2-4『ウィリアム伯爵、そしてサミュエルⅡ』


「おめぇ、ケレディオンに出るっていう魔女の話、知ってっか?」


 夕食のあと、焚き火のゆれる炎の向こう側で、トーマスは突然、その顔に見合った、妙なことを話し始める。


 魔女なんていう噂は、人探しの旅をしていれば、そう言う話を耳にするものだし、魔女が女性だという意味で、興味がなかったわけでもない。

 けれど、決まって本物を見た人間はいないし、だいたい探すにしても、話の内容もそうだけど、場所が曖昧すぎて手のつけようもなかった。


 もっとも魔女なんて、僕に言わせれば、幽霊や占いの類いとそう変わらないものだけどね。


「……ケレディオンの魔女ねぇ。で、どんな悪さを?」


 僕の、いまいち芳しくない態度が伝わっているのだろう、トーマスは「つまらねぇ男だ」という視線一杯で僕を見ている。

 僕としては、彼と同じ思いであることを確認できて、非常に満足している。


「人殺しさ。恨めしい人間を殺すとかいう――」

 答えながらも、すでにトーマスは「別にもういい」的な表情で、自らの靴先を見ている。

「――でも、晴らすのは女の恨みだけなんだと。だから居場所は女しか知らねぇし、女たちも居場所をしゃべったりしないんだとさ」


 へー。その筋は珍しいね、あんまり聞いたことがない。


「サミュエルさま」

 そこで僕を呼ぶ声は、ダニエル商人の奥方でハナ夫人だ。僕はハナ夫人の方へ向き直る。さよならトーマス。


「もう、ベシーは眠ったのですか?」


「はい。サミュエルさまには、ご迷惑をおかけしてしまって」


 僕がベシーに連れられていったあとすぐに、ダニエル商人夫妻は、荷馬車の近くに焚き火を焚いてくれて、すぐに天幕も動かしてくれた。


 雨はまだ降り続いていたが、荷馬車を曳いた直後よりは、ずいぶんと収まってきたように感じる。これなら明日の朝には、止んでいるかもしれない。


 今は皆が、アンディとルーカスも、この薪の周りを囲んでいた。

 

 食べた夕食も、ほとんどもうお腹に落ちていたが、ついさっきまで僕もハーグリーブスも散々に、彼女に弄ばれていたこともあって、もうだいぶ夜も更けてしまっていたが、大人たちにとっては、小さな祭りが終わった後のようで、すぐに眠りにつくような雰囲気ではなかった。


「――そんな迷惑だなんて。食事まで振る舞っていただいた上に、ベシーをこんなに遅くまで遊ばせてしまって、僕の方こそ申し訳ない気持ちですよ」


「そんな……あっ、そうだ私、夫にとっておきのぶとう酒があるのから、お飲みになるか、聞いてくるように言われてましたの。サミュエルさまは、まだ、お飲みになれますか?」


「えー。いやー、これ以上は困ります」


 僕は両手を振って「困ります」を表してみるが、多分、頬に湧きあがってくる笑みを隠しきれていないのだろうと、自分でも思う。


「少しなら、大丈夫でいらっしゃいますよね?」


「ああ……はい」と精一杯遠慮がちに、しかし「絶対に全く大丈夫」なことが分かるように頷いてみせる。


 だって僕、ぶどう酒、大好きなんだもん!


「では、お言葉に甘えて……」と確実な返事をしてみせる。


 ハナ夫人はそれに鷹揚な微笑で応えてから、奥にある家族三人の天幕へと向かってゆく。

 

 ちょうどそこへ、入れ替わるようにして、中からダニエル商人が出てくる。

 

 夫人と一言二言と言葉を交わし笑顔を見せると、ダニエル商人は僕の方へ、そのままの笑顔で歩いてくる。

「選りすぐられたぶどうで作った、なかなか良いぶどう酒なんですよ。ぜひどうぞ。今、妻がお持ちいたします」


 和ますような笑顔のまま、ダニエル商人は僕の隣に座ると、トーマスへと、少し気の毒そうに声をかける。


「トーマス、お前は今晩、夜警の番だから、明日にでも飲んでおくれ」


「えええっ! ……へい、わかりやした」


 そんなトーマスの態度でも、ダニエル商人は、子供でも相手にしているような感じで、にこにこと微笑んでいる。

 おいおいトーマス。不満そうだけど雇い主だろう? そんな君たちまで気を遣ってくれる商人なんて、なかなかいないと思うけどなぁ……。


 そこでハナ夫人が、側に来て、僕に杯を渡してぶどう酒を注いでくれる。


「では、乾杯いたしましょう」


 ダニエル商人へ小さく会釈して、乾杯の後、僕はぶどう酒に口をつける。


「ああっ、美味しい。これ、美味しいです!」

 僕は、驚きとともに思わず声を上げる。


「そうでしょう。そうでしょう」とは、自慢げなダニエル商人。

「これは、あの荷馬車に積んであったぶどう酒ですか?」

「いいえ、違いますよ。ダヴェッドは、まだ出来たばかりの街ですからね」


「ああ、そうでしたね。このぶどう酒は選りすぐられたものでしたね」


「ですが、サミュエルさま、ダヴェッドのぶどう酒は、すぐにこれに追いきますよ。畑の質も良いし、何よりこのぶどう酒の苗木を継いでいますから」


 と話してる間にも、ぐびぐび。


「そうなんですか。では、ダニエルさんはダヴェッドの街に住んでいらっしゃるのですか?」


 ぐび。ぷはぁ。


「いえ。今は、王都であるブラウニングに家があるのですが、ダヴェッドを治めるウィリアム・ウィンターバーン伯爵さまは、私ども商人の税金なども配慮してくださるとのことで、ここへ移り住もうかと考えております。それで今回は、妻と子を連れて、ダヴェッドの街を見に来たような次第なのです」


 僕は笑顔で、ハナ夫人を見る。それにハナ夫人は幸せそうに頷きながら、僕の杯にぶどう酒を注いでくれながら――わー――夫の言葉を継いだ。


「はい、私も自分で見て納得いたしました。来年頃までには、家族で住みたいと思っています」



 幸せそうで、うらやましいな。一人の女性を好きになったら、恋人になって、結婚して、子供が出来て、こういう家族になって、それでゆっくりと老いて死んでいくんだろう。

 もっとも、僕の場合はややこしい相続争いに巻き込まれたりして、毒とか盛られて早死にするのかもしれないけれど……それでも、こんな当てのない人探しの旅に出たりはしなかっただろう。


 ダヴェッドの街に本当に探している女性はいるのだろうか?

 また、失望する結果が待っているだけではないのだろうか?

 いや、それ以前に本当に存在していたとしてどうする?


 その女性ひとを生け贄のように差し出して、僕は平気でその後の人生を生きていけるのだろうか?

 

 愛している人に、愛していると言えるのだろうか?


 口づけを交わせるだろうか? 


 いや違う。それは違う。


 その女性ひとが、少なくとも不幸になることは。ある種、選ばれた自身の幸運を喜んでくれるかもしれない。探し当てた僕へ、感謝すらしてくれるかもしれないのだ。


 例え、今まで生きてきた自らの証しが何一つなくなろうとも……。



「……何か言ってください、サミュエルさま」


 ハナ夫人が、少し恥ずかしそうにしている。僕たちの囲っている、暖かな炎の中で、薪がぱちぱちと音を立ててはぜた。


「ああ、すいません。あまりに幸せそうで、言葉が見つからなくって」


 僕は、そう笑顔で言って、ぶどう酒を再び口にする。

 ハナ夫人はそれに、やっぱり恥ずかしそうにして微笑んでから、彼女もまた、手の中の杯を口に運ぶ。


「ところでダニエルさん、ダヴェッドの街は、どんな所なんです?」


「そうですね、ウィリアム伯爵さまがバイロン大司教さまから、ダヴェッド周辺の土地を封土されたのが三年ほど前で、井戸を深く掘り下げたところ、かなり水の豊かな場所であることが分かったのが最初のきっかけだと聞いています。


 受封された伯爵さまは、ご自分の居城などには手を着けず、まず街道と水道を敷いて、騎士、商人、修道士、石工や大工などを集め、最低限の街の体裁を整えさせました。それが功を奏したのでしょう。すぐに、この辺りの小さな村に散っていた人々が集まり始め、その者たちに、街の土地と、森を開墾した農地を貸し与えたようです。


 サミュエルさまも、ダヴェッドの街をその目でご覧になれば、わずか三年でこれほどの街が出来上がるものかと、驚かれることでしょう。今では、伯爵さまも高い城壁の立派な居城をお持ちですし、何より、街にも人々にも活気があります。私にとっては、ケレディオンの方が、静かに思えるぐらいですよ」



 なるほどね。ウィリアム伯の後ろには、あの欲ぼけ僧侶、バイロンがいるのか。それならば、いろいろ納得がゆく。

 僕は、噂に聞くほどに、ダヴェッドの街の発展がめざましとは思っていなかったからだ。それには二つの理由がある。


 一つはお金。当たり前だが、今まで無為だった土地を開墾する費用となれば、それは莫大な額を要する。それほどの資金を持つ者となると、上流貴族の中でも、限られた存在だということになる。しかも、ウィリアム伯爵自身は、申し訳ないが、あまり名の知られた貴族ではない。だとすると、三〇代半ばだという、この年若い伯爵に、それほどのお金を貸した貴族がいるということだが、そんな貴族がいるのだろうかということ。


 もう一つは住民のことだ。ダヴェッドが短い間に、それだけの発展を遂げているとすれば、元からこの土地に住んでいた人々だけでなく、周りの土地の領民たちが、かなりの数でダヴェッドの街に流入していることになる。だが、何も考えずに、そんなことをすれば、当然、ウィリアム伯は、周りの領主たちとの間に、危険な軋轢を生むことになる。それを、ひとまずでも抑えるためには、もっと高い地位にいる人間の庇護がなければならないはずだった。


 だがこの二つ、莫大な資金と、巨大な政治力を持ち合わせている貴族――では、本来ないと思うけど――は、いた。それが実権的には公爵と同じか、下手をすればそれ以上の権力を持つ、教会の大司教職、灰色の司教こと、アンドリュー・バイロンがその後ろ盾だったといわけだ。


 バイロンは、ウィリアム伯の才を見抜き、資金を提供し、政治的圧力で周りの領主たちを黙らせ、伯にダヴェッドの領地を開墾させた。無為だった土地が、自分の息のかかった領主によって、価値を生む土地に変わるのだ。バイロンが金も口も出すのはよくわかる。しかも伯は、その才覚で本当にそれに応えてみせた。


 僕なら、ぜぇぇったい、ぜぇぇぇぇったいにバイロンなんかに、お金なんか借りないけど、ある意味、あの欲ぼけ僧侶に金と口を出させて、街一つを産み出した、ウィリアム・ウィンターバーン伯爵は、ダニエル商人が話してくれた、そのやり方といい、まさに優れた領主なのだろうと思う。


 だがそこで新たな疑問も沸いてくる。


 バイロンが、いくらウィリアム伯に才を見たところで、あの欲ぼけ大司教が、なんの担保もなしに、これほどのお金と政治力を、聞いたこともない伯爵ひとりに、出してやるものだろうか?


 それこそ弱みでも握られて脅迫されたとか? バイロンが? 逆なら、ものすごくありそうだけど、あのバイロンに限って、そんなこと絶対にあるわけない。


 だとすると、伯は、バイロンにとっての担保となり得るようなもの持っていたということになる。それも開墾資金に値するほどの何かを。


「……ウィンターバーン伯爵さまは、素晴らしい領主なのですね」


 僕の言葉に、ダニエル商人は、全くその通りですと言った表情で続ける。


「はい。しかも非常に領民を大切にしてくださる方で……そうですね、例えば、伯爵さまに仕える騎士たちを、無法者や盗賊たちを捕らえるために、お使いになったりするのですよ!」


 それは本当にすごいな。領民たちの自警団だけにやらせるのではなく、騎士たちにも治安を守らせるなんて、あまり聞いたことがない。

 確かにダヴェッドより先は、海に面した切り立った崖に囲まれてるから、攻められにくいし、バイロンの庇護があれば、近隣の領主どうしての争いも少ないだろうから、騎士たちを常に手元に置いておく必要はないのかもしれない。


 しかし、何よりすごいのは、その仕事を騎士たちに納得させたことだろう。

〈ホウル〉のために剣はとっても、生きてる人間の領民のためには、それをしたがらないものだからね。


「そうなんですか、伯爵さまは、すごい決断をされるのですね。それなら領民の人たちも、安心でしょう」


「ええ、その通りです。他にも、滞りなく行われる裁判や、周辺の村への柵や防犯用の鐘の設置、税金のことなど、伯爵さまは、本当に素晴らしい政治を行われておられます。ところで、失礼でなかったら、サミュエルさまは、どうしてこのダヴェッドへ来られたのですか?」


 うん。ダニエルさんたちにも、僕が探している女性の話を聞いてみよう。ちなみにハナ夫人にも、それにベシーにもそれがないことは確認しているので、そこは大丈夫。



「実は、人探しの目的で、ここまでやって来ました。翠の瞳を持つ額に疣のあるを探しているんです」



「翠の瞳を持つ額に疣がある……女性ですか」


 訝しげな表情がダニエル商人に浮かんだところで、その先をハナ夫人が引き取る。


「それは『最初の本』にある、〈ホウル〉さまの……お姿に似た、〈聖徴〉を持つ女性をお探しになられている、ということなのですか?」


「はい。不思議な感じでしょうが、そうです、まさに〈聖徴〉を持つ女性を、僕は探しているのです。あまり大きな声では言えないのですが、さる高貴なお方からのご依頼で、どうしても、その女性を探してほしいとのご希望なのです。皆さん、今までに、会われたことはありませんか? もしくは、どんな小さなことでも構いません、何かそれらしい女性のことなど、聞いたことはありませんか?」


 まず、ハナ夫人は首を横に振り、アンディも、もう一人の――名前なんだっけか?――の傭兵もまた同じ、トーマスは現在、鼻くそが、すげーとれて喜んでいるふうだ。


 そこでハナ夫人が口を開く。


「でも私、今まで翠の瞳かたを見たことがありませんわ。お探しの方は、とても珍しい、瞳の持ち主でいらっしゃるのですね」

 僕はその言葉に、ただ微笑んでみせる。ハナ夫人、それは遺伝子Geneが、そうなるよう仕組まれているからだそうですよ。


 とそこで、ひとり腕を組みながら考え込んでいたダニエル商人が、一息吐き出してから、


「どこかで見たような……」と、それを口にする。


 えっ。


「確かに、どこかで見た覚えがあります。ただ、それがダヴェッドだったかどうかまでは確信がないのですが……」


「本当ですか!」


「はい。その女性の顔を見たとき、何かひっかかるものがあったのですが、サミュエルさまから〈聖徴〉を持つ女性だと聞いて、ああそうだ、あれは〈聖徴〉だったのだとわかりました。そんな印象を持った女性を……恐らくダヴェッドだったと思うのですが、見た気がいたします」


 やはり、本当なのかもしれない。ダヴェッドに来てから、二人も〈聖徴〉を持つ女性を知っているかもしれないと言っている。それに信頼できる、ダニエル商人がおぼろげでも知っているなら、街に住んでいる可能性は十分にあるはずだった。


 僕の旅は終わるのかもしれない――でも。

 

 ああいや、暗いことは考えずに、ひとまず今はその可能性を喜ぼう。


 その先は、その女性ひとを見つけてから考えればいい。


「はっきり思い出せなくとも、見たことがあるんですよね。実は他にも〈聖徴〉を持つ女性を見たという人がいて、ダヴェッドの街へ向かっているのです。これで、本当に希望が持てます。ありがとうございます!」


「記憶が曖昧で申し訳ありません。ですが、確かに見た覚えはあります。もしダヴェッドにおられなければ、私が出入りしている都市、ケレディオンの方に行ってみてはいかかでしょう。恐らく……いや絶対に、どちらかで見かけたはずです」


「ケレディオンですね、一度、探したことはありますが、もしダヴェッドが駄目だったら、もう一度行ってみます」


「見つかりますよう、お祈りしておりますよ!」


「はい。ありがとうございます」


「では、サミュエルさまの未来に、もう一度、乾杯いたしましょう。」


 僕の表情に現れてしまったのだろう気持ちへ、ダニエル商人が、すかさず乾杯の声を上げてくれる。ハナ夫人も含めた五人の杯が次々と打ち合わされて、小さいが幸福な音色によって辺りが彩られる。


 それから僕らは、かなり遅い時間まで、飲みながら楽しく話をした。不満たらたらな顔でこちらを見ている、一人の夜警を除いて。


 乾杯だね、トーマス!

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