1-2『ホウルⅡ』

 唯一の神である〈ホウル〉。


 その名の意味は、旧い言葉で〈太陽〉を意味し、今では、暦の始まりの年として定められた、千三百年前の年に、彼は神としてではなく、ひとりの人間として、その名をつけられ、この地上に生まれてきた。


 しかし、その生涯は、三十年にも満たない短いものであった。


 人間としての〈ホウル〉は、人のあるべき姿を問い、人のあるべき姿を定め、人と人とが、そのことわりをもって生きるべきであると、あらゆる人間に、分け隔てなく説き続けた。


 言うなればそれは、人間が良心を持つことであり、規範を守ることであり、それらを遵守するという、人間同士の契約のありかたを説いたものでもあった。

 そして同時にそれは、人を人たらしめるための、唯一の神が人間と交わした、反故にすることは許されない、神との絶対的な契約を、人々が受け入れることでもあった。


 彼の伝えた言葉は、たくさんの人々に迎えられた。しかしまた、たくさんの人々にも、忌避されることとなった。彼の言葉を知った者は、皆、平静ではいられなくなった。それは熱狂か、あるいは憎悪かの、どちらかの感情であり、それらは自然なかたちで衝突を産み出す衝動でもあった。



 やがて彼は捕らえられ、裁かれることとなった。人を惑わし、扇動したというのが彼が犯した罪であり、処刑台の上で首を吊られることが、その罰であった。 



「殺したり、盗んだり、騙したりすることが、悪いというのは当然だし、自分がやられて痛いと感じるおおよその事は、やっぱり他人も痛いと感じるもので、そんな事はしないべきだと、人は人の為に思う方がいいに決まっている」



 今に生きる僕が、これを当然のことだと考えられるのも、彼が説いたという契約が明文化され、長い年月を経て、法として、人間同士が契約したものであり、それが現実に施行され、現在でも履行されている、契約の新しい姿でもあった。


 彼はその日、その処刑台の上で死んだが、少なくともそれは、彼が言った理の死ではなかった。彼に言葉を教えられた弟子たちが、また、その弟子たちに彼の言葉を請う人々が、いつしか教徒という名で渾名されるようになると、彼らは教会という、素朴な結束で互いを結び合っていった。


 教会につどった教徒たちは、彼の残した言葉をつなげ、彼と弟子たちが、あるいは弟子たち同士が、彼の言葉を想いながら交わした書簡を、人々に説くために積み上げていった。


 教会は、それら文書もんじょ群を『最初の言葉』として編纂し、自らの聖典として定めた。



 それから一千年――。



 今では『最初の本』の名で呼ばれているそれは、ずっと人間の側に寄り添い続けてきた。その時間は、彼が、〈ホウル〉という男が説いたという言葉によって、人間自身が、その獣の皮を剥がす術を、学んできた過程そのものであり、それは――僕の信仰心に関わらず――紛れもない事実であった。



 その『最初の本』の一節で〈ホウル〉の姿はこう伝えられている――

 

みどりの瞳を持ち、その額に膨れた疣のある男』


 人を人たらしめた、その崇高な容姿は、『最初の本』に、それが〈聖徴〉すなわち〈聖たるしるし〉であると、はっきりと謳われている。



 だから今では、ピーター院長のように教会に属する人間や、〈ホウル〉に対する強い信仰心を持つ人々などは、〈ホウル〉を模して、孔雀石の粉末から作る、緑色の顔料を額に塗ることで、それを〈しるし〉として、自らの信仰心の証しを立てていた。


「ダヴェッドが新しい街であるということだけは聞いているのですが、院長はご存じですか?」


「ええもちろん、ダヴェッドの街のことは存じております。仰るとおり、ここから西にある城下町で、領主であられるウィリアム・ウィンターバーン伯爵さまは、この集落にもお目を配って頂いております」

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