第9話3か月(つまり、つわり)

 ここの所、あまり体調が良くなかった。神経が高ぶっているのか、睡眠もあまり取れていないからだろうか。

これからの事を考えると不安でいっぱいだ。今はまだいいが、お腹が目立ち始めたらだんだん「太った」ではごまかせなくなってくるだろう。それに出産の時、まさか産休を下さいとも言えないだろうし、そもそも教師を続けていけるのだろうか?マスコミに知れたりでもしたら恰好の餌食だ。生徒だって、ましてや保護者は黙ってはいないだろう。

「校長に知られたら……やっぱクビかなぁ……」

毎日そんな事を考えてばかりであまり眠れないのだ。

今日も学校が終わると定期検査に行かなければならなかった。ホルモン注射も少しずつ量を増やして様子を見ている。

「ホルモン注射が合わないとかかなぁ?」

検査の後に教授に聞いてみようと思った。


 俺の話を一通り聞いた教授は、一言言った。

悪阻つわりじゃないのかねェ?」

「えぇ?」

「悪阻 (おそ・つわり)とは妊娠初期に起こる吐き気、食欲不振などの生理現象。それがつわりです」

事務的な男、姫野が辞書を読んでいるかのごとく、俺に向かって言った。

「あ、いや、意味を知らなかった訳ではなくて……」

山田とは、別の意味で苦手なタイプだった。顔は良いのに、とんでもなく事務的。表情を崩す事も無くただ淡々と仕事をこなしている。

「つまり、つわりですね!」

山田はダジャレで対抗してきた。『ぷぷぷっ』と笑いを堪えるその顔が、やっぱりムカついた。

「キミのその症状はいわゆるつわりと言って良いかと思うよ。あまりに物が食べられないとか脱水症状が酷いとかだと入院になるんだけどねェ。まぁしばらく様子を見て、辛かったら点滴しに来てください。くれぐれも他の病院で診てもらったりしないように、ねェ?」

教授は念を押した。

まさか他の病院に行って、「妊娠してます」「つわりなんです」なんて言える訳が無いから行きたくても行けない。

「しばらくは具合が悪いかも知れないけれど、直に治まると思うから」

「はぁ……」

その日もホルモン注射を受けた。妊娠を維持する為にこれからも少しずつ長期的に補う必要があるのだそうだ。

「気持ち悪ィ……」

家に帰るまで吐き気を抑えるのに必死だった。家に着くとホッとした事もあって、俺はトイレの住人となってしまった。

「うええぇ……」

涙目になりながら吐き気と戦っていると少し気弱になってきた。

「俺、何でこんな事してんだろう……」

こんなはずでは無かった。

本来つわりというモノは女性である静流がなる事はあっても、男の俺が経験するモノでは無いはずだ。

頑張れよ、と背中をさすってやる事はあっても背中をさすられる立場では無いはずだ。

「大丈夫?理くん?」

残業から帰って来た静流が、トイレに籠城している俺に声を掛けた。

「あんまり……大丈夫じゃ……無いかも……」

「食べれるようならお粥でも作ろうか?スポーツドリンクも買ってきたけど~」

有り難いが今はとてもじゃないが食べられる気がしない。

「少し……寝る……」

トイレから出て、寝室に入った途端、ベッドに倒れ込んだ。

「そういや、例の映画でもつわりで苦しんでたっけなぁ。はは……、まさか自分が同じ目に合うとは……」

心配して寝室に入って来た静流が言った。

「あの映画って理くんと一緒に見たんだよね。あの時理くん、医学が進歩して本当に産めるようになったら自分も産むんだ~って言ってたっけ」

「……あの時も本気だったよ。まさか本当に産む事になるなんて思ってもみなかったけど。しかも産みたくて産むというより、産まされるって感じだし……」

「そうだよね。……ねぇ、理くん。やっぱり嫌だった?」

「あ~、うん、出来れば断りたかったけどね。断れる雰囲気じゃ無かったし。本当なら静流に……」

言いかけてはっとした。

「……ごめんね?」

静流はうつむいて一言そう言った。肩が震えていた。

「そんな……。俺こそごめん。俺、頑張るよ。俺、頑張って産むからさ。だから……」

そうだ。静流だって本当は自分が産みたかったに違いない。初めて妊娠した時の静流は本当に嬉しそうだった。それが流産という結果になって一番ショックだったのは静流だったはずだ。それを無神経に静流に産んで欲しかった、だなんて……。

……ってアレ?もしかして、それで合ってるのでは?

静流は顔を上げてにっこりと笑った。

「良かった~。やっとここまで実験が進んだのにやっぱり止めるなんて言われたらどうしようかと思った~。さ~、ほっとしたところでお風呂入ってこようっと!」

上機嫌で静流は風呂場に向かった。上手く乗せられた気がする。

(……しかも今『実験』って言ったよ……。教授ですら『治験』って言ってたのに……)

つわりと後悔で頭までフラフラしてきた。

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