第12話 講義

「ではイリス。学校に着くまでもう少し時間があるようだから、このあいだにいくつか魔法についてレクチャーしておこうか」


 さっそく「イリス」と呼んでくれたクーちゃんのことがますます気に入ってしまったイリスは、元気にこう答えた。


「はい。お願いします、クーちゃん先生」


 クーちゃんがまず最初に教えてくれたのは、魔法の力は少しずつ授けられる、ということだった。


「悪魔は、知性を少しずつしか吸い取れないことになっている。人間から一度に大量の知性を奪うと、脳が耐えきれず、機能障害を起こしてしまい、植物人間になってしまうリスクがあるからだ。私も、いまはまだ、イリスの知性をほんの少ししか吸い取っていない」


 なるほど、どうりでいまは、そこまで頭が悪くなった感じがしないわけだ。


「以前伝えたように、悪魔は、吸い取った知性の分量に応じて、魔法の力を徐々に授けていくことになる。だから、最初は大した魔法は使えないだろう。数ヶ月くらいは時間が経過しなければ、強い魔法は使えないから注意することだ」


 もちろんそのころには、いまよりずっとお馬鹿さんになってしまっているだろうとのことだった。


「わかったよクーちゃん」


「それから、魔力をきちんと制御するのには、テクニックの習熟が必要となる。悪魔はいわば、料理道具と食材を人間に与えるようなものだ。道具と食材が手元にあっても、料理の技術がないとおいしい料理は作れない。魔法もそれと同じだ。魔法を使ってお母さんの病気を治したければ、日々、魔法を使いこなす練習を欠かさないことだ」


「練習って、どんなことすればいいの」


「ぼんやりと上の空になって、あれこれ空想することだ。これが、最も基礎的な練習方法となる」


「え。何それ」


 イリスはずっこけそうになった。魔法の基礎練のメニューにしては、なんとも間が抜けている。


「そんなのでいいの」


「もちろんだ」


 クーちゃんの説明によれば、魔法を発動させるには、空想することが欠かせないのだという。


「そういえばさっきも、小鳥の傷が治ったところを想像しろってクーちゃん言ってたね」


「ああ。魔法の発動にとって、空想は設計図のようなものだ。設計図なしでは建物が作れないのと同じように、空想なくして魔法は使えない」


 なるほどとイリスは思い、深くうなずいた。


「この観点からすると、魔法少女にとって、知性や理性、分別、論理的思考力、数学的思考力といったものは、むしろ邪魔者だと言える。それというのも、知性や理性のたぐいは、想像の足かせになるからだ。例えば、翼なしに自由自在に空を飛びたいと思ったとする。知性があると、『そんなこと、できっこない』という常識的な発想がどうしても頭をもたげてしまい、空想が妨げられてしまう。魔法を使うときには、そうした常識的発想をできる限り排除するほうが望ましいのだ」


 したがって、魔法の力と引き換えに知性を失うのは、実際のところむしろ好都合とさえ言えるわけだと、クーちゃんは結論した。


「ふうん。でも、きつい練習じゃなくてよかったあ。空想するだけだったら、いくらでもできそうだよ。あたし、いろいろ想像するの、好きだもん」


 空想なら、イリスはわりに得意だった。イリスは日がな図書室に籠もっては、たくさんの本を読んでいたからだ。もちろん読むのは、絵本などではなく、字ばっかりの本だ。


 字ばっかりの本を読むと、想像力がかきたてられた。取り止めもなく空想に耽るのが楽しくて、イリスは、魔王によって鉄塔に閉じ込められたお姫様の恐怖や、火の魔法を操って道なき道をゆく勇者の冒険心を、日頃からよく想像していたのだ。


「空想好きとは、何よりだ」

 クーちゃんはそう言い、説明を続けた。

「空想力、妄想力、想像力が身についたら、今度はひたすら、それを現実化する練習が必要だ。これについては、いろんなシチュエーションで魔法を発動させることで、実践していきながら訓練を行なうしかない。魔法の使い方を習得するためには、実際に数多くの傷ついた人たちを魔法で癒やしていく必要があるということだ」


「つまり、経験を積まなきゃいけないってこと?」


「そういうことだ。だから、勉強したくなくても、とりあえず学校には通い続けたほうがいいだろう」


「どうしてクーちゃん。あたし、もともとお母様の病気を治したくてお勉強していたんだよ。でももう、お勉強しなくたって魔法で病気を治せるんだから、学校に行く意味なんかないよ」


 いま自分が何も考えず惰性で学校に向かっている真っ最中であることを棚に上げ、イリスは反論した。

 これに対して、クーちゃんは次のように再反論した。


「果たしてそうかな。学校に通い続けたほうが、魔法の修行をするには好都合だ。学校には、いつまでも癒えない傷を抱えながら学校生活を送っている者たちが大勢いるはずだ。昨日までのイリスみたいにな。そういう者たちを治療してまわることで、魔法の修行とすればいい。名案だろう?」


 イリスは深く納得し、うん、とうなずいた。


「そっかあ。それもそうだねクーちゃん。学校には通うことにするよ」


 話題が学校に関することに移ったことで、イリスは、いま自分が通学中だったのだということに改めて思い至った。クーちゃんとの会話に夢中で、すっかり頭から抜け落ちちゃっていた。


 歩いてきた距離の感じからすると、もうそろそろ学校についていい頃合いのはずだ。

 しかし、何か違和感がある。


 慌てて周囲をきょろきょろ見回した。

 そして愕然とした。

 イリスは、全然見知らぬ道を歩いていたのだ。


「ここ、どこ?」


 いままで何度も往復して、嫌というほど身体に染みついていたはずの通学路が、わからなくなってしまっていたのだ。知性の低下のなかには、方向音痴になることも含まれていたことを、イリスはうっすらと思い出した。


 イリスの心は、瞬時に不安感でたぷたぷに満たされた。


 ほんの少し知性を失っただけで、こんなにも当たり前のことができなくなるとは思ってもみなかった。悪魔との契約を軽く考えすぎていたことに、イリスはこのとき初めて気づかされた。


 これからも、知性はどんどん奪われていくだろう。そうなれば、もっとかんたんなことも自分一人ではできなくなっていくに違いない。

 イリスは怖ろしくなった。いったい、自分はこれからどうなってしまうのだろうか。悪魔と契約を結んだことを、イリスはほんの少しだけ後悔し始めていた。自分はとんでもない決断を下してしまったのかもしれないと、イリスはぼんやり思った。


 多量の不安感に溺れそうになったイリスは、泣きたい気持ちをなんとか抑えつけて言った。


「ねえ、どうしよクーちゃん。迷子になっちゃった」


 抑えつけ方が足りなかったか、涙声が出た。


 だが、返事はいくら待てども返ってこない。クーちゃんは、うんともすんとも言ってこない。


「ねえクーちゃん、無視しないでよ」


 かばんにぶら下がるクマさんのぬいぐるみを掴んで揺すり、うんやすんくらいは言わせようとした。

 しかし、それが無駄な努力であることにイリスはすぐに気づいた。ぬいぐるみを掴んだ瞬間、強烈な違和感を覚えたのだ。


 ぬいぐるみには、一切の生気がなかった。


 さっきまであんなに生き生きと動いていたクーちゃんの手足は、いまやだらんと脱力してしまっていた。クーちゃんは、悪魔の魂を失って、無機物に戻ってしまっていた。


 イリスは、途端に心細くなった。

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