2-7『サイモン卿Ⅰ』

 そこで突然ハーグリーブスが大声で嘶く。


 僕はそれではっとして、咄嗟に荷馬車から身を離すと、覆いの端から切っ先が突き上がり、僕の退いたその宙を貫いていた。


 腰の剣を引き抜こうとする。

 

 だが、覆いから飛び出してきた、長い金髪を束ねた男は、僕が鞘に手を掛ける前に、浴びせかけるような、鋭い一振りで斬りかかってくる。


 僕は剣をあきらめ、その一撃を下がることだけで逃れると、突き立てた斧槍に手を掛けながら、空いた手でハーグリーブスの尻を叩く。


 ハーグリーブスはそれで、荷馬車から離れるようにして駆けだしてゆく。

 

 斧槍を振るう間合いを得た僕は、引き抜いた斧槍を、そのまま突き上げるようにして、飛び出してきた男――サイモン・ウィンターバーン――へ、下から薙ぐようにして振り上げる。


 サイモンは、右手に刀身の短い剣を、左に短刀を逆手に握り、僕の一撃を身をよじって躱すと、振り上がった斧槍を、短刀で完全に跳ね上げ、腕の伸びきった僕へ、右腕の剣で、胴をめがけ斬りつけてくる。


 それは、僕の振り上げた力を利用した、流れるような技だったが、僕の方もまた、打ち上げられた斧槍の力をそれに任せて、手の中だけで回転させると、跳ね上がってきた柄の方で、サイモンの剣を受け止め弾き返す。


 それで互いが退き、同時にサイモンが苦々しい、というより苦悶の表情で声を上げた。


「どうして、お前のような奴がやってくる!」呪うようにそう言って、つばを吐き棄てる。


 僕は、そんなサイモンを無視して、ウィリアム伯を探して荷車の方へと目を向ける。覆いはまだ荷台の大半を隠しており、伯が本当にそこにいるのかさえ、ここからでは分からない。


「お前は、なんなんだ!」


 同じ問いを叫びながら、サイモンは右手の剣で新たな一撃を見舞ってくる。


 僕は、斧槍の有利な間合いを守りつつ下がりながら、それを制して、簡単に踏み込まれないよう、再び同じだけの間合いを保つ。


 そこでサイモンは、一転して、にやりとした笑みを浮かべる。


「その斧槍は〈ホウルの武具〉だろう。初めて見るね。だがそいつはいい。そいつはいいね」


 一方的に言い放って、今度は、声を立てて笑いだす。しかしそれさえもつかの間で、次の瞬間にはもう、身をかがめながら、自身の身を投げ出すようにして踏み込んでくる。


 一度、二度、三度と、僕はサイモンを押し返すようにして打ち合うが、その生来に身についた身のこなしであろう、巧みに両腕の剣で斧槍を牽制しながら、自らの間合いを見計らっているようだった。


「へっ、その〈ホウルの武具〉とやらも大したことはないらしいな!」


 僕はその言葉を聞いて、眼を細めると、すかさず斧槍を突き出してサイモンのを狙う。


 僕には、サイモンがその瞬間に笑ったように見えた。


 サイモンは、それを難なくかいくぐると、すかさず左腕の短刀で、突き出された斧槍を――その柄を上から打ちつけると、僕の突きの勢いを地面に向けて流す。


「俺の勝ちだ!」


 斧槍を逸らして、道を切り開いたサイモンは、僕の懐へと一気に迫ってくる。流れるような追い打ちで、右手の剣が僕の腹を捕らえる――はずだっただろう。


 鈍い音が鳴った。

 

 今、僕の目の前では、街道にうずくまりながら、肘で打ちつけられた鼻を押さえてもがく、サイモンの姿があった。


 正直、ばかばかしい限りだ。


 当然のこと僕は、サイモンを誘うために、あえて斧槍を突いて見せた。あとは斧槍が流されてしまったように見せかけ、サイモンを自分の方に手繰り寄せてから、近くにあったその顔を、肘で打ちつけた、それだけのことだった。


 まあ、サイモンが剣を交えたことがないらしい、〈ホウルの武具〉ならではやり方だけどね。


 確かに彼の両腕が操る剣の技は、素早く巧みで、グラハム卿の言う通り非凡なものを持っているだろう。

 だが、その言葉にも表れているように、僕からすればその技は皆、直情的で我慢が足りず、結果を――相手を殺すことを求めすぎていた。

 それほどに飢えて渇いていることを、自らの口で証明してしまえば、戦っている相手に利用されるのは当然のことだ。

 

 奢りだろう、と思う。

 もっとも裏を返せば、今までそれほど人を斬ってきたと言うことなのだろう。

 


 サイモンは顔を押さえて呻きながらも、左手の短刀の方は、まだその手に握られていた。僕は斧槍を構えながら、慎重に近づいていく。


「あきらめて剣を捨てて下さい。サイモン卿」

「うるさい! 汚ぇ武器を使いやがって!」


 僕は肩をすくめる。

 最初は、喜んで頂けたみたいだったのに、それは残念。まあ、最初に不意も打った事だし、おあいこって事で。


 サイモン・ウィンターバーンは、そんな僕の顔を睨みつけながら、荷馬車の方へ、身を引きずるように後じさってゆく。


 僕は、サイモンの様子を伺いながら、斧槍を突きつけるようにして、少しずつ距離を縮めていく。サイモンは、当然のごとく僕を睨みつけながら、荷馬車の方へと近づいてゆく。

 

 荷馬車か――。

 改めて視界に入ってきたことで、ウイリアム伯のことが思い起こされる。

 

 こんな男に、誘拐されて無事なのだろうか? 

 

 わずかに荷台の方に目を向けた、その一瞬を――サイモンは見逃なかった。


 伸ばした腕で荷台の覆いの端を、素早く引き寄せると、雨を吸って重くなったそれを僕の顔へと叩きつけるようにして投げつけてくる。

 不意を突かれた僕が、それを払い、再びサイモンの姿を認めた時には、すでに彼の身は荷台のへりにあり、そこへ座って、縛り上げられたウィリアム伯の喉元へ、貼りつけるようにして短刀をあてがっていた。


「くそめ!」


 サイモンは、まさに僕が言いたかったそれを吐き捨てるように言ってから、流れ落ちる鼻血を、不快そうに手の甲で拭った。


 しかし、ようやくそれで、僕はウィリアム伯の状態を知ることが出来る。

 

 伯は手足を縛られ、猿ぐつわを咬されており、その額は、殴られて出来たような傷で裂けていた。

 だらりとして力なく瞼を閉じる姿には、意識こそ感じられないが、胸は微かに上下しており、まだ最悪の事態になっていないようだった。


 だが、頬と猿ぐつわを染める鮮血からすれば、一刻も早い治療が必要なのは明らかだった。


「お前は一体、何者なんだ? こいつに従えた一団の中に、お前のような奴はいなかった。そもそも、グラハム以外、皆死んだか、深手を負っているはずだ。ならどうして、お前のような奴が俺を追ってくるんだ!」


 ウィリアム伯の喉に、ぴたぴたと短刀を打ちつけながら、サイモンは苛立たしげに言った。


「僕はサミュエル・ポウプ。グラハム卿に、ウィリアム伯爵を救う約束をして、貴方を追ってきた」


 サイモンはそれを聞いて、顔をしかめる。


「それはどういうことだ? まさか、たまたま道ですれ違ったグラハムに泣きつかれて、俺を追ってきたと言うのではあるまい?」


 言葉にした自らを鼻で笑いながら、サイモンは言ったが、僕の方は、ただそれに……幾度か頷いてみせた。本当だしね。


 それを見たサイモンは、一瞬、その意味を飲み込めなかったのか、驚いたようにして目を見開き、しばらくの間、僕の顔を見続けていた。しかしみるみる、その顔が怒りで炙られたかと思うと、吠え立てるようにして叫びだした。


「そんな馬鹿なことがあるか! あってたまるか!」


 僕はそんなサイモンを無視して、伯の怪我の様子を見ている。


 雨にさらされた伯の顔から、血が洗われるようにして流されていく。どうやら傷口からの出血は、すでに止まっているようだ。


 一方でサイモンもまた、そんな僕を無視して叫び続けている。


「――そんな偶然があるか! どうして〈ホウルの武具〉を持っているような人間がここにいるんだ! どうして命までかけて、こいつを助けようとするんだ? お前はこいつを知っているのか? ああそうか、これでこいつに取り入る気か? いや、そんなことはどうだっていい! なぜ今、この時に現れたんだ! どうして俺の邪魔をするんだ! なぜ俺はこうなるんだ! どうして俺だけがこうなるんだ! 上手く行きかけていた、あとはケレディオンに行くだけだった! なぜこんなひどい雨が降るんだ? なぜ俺はお前に負けるんだ? なぜ俺だけがいつも負けるんだ? どうしてずっとこうなんだ! いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつもそうだ! 言え! なぜなんだ! 答えろ!」


 どうやら無視されていなかったらしい僕は、それに首を横に振った。

 それで皮肉な笑顔を浮かべる、サイモン。


「お前には分からない、そうだろう?」


 それがなぜ面白いことなのか理解できないが、僕は彼の望みどおりそれに答える。


「いいえ、僕もたいして変わりはしませんよ。ただ――人に聞いてみたりはしないだけです」


 それでサイモンは笑い出す。


「そんな斧槍を持っている奴が何を言う。泣きつかれて正義面してやってくるような人間に何が分かる!」


 僕は肩をすくめる。


「貴方のその独特な考えにつき合うつもりはありません。僕は、ウィリアム伯爵を助けるために来ました……それさえ果たせればいい」


 聞いたサイモンは、驚きとも侮蔑ともとれるような表情を見せてから、


「――ほう。俺を殺さないでおくと言うことか? だったらもう少し付き合ってくれてもいいだろう、お優しいサミュエル卿」と言って、伯の喉元にある短刀をくるりと回して握り直してみせる。


 僕は、サイモンの顔を見据えて続ける。


「もうやめましょう、サイモン卿。貴方はここからどうやって逃げるつもりでいるんです? 貴方はもう一人だ。ウィリアム伯爵を殺すからついてくるなと脅されたところで、僕はそれを聞くつもりはない。それは貴方にもわかっているはずだ」


「黙れ! 俺は兄を浚ったんだぞ! もう全てを使っちまったんだ! やれるだけやるんだよ!」雨の滴がサイモンの顎を伝って、流れ落ちてゆく。


 とはいえ、当然、僕にとってもこの状況は難しい。現状は完全な固着状態で僕自身で出来ることは少ない。しかも時間が経てば、サイモンの仲間二人の急所は外しているから、起き上がって加勢しないとも限らない。逃げていった男が戻ったりすれば、さらに面倒なことになる。

 伯の身体も心配になってくる。雨にも濡れているし、このまま長くなれば、あの額の傷が、致命傷になってしまうかもしれない。


 もっともそれは、サイモンにとっても望むことではないだろう。

 

 だが、願わくば、サイモンが伯をあきらめ、逃だしてくれるのが、僕にとっては一番、ありがたい結末だろう。


 そうなってくれるといいけれど……。


 幾ばくかのあいだ、風と雨とが身体を打つままにしてから、何かを話すべき頃合いだろうと思って、僕は「どうして、こんなことを?」と話してみる。サイモンは、それで小馬鹿にするようにしてから、僕を鼻で笑った。


「金のためだ」再び鼻で笑って「いや、生きるためだ」目の前で横たわる伯を、見ろ下ろすようにしながら、それを言い直す。


「ウィリアム伯爵は、あなたを許さない?」


「どういう意味だ」


「あなたは、全てを使ったと言った。本当にそうなのかということです」


 サイモンは少し考えたふうに、自分の兄を見てから、


「こいつは、こいつ自身にとって――意味のあることだけが重要だからな……」


「許さないと?」


 それで、サイモンは、感情のない声で笑った。


「お前には、俺の言ったことが分かっているだろう? 俺をあきらめさせようとしても無駄だ。こいつにとって、俺の存在なんて何の意味もないのさ。許すもなにもない」


 しかしそこまできたところで、サイモンは短く首を振った。


「だが、こいつにとって意味はなくとも俺にはある。そうさ、それこそが俺が求めるものだ」


 サイモンの求めるもの。

 自らの兄を誘拐して求めるもの。

 このサイモンにとって、何があればよくて、何がないことが正しくなかったのか。そもそもこの世界に、いや、彼の世界のどこかに、それはあったものだったのだろうか。


 そう考えたところで、自分こそ見下したふうの哀れみの感情を抱いていることに、短い嫌気を覚えて、僕は頭を振った。


 それで僕は少し言いよどんで、再び口を開こうとした時だった、街道を蹄が打つ音が聞こえてくる。

 

 僕は乗り手を見るために、今度こそ油断なく目を向けようとするが、それより先に、馬上の老騎士が、僕へと声を上げた。


「ああ、サミュエル卿! 感謝の言葉もございませんぞ!」


 グラハム卿は裸馬を難なく御しており、その背から下りると、僕へ屈託のない笑顔を見せてから、すぐにサイモンの方へ顔を向け、腰の剣を払い、雷鳴のような大声を上げた。


「貴方さまには、ほとほと失望いたしました! 兄である伯さまにこのような仕打ちなど、本当に恥知らずなこと。今度こそ罪を償ってもらいますぞ!」


 どうやらグラハム卿は、ダニエル商人の荷馬車の馬を、それも鞍のない裸馬を借りて、僕を追ってきてくれたらしい。


 サイモンは、その事にさして驚いてはいないようだったが、ますます覚悟を決めた表情で、グラハム卿を睨みつけている。僕は、そのサイモンの表情を見ながら、奇妙なことに、少し気の毒な気持ちになる。僕とは違い、グラハム卿は、恐らく彼を許したりはしないはずだ。


「我々は、二人、貴方さまは一人。武器をお捨てください、サイモンさま」


 自らの余裕を見せつけるようにしてサイモンは、それへ不敵に笑ってみせる。


「手負いの爺さんが増えると、俺が剣を捨てなくてはならなくなるのか? あんたは昔からが抜けてて笑えるよ――」


 と、言ったところでサイモンは、何かに気がついたようにして眼を細める。


 一方で、挑発されたグラハム卿は、今度は、雷鳴を轟かせるようにして笑ってから、サイモンへと言い返す。


「ならば、伯さまの陰に隠れることはございますまい! サイモンさま。さあ、そこにある貴方さまの剣を取られよ。私めが堂々お相手して差し上げますぞ!」


 そこでサイモンは、嘲笑するような、それでいて呆れているような表情で、グラハム卿へと顎を上げる。


「この後に及んでまで、俺を『さま』づけするとは、本当に笑えるよ、グラハム。あんたは本当に、本当に昔から、ずっと間が抜けてる」


 聞いたグラハム卿は、自らが誹られているものの、何か違った意味を感じ取ったのか、サイモンの言葉に、眉根を寄せ、訝しい表情のままその顔を見返している。


 そこでサイモンは、手の中の短刀を指だけで器用に操って、逆手に握り直す。


「――ああそうだった。昔から、いらつくほどお前は高潔で、見あげた騎士だった。そして今でも、高潔な騎士であることを願おう、俺とは比べるべくもなくね!」


 そこまでを一気に言って、サイモンは逆手に持った短刀を――伯のに容赦なく突き立てる。


  瞬く間に、伯の胸からは、溢れるようにして鮮血が吹き出し始める――。

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