第26話8か月(父親だけど母親学級)-1

 その日は平日で、指導してくれる助産師さんの都合が一番良い日だからと言う事で、俺は有給を取って静流と病院に向かった。

混乱を避ける為、俺と静流と田中さんという助産師さんの三人だけだった。


そのはずだった。


「遅れてすみませ~ん!」

けたたましくドアを開けたその妊婦さんは、今風の可愛らしく若い、派手なネイルの妊婦さんだった。

俺も人の事は言えないが、母親学級を受けるにしては、もうかなりお腹が大きくなっていた。

呆気に取られる俺達三人をその妊婦さんはきょとんとした表情で凝視した。

「どうしたんですか?!あなたの予約した母親学級は今日じゃないですよ?!」

「え?」

どうやら予約した日を勘違いしたらしい。

「でも、アレ?今日じゃなかったっけ?」

「先週の検診の時に日にちを変えてくれって、中川さんが言ってきたんですよ?」

(ああ、この若い妊婦さんは中川さんっていうのか……)

今日の母親学級の予約がこの中川さんだけで、それがキャンセルになった為、俺の母親学級に好都合だったらしい。

「あれ~?おっかしいなぁ?でもまあせっかく来てるんで今日でお願いしま~す!」

何とも軽いノリで強引に割り込んできた。

「え、それはちょっと……」

焦る俺を尻目に、中川さんは静流に話しかけた。

「初めまして~。今聞こえてたかも知れませんけど私、中川っていいます。中川 はるです。よろしくお願いしま~す」

「あ、……こちらこそよろしくお願いします。多田です。多田静流です」

「今、何か月ですか?お腹目立たないから四か月くらいかなぁ?私はねぇ、もうすぐ臨月なんですよ~。早く来なくちゃって思ってたんだけど、のんびりしてたら今日になっちゃって~」

「え?!え、ああ、えっと、その……」

静流が『助けて!』と目で訴えかけていた。

田中さんは『どうしましょう?!』と目で訴えかけていた……。

「あのぉ、実はですね……」

こうなってしまっては、隠すより理解を求めた方が話が早いのではないかと俺は考えた。で、口止めした方が良いんじゃないかと……。

「あ~、ダンナさんが居るんですね!良いな~!ダンナさんが居て〜」

何か妙な言い方をするなぁと思ったが気にせず話を続けた。

「中川さんは今日は旦那さんと一緒じゃないんですね?」

「あ~私、結婚してないんです〜」

ニコニコと笑いながら、あっけらかんとして言ってのけた。。

「え?!あ、ああ、結婚はこれからなんですか?」

俺は慌てて取り繕うように言った。

「いいえ。彼氏に逃げられちゃったんですよ~!」

あまりの事に俺達は言葉を失った。

「あ!もちろん私は結婚して子供を一緒に育てて行くつもりだったんですよ?でも、子供が出来たって言ったら次の日にはいなくなっちゃって」

どうしたらそんなに明るくしていられるのだろうか?思わず聞いてしまった。

「どうしてそんな大変な事、そんなに明るく言えるんですか?」

「さ~?どうしてかな?落ち込んで暗くなってもどうしようもないし、どっちみち、産む事は決めてたんですよね~」

俺は、最近の若者はこんなにも何も考えていないのかと落胆した。

「この子には何の罪も無いんですよね~。この子はどうしても私の所に来たかったんだと思うんですよ~。私もこの子がいるから頑張れるところも有るんですよね~」

愛おしそうにお腹を撫でながら中川さんはほほ笑んだ。

何も考えていないという訳では無かったようだ。

そりゃあ、結婚して子供が産まれて、お父さんとお母さん、夫婦二人で育てて行くのが理想だと思う。

だけどそうじゃなくても幸せな場合も有るのかも知れない。

「それに、私のお母さんが喜んでくれたんです。普通なら怒られて当然だと思うんですけどね。お母さん、私を四十五歳の時に産んでくれたんですけど、お母さんの友達ってもうみんなおばあちゃんになってるんですよね。それがうらやましかったんですって。赤ちゃん出来た~って言ったら『でかした!』って喜んでくれて……。彼氏が突然いなくなった時も『逃げてくようなヤツなんか、いてもいなくても一緒!』って。普通怒られちゃいますよね?『何やってんだ!』って。私、『子供を堕ろせ』って言われるんじゃないかと思って心配してたんです。けど、そんな事一言も言わないで……。私の事抱きしめてくれたんですよ。抱きしめて、頭を撫でながら、『命はね、繋がっているんだよ。誰か一人でも欠けるとその先に命は繋がらない。あなたがいるからこの子もいるんだよ』って。そう言ってくれたんです」

「中川さん……」

俺達三人は感動していた。静流と田中さんなんかは涙ぐんでいた。

「なんかお母さんがこの間見たテレビドラマでそんな事、言ってたらしいんですよね~」

「中川さん?!」

あまりにも軽い感じで三人共腰が砕けた。

「まあ、喜んでくれたのは本当なんですよ。だから絶対に産もうって!」

そのほほ笑みはまぎれもなく母の慈愛に満ちた顔つきだった。

「あ、ごめんなさい。さっき何か言いかけてましたよね?」

そうだった。この、今の俺の状況を説明しなければならなかった。

「……え~っと、実はですね……」

一通り説明して、他言しない様に何度も何度も念を押した。

中川さんは不思議そうな面持ちで俺に質問した。

「どうして私に話してくれたんですか?」

どうして、と言われてもわからない。

「なんとなく、わかってもらえると思ったんですよ。……同じ妊婦(夫)だから」

「そうですか。大体の事情はわかりました。私、誰にも言いませんよ~」

 俺達はその言葉を聞いてホッとした。

「……でも自信無いなぁ。こんな面白い話……」

俺達は一気に青ざめた。

「うそうそ!冗談ですよ!」

どこまで本気でどこからが冗談なのかわからない。後は中川さんを信じて、祈るしか無かった。

その時、田中さんが俺達三人に声を掛けた。

「では、そろそろ本題の母親学級を始めましょうか?」

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