第7話 悲痛
まず、まっさきにからかわれたのは服装だった。
イリスの家は没落したとはいえ貴族は貴族であり、イリスの着ている服は庶民のものとは布の質もデザインも色味もかけ離れていた。やたらと凝ったデザインに、派手な色をしたイリスの服は、庶民だらけのこの学校では目立ちすぎた。変な服、と散々馬鹿にされたあげく、ハサミでスカートを縦に引き裂かれることはしょっちゅうだったし、おれたちの服と同じ色にしてやるよと、絵の具で着色した水をいきなり頭から被せられたことも一度や二度ではない。おかげで、お裁縫やお洗濯が少々得意になったほどだ。
陶器のように透き通った肌や、白くてまっすぐきれいに並んだ歯も、いじめられる原因となった。どうやら女子からの嫉妬心を買ったようなのだ。イリスは、クラスじゅうの女子たちから一斉に無視されるようになり、誰とも友達になることができなかった。
お母様にはいつも口うるさく注意をうけていたイリスの言葉遣いも、庶民にとっては丁寧すぎたらしく、いちいちからかわれた。「お食事」とか「お洋服」とかといった言い方でさえお上品すぎたようで、口にするたび笑われた。
授業中、先生から叱られることが多く、そのために周囲から浮いてしまったのもいけなかった。授業中は勝手に喋ってはいけない、体育の時間は体操服に着替える、といった常識さえ知らなかったため、先生に事あるごとに叱られた。
新しく学び始める科目が多く、授業についていけなかったことも、先生に叱られる一因となった。
イリスは、家庭教師に教わっていたころは、いわゆる古典語しか学んでいなかった。貴族としての教養を身につけさせるのが家庭教師の主な仕事であり、そして貴族の教養といえばまずもって古典語の素養だったのだ。
しかし平民の学校ではもっと実用的な教科、例えば算数や国語などの教科を教わるものと相場が決まっていた。どれもこれも初めて知ることばかりで、毎日、頭がパンクしそうだった。
それでも、イリスは必死に食らいつこうと努めた。授業中、問題が解けないと、先生にこっぴどく罵倒されることになるからだ。イリスがあまりにもひどい間違い方をしたときには、罰としてチョークを投げつけたり、デコピンしたりしてくる先生までいた。
宿題として課された問題集を解こうにも、ほんとのほんとにうんざりするほどわかんないとこだらけのため手がつかず、ついには先生のところに個人的に質問しに行ったこともあった。だが、教師たちも生徒同様、イリスのことをよく思っていないようで、イリスの質問にまともに答えてくれる教師は一人としていなかった。そもそも先生たちは貴族階級をよく思っていなかったらしいのだが、それに加えてイリスのお父様の犯罪にまつわる噂話が先生たちのあいだで拡散し始めると、ますますイリスは先生たちに忌避されるようになった。売国奴の娘だとして、忌み嫌われるようになったのだ。
よからぬ噂はたちまち広まり、一時期、生徒たちのあいだでもちきりの話題となった。父親が罪を犯したあげく失踪したという紛れもない事実から、母親は恐ろしい魔女であるという例の根も葉もない噂まで、イリスの家族に関するいろいろな情報が学校じゅうに拡散していった。そのせいでイリスはますます周囲から孤立することになった。このころからイリスは、同級生から暴力を振るわれることが増え、意味もなく殴られたり蹴られたりすることが常態化した。
そんなわけで、学校生活は苦痛でしかなく、これを耐えれば将来お金を稼ぐのに役立つはずだと強く信じ続けることで、なんとか学校に通い続けるのが精一杯だった。
だからエレンちゃんからのお手紙は、イリスにとって、暗い洞窟のなかで発見した一筋の光のようなものだったと言える。
だが、この一筋の光は、どうやら外の明るい日差しなどではなかったらしい。その光は、いわば、洞窟の奥深くに住まう怪物が発する死の光だった。
お手紙には、殴り書いたような字で、だいたいこんなことが記されていた。
――体操服を盗んだのはわたしです。女子全員に、あなたのことを無視するよう言ったのも、このわたし。貴族だかなんだか知らないけど、調子に乗らないでください。率直に言って、あなたのことは生理的に受けつけません。ほんと、交通事故か何かでぽっくり死んでくれたらいいのにと思っています。でも事故が起きるのを待ってなんかいられないので、最近わたし、毎日あなたのことを睨んで、心のなかで呪文を唱えて、死の呪いをかけることにしました。呪文に効果があるのかはわからないけど、やらないよりはましだと思って、毎日実践しているところです。正直、あなたのこと見てるだけで気分が悪いし、近寄ってみると嫌な臭いもしていて学校全体に迷惑をかけているので、すぐにでも自主退学するよう勧めます。生きる価値のない人間がのうのうと学校に通っているのを見ると、
実際のお手紙には、これに加えてさらにいろいろな悪口がこれでもかと書き込まれていた。さすがは貴族の家で育てられただけあって、丁寧な口調の手紙ではあった。だが、語調なんかじゃとても中和できないほど、憎悪に満ち溢れたお手紙には違いなかった。
イリスはお手紙を読み、心底絶望した。唯一の味方だと思っていた人物が、その実、いじめの首謀者の一人にほかならなかったのだから、絶望して当然だった。
同じ貴族の出なのに、どうしてこんな酷い仕打ちをするのと、イリスはエレンに問い詰めたかった。なぜこんなにも嫌われなければならないのか、イリスには何もかもが理解できなかった。どうして、どうして、どうしてと、イリスはお手紙を読みながら何度も反芻した。エレンちゃんの気に障るようなことでもしてしまったのだろうか。心当たりは何もなかった。
なぜだかはわからないが、イリスはこのとき、自分がこのような悲痛な境遇に陥ってしまったのは、初めから運命づけられていたことのように思えた。
だからイリスは自分の運命を呪った。運命を呪い、不条理な試練に打ちひしがれ、何もかもが信じられなくなったとき、イリスが最後に信じることができたものは、悪魔の存在だけだった。
力が欲しかった。いじめを跳ねのけられるほどの強い力が。そして、母親を治癒できる力が。神様でなくともいい、悪魔さんでいいから、力を授けてほしいとイリスは願った。魂ならいくらでも差し出して構わないと思った。
犯罪者のお父様の血を引いているあたしの魂なんか、薄汚くって、くすんでて、ひどく醜いに違いない。こんな薄汚い魂に、いったいどれほどの値打ちがあるだろう。エレンちゃんの言うとおりだ。あたしに生きる価値なんか、もとからなかったんだ。あたしの魂に、これっぽっちも存在価値なんかないんだ。だから、あたしは魂を取られるのなんか怖くない。お母様が助かるなら、この悲しみに暮れる日々を変えられるなら、あたしの
イリスは心の底からそう願った。だからこそイリスは、
「この世に神様がいないのなら、悪魔さんでも構いません。悪魔さん、どうかあたしに力をください。あたしのくすんだ魂でよければ、いくらでも差し上げますから」
と、藁にもすがる思いで口にしたのだった。
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