1-3『ウィリアム伯爵、そしてサミュエルⅠ』

 ウィリアム・ウィンターバーン伯爵――。


 その名前を初めて聞いたのは、このダヴェッドという土地に、その土地と同じ名の街が、新しく建てられていると知ったときだった。


 それ以前の僕が、ダヴェッドについて知っていたことといえば、この土地は……ヴァ……ヴァ……ヴァ……ヴァなんたら公爵の領土で、深い森に阻まれ、小さな村が少しあったみたいだけど、結局、まともな開拓の手がつかず、長い間、無為の土地として放置されていた、ということぐらいだった。


「そうなんですか。ではもうこの辺りはダヴェッドで、ウィリアム伯爵さまの領地なんですね」


 ピーター院長は、まだ少し複雑な表情のままだったが、当然の反応だろうと思う。やっぱり「〈聖徴〉を持つ人間を探している」なんて、微妙に不謹慎なことを、こんなに敬虔な修道士に尋ねるのは「ちょっとどうなんだろうなぁー」と、その時も思いつつは聞きましたよ、思いつつは……。


 院長は、言葉を続ける。

「では〈聖徴〉を持つが、ダヴェッドにいるというのですね」



 僕はそれに、静かに頷いてみせる。



 そう。僕が探しているのは、〈ホウル〉そのままの姿を持つ者ではなく「みどりの瞳を持ち、その額に膨れた疣のある」を探すために、この旅に出たのだった。



「……やはり女性なのですね。いや――女性である方が良かったのかもしれません。もし〈ホウル〉さまの姿を、そのままを持った者が現れたりすれば、とても大変なことになるのは、目に見えておりますから」


 院長の言うとおりだと思う。

 教会もそうだが、周りの人間が、〈聖徴〉を持つ男を放っておくはずがない。すぐに噂が噂を呼んで、火が回るようにして人々を燃え立たせることは目に見えている。それが導く事柄が、到底、良い結果になるとは思えない。


「――ただ、その男の話が本当で、〈聖徴〉を持つ女性がいれば良いのですが……」そう言って僕は肩をすくめた。


 旅はもう、あの日から六年になろうとしていた。


「その男というのは、この集落の者で、サミュエルさまにそう話たのですか?」

「いえ。昨日、ここに立ち寄っていた商人に聞いた話なのですが……」

 聞いたピーター院長は、僕の答えに幾度か頷いてみせる。

「その商人が、お探しになってる女性が、ダヴェッドの街にいると、言っていたのですね」


「ええ。そうです。そうなんですが……」

 僕の微妙な言い回しからだろう、院長は少し怪訝そうな顔をする。


「そのような曖昧な話し方をなさるのは、純粋に本当かどうか分からないからですか? それとも他に何か原因が?」


「はい……。これまでの経験から言っても、こういう情報はあまり当てにならないのは心得ているつもりです。なぜなら、正しい情報が一度でもあれば、ここにはおりませんから……」

 聞いて小さく苦笑する院長。


「笑ってはいけないのでしょうが、なるほど、仰られるとおりだ」

 僕も短い笑みで、それを受ける。


「これまでは――本当の話をしようとして、結果が事実ではなかった人間と、最初から悪意があって、僕を騙そうとしてる人間と、二通りの人間がいたのです」


「ほう。、ですか……」

「いくら僕でも、六年も旅を続けていれば、いいかげん相手の話しようで、どちらの人間かわかってくるようになります。ですが、今回のはどちらでもないのです」


「どちらでもない? どちらでもないとは?」


 僕の中で、あの男の顔が像をなして、苦々しい思いがむせ返ってくる。


「彼は……その話をしていた商人は、四十代ぐらいの禿頭の男で、自分をヤングと名乗っていました。ヤングの言う、〈聖徴〉の女性がダヴェッドにいるという話には、恐らく嘘はないと思うのですが、同時に、何か重大なことを僕に隠している様子だったのです。ただ、まあ何というか、あの時の交渉に関しては、明らかにヤングの方が、何枚も上手で、情けないことに、僕は完全にやり込められてしましましたが……」


 ピーター院長は、その話を眉間に深い縦の皺を寄せながら聞いていた。

「禿頭のヤング……その男は、スチュワート・ヤングという名の者ですかな?」

「そうです! 確かにその名を名乗っておりました。彼について、何かご存じですか?」


 ひと唸りしてから、院長は改めて僕に向き直る。


「恐らく、サミュエルさまの考えは間違っていないでしょう。この集落では、あまり評判のいい男ではありませんから」


「何か事件でも?」


「かなり金に汚い男で、詐欺まがいのことをしているという話は耳にしています」

「そうですか。確かにこの話を聞くだけでも、かなり苦労したのは事実です。特にお金の要求に関してはね。その辺りにも不信感はありました――しかし、そのお話ですと、集落への出入りを禁止できるほどの、確証なり罪状はないんですね」



「その通りです。逆に何かしてくれれば処置を講ずることも出来るのですが、そう言う意味では頭の良い男なのかもしれません。お捜しの女性の話も、ヤングから聞いたとなれば、何か裏があるのかもしれません。お気をつけになられた方がよいでしょう」


「肝に銘じておきます」


 曰く付きで金に汚いか……。やはり、あの時に感じた違和感は正しいのかもしれない。けど、だからこそ探している女性ひとのことは――ダヴェッドにいるという話は――本当のことだろうと改めて思うし、何よりそう信じたい。


 僕はそこで、改めて顔を上げた。院長の額の緑色のが目に入ってくる。


「ピーター院長、〈聖徴〉の女性がいるという、ダヴェッドの街について、少し教えて頂けませんか?」


 院長は、それに微笑で応じてくれる。

「ダヴェッドの街は、先ほどもお話しした、ウィリアム・ウィンターバーン伯爵さまが、ここを封土されてからすぐに建てられたもので、だいたい三年ほど前になります。ダヴェッドは、まだそれほど大きくはありませんが、とても活気のある街で、この集落も街道からは外れていますが、それでもヴァルマー公爵さまが治められていたころより、ずっと人々の往来は増えました。特に商人の方々がここを訪れる人数には驚かされるばかりです……しかしまあ、静かに暮らしたい私たち修道士にとっては……少し騒がしすぎるというところが本音ではありますが……」


 あー、そうそう。ヴァなんとか公爵はヴァルマー公爵だ。そうだそうだ、それそれ。


 だがそこで、僕の中だけのすっきり感とは裏腹に、院長は、自らの言った言葉へ、詫びるような表情で首を振った。


「とはいえ、ウィリアム伯爵さまのおかげで、この集落もずっと安全になりました。そのようなことを言っては、申し訳ない限りです」

「と、いうのは?」

「はい。サミュエルさまも、この集落の周りの柵はご覧になりましたでしょう?」

 僕は頷く。

「あれは、伯爵さまに立てて頂いたものなのです。私たちの財などでは、あのようなものは立てられません」


 僕はその話に、思わず頷いていた。

 初めて見た時も、確かにちょっと、この規模の集落には、不釣り合いなものだとは思っていたけど、そういう訳か……。



 僕の表情を見てか、院長は「それに、物見櫓やぐらの鐘もです……」と付け加える。

「ああ、あの立派な鐘もですか……。でしたら伯爵さまに感謝しなくてはね。柵や鐘がなければ、もっと深刻な被害がでていたことでしょう」


 僕はそこで、ふと思い当たる。


「――失礼ですが、貢納もウィリアム伯爵さまに?」

「はい。伯爵さまが治めることになってからは、ずっと貢納しております。ただそれも、むしろ申し訳ない限りです。あのような立派な柵や鐘を立てて頂いておきながら、この集落が貢納する税など、本当に微々たるものです。しかしそれでも伯爵さまは、税のことに関して、私たちに、何一つお申しつけになられたことはございません」


 へー。


「ウィリアム伯爵さまは、お幾つぐらいの方なのですか?」

「実は私も、二度しかお顔を拝見したことはないのですが、三十代前半の方だと聞いております。ただ、風格がおありですので、良い意味で、もう少し上の年齢には見える方ですね」

「それは……素晴らしい領主さまですね」

「ウィリアム伯爵さまは、我々領民にとっては、本当に尊敬すべき領主さまでございますよ」


 にわかに信じられないところもあるが、おおよそ、ピーター院長の感想は正しいだろうと思う。


 欲深い見方をすれば、これから先、もっと税が取れそうだから、あらかじめ自分のものにしておいた、という事もあるかもしれない。だが開墾されていたとはいえ、街道からそう離れてはいないが、森の中にあるこの集落が、そのようなことが見合うかと言えばそうではないだろう。強引な徴収はしないまでも、この場所を、そのまま見て見ぬふりも出来たはずだ。


 それらを素直な意味に受け取ると、それは「善意」というものであって、自らの領地の隅々までの治安を守り、法を遵守する真の「騎士道」の持ち主ということになる。


 こんな時代に? そんな立派な伯爵が? この辺境の地に?


 ――と、そこで僕は、自分の考えに、自らの内だけで首を振った。

 ああいや、こんな時代だからこそ、そんな人間が必要だし、高潔な人物であってほしい。本当に僕はそう思う、そう思うよ。


 それに、僕にとってウィリアム伯が高潔であろうと無かろうと……もちろん高潔であった方がいいと思うけど……僕にとっては、〈聖徴〉を持つ女性ひとさえいればそれでいいんだ。六年の間、見たこともない人間を、いや、本当に存在するかどうかもわからない人間を探してきたのだ。


 その女性ひとさえダヴェッドにいてくれればいい、ヤングのような人間に、他に何をだまされていようが構いはしない。


 僕は顔を上げる。そうしてピーター院長へと笑顔を見せる。

 「――では院長。そろそろ僕は行こうと思います」


 院長は、それで少し寂しげな表情を浮かべてから「そうですか……。集落の者をお助けいただいたお礼も十分にお返し出来なくて、本当に申し訳ありません」

 と言って、院長が深々と頭を下げる。


「とんでもありません。介抱してもらった上に、一週間も泊めて頂いてのに、お礼を言うのは僕の方です」

 と僕もまた、急いで頭を下げたが、僕が顔を上げる頃には、院長は、いつもの優しい笑顔でそれを言った。


「お探しの女性が見つかることを〈ホウル〉さまに祈っております。見つかって、お帰りの時には、ぜひまたここへ、お立ち寄りください」そう言って院長は、額の赤い徴に手を当て、胸の上で手を組み合わせる。


 それは〈ホウル〉に仕える修道士としての自然な振る舞い――であることは当然わかる。


 だが僕にとってはそれは、皮肉めいた言葉でしかない。むしろ僕は、鼻で笑うのをこらええさえした。恐らく……いや、間違いなく〈ホウル〉は、僕が、この旅の目的を遂げることなく、どこか途中で、のたれ死んでくれることを望んでいるはずだからだ。


「――ありがとうございます。院長に会いに、こちらへ立ち寄ります……」


 僕は一度目を閉じてから、そう――本心から答えて、断るピーター院長へ、半ば強引に「寄付」を渡してから、自分の馬を引いて集落の門を出る。


 僕はそこで馬上の人となる。

 西へ、ダヴェッドの方角へと向かって、僕は馬首を巡らせるが、そこで、ふと、空を見上げる。


 木々の間から覗く雲は、太陽を覆い隠す幾重にも折り重なった灰色の布のように見える。


 そこで僕は、自分の頬に外気とは違う冷たさを感じて、短く首を振った。


「雨か……ついてないな」


 雨だと分かったからか、痺れるような寒さが全身を巡る。僕は外套をきつく身体に引き寄せると、雨を避ける為に頭巾を深く被り直す。


 馬の脚に任せながら、僕の意識は知らず知らずのうち、また、その思考に囚われてしまう――。


『翠の瞳を持つ、額に疣のある女性』を僕はかならず探し出さねばならない。

 六年前、『あの日』から僕はそう決めて旅に出た。

 やれる限りの正しいことはしてきたつもりだ。

 だから、これから犯すかもしれない一つの罪を帳消しにしてくれるはずだ。

 僕は拐かしてでもその女性ひとを連れて行き――身代わりとして、差し出さねばならないのだから……。



 



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