第32話9か月(蒼ざめてマタニティブルー)-5

その時、病室にバタバタっと男が駆け込んで来た。

「春ちゃん!」

しんちゃん!」

中川さんが目を丸くしていた。

「どうして……?子供が出来たから逃げたんじゃなかったの?!」

この信ちゃんと呼ばれる若い男は、どうやら中川さんの言っていた、逃げ出した彼氏らしい。

「違う!違うんだ!ほら、俺も春ちゃんも一人っ子だろ?俺の実家は農家だし、後継がなきゃいけないから……。このままじゃ春ちゃんのお母さんが一人ぼっちになっちゃうだろ?だから俺、実家へ話し合いに行ってたんだ。春ちゃんが子供は絶対に産むって決めてたから、そっちの方は大丈夫だと思って……」

「信ちゃん……」

「時間が掛っちゃったけど、やっと良い解決法が見つかったんだ!」

「解決法?」

「そう!春ちゃんと子供、それにお義母さんに一緒に来て貰うんだ!ウチの親もそれが一番良いだろうって!……って言っても凄い田舎で申し訳無いんだけど……」

 頭を掻きながらもじもじとしながら話していた。

「……ねえ、どうして私にも相談してくれなかったの?どうして何も言わずに出てっちゃったの?どうして……!だからてっきり私は……」

「ごめん!……でも、はっきりしないまま出来ないと思って……」

「何が?何が出来ないの?」

その信ちゃんとやらが中川さんのお母さんの方を向いて、こう言った。

「お義母さん!俺、かなり頼りない男ですけど、春ちゃんの事、子供の事、お義母さんの事、真剣に考えてきました。自分の親も含めてみんな全員そろって初めて『家族』だと思っているんです!俺と一緒に田舎に来てください!俺の『家族』になってください!お願いします!」

それを聞いた中川さんもお母さんも泣いていた。いや、中川さんは泣きながら噴き出していた。

「……もうっ!それじゃウチのお母さんにプロポーズしてるみたいじゃないの……」

「アレ?ヘンだったかなぁ?」

「ううん、カッコ良かったよ。信ちゃんらしくって」

涙を拭いながら中川さんは笑った。

「改めて、春ちゃん。俺と一緒に『家族』になってくれる?」

満面の笑みで中川さんは答えた。

「もちろん!」


病室を後にした俺達は中川さん達の幸せを願った。

「さて、俺達もそろそろ覚悟を決めなきゃな」

「そうね、親になる自覚が必要ね」

いつになく二人で真剣な話をした。

こうして俺はいつの間にやら、マタニィティブルーから解放されていたのだった。

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