幕間

第13話 迂闊

「あの……これってもしかして、まだまだ続きがある感じ?」


 章立ての切れ目を見計らって尋ねると、片山かたやまさんはノートから顔を上げて、


「うん、そうだけど」


と返答した。

 やれやれ、だ。まさかこんなにも長いとは思ってもみなかった。

 だが、穏便に事を終わらせたかった俺は、うんざりした気持ちはなるべく顔に出さないようにして、次のように提案することにした。


「今日はもう遅いし、このくらいにしない?」


 わかった、と片山さんは答えた。そして、続きを読むのはいつがいいかと聞いてきた。

 俺は言うつもりのなかったことを思わず口走っていた。


「まあ、いつでもいいけど」


 本当は、続きを聞きたいとは全然思ってもいなかったのだが、無下に断るのも悪い気がし、なんとなくそう返事してしまったのだ。


 明日の同じ時間、同じ場所でいいかと片山さんが尋ねてきたので、俺は、全然いいよと答えた。こうして俺は明日もまた、片山さん自作の小説を彼女自らが朗読するのを、聞く羽目に陥ることとなった。


 正直に言ってしまえば、素人の書いた小説を読み聞かされるのはかなり退屈だった。こんなことなら、さっさと家に帰って動画でも見るか宿題を片づけるかしたほうが幾分か有意義だったように思う。


 迂闊に好奇心など持つべきではなかったのだ。


 片山さんに少しでも興味を持ってしまったことを、早速俺は後悔し始めていた。しかし、約束はすでに取り交わしてしまったのだし、もはやどうすることもできなかった。こうなった以上、最後まで付き合うほかないと思われた。


 片山さんとは、塾で知り合った。


 塾に通い始めた頃、片山さんとはただの顔見知り以上の関係ではなく、当然、会話をする機会は皆無だった。俺にとって片山さんは、「塾にいる大人しめの女子」以上の存在ではなかった。片山さんにとっての俺も、似たようなものだったろう。


 変化が生じたのは、塾で席替えが行なわれたときだった。一ヶ月に一度実施されることになっているこの席替えによって、片山さんと席が隣同士になったのだ。


 最初に生じた変化は、片山さんに対する印象についてだった。いざ隣同士になり、顔つきや仕草を目にする機会が増えるにつれ、その印象は「塾にいる大人しめの女子」から「眼鏡を取って髪型を変えたらすぐにでもクラスの人気者になれそうなほどの隠れ美人な女子」に変わってきたのだ。


 片山さんは、目元を隠すかのように常に前髪を長めにキープしていて、そのうえいつも分厚い眼鏡をしていた。「瓶底眼鏡」という表現がこれほど適当なことは滅多にないのではないかと思わせるほどの、典型的な瓶底眼鏡だった。この二要因のために気づきにくいのだが、近くでよく観察してみれば、確かに片山さんは美形だった。


 このことに気づいて以来、俺は片山さんに少しばかり注目するようになった。我ながら単純なものだと思うが、この点では俺も平凡な一中学生男子にすぎなかったわけである。


 片山さんは、不思議な人だった。


 第一の不思議は、片山さんの授業に向かう態度についてだ。

 これは席替え以前から気づいていたことだが、片山さんは、授業中寝ていることが非常に多い。というかほぼ確実に寝ている。せっかく親に金を出してもらって塾に通わせてもらっているのにもかかわらず、授業中はいつも決まって机に顔を突っ伏して惰眠を貪っている。制服を見るに、片山さんはこのへんでは有名な私立の進学校に通っているようだから、頭はよいはずだし、中学受験を通じて小学生の頃からかなり真面目に勉強に取り組んできたはずだ。親のしつけも厳しいに違いない。そんな人が、どうして授業中に眠ってしまうのか、不思議でならなかった。


 第二の不思議は、自習室についてだ。

 どうやら片山さんは、毎日長時間、自習室にいて勉強に勤しんでいるらしい。授業中あんなに寝ている人間が、なぜか毎日のように自習室に籠もって、複数の参考書を広げ、ノートに何やら熱心に書きつけている。これでは、「先生の授業は簡単すぎてつまらないので受ける意味ありませーん」と暗に揶揄しているも同然ではないか。


 塾の先生はかなり歳のいったおじいちゃん先生で、授業の技術はベテランの域に達していてとても分かりやすかったが、他方、生徒指導についてはもはや情熱を失っているらしく、生徒が眠っていようと内職をしていようと一切注意せず、お構いなしに授業を続けるのが常態であった。だから片山さんは、いくらでも授業中に睡眠を取ることができた。


 席替えを経ても、片山さんの勉強姿勢にはなんの変化も見られなかった。


 片山さんは見ていて気持ちがよいほどに完全に授業を無視して眠り、そうかと思えばひたすら自習室に籠もっては机に参考書とノートを広げて忙しなくシャープペンシルを動かした。


 片山さんは毎日のように自習室に籠もっているらしかった。少なくとも、観察の及ぶ範囲ではそうだった。


 塾の授業が始まるのは学校の授業が終わってから二時間半後で、これは部活動をしている生徒を考慮してのことだろうが、帰宅部員にとっては迷惑な時間割でしかなかった。仕方ないので、俺は塾の近くにある友人の家で漫画を読んだりゲームをしたりして暇を潰すか、さもなければ図書館に行って小説を読んで過ごした。大抵はSF小説を好んで読んだ。


 宿題がどっさり出たときや定期試験の前などは、さすがに、放課後から塾の授業のあいだの二時間半を自習室で過ごした。いつ自習室に行っても、片山さんがそこにはいた。つい気になって、一度だけ、塾の授業がない日に塾に行って自習室を覗いてみた。やはり片山さんは、参考書とノートを広げてひっきりなしにシャープペンシルを動かしていた。片山さんはほとんど毎日自習室にいるのではないかという疑いは、このときかなり確信に近いものになった。


 授業中は不真面目なのに、自習室には毎日籠もっている――この矛盾めいた行動の謎は、ある日、あっけなく紐解かれることになる。

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