第23話 襲撃
小説に出てきた王子様とお姫様のすてきなキスシーンに心奪われてうっとりし、二人のいちゃいちゃするようすを詳細に頭に思い浮かべて行間を脳内補完しているうちに、いつのまにかイリスは眠ってしまっていたらしい。
司書の先生に揺り起こされたとき、イリスはとうの昔に下校時刻をすぎていることにびっくりしてしまった。いっけない、寝ちゃってたんだと、イリスは思わず呟いた。
司書の先生にさよならを言い、イリスは図書室を出た。
外は、すっかり日が落ちていた。
またお母様を心配させるのは忍びない。イリスは、まっすぐ家に帰ることにした。
イリスは家に向かって小走りで駆け出した。急いで帰りたかったし、それに、このときのイリスは大層ご機嫌さんだったのだ。図書室で居眠りしているときに見た夢が、とってもすてきなものだったからだ。夢のなかでイリスは、お姫様になって、婚約者の王子様とラブラブな雰囲気でいちゃついていた。ふんふん鼻歌を歌いつつ、王子様とお姫様の恋の行く末の続きを空想しながら、イリスは走った。妄想がパンケーキみたいに膨らんでいき、空想上の恋路に興奮してルンルン気分になったイリスは、小走りをスキップに変化させた。
「イリス、次の角を右に曲がれ」とクーちゃんが言った。
知性の劣化が着実に進行しつつあるイリスは、いまやとんでもない方向音痴になってしまい、登下校の道順をとうとう完全に忘れてしまっていた。だからイリスは最近は、次の角を右に、次の突き当りを左にといったぐあいに、クーちゃんに指示を出してもらいながら帰宅しているのだった。
指示どおり、角を右に曲がったイリスは、何かに躓いて派手に転んでしまった。妄想しながら走っていたため足元に不注意になっていたようだ。おかげで、膝を思い切り擦りむいてしまった。すっごく痛い。せっかくのルンルン気分が台無しになってしまった。膝丈のスカート下から真っ赤な血が見え隠れしていた。
まあ、このくらいの傷なんか、魔法を使えばちょちょいのちょいで治せちゃうんだからと、気を取り直してすっくと立ち上がったとき、突然イリスは、強い力で両腕を掴まれた。気づけばイリスは、男子二人に羽交い締めにされていた。
「やあ。ご機嫌いかがかな、お嬢さん」
イリスの目の前でにやにや笑いを浮かべていたのは、あのいじめっ子のハーフエルフだった。
「屋上ではずいぶんひどい仕打ちをしてくれたじゃないか」
自分がイリスに対して行なったことを棚に上げ、ハーフエルフは言った。
「あれは痛かったよ。本当に痛かった。おてんば娘には手を焼かされるね。もっと徹底的にお仕置きしなきゃ、君にはわからないみたいだ。どっちの立場が上なのかってことがね」
どうやら転んだのは、不注意になったせいではなく、ハーフエルフの計略によるものだったようだ。
イリスがちらと道端を見やると縄跳びが落ちているのが目に入った。大方、ハーフエルフの子分二人が、道の両端で縄跳びをピンと張って、角を曲がってくるイリスを待ち構えていたのだろう。それで転ばされてしまったのだ。
だが、いまさらそんなことに気づいたところで手遅れだった。イリスは子分二人に腕をがっちり掴まれてしまい、逃げる隙がなかった。
イリスは羽交い締めにされたまま、むりやり歩かされた。気がつくとイリスは、薄暗い路地裏に連れ込まれていた。
周りに人がいないことを確認してから、ハーフエルフは、イリスに殴りかかった。拳がみぞおちに命中した。強烈な一発を食らわされ、イリスは一瞬、息ができなくなった。また殴ってくる。今度もみぞおちに命中した。三度目の拳もみぞおちにめり込んだ。イリスは呼吸困難に陥り、吐き気を催したあげく、気を失いそうになりさえした。
ようやく攻撃の手が止まり、なんとか正常に呼吸できるようになったと思った次の瞬間、イリスはハーフエルフに
しまった、とイリスは思った。これでは呪文を唱えることができない。何もかも、敵の作戦どおりに進行しているようだった。まずイリスのみぞおちを集中的に殴って呼吸困難に陥らせ、呪文を唱えさせる隙を与えないようにすると同時に、内臓へのダメージを蓄積させて弱らせる。弱ったところに猿轡を噛ませて魔法を完全に封じる。ハーフエルフは前回の反省点を踏まえて、きっちり対策してきたと見えた。
ハーフエルフは舌舐めずりをし、イリスの顎を指でつまんで、くいと持ち上げた。
「どうした、その目は。悔しいか。そうだろう、悔しいだろう。もうこれで、呪文を唱えることはできなくなったね。屋上のときは、まさか君に魔法が使えるとは思わなくて意表を突かれたけど、もう魔法は使わせないよ。お気の毒さま」
イリスはぐすぐすと泣き出してしまった。魔法を封じられたいま、ハーフエルフに対抗する手段は完全に失われてしまった。こうなってしまった以上、ハーフエルフの暴力はもはや歯止めが効かずに行くところまで行き、イリスはぼこぼこにされてしまうだろう。怖かった。恐怖で、身体がふるふる震えた。
「泣くなって。何も殺したりはしない」
ハーフエルフはキスができそうなほどイリスに顔を近づけたかと思うと、舌を出し、イリスの顔を伝う涙を、ゆっくりと舐め取った。それから耳元でこう囁いた。
「ただ、ちょっとお仕置きするだけだよ。悪い子にはお仕置きしなきゃならないからね。君たち貴族が、エルフ族にどれだけのひどいことをしてきたか、わからせてあげる」
イリスは、このハーフエルフが執拗にイリスを狙う意味をいま初めて理解した。このハーフエルフは、一族の恨みの捌け口として、イリスに暴力を奮っていたのだ。
いつだったか、お父様が言っていた。エルフ族は、人間の貴族から迫害されてきた歴史があるのだ、と。エルフは、貴族に忌み嫌われ、土地を奪われ、重税を課せられた。そればかりではない。少なからぬエルフが犯罪の濡れ衣を着せられて処刑されたりもしたのだ。いまでこそエルフの地位は向上しているが、ほんのつい十数年前までは、エルフは圧政を強いられてきたのだった。
しかし、だからといってイリスへの暴行が正当化されるわけではない。というよりもむしろ、そんな恨みをイリスにぶつけるのは、お門違いもいいところだった。イリスはいまや没落貴族なのであり、地位も名誉もなきに等しい状態なのだ。
「今日は、いいものを持ってきたからね。これでじっくりと痛めつけてあげるよ」
ハーフエルフの手には鋭利なナイフが握られていた。
これから何が起こるのか、イリスは想像するのも嫌になった。イリスは現実から少しでも遠ざかりたくて、ぎゅっと固く目をつぶった。
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