第21話 失敗

 クレープ屋さんは学校の近くにあった。手頃な値段でクレープが楽しめ、この学校の生徒からは評判のお店だった。気軽に女子会を開くのにはうってつけの場所だったし、生徒同士でお付き合いを始めたカップルが、まず最初にデートする場所としても、この店はよく用いられていた。


「はい。どうぞ」


 イリスはクレープを二つ頼み、そのうちの一つをマリーに手渡した。


「……ありがとう」


 マリーは暗い表情のまま礼を言ってクレープを受け取り、おそるおそる、一口かじった。それを見て、イリスも自分のクレープにぱくりとかじりついた。甘くておいしい。再びマリーを見ると、二口、三口と、夢中になってクレープを口に運んでいるみたいだった。マリーちゃんをここに誘ってよかったと、イリスは思った。


 二人はお店のテラス席で、向かい合わせに座っていた。イリスはしばらく黙々とクレープを食べながら、本題を切り出すタイミングをうかがっていた。世間話でもして場の空気を暖めてから本題に移ろうと思っていたが、何を話したものか検討がつかなかった。学校からクレープ屋さんに歩いて向かう途中にも、イリスはマリーに何度か雑談をしようと試みてはいたのだが、最後まで会話が弾むことのないままクレープ屋さんに着いてしまった。


 結局イリスは、唐突に切り出さざるを得なかった。答えたくなかったら全然答えなくていいんだけどと、念の為前置きしてから、イリスは尋ねた。


「手首、痛くないの」


「痛いよ。でももう慣れちゃった」


「どうして痛いのに、自分で手首切ったりなんか、してるの」


「別に。大した理由なんかない」


「あたし、わからないよ。自分で自分を傷つけるなんて。自分で自分を痛めつけるなんて。そんなのおかしいよ。あたし、なんでも相談乗るよ。マリーちゃん、もしも悩みごとがあるのなら、きちんと話してほしい」


 マリーは、やっぱりそう来たか、とでも言うように、はあ、と溜息をついた。


「そんなに知りたい?」


「うん。マリーちゃんが、嫌じゃなければ」


 マリーはもう一度深く溜息をついてから、大人びた口調で、あっさりとこう打ち明けた。


「あたし、駄目駄目な人間なの。何をやっても中途半端で、結果が残せなくて。こんな人間に生きる価値なんかないでしょ。だから、手首を切って、自分を戒めてるの。ただ、それだけ」


 イリスはいたたまれない気持ちになり、慌てて否定しにかかった。


「そんなことないよ。マリーちゃんはとってもすごいよ。運動神経いいし、賢くていつも成績トップだし、顔もかわいいし、がんばり屋さんで、あたし、ちょっぴり憧れちゃうくらいだよ。だから、自分を傷つけたりしないで」


 自分を否定するマリーを励ましたい一心で、イリスはひたむきに言葉を並べた。これらの言葉は、イリスの本心でもあった。


 マリーはうっすらと自虐的な笑みを浮かべた。


「むりに褒めなくていいよ。あたし、全然そんなんじゃないから。体力があるだけで球技とか全然駄目だし、別に賢くもないし。学校のテストで点が取れるのは、塾に通っているからってだけ。塾ではいつも下のほう。勉強の才能がないことは自分が一番よくわかってる。顔だって、別に、かわいくなんかないよ。お母さんには、あんたは無愛想でかわいげのない顔だって、いつも言われてる」


「それは違うよマリーちゃん。そんなこと、ないよ。だってマリーちゃんは」


「もう、いいでしょ。あたしは、自分が嫌い。だから自分を罰するために、ナイフで手首を切ってる。ただ、それだけのことだから。これの、どこが悪いっていうの。あたしのことなんにも知らないくせに、あたしのやることに口出ししないでよ」


 マリーは語気を強めてそう言うと、クレープを半分食べ残したまま席を立った。


「ごちそうさま。レッスンあるから、もう帰る」


 マリーはそのまま背を向けてつかつかと歩き去ってしまった。


 イリスはがっくりと肩を落とした。作戦は失敗に終わったのだ。マリーの心を開かせることができなかったばかりか、逆に怒らせてしまうなんて、ほんとあたしの馬鹿馬鹿と、イリスは自分を責めた。頭のなかにいるもう一人の自分が、イリスの頭をぽかぽか殴った。


 マリーのことが心配でならなくて、のんきに甘いものなんか食べてる場合じゃないよとイリスは自分に突っ込みつつも、それでも食欲は抑えられなかった。自分のクレープを食べ終えてなお食欲の有り余っていたイリスは、マリーの歯型がついたほうのクレープもちゃっかり全部いただいてから、店を後にした。

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