのお優しいアン奥さまを、ジェイソン・ギレスピー公爵さまに奪われてしまうのですぞ!」

「ならば最初の予定通り、少々身体は痛いが、私自身が戦えばいい、そうすれば殺された後のことなど考える必要はないだろう」

 伯は口の端で笑ってみせる。むろん本気ではないことは、忠義の老騎士を除いて明らかだ。


「伯さま!」

 ウィリアム伯はその抗議を、片手を挙げて軽く受け流す。

「わかっている、グラハム。私とてアンを愛している。それに、アンがいなければ、私が、ダヴェッドの領主になることもなかっただろう。アンに報いてやりたい気持ちは当然ある。まだ話し合いでの決着が、残されていないわけではない。例えば、すぐに支払うのは無理だが、このまま順調にダヴェッドが発展していけば、相応の額を男爵に支払うことも出来る。今一度、交渉してみようではないか」


「しかし伯さま、それでは万が一の時、どうなさるおつもりですか……」


「確かに困る。困るのは確かだが、では聞くが、お前が考えてるように、決闘裁判をサミュエル卿に〈代弁者〉として戦ってもらったとしよう。勝てればいい。だが、ジェイソン公の息子であるケビン男爵は、王の御前試合の勝者だと聞いている。礼を欠くが、万一、サミュエル卿が勝つことが出来なかったとき、殺されても何も言えないのだぞ、その時グラハムはどうするつもりか?」


「そのような素晴らしい腕前の持ち主であれば、ケビン男爵さまは、深い情の心もお持ちでしょう。サミュエル卿への、勝敗のつく一撃を留めていただけるのであれば、代わりに私の首を落としていただくつもりにございます」


 そこでグラハム卿は、今度は、僕の前に立って僕の顔を見据える。


「サミュエル卿のような立派な騎士に、主君を守りきれぬ不甲斐ない騎士の身代わりをお願いするのです。しかも貴方さまには義理も何もないこと。無理なお願いをしている私を、どうかお許し頂きたい。そして改めてお願いいたします。どうか私の主君ウィリアム・ウィンターバーンに、サミュエル卿のお力をお貸しください!」


 言って、腰を折るようにして深々と頭を垂れるグラハム卿だったが、そこで、ウィリアム伯爵が、その老騎士の肩に手を掛けながら言った。


「だから待て、グラハム。ケビン男爵がそれほど高潔なら、親の為とはいえ、こんな馬鹿げた決闘裁判などに来るはずもなかろう……」

 伯爵は、そのまま何事かを考えるようにして、少しの間、地にその視線を放っていたが、やがて意を決したようにして、静かに声を上げた。


「――だからこそだ。主君である私自身が求めるのが、道理というものであろう」

 

 そこで、ウィリアム伯爵は真剣な面持ちで、僕へと顔を向ける。


「ケビン男爵は、危険な相手だろう。しかし、だからこそ貴卿に頼みたいのだ――改めて言わせてほしい。ダヴェッドの領主、ウィリアム・ウィンターバーンとして、サミュエル・ポウプ卿、決闘裁判の〈代弁者〉として、どうか私の為に、その力を貸してはもらえぬだろうか」と言って伯は、そのまま頭を垂れた。


「サミュエル卿、私からもお願いいたします。伯さまを、そしてアンさまをお救い下さい」

 グラハム卿も伯の横に並ぶと、その伯よりさらに頭を深く垂れる。


 僕は心の中で頷く。うん、受けるべきだよね。

 伯も伯夫人も助けられるし、何より、バイロンたちの目論見を挫けるのもい。うん、そこはすごくい。

 まあそれに最悪、勝てなかったとしても、死なないぐらいの自信はあるしね。 

 

「頭をお上げ下さい。〈代弁者〉が私などで良ければ……お受けいたします、ウィリアムさま」


「本当でございますか!」と、顔からは似つかぬような高い声を上げたのは、もちろんグラハム卿だ。


「受けて下さるか、サミュエル卿、我々のために。本当にありがとう。いや、その程度の感謝の言葉だけでは尽くせない」


「お気になさらないで下さい。それに勝って見せますよ。アンさまの為にも、自分の為にも」


「サミュエル卿、私は貴卿に頭が上がらぬな」


 ウィリアム伯は、僕の言葉を聞いて笑顔を見せると、その瞬間を待っていたように、グラハム卿が僕の手を取り「本当に感謝いたしますぞ」を、何度も繰り返して、握られた手は、ちょっと痛いぐらいの勢いで、大きく上下に振られる。


 そこでふと、思い出したように、伯は僕へとそれを口にする。

「貴卿は、なぜ、ダヴェッドに来られたのか?」


 僕は少し考えてから――。


「然る高貴な方からのご依頼で、人を探しているのです」いつものこれ。


 少し興味を抱いたような顔で、伯は言った。

「貴卿の主君から……ではないようだな。その話し方なら」

「はい。今、私が仕えている主君はおりませんので」


 いわば流浪の身だというのは、騎士と話した時の偽りの理由だが、いろいろ詮索されるのも嫌だったし、僕の場合、変な嘘をついても、すぐ見抜かれてしまうからというのもある。


 伯は、僕の顔を見ながら、短く頷いて、


「今こんなことを言うのは、調子がいいように聞こえてしまうかもしれないが、もし私に何かできることがあったら、ぜひ話して欲しい」


 僕は「ありがとうございます」と、短く頭を垂れてから「しかしひとまずは、決闘裁判の後でお話しさせて下さい」と言った。

 僕がそう答えたのは、伯の置かれた状況を思ってのことだ。それこそ明日の決闘裁判がどうなるかも分からない、何か具体的な話をするのは、伯も言った通りで「調子がいいように聞こえてしまう」のは、僕もまた同じはずだった。

 

「貴卿は、本当に素晴らしい騎士のようだ」

 伯は、僕の言葉に満足したようにして微笑む。

 

 そこでグラハム卿が、胸を張るようにして、僕へと自慢げな声を上げる。


「――では、今日は牛肉の蒸し焼きにいたしましょう! サミュエル卿」


 とは、未だに僕の手を離してはくれないグラハム卿の言葉だ。


「おお、テルファー夫人の牛肉の蒸し焼きか。それは、私がサミュエル卿への謝礼に考えている、どんなものよりも期待できる品かもしれないな」


 そう伯も応じて、笑顔を見せる――。


 僕もそれに、顔こそ微笑んで見せていたが……内心はというと、突然に降りてきたに、二人の声は耳に入ってはいなかった。


 なぜなら――。


 格好をつけて、こんな風なことをしていたりすると、探している女性ひととすれ違ったりするんだよね。それで知っていた人を見つけて、話を聞いたりすると「昨日、ここを発ったはずだが。行き先? さあ聞いてないねぇ」とか言われて、手がかりなしになったりするんだよね……。


 とそのあとも、うじうじと考え続けたからであった。

 

 が、それも、本当においしい、テルファー夫人の牛肉の蒸し焼きを口に入れるまでの事なのだけれど……。


「なにこれ、うまー」

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