第20話 心身

 一通り話を聞いたクーちゃんは、ぼそぼそ呟くようにこう言った。


「マリーは、見た目には手首が傷ついているように見えるが、実際傷ついているのは、心のほうかもしれないな」


「心の、傷」


 イリスには不思議だった。傍目から見れば、マリーちゃんに悩みなんかこれっぽっちもないように見えたからだ。


 イリスはここしばらくのあいだ、マリーちゃんてどんな子なんだろうと気になって、いろいろとイリスなりに調べを進めていた。イリスを訪ねてきた怪我人にさりげなく問うたり、マリーの行動をちらちら観察したりした結果、わかったことは、マリーは「超」のつく優等生だということだった。成績優秀で、走るのが速くて、ピアノが弾けて、おまけに顔もかわいい。性格はどちらかというとクールなほうだ。いつも冷静沈着で、何事にも物怖じせず真面目に取り組む性格なため、先生からの信頼は厚い。どうやら男子生徒のなかには、ひそかにマリーに思いを寄せている人も何人かいるようだった。


「そうだ。身体の傷を癒やすだけでは、駄目なのだ。人間は、心と身体という二つのものが合わさってできている。心の傷は身体の傷となって現れてくるし、逆に、身体の傷が心の傷になることもある。どちらか一方だけを治せばいいというものではないのだ」


「じゃあ、マリーちゃんの傷を治すには、心の傷から治さなきゃ駄目ってこと」


「そういうことになる」


「あたし、どうすればいいのかな。心の傷を治す呪文って、あったりするの」


 クーちゃんがイリスの目を覗き込んだ。


「ひとこと忠告しておきたいのだが、イリス、お前さんは絶対にマリーを治療しないといけない、というわけではないんだぞ。魔法修行のためには、マリーにばかりかかずらう意味はない。マリーのことを考えている暇があったら、そのぶんより多くの怪我人を治療したほうが、修行にはなるかもしれない。それに、人にはそれぞれ事情があるものだ。よかれと思って首を突っ込んでも、いい結果につながるとは限らない。それでも、マリーを治療したいというのか」


「うん。だって、ほっとけないもん。自分で自分を傷つけるなんて、そんなの駄目だよ。ほったらかしにできないよ」


 クーちゃんは、ほう、と溜息をついた。


「イリスがそう言うなら、やるだけやってみるがいいさ。私はイリスのすることを全力で応援しよう」


「ありがとねクーちゃん。それで、呪文は……」


「心の傷を治す呪文か。あるには、ある。しかし、単に呪文を唱えればいいというものではない。心の傷を癒やすには、相手の心を開かせる必要があるからだ。閉じたままの心に魔法ではたらきかけることはできない。相手に心を開いてもらって初めて、魔法を使った心の治療を行なうことができる」


「そっか。でも、心を開いてもらうには、どうすればいいんだろう」


「愚直にやるしかないさ。まずは、そうだな、相手のことをしっかり理解しなければならないだろう。相手の話をよく聞くことだ。それから……」


「それから?」


「……それからどうすればいいかは、自分で考えることだ」


 クーちゃんのアドバイスを元に、イリスはさっそく行動を開始した。


 まず、どうしてマリーは自分自身を傷つけるのか、それを知る必要がある。のっぴきならない事情があるのに違いなく、そうであれば、それが何なのかを本人に聞いて確かめなければならない。そうするためには、マリーちゃんともっとなかよしにならなくちゃと、イリスは思った。


 しかし、なかなかきっかけは掴めなかった。ちょっとお話したいことがあるんだけどと、教室で話しかけてみたが、無視された。もうあたしに構わないでほしいと言っていたマリーに、なおも強硬に構おうとしているのだから、無視されるのも当然だった。イリスは治療目的で近づいているのだし、それを向こうも気づいていたはずだ。治療されるのを望んでいないマリーがイリスを無視するのは、どう考えても当たり前だった。しかしそれでは、いったいどうやったらなかよくなれるのだろう。


 イリスは悩んだあげく、イリスなりに一計を案じ、クレープ屋さんに一緒に行こうと言って誘い出す作戦を思いついた。


 女の子で甘いものが嫌いな子なんていないし、きっと、一緒においしいものを食べれば少しは心もほぐれてくるはずだと、イリスは思ったのだ。


「今日は、むり」


 何度もしつこくクレープ屋さんに行こうと誘い続けた結果、誘いの言葉をしばらくのあいだ無視し続けていたマリーがようやく返してくれた一言が、これだった。


「今日はピアノのレッスンがあるから、ごめんだけど、時間ない」


「ピアノって、何時から」


「……六時からだけど」


「じゃあ、まだ時間に余裕あるよね。いいでしょ、行こうよ。きっとおいしいよ」


「……それに、お小遣いは買い食いに使っちゃ駄目って、お母さんに言われてる」


「それなら、あたし奢るよ。だから、ね、行こう」


 どうしてこうまでしてマリーを助けたいと思うのか、どうしてこんなにもマリーを放っておけないと思うのか、イリスは自分でもよくわからなかった。今月のお財布はけっこうピンチで、奢ってる余裕などほんとはなかったはずなのに、イリスは今回ばかりはそんなこともなぜだか気にならなかった。

 ひょっとするとイリスは無意識のうちに、かつての自分の姿をマリーと重ね合わせているのかもしれなかった。不運続きで心も身体も疲弊しきっていた自分の姿を、マリーを通して透かし見ていたのかもしれなかった。


 マリーは、そこまで言うならと、クレープ屋さんに行くことを渋々承諾してくれた。

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