第2話0か月(親はあっても親知らず)-2

「はぁ~」

不安で溜息しか出てこない。

こんな状況でも授業は休めない。いや、いっそこのままずーっと授業があって帰れなければいいのに。

「先生!授業中ですよ~?」

クスクス笑い、嫌みっぽく女子生徒の一人が言った。すると連鎖して笑いや、どよめきが起きる。

「ああ、悪い。ちょっと考え事してて……」

「あ~!先生~、エッチな事、考えてたんでしょう~?」

みんなが一斉に笑いだした。駄目だ、このままではナメられてしまう。今は授業に集中しなくては!

「馬鹿な事言ってないで教科書を開く!」

笑い声は聞こえ続けているが気にしないようにする事にした。

「いいか?この時の『太宰』の気持ちはだなぁ……」

「でたー!多田が『太宰治』を語りだしたぞ~!」

男子生徒の一人が囃し立て、みんな大声で笑っていたが、もう気にならない。そう、俺は『太宰』を語りだしたら止まらないのだ。名前が『太宰治』にちなんで付けられたという事もあり、軽くマニアといったところか。そのせいで授業が遅れがちで、この後も校長に呼び出されているのだった。


「多田先生は、少し物事にこだわりすぎている所がありますね」

「はぁ……」

校長はあきれた様な顔で溜息交じりにそう言った。ウチの校長は女性なのだが、最近ではさほど珍しい事でもない。

校長は結婚もせずに教育一筋という大変真面目な人で……少し苦手だった。

「一つの事をじっくりと時間を掛けて教える事も大切な事ですが、カリキュラムという物がある以上、どれだけ生徒が深く教わるかという事より、まず受験に対してどれだけ有利な授業かという事を保護者は望んでいるんです」

「……はあ、以後気を付けます……」

お説教が終わり校長室を出たが、ほっとしたのもつかの間、静流の待つ大学病院に向かわなくてはならなかった。

「多田先生、今日も飲みに行きませんか?」

昨日のメンバーが声を掛けてくれたが静流と約束してしまったのだから行ける訳がない。

「あんまり遊び歩いてないで、身重の奥さんを大事にしてやれよ?」

急にそんな事を言い出す俺を見て、同僚達は不思議そうな顔をした。少し空気を読めてなかったようにも思うが、そう言い残して足早に学校を後にした。

こんな時、今の若者は『KY』って言うんだろうか?とか思いながら、重い足を引きずるようにして歩いた。

(あんまり行きたくないなぁ……)

しかし約束してしまった以上、行かないという訳にもいかないので、電車で二駅先と程近い大学病院に出来る限りゆっくりと向かった。


病院に着くと、事前に静流から連絡があったようで、難なく教授の部屋のある棟に通された。

「気が重いなぁ……」

「何が重いって?」

「ひっ?!」

びっくりして本当に少し飛び上ってしまった。心の中で思っていた言葉が声に出ていたようだ。

振り返るとそこには白衣姿の静流が立っていた。

「どうしたの?何か重い物でも持って帰って来たの?だとしたら、わざわざ遠回りして来てもらってゴメンね~」

「あ、いや、大丈夫!」

そう言うと多少ひきつりながらも笑顔でその場をごまかした。

「じゃあ、教授の部屋に行きましょうか」

そう言って廊下の突き当たり、一番奥にある日当たりの悪い教授の部屋へ案内された。


「澤田教授、多田です。失礼します」

ドアをノックして仄暗い部屋の中に入ると、そこには教授と二人の医者らしき男が立っていた。

「ようこそ、我が研究室へ」

教授はそう言うと、しばし自分に酔いしれているかのように見えた。

「まあ、そこに座って」

豪華なその応客セットのソファに座ると何かにどっぷりと浸かるような何とも不気味な雰囲気に包まれた。

「今日わざわざ来てもらったのは他でもない、キミにちょっとしたお願いがあってだねェ」

「はぁ…お願いと言いますと?」

何となくだがずっと嫌な予感がしている。

「実はだね、静流君から聞いていると思うんだがキミの親不知を実験に使わせてもらっていてだねェ」

「はぁ……」

「するとそこから、実にすばらしい細胞が見つかったんだよ!」

「はぁ……」

徐々に熱く語り出しているのがわかった。聞いていくうちに、俺が『太宰』を語っている時の生徒たちの気持ちはこんな感じなのだろうかと思った。今後気を付ける事にしよう。まさに『人の振り見て我が振り直せ』だな……。

そんな事を考えながら話を上の空で聞いていると、教授は急に詰め寄ってきた。

「『ES細胞』とか『iPS細胞』って聞いた事無いですか?」

(ああ、最近新聞とかで何かと話題になっているアレね。文系の俺でもそれくらいは知ってるけど……)

「『iPS細胞』って自分の細胞から作り出すいわゆる『万能細胞』ってやつですよね?移植しても、元が自分の細胞から出来ているから拒絶反応が出ないっていう……」

そこまで言ってはっとした。え?自分の細胞って?あれ?もしかして俺の親不知を実験してって、その『万能細胞』を作っちゃったって事?

どぎまぎしていると、

「キミは勘がイイねェ~。そう!作っちゃったんだよねェ~」

教授は笑顔でさらっと言ってのけた。

「えええ?!いやそんな簡単に!そんな大変な事、さらっと言われても!」

パニックになっている俺を覗き込むようにして教授はさらに続けた。

「でもね、私が作ったのは『iPS細胞』のさらに上をいく『超iPS細胞』とも言える、その名も『mob《モブ》細胞』なんだけどね!」

「『mob細胞』……?」

……一瞬理解不能だった。まあ唐突にそんな事を言われても「あ、はい、そうですか」と言う方がおかしいに決まっている。唖然としている所へ教授は話を続けた。

「実はこの『mob細胞』での臨床試験を、治験をキミに頼みたいんだよねェ!」

その言葉を聞いて、やっと我に返った。

「ちょっと待ってください!何も俺でなくてもイイでしょう?!」

 俺は必死に抵抗を試みた。

 しかし教授は右手の人差し指を立て、顔の横で小刻みに指先を振り、ついでに頭も軽く横に振った。

「それがそうはいかないんだよねェ~。この『mob細胞』というのは『iPS細胞』と同じで、自分の細胞から作られる。だから拒絶反応が無いのであって、他の人に移植は出来無いんだよねェ。だからキミでなくては出来無い。しかもキミの親不知から作られた検体以外は『mob細胞』そのものが不安定でね。しかしキミの『mob細胞』だけが完璧だった!だからキミ以外の治験は無理なんですよねェ」

……さっきから教授の話を聞きながら、俺の横で期待に胸を膨らませた静流がずっとこっちを見ている。ワクワクしているのがわかる。昨日あんな約束してしまった以上、断るに断れない。一体どうしたら……。

そんな事が頭の中をぐるぐる回っていると反対側から助手らしき男の一人が事務的に書類を出してきた。

「こちらにサインを」

どうやら同意書のようだった。有無を言わさぬ感じだった。

「お断りするという事は……」

「出来ません」

どうにかごまかせないものかと、俺は疑問に思った事を教授に質問をしてみた。

「この実験をする事で、何かの役に立つんですか?」

「『治験』です」

事務的な男は、あくまでも治験(臨床試験)だと言い張った。

教授は静かに語り始めた。

「この細胞が実用化される事になれば、あらゆる難病治療や臓器移植以外では助からない命に道が開けるんですよ。例えばこの細胞で子宮を作る事が出来れば、生まれつき子宮が欠損していた場合や、病気などで摘出した場合、それどころか性分化疾患や性同一性障害などを含め、本来子供を産む事が不可能な場合でも、自分の親不知さえあれば子供を産む事が出来るようになるんですよ。もちろんその他の臓器の場合も拒絶反応が一切無く、自分の細胞から作る事が出来る。しかもこの細胞の特徴は、小さな細胞の状態で移植をして自分の体内で物凄いスピードで臓器へと変化していく事なんですよ。だから患者の体への負担が非常に軽い。まさに理想とする細胞なんですよ。しかし実用化するにあたっては、臨床試験が必要になりますよね?それに協力するという事は、素晴らしい事だと思いませんか?」

教授の言葉は淡々としていて、それでいて有無を言わせない説得力があった。

「あの~……、もう一度お聞ききしますが断る事は……」

「出来ません」

横から事務的な男は書類を突きつけた。

「代わりにサインしようか?」

静流が若干興奮気味に俺の隣でペンを握っている。

「……いや、自分で書くよ。そうじゃないと無効だろう?」

どうせ断れないんだったら自分で書いた方が納得もいく。半ばヤケクソで静流からペンを受け取り署名した。

「た・だ・お・さ・む、っと」

署名が終わると、静流を含む4人が割れるような拍手しだした。

「何だ?何が起こってるんだ?」

「おめでとう!これでキミが人類初の妊夫にんぷになる事が決定しました!」

先程の書類の男とは別の、かなり胡散臭いもう一人のその男が言った。

確かに言った。

「は?」

今一つどころか全く事態が飲み込めないまま、一つだけはっきりとわかった事がある。

(書類という物はきちんと読まないうちに署名しちゃダメだよな……)

今更なのだが、後の祭りである。

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