第10話4か月(襲ってくる悪阻)
つわりが酷くなってくると、授業が辛くなってきた。五十分という拘束時間がとても長く感じる。
おまけに校長に呼び出されて踏んだり蹴ったりだ。
「生徒達の噂では、毎日毎日二日酔いだそうじゃないですか!」
こういう事はすぐに校長の耳に入ってしまう。
「いえ、あの、二日酔いじゃないんですけどね……」
「事実、保護者からは授業の進みが遅いと苦情が来てるんですよ!体調が悪いなら一度病院で検査でも受けられてはどうですか?」
「はあ……。明日にでも行ってみます……」
とりあえずこういう時は逆らわない方が賢明だ。どっちにしろ病院には行かなくてはならないのだし。
次の日病院で俺は教授に聞いてみた。
「これって、いつまで続くんですかね……」
「さあ?こういうのは個人差があるからねェ。大体は安定期に入る五か月目近くになると治まる事が多いんだけどねェ」
「一概には言えませんね」
姫野は今日も事務的だ。
「中には産むまでつわりで吐いてる妊婦さんもいますけどね!」
(山田!何でそんなに明るく言うんだよ!こっちの身にもなれよ!)
「もう…正直辛いんですよ。授業にも集中出来無いし……。学校にも本当の事なんて言えないでしょう?」
「う~ん、そうですねェ。いつかは学校に言わなくてはならないでしょうけど、今はまだその時期ではないですしねェ」
「……やっぱりいつかは言わなきゃダメですかね?内緒で産むなんて出来ませんよね?」
「そうですねェ。こればかりは理解ある学校である事を祈るばかりですねェ」
あの堅物の校長は何と言うだろうか?それ以前に信じて貰えるだろうか。やっぱり学校を辞める事も考えないと……。
「とにかく今は体を休めてあまり無理しない事ですねェ。今日は点滴して帰るといいでしょう」
「はい……」
そうだ。今は先の事よりも、とにかくこのつわりを何とかしたい。
女の人は凄いよなぁ。皆こんな苦しい事を乗り越えて子供を産むんだからなぁ……。そんな事を考えながら点滴をしている俺は思わずつぶやいてしまっていた。
「……凄ぇな……俺も……」
「何が凄いんですか?」
いきなり病室に山田が入ってきた。ただでさえつわりでムカついているのにこれ以上気分を悪くさせないで欲しい。
「何か用ですか?」
仏頂面で応対した。
「あ、そうそう。そろそろ役所に行って『母子手帳』貰ってきてくださいね~」
「はぁ?」
「やだなぁ『母子手帳』ですよ。『母・子・手・帳』。役所に行って妊娠した事を伝えたら貰えますから。お願いしますね~」
山田が手を振りながら病室から出て行くと、少し気分が良くなってきた。やはりつわりという物はストレスも関係してくるのか?
「『母子手帳』ねぇ……『母子』……?」
そんな事を考えながら点滴の液が落ちるのをじっと見つめていると眠気が襲ってきた。
次の週は試験休みがあったので授業は無かった。半休を使って、俺は役所に行く事にした。
「あのぉ、『母子手帳』は……」
受付の職員に聞くと、怪訝そうな顔で用紙を渡してくれた。
「これに記入して、⑧番の窓口にどうぞ」
「あ、どうも」
用紙を貰って記入台で書こうとした時、ふと疑問に思った。
「……まさか、俺の名前で申請するのか?」
男の俺が申請したところで受理される訳が無い。事情を説明したところでわかってもらえるはずもない。
「どうしよう……」
とりあえず、自分の名前を書いて⑧番窓口に行ってみた。
「あの……、これ……、お願いします……」
極力目を合わせないようにして用紙を渡した。
「ええと、『多田』……何とお読みするのかしら?」
「え?あ、『おさむ』です」
「え?『おさむ』さん?奥様のお名前が?」
「いいえ、『
「いやだ、ご主人。ここは奥さまのお名前を書いてもらわないと~」
五十才代半ばといった感じのふくよかな体系の女性職員は、笑いながらバシバシと肩の辺りを叩いてきた。
「ほら、ここに『妊娠をした人の名前』って書いてあるでしょう?それで、ここに妊娠何か月かを書いてもらって、それでご主人の名前はここ!ここの代理人のところに書いてもらわなきゃ~。ね~?これじゃあ、ご主人が妊娠したみたいじゃあないの~!」
役所中に響き渡るような大きな笑い声だった。皆が振り返って俺達に注目している。もう俺は一緒に笑うしかなかった。
「あはは、そ、そうですよね~!これじゃ、俺が妊娠したみたいですよね~!」
とりあえずこの場をごまかして一刻も早く立ち去りたかった。
その女性職員は大声で笑いながらバシバシと何度も何度も肩を叩いてきて物凄く痛かった。
結局用紙には偽りの申請内容を書いて、俺はようやく『母子手帳』をゲットした。
「……本当に疲れるなぁ……」
あまりの事に俺はつわりを忘れそうになっていた。
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