第4話 異世界で生き地獄に落ちた件

 ドゴオオオォォォォ―――ンッ!


 耳をつんざく爆音と共に、背中を熱風が焦がす。


「……へっ?」


 間抜けな声を上げながら、俺はゆっくりと振り返った。

 数分前まで平和そのものだった街が、真っ赤な炎に巻かれて燃え上がっていた。

 その中心にそびえ立つのは、見上げるほど巨大な一匹のドラゴン。

 レンガの家を踏み潰し、鋼よりも硬い爪で城壁さえも切り裂き、逃げ惑う人々を口から吐き出した炎のブレスで燃やし尽くしている。


「な、何でいきなり……っ!?」

「活躍」


 驚愕する俺の横で、クロは平然とした顔でドラゴンを指さす。

 俺が大活躍するための敵を用意したと、誇らしげにまた小さな胸を張りながら。


「なっ、活躍って、お前っ!」

「頑張って」


 思わず怒鳴る俺の背を、クロは急げと小さな手で押す。


「くそっ!」


 今はとにかく被害を抑えるのが先決と、俺は急いでドラゴンに向かって駆け出す。

 そして、抑えていたチートステータスを全開にして、飛び上がって渾身の拳を見舞う。


「普通(筋力:9999)のパンチっ!」


 拳が触れた瞬間、ドラゴンの巨体は弾け飛び、まるで汚い花火のように血と肉の雨を街中に降り注いだ。


「流石、調整したとはいえ最強クラスの能力値……」


 それこそ最強の黒き帝竜でもない限り、苦戦する事はないのだろう。

 無事にドラゴンを倒せた事に、俺がほっと胸を撫で下ろしていると、逃げ惑っていた人々が集まってきて、満面の笑顔を浮かべて叫び出した。


「凄い、あんな強いドラゴンを一撃で倒すなんてっ!」

「この人こそ伝説の英雄……いえ、救世主に違いないわっ!」

「最高だぜあんた、是非この国の王様になってくれ!」


 降り注ぐ万雷の拍手と賞賛の嵐。

 それは間違いなく、ほんの少し前まで俺が望んでいたものであった。しかし、


「待ってくれ、これは」


 俺のためにクロがやった事で、褒められる事なんか何一つない。

 そう告げようとしながら、一歩後ずさった俺の踵に、ポフッと何か柔らかい物が当たった。

 反射的に足元を見てしまい、俺は激しく後悔した。


 そこに落ちていたのは、手足がちぎれ飛んで綿がはみ出し、血で真っ赤に染まった犬のヌイグルミ。

 バケツの中身でもぶちまけたかのように、地面に流れる血の跡を追えば、ドラゴンに踏み潰されたのであろう、もはや原型も窺えない肉の塊が転がっていた。

 それは間違いなく、俺をお兄ちゃんと呼んでくれたあの――


「あ、あぁ……」

「うぉーっ! 最高だぜあんたっ!」

「キャーッ、素敵、抱いてっ!」

「やめろ……」

「今日より、この身も王位も全て貴方様に捧げます!」

「救世主様、万歳っ! 救世主様、万歳っ!」

「やめてくれぇぇぇぇぇ―――――っ!」


 人々の笑顔が、喝采が、罵倒よりも鋭く胸を抉り、俺は耐えきれず悲鳴を上げて逃げ出した。

 そして気が付けば、誰も居ない森の中で、クロの前で蹲っていた。


「大丈夫?」


 心配そうに首を傾げるクロの優しい声さえも、今は俺を責める罵声にしか聞こえない。


「ごめん、俺が悪かった……」

「何が?」

「知らなかったんだ! 俺が活躍して褒められるためには、犠牲になる人が必要だなんて!」


 いや、本当は分かっていたのだ。分かっていて、目を逸らし続けてきた。

 巨悪を打ち倒し、皆に賞賛される正義のヒーロー。

 そんなヒーローのために必要なモノとは?

 そう、倒される事でヒーローの功績となる巨悪。


 では、巨悪に必要なモノは?

 そう、倒されて当然と誰もが納得する、悪である事の証明。

 では、どうすれば悪である事を証明できる?

 人間の世界で最も邪悪で許されない罪、人殺し。

 罪のない者達を、女も子供を全て殺す、これほどの悪は存在しない。

 これほどの悪であれば、ヒーローに倒されて当然。


 そう、ヒーローには悪に殺される哀れな犠牲者こそが必要であったのだ。

 何もしていない怪獣を殺せば、光の巨人とて非難されよう。

 人殺しの事件が起きなければ、探偵は活躍する場すらない。

 分かっていた、そんな事は分かっていたのだ。

 けれど、物語のお約束だからと目を背けていた、物語だから許していた。


 だが、たった今目の前で起きた殺戮は違う。

 俺が望んだから、あの少女は死んだのだ。

 例えクロが操作した偽りの感情であろうと、好意を向けてくれた罪のない子供が、ドラゴンに踏み潰さて、無残に肉片と化してんだ。

 ひょっとすると、最初に会ったお姉さんや女騎士、町人達も殺されたのかもしれない。

 その罪を前にして、褒め称えられて調子に乗るなんて、美人に抱き着かれて鼻の下を伸ばすなんて、そんな最低の狂人にはなりきれなかった。


「ごめん、異世界で無双したいとか、ハーレムを築きたいとか思って、本当にごめんっ! だから――」

「分かった」


 泣きながら謝る俺の懺悔を、クロは短く遮る。

 屈みこんで俺と目線を合わせ、優しく微笑むその表情は、まさに女神のようで――


「じゃあ、全部消す」


 神の名に相応しい、無邪気な残酷さに満ちていた。


「えっ……?」


 唖然とする俺の前で、クロは両手を胸の前に掲げ、鼻息荒く告げる。


「次、頑張る」


 俺が満足できるように、もっと良い世界を造ると。

 一度全部消して、全てやり直すと。

 ゲームのリセットボタンを押すように、大洪水で全てを洗い流すように、この世界を消滅させると断言した。


「ま、待ってくれ!」

「何?」

「そんな事、許されるわけないだろ!」

「え~」


 悲鳴のような怒声を上げる俺に、クロは不満そうに頬を膨らませて抗議した。


「作ったの、私」


 だから、この世界もそこに生きる全ても、殺そうと消そうと自由だろうと、実に正当な所有権を主張する。


「そんな……」


 俺は事ここに至って、大きな勘違いをしていたと理解した。

 クロは俺をどこかの異世界に連れて来たのではない。

 俺のためにこの世界を全て造り上げたのだ。

 どこかの誰かさんみたく七日も使わず、テンプレートを張り付けるように数秒であっさりと。

 世界五分前仮説のように、今まで生きてきた記憶や歴史すら作り上げて、生きとして生ける者達が何の疑問も抱かぬほど見事に。


 泥人形を作った子供が、自分で泥人形を壊したとして、いったい誰が責められよう。

 いや、クロにとってこの世界もここで暮す生命も、泥よりも無価値なのではないか。

 それこそ、パソコンの中にある自作ゲームのデータみたいな物だ。

 少しだけ弄って、失敗したから消去してやり直す。

 何度作り、その度に消しても、痛みは感じないし同情もしない。


 だって、自分が作ったデータだから、モニターの向こうにある虚構だから。

 どんなに泣こうが喚こうが、モニターのこちら側には届かない、だがあちらの生殺与奪は全てこちらが握っている。

 まさに神の視点に立っているのだ。目の前の愛らしい幼女の姿とて、ゲーム世界に生み落したアバターのような仮初で、本体ではないのかもしれない。

 だから平気で消せる、世界も命も。


「ははっ、本当に神様だったんだな……」

「うん」


 そうだよ、と頷く姿が可愛らしいのが始末に負えない。

 俺は立ち上がって振り返り、ドラゴンに蹂躙された街を見詰める。

 今、あそこで暮す人々は何を思っているのだろうか。

 まだ俺を称えているのか、壊された街の復興に追われているのか、奪われた命を嘆き悲しんでいるのか。


 そんな事を考えてしまう小心者の俺は、神様には成れないのだろうなと思う。

 そう踏ん切りがつくと、やるべき事はあっさりと決まった。

 両手を大空に掲げ、世界を消滅させようとしている幼女神様に向けて、スカートの中に頭を突っ込む勢いで、渾身のスライディング土下座をかます。


「やっぱりもう少し、この世界で遊ばせて頂けないでしょうかっ!」

「うん?」

「あと、ドラゴンに殺された方々を蘇らせて頂けると助かりますっ!」

「いいよ」


 俺の絶叫とは裏腹に、クロは実にあっさり頷き返す。

 そして、頭を上げた俺に向けて、再びピーカブースタイルのような萌えポーズで応援したのだ。


「ふぁいとっ」

「はい、頑張らせて頂きますっ!」


 俺はもう一度深々と、地面に額を擦りつける。

 もちろん、頭を上げる勢いで幼女のスカートを捲ろうなんて下世話な発想は、アンドロメダ星雲ほどしか無い。


「ちなみに、一つお伺いしたいのですが、俺が元の世界に帰りたいと言ったら、この世界は?」

「消す」

「俺が死んだら?」

「消す」


 だって、残しておく必要ないでしょう? とクロは不思議そうに首を傾げる。


「ですよねーっ!」


 HAHAHAッとアメリカンライクに笑いながら、俺は二度と地球に帰れず、死ぬ事すら許されなくなった事を悟り、心の中で涙を流す。

 もちろん、この世界も生ける者達も全て見捨ててしまえばよいだけの話だが、それをやったが最後、今の『俺』という人格は死に絶えるだろう。

 残るのは人を人と思わぬ超然とした、まるで神のような人でなし。


(……まさか、自分と同じ思考や感覚に至った、神様の友達を作るのが目的だったとか言わないよな?)


 こちらを見詰めるクロの口元が、楽しそうに吊り上がったのは気のせいだと思いたい。

 行くも地獄、戻るも地獄。

 そう、これは異世界で俺TUEEEしようなんて願った馬鹿な俺が、幼女な神様の手で地獄に落ちて、必死に生き足掻く物語である。



              【完】

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