第一章

1-1『サミュエルⅡ』

 最後に僕は、それが自分の生活の全てだといっていい鞄を、外套の上から肩に掛けると、左手に持った僕の身の丈以上ある斧槍と腰に帯びた剣が、扉を傷つけたりしないように気をつけながら、修道院の一角にあるこの部屋を出て、礼拝堂へと向かう。


 僕は、このままここを発つつもりでいるので、一週間ほどお世話になったお礼のつもりで、ピーター修道院長へ心ばかりの「寄付」を渡すためだ。



 礼拝堂に入ると、やはり院長はここにいて、彼の後ろ姿が目に入ってくる。


「倍の人生を生きても迷いは尽きませんよ」と笑いながら僕に言っていたから、五十は過ぎているのだと思うけど、茶色のままの髪と長身のせいか、その年齢よりは、ずっと若く見えた。

 しかし何より、院長は、その優しさや気配りで、接した人間へとごく自然に尊敬の念を抱かせる人柄の持ち主だった。そう大きくはないこの修道院に、二十人以上の修道士が生活しているのは、ひとえに院長を慕ってのことだろうし、それこそ王都ブラウニングにいるような、欲ぼけ司教どもより、ずっと彼の方が、本来、その地位にいるべき人間だろうと思う。


 僕が、礼拝堂へ入ってくる音が聞こえたのだろう。ピーター院長は、そこで振り返ると、微笑みを浮かべて、僕が声を掛けるより早く、先に挨拶の言葉をくれる。


「おはようございます、サミュエル卿」

「……お、おはようございます、ピーター院長、やはり卿は、ちょっと……」


 僕のその抗議を、ピーター院長は、目尻の端に優しさと揶揄を浮かべてから、少し大袈裟に驚いてみせる。


 実のところ、騎士につける敬称である「卿」で僕を呼ぶことはおかしくはない。身分から言えば、僕は、騎士という階級に属するものだからだ。けれど今の僕は、院長以外には旅の傭兵ということにしていたし、実際、この旅の大半をそれで通していた。

 そもそも「騎士である」などと明かすことは、ただの身分の誇示にすぎないことだし、戦うことを生業にしているということにおいて、傭兵と騎士の間に、どんな差があるのだろうと思う。皮肉を込めて言えば、せいぜい何に誓いを立てたかの違いだろう。いずれにしたって……ろくでもないものばかりだろう。


「大丈夫ですよ、今の時間は牧羊の為に皆が出払っておりますから、誰も聞いてはおりません。しかし、あなたのその優しいお顔を見て、どの者が傭兵などと思いますでしょうか? それに、お言葉使いも柔らかい。ご無礼を承知で申し上げますが、わざわざ隠す方が不自然かと思いますよ」


 僕はそれに、「ああ……ええ……はい…」と答える。


 ……まあ確かに傭兵と偽って、あんまり上手くいった記憶はないんですけどね。どうせ子供の頃に、甘やかされて生きてきた生活なんて、そう簡単には隠せませんよ。貴族の子供なんてそんなもんです、ええ。


 そんな僕の心を見透かしたかのように、院長は微笑んだあと、僕の旅姿を認めたのだろう、短いがあってから、目を伏せて少し悲しげな表情を浮かべる。


「サミュエルさまは、やはり今日、ここをお発ちになるおつもりなのですね?」


「はい。気がつけばもう、一週間もお世話になってしまいました」


「お世話など、とんでもございません。サミュエルさまが来て下さらなければ、この

集落の人間が襲われるのも、時間の問題だったでしょう。感謝の言葉もありません」


 ピーター院長が言っているのは、この近くで羊を襲ったり、畑を荒らしていた、大きな猪たちのことだ。僕が請け負い、どうにか仕留めることはできたものの……その後がいけなかった。

 ここへ帰る道を見失ってしまい、食べ物はなんとかなったけれど、雨も降らず水が尽きてしまい、馬の背の上で気絶してしまったのだけれど、幸運にもそのまま、この修道院のある集落までたどり着いて、なんとか助かったという。まあ何とも情けない話で、それから体力の回復のための休養と、この修道院のある集落の人たちが歓待してくれて、それから今日まで、僕はこの修道院の一室で寝泊まりさせてもらっていた。


 ああでも、やっぱり人助けはするものだと思う、だって――

「そう言ってもらえれば、ありがたいです――それに、こちらにご厄介になったおかげで、それらしい話を聞くことができましたから……」


 それを聞いた院長が、驚きを含んだ声で聞き返してくる。

「それでは……お探しの方の居場所が?」


「ええ。ここより四日ほど西へ進んだ、ダヴェッドの街にいるのだそうです。もっとも、本当かどうかは、まだわかりませんが……」


 それを聞いて、院長は、さらに驚かされた様子で「そうですか、そんなに近くに、〈聖徴せいじるし〉を持つ者が……」と、つぶやくようにして、それを言った。


 そう、僕は〈聖徴〉を持つ者を探すために、この旅に出たのだ。このあてどもない旅にね。



 ピーター院長は、そこで目をつむると、ゆっくりと顔を伏せる。そうして、その額に塗られた緑色の小さなしるしに、そっと手を添えると、静かな言葉で許しを請うて、やがて短く天を仰いでから――ホウル――へと祈りを捧げた。

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