3-4『ケビン男爵Ⅰ』


 決闘裁判――もちろん知っている。

 

 その滑稽な名が指し示すとおり、双方の当事者である〈請求者〉か、もしくは代理人である〈代弁者〉が、争うべき事を賭けて決闘を行うというもので、勝者は〈ホウル〉によって真実が証されたとして、ある程度不条理な条件でも認めさせることができるという、おおよそ裁判の名にはふさわしくないものだ。


 さらに滑稽なことに、決闘裁判というのは、特に地位の高い貴族同士の間で、古くから慣習的に行われてきた、紛争解決の手段であるということだ。もちろん、王にも法にも禁じられているもので、公には、その存在すら認められていない。

 

 当然、乱発など出来ないが、貴族間の文、不文の規則と、権力の均衡さえ破らなければ、――不法、不条理、そしてある種の遊戯性――が相まって、結果は覆ることのない〈ホウル〉の認めた真実となる。


 一方で、ギレスピーという家の名は、決闘裁判よりも遙かに、多くの人の知るところだろう。


 僕自身は、名の上がったケビンという男爵にこそ面識はなかったが、ギレスピー公爵家は、王都からかなり北にあるバーニシア領の領主で、同時に、最近ではあまりいい噂の聞かれなくなった家の名でもある。

 特に宮廷に入っている、ギレスピー家の悪い噂は、王都から六年も離れている僕でも、たびたび聞かれるようなものでもあった。

 

 まあ、ともかくこれで僕が何を望まれているかは、よく分かった。


 僕は〈請求者〉であるウィリアム伯爵の〈代弁者〉として、ケビン男爵かその〈代弁者〉と、決闘裁判で戦うことを望まれているのだ。

 そして、ギレスピー家が求めているのは、恐らく――いや確実に、ウィンターバーン伯爵夫人である、アンという女性なのだろう。


 なら問題は、その請求の理由になるけど……決闘裁判なんかで求めるのだから、まともに考える意味もない、愚かな理由なのだろう……。


 僕は、伯の問いに「決闘裁判のことは知っています」と答える。ギレスピー家の話の方は……わざわざ話す必要もないだろう。

 聞いた伯は、その青い瞳で、しばらくの間、僕の顔を見つめていたが、やがて「ならば、話が早い」と言って先を続ける。


「今回の一件には、私の借金のことがある。それは、ダヴェッドを開拓する為の多額の費用であり、到底、私一人の力では賄えない途方もない金額のものだ。そこで借金をすることになった。借り主は、そう……大司教、アンドリュー・バイロンだ」


 本来あるべきだろう「猊下」というそれを外して伯は、全ての教会、全ての司教、全ての司教区のおさであり、教会の最高権力者の名を告げる。


 伯は、無表情のまま自らの言葉を継ぐ。


「あの男に『ダヴェッドの開拓を持ちかけられた』という方が、正しい言い方だろうが、これほど機会を下流貴族だった私に与えてくれたのだ、そのこと自体には、むしろ感謝している。それに借金の返済も順調だった。本来の期限である来年の終わりには、十分に返済が出来るはずだった。だが――先月のことだ、突然使者がやって来て、今月の内に借金の全額を返せと言ってきた。明らかに無理だと分かっているのにだ」


「どうして……そんなことを?」


「全くだ、私も油断していた。バイロンがどれほど金に汚い男かは、私が語るまでもないだろう。もし貴卿が、あの男の黒い噂を何か知っているとしたら、私が保証しよう。その全ては、本当だと断言できる。聞く必要もない」


 僕は思わず笑ってしまうが、伯もそれで満足そうに微笑む。


「だが、逆に言えば、ダヴェッドの開拓が上手くいっている間は――私があの男にとって金蔓かねづるである間は、何もしてこないだろうと考えていた」


 理にかなっていると思う。バイロンとはそういう男だ。


「だが、そのバイロンの使者がここを発った、すぐのことだ。入れ替わるようにして新しい使者がやってきた。ギレスピー家の使者で、明日行われる、決闘裁判の訴状を持ってね」


「訴状には何と?」


 伯は肩をすくめる。

「私の結婚の無効だ。借金を返さぬような非道な輩から、私の妻であるアンを救い出すそうだよ」


 僕が顔をしかめたからだろう、伯は皮肉めいた笑みを浮かべてから、僕の声を先取りしたようにして、自分の言葉を継いだ。


「貴卿が考えていることはよく分かる。なぜ借金の返済期限を繰り上げてまで、私の結婚を無効にしようとするのか、解らないというのであろう? 当然の疑問だ。もっとも私とて、理解し難いという意味では、貴卿と同じだがね……」

 そう言ってウィリアム伯爵は、その理由を語り始める――。


 ウィリアム伯爵の妻であるアン夫人は、かつては名の知られた名家であるオークリー家の三女で、彼女と結婚したことが伯の転機となり、その縁を登り伝うことで、バイロンにも知り合うことになったのだそうだ。


 そのオークリーの名は、確かに僕の遠い記憶の中にもあるものだった。


 だがその長女が、ジェイソン・ギレスピー公爵のもとへ嫁いでいたことなどは、もちろん知らなかったし、そのジェイソンという公爵が、かなりの年の差があるにもかかわらず、オークリー家の長女を――自分の妻を大変に溺愛していたことなどは、初めて聞く話だった。


 そこまでは単純に良い話だろう。


 しかしその妻がやまいにかかり、容姿を著しく損なってしまうと、ジェイソンは見向きもしなくなってしまい、結局、その長女は今年の夏に亡くなってしまったらしい。


 その長女の生前の顔は、三女のアン、つまり伯爵夫人と瓜二つの顔立ちだったのだと、伯は過去に、バイロンに聞かされたことがあるのだという。

 

 長女が結婚した際には、アン夫人の方は修道院に入っており、ジェイソン公自身はその顔を知らなかったようだが、バイロンの方は、公爵の妻に対する執心ぶりと、ウィンターバーン伯爵夫人としてのアン夫人の顔を、知る立場にあった。


「今、考えればだが……」と伯爵は言った。


「バイロンは、私がもし、開拓を失敗するようなことがあれば、妻の存在を、ジェイソン公へと明かし、今回のような手段で取り上げる口実を――をつけて売るつもりだったのだと思う。そして、それこそが開拓資金の『担保』ではなかったかとね」


「しかしダヴェッドの開拓は、成功している……」

 むしろ、バイロンが思い描いていた以上の結果を得ているのだろうと、この街を見た僕も思う。


「そこが私にも理由の分からぬところだ。少なくとも、私はまだ、バイロンにとって十分に利用する価値があるはずだからだ」


 その通りだろう。いくらバイロン自身が引き上げた伯爵であったとしても、こんな無茶をして、関係を壊す必要はない。それに伯とて、ダヴェッドの成功で、ある程度の名誉と地位を得ているはずで、自分が取り立てた頃よりも、ずっと扱いにくくなっているはずだ。


 それはアン伯夫人を奪う方法に「決闘裁判を選んだ」という事からも分かる。


 不条理であるとはいえ、決闘裁判は上流貴族同士の暗黙の法だ。それに則らねば、ならぬほどの権力を、すでに伯が持ち合わせているという何よりの証拠だった。


「まだあるのだ、サミュエル卿。決闘裁判の訴状の方には、のだ。あくまでも、私の非道さ故の結婚の無効であり、ギレスピー家はそれを正義の為にやって来ているに過ぎない」


「それは……それは例えば、この決闘裁判の後に、バイロン猊下が『借金の期限を元に戻す』といえば、何もなかったことになる。そういうことですか?」


 肯定の意味だろう、伯は、呆れたようにして両腕を広げてみせる。


 僕は、思わず首を振っていた。

 

 バイロンは、一体どうしたというのだ?


 考えられるとすれば、よほどジェイソン公がアン夫人に執心していて、多額の謝礼を、バイロンへと渡したのかもしれない。あるいは、借金返済という口実を失う前に、それを売ったのか……。

 なんにせよ、バイロンには、伯からお金を巻き上げる気などないはずで、これは借金の返済を口実にした、アン伯爵夫人の身が、その目的だろう。


 もっとも疑えばだが、伯の言っていることが本当のことであれば――ということにはなるのだけれど。


「実を言えば」伯は、僕から目を逸らしながら口を開く。

「サイモンに襲われたとき、私は王都からの……金策の帰りだった。もっとも金策の方は見事に失敗したが、王都に滞在している間に、バイロンへ目通りを願っていた。この真意を問いただす為にね」


 僕は、すでにこちらに顔を向けている伯を見る。しかし、そのまま伯は首を横に振った。


「断られたよ。病を理由にね……。だがその時、あるいはとも思ったよ。バイロンが死ぬようなことがあれば、あの男が、それなりに抑えてきた悪党どもが、一気に政治や国の表舞台に現れてくるのかもしれない。この決闘裁判もその先触れかもしれないとね」


 と、そこで伯は、おどけたような表情に変えて「私も、バイロンの毒で手なずけられたかな、あの男の話を信じるようではね……」と、笑ってみせる。


 バイロンの病が本当かどうかは別にしても、伯の見方は全く正しいものだろう。

 バイロンは確かに悪党だが、金に汚い以外は、曲がりなりにも司教ではあった。道は踏み……いや、完全に踏み外していたけど……人間という社会に自然に涌くようなを、自身の利益の為に、その手の中に押さえ込んでいた。彼のような存在が、その後継者を残さず、今、この世を去ったりすれば、皮肉にもこの国が混乱する事は、避けられないのかもしれない。



「それにもう一つ、問題がある――」

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