第二章
魔法少女の誕生
第4話 手紙
イリスは、人生のどん底にいるような気分だった。すぐには家に帰りたくなかった。お母様にこんな落ち込んだ姿を見せたら、きっと悲しませてしまうだろう、と思ったのだ。まだ夕方だし、いますぐ家に帰らなくても、お母様を心配させることはないだろう。そう判断し、通学路沿いにある公園に足を運んだイリスは、ブランコに座り、ぎい、と軋ませながら小さな幅でゆっくり漕いで、気が晴れるのを待つことにした。
家に帰ったら、今日もきっとお母様は「イリス、学校はどうだった?」と聞いてくるだろう。そう聞かれたイリスは、「楽しかったよ!」と元気に答えるのが常だった。ただでさえふだんから大変な思いをしているお母様に、これ以上、精神的な負担をかけたくはなかったからだ。
しかし、ふだん学校で起きるできごとのなかで、楽しくて明るい話題を提供してくれそうなものというと、ごく限られていた。それゆえ、イリスはいつも話題探しに苦労していた。
先週は、幸いなことにウサギの飼育当番だったので、話題は比較的たくさんあった。ウサギがあんなことやこんなことをしてかわいかったこととか、糞の掃除が大変だったこととか、ウサギが脱走しそうになって慌てて先生と一緒に追いかけたこととか、いろいろと楽しく話せるできごとは多かったのだ。
先々週は、お昼休みのあいだに図書室に籠もって読み耽ったファンタジー小説がどんなにおもしろかったかを語って聞かせ、なんとか会話をもたせた。
今週になって、話題作りのネタも尽きてきていたところだった。そんななか今日は、悲しいできごとが立て続けに起きた。
イリスが落ち込むのは無理のないことだったのだ。
客観的に見れば、ようやく年齢が二桁になったばかりの年端もゆかぬ女の子が、これほどの気苦労を背負う必要はなかったのかもしれない。だがあいにくイリスの家庭環境は、子供が母親に、気軽に悩みを打ち明けられるようなものでは全然なかった。学校でいじめられていて悩んでいるのだと、率直にお母様に相談できていたなら、イリスはどれだけ楽になったことだろう。
しかし、イリスはがんばり屋さんで、健気で、気遣いのできる子だった。お母様だって不運続きで気分を落ち込ませているのだから、あたしだけでも明るく振る舞ってお母様を元気づけなくちゃと、イリスはいつも思っていた。
そこで、ブランコを漕ぎ続けながらイリスは、明るい話題はないものかと、今日起こった主要なできごとを振り返ってみた。
三時間目に体育の授業があった。お着替えしようとロッカーを開けると、置きっぱなしにしていたはずの体操服がない。誰かに隠されたのだとすぐに気づいた。ちょっぴり泣きそうになったが、泣いたらますますいじめの犯人を喜ばせるだけだと思い、イリスはぐっと涙をこらえた。先生には、体操服を忘れたと伝えて授業は見学することになった。そのせいで「サボるな」「調子に乗るな」などと言われて男子に腹を数回殴られたり蹴られたりした。
給食にはシチューが出た。イリスの嫌いな人参が入っていて、よけて食べていると先生に叱られ、最後に人参だけをまとめて食べさせられて気分を害した。それに追い打ちをかけるように、食べている途中で舌を思い切り噛んでしまった。口のなかが血の味で染まった。有り体に言って、最悪な気分になった。
お昼休みに図書室に行こうとしていると、通りがかりの男子にみぞおちを殴られた。最近は、特に理由なく殴られることも多くなっていた。誰かが「むしゃくしゃしたとき、好き勝手に殴っていい奴」としてイリスのことを宣伝しているのかもしれなかった。痛みでしばらく廊下にうずくまっていたが、イリスを心配して声をかけてくれる者は誰もいなかった。痛みがひいて歩けるようになるとすぐにイリスは図書室に足を運んだ。だが、イリスが読むのを楽しみにしていた本が、今日に限って本棚に見当たらない。誰かに先に借りられてしまったらしかった。
そんなわけで、今日はあいにく、明るい話題を提供してくれそうなできごとはただの一つもなかった。イリスは溜息をついた。
唯一の希望は、お手紙だった。
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