第11話 愛称

「よかったな。お前さんの手柄だ」


 小鳥さんの姿がすっかり見えなくなってから、ようやく手を振りやめたイリスに、悪魔さんが労をねぎらうように言った。


「ううん」

 イリスはかぶりを振った。

「悪魔さんがいなかったら、あたし、小鳥さんを救うことなんかできなかった。全部、悪魔さんのおかげだよ。ありがとね、悪魔さん。助けてくれて」


 イリスは、クマさんのぬいぐるみをかばんから外し、胸に抱きしめた。

 クマさんは胸のなかでばたばたと暴れている。


「やめてくれ。私は見た目はぬいぐるみでも、中身は悪魔だぞ」


「どうしてよ。ぎゅーってされるの、嫌い?」


「嫌いとは言っていない」


「じゃあ、何が駄目なの」


「なんというか、その、こう、恥ずかしい」


 悪魔のイメージに似つかわしくない意外な答えだったので、イリスはにやけてしまい、一層強くぬいぐるみを抱きしめた。


「悪魔さんってば、かわいい」


「馬鹿言うな。第一、あんなこと、礼を言うには及ばない。私は義務を果たしたまでだ」


 悪魔と人間との契約に際しては、両者にさまざまな契約上の義務が生ずる。

 契約者の側の義務は知性を悪魔に差し出すことや二重契約をしないことくらいのものだが、悪魔のほうの義務は意外に多い。

 契約者に対して魔法の力を授けねばならない、という義務があるのは言うまでもないが、その他にも例えば、立派に魔法が使いこなせるようになるまで契約者に助言をしなければならないとか、契約者が魔法を使いこなせるまでは、悪魔は契約者と行動をともにしなければならないとかいった義務も存在していた。後者に関しては、誤って魔法が暴走してしまわないかどうかを見張るためでもあった。


「結構、大変なんだね、悪魔さんも」


「まあな。世の中そんなにかんたんではないってことだ」


「でも、悪魔さんとまた会えてよかった。もう二度と会えないかと思ってたんだよ。それに、これからもずーっと一緒にいられるんでしょ」


「少なくとも、お前さんの魔法が上達するまでは、ずっと一緒だ」


「やったあ。嬉しいな」


「悪魔と一緒にいれて嬉しいなんて、変わったやつだ」


「だって、悪魔さん、とってもいいひとなんだもん。優しいし、頼もしいし」


「義務を遂行しているだけだ。勘違いするな」


「義務でも、嬉しいよ」


 イリスはぬいぐるみに頬ずりして、嬉しさをめいっぱい表現した。それからまたぎゅっと抱きしめた。しかし、いいかげん抱きしめるのはやめてくれと悪魔さんがわめきだしたので、イリスは仕方なく解放してやった。


 ぬいぐるみを元通りかばんにつけると、イリスは再び学校を目指して歩き始めた。


 イリスは道中、ふと気になって、悪魔さんのお名前について聞いてみた。悪魔さんのことを悪魔さんと呼ぶのは、人間に向かって人間さんと言っているようなもので、なんだか言葉の座り心地がよくないように思えたからだ。


 しかし、悪魔さんの答えはそっけないものだった。


「私に名前はない」


「名前が、ない?」


「そうだ。悪魔は人間と違って、名前が必ずしもあるわけではない。名前をもつ者もいれば、もたない者もいる。私はあいにくミニマリストでね、名前なぞという面倒なものはもたない主義なのだ」


「そんなこと言われても。いつまでも『悪魔さん』て呼ぶのもあれだし、そうだなあ。『クーちゃん』てのはどう?」


 イリスはかつて、一番お気に入りのクマのぬいぐるみに「クーちゃん」と名づけていたことを思い出したのだ。「クマ」の頭文字を取って、「クーちゃん」だ。いま、悪魔さんはクマさんのぬいぐるみの姿をしているので、クーちゃんと呼ぶのはちょうどいいように思われた。


「なんとでも、お前さんの好きなように呼んだらいいさ」


「わあい。ありがとクーちゃん。これからは、クーちゃんて呼ぶことにするね。あたしのことも、イリスって呼んでいいからね」


「わかったよ。イリスと呼ぶことにしよう」


「やったあ。やっぱりクーちゃん、大好き」

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