花色の雪

空野太陽

第1話

彼女は、いわゆる高嶺の花だ。


 腰ほどまで伸ばされた濡羽色のつや髪。ほっそりとしながらも、女性的な曲線を描く肢体。新雪のように透明感のある真白い肌。そして、誰もが見惚れる美貌。

 前髪に隠された、細い三日月のような形のよい眉。そのすぐ下には、涼やかな印象を受ける大きな瞳。高く筋の通った鼻は気品を感じさせ、桜色の小さな唇は愛らしさを覚えさせる。すっきりとした輪郭の線の中に、それらが奇跡のバランスで配置されていた。神の存在を信じたくなるほどの、端整な顔立ち。

 入学して間もなく、彼女は学校中で話題にされる存在になった。憧憬と恋慕、少しの嫉妬が混じった視線を彼女は集め続けた。しかし、皆、遠巻きに芸術品を眺めるようにするだけで、彼女に近づこうとする者はいなかった。

それはきっと、彼女の浮世離れした存在感に気後れしてしまうから。誰も彼女に話しかけることはなかった。

 ―――私以外には。

 それは、本当に偶然だった。

 その日私は日直で、職員室に日誌を提出した帰りだった。西校舎の渡り廊下を歩いているとき、突き当たりの階段を彼女が上っていく姿を見かけた。その階段は屋上につながっていて、ミーハーな私は勝手に、今から彼女は告白されるんだと思った。例に漏れず彼女に憧れを抱いていた私は、告白の相手が気になり彼女の後を追った。

 屋上に出ると、春のやや冷たい風が強く吹き付けてきて、私の髪を揺らした。私は目を細めながら、視線を巡らせる。探していた人物は、すぐに見つかった。

 彼女は、一人だった。

 屋上には告白の相手どころか、私と彼女以外の人影は見当たらなかった。彼女は落下防止用のフェンスの近くに立ち、物憂げな表情で遠くを眺めていた。

「――――」

 彼女が何事かを呟く。それは風に乗って私のもとに届くが、その呟きもまた風によって掻き消え、うまく聞き取る事は出来なかった。

「………そんなに近づくと、危ないですよ」

 なぜだか無性に、彼女へ声をかけたくなった。

 彼女は驚いたようにして振り返り、初めて私たちの目が合う。

「……あなたは、同じクラスの」

 私を見る彼女の眼は、少し赤くなっていた。

 泣いて、いたのだろうか?

 私の中で、感情がもやもやと渦巻く。

「………私と、友達になりませんか?」

 口が勝手に動いていた。

「休み時間にお話をして、お昼を一緒に食べて、放課後には二人で下校して、休みの日はどこかへ遊びに行くんです」

 次第、熱を帯びていく。

「二人で楽しいことをして、たくさん笑って、たまには喧嘩したりもして」

 自分でも何を言いたいのか分からなかった。

「そうやって、二人で長い時間を一緒に過ごすんです」

 だけど、

「そうすればきっと、寂しさを忘れられるはずです。だから―――、」

 この人を……一人にしたくなかった。

「私と、友達になりませんか?」

「………」

 彼女はじっと俯いたまま、私の言葉を聞いていた。

 その肩が微かに震えだしたかと思うと、

「ぷふ、あははっ」

 突然、笑い出した。

 私が呆気に取られていると、彼女は笑顔のまま言った

「まるで、愛の告白みたい」

 そう言われて、自分の言葉を思い返す。

 ……確かに、愛の告白みたいだった。

「えっ……あぅ………ち、ちが」

 慌てる私を見て、彼女はまた笑った。それはもう、目尻に涙を浮かべるほどに。ひとしきり笑った彼女は目尻を拭い、

「……ん、友達になりましょう?」

 そう言って、こちらに手を伸ばす。

 私は恥ずかしさに顔を俯かせたまま、彼女に近づき、その手を取った。

「私は、草壁愛花くさかべまなか

 知ってる。

 そう心の中でだけ答える。

 あなたは? と彼女の視線。

「……藤宮ふじみや名雪なゆき

「よろしく、名雪」

 彼女は――愛花は、春の陽射しのような気持ちの良い笑顔を浮かべ、私の名を呼んだ。

 その表情を見たとき、私の中に『愛花』という色を塗りつけられたような気がした。その色はすーっと心の一番深い場所にまで染み込んでいき、私をとらえて離さない。つまり―――、

 私の頭の中は、彼女一色に染め上げられたのだった。

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花色の雪 空野太陽 @sorano

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