Q6.この仕事のいいところは? A.普通はできない経験ができます(笑)②

 『異世界送り六号』は、何の変哲もない見通しの良すぎる十字路に停車していた。ファイルには、週に一度、ほぼ同じ時間に街へ外出する、とある。つまり、ここは通り道かなにかなのだろう。

 俺は無線機を手に取った。


“こちら『異世界送り六号』所定の位置につきました。ドーゾ”

“こちら除去班、了解。ターゲットを確認次第連絡します。交信終了”

「なんか慣れてきたねー」

 隣を見ると、榊さんは大して角度のつかないリクライニングを倒し、ヘッドレストに頭つけて笑っていた。


「とにかく自分でやっていかないと、覚えられない気がしてて……」

「いいねー。昨日ヘバらせちゃったから、ちょっと心配だったけど、大丈夫そうね」

「技術開発部にはしっかり通わないと、ダメかもしれませんけどね」

 まだクスクスと笑われている。しかし実際一朝一夕で異世界送りができるとは思えない。たとえ、ここで使ってもらえることになったとしても、研修は必要だろう。


 準備が終われば、あとは待つだけ。極めて受動的ではあるが、自分から動けない以上は仕方ない。刑事ものの張り込みがこんなに大変だなんて思った事がなかった。


 気を張って無線を待つ。場合によっては突然出てくることだってあるだろう。それに今週はたまたま出てこなかった、なんてこともあるはずだ。そうなれば空振り。ただ時間を使っただけで帰らなければならない。待つって、結構大変な仕事かも。


 隣を見ると、手を頭の後ろで組んだ榊さんの目は、遥か遠くを見ているようだった。ただ待ち続けるだけで終わった一日もあったのだろうか。ないはずがないか。


“こちら除去班。ターゲット確認。自転車に乗ってます。注意を”

「チャリ? まずいわね。ファイルにチャリごと送っていいか書いてある?」

「えっ。ちょっとまってください」

 急いでファイルを開けて、確認する。どこだ、何処に書いてあるんだ。


 慌てる俺を無視するように、落ち着き払った榊さんが無線機を取った。

“こちら『異世界送り六号』。同時転送物を確認中。ヤバい、来た。追跡します”

“除去班了解。先回りしておきます”

 車が走り出した。ヤバい、ヤバい、ヤバい。


「コンくん落ちついて。二ページ目の下よ」

 二ページ目の下。備考欄? 違う、不許可同時転送物、これだ。特になし。

「不許可同時転送物、特になしってあります!」

「了解。追い抜いて、反転、送るわよ」

 顔を上げると、のんびりチャリで走る女の子の後ろ姿が見えた。

 

 加速する車。グングンと速度を伸ばし、かなりの速度を出して、ターゲットを追い抜く。そのまま走り、距離を取って――


ギュキュキキキ


 ド派手なスキール音を立てながら、車は反転。

 左右に身体を揺さぶられたて、今度は急激な加速感。榊さんが何をしているのか理解ができない。

 車の正面方向。驚き、止まった女の子に向かって、加速し続ける。


 女の子と目が合う。チャリを反転させて逃げようと、横を向いた。

 その瞬間――

ゴワッシャ

 チャリごと宙を舞った女の子は、ハンドルから手を離さなかったために派手なジャンプトリックのように飛んだ。そして、ぱわゎゎあっと、チャリごと消えた。


 車はそのまま田舎道を逃走しはじめていた。

「コンくん、連絡」

 榊さんの声で我に返った俺は、無線機を取った。


“こちら『異世界送り六号』。えっと……チャリごと転送しました”

“チャリ? ああ、自転車か。除去班了解。次からは自転車を同時転送って言ってね。次は近藤くんの担当だよね。先回りしておきます。交信終了”

 無線機を戻す。車は、徐々に速度を落とし始めていた。


 榊さんは、いつものように笑ってはおらず、真剣な顔をしていた。

「……あの」

「今度から、ちゃんとファイルは事前に読んでおいてね?」

「……はい。すいません」

 車が止まった。調子に乗っていたのだろうか。時間はあったというのに、ファイルを見ていなかった。明らかに怠慢だ。昨日で自信がついた途端これだ。


 柔らかい手の感触。背中を擦られている。少し落ち着く。

 って、いきなりバシバシと叩かれ始めた。相変わらずの大きな音と無痛の激励。

「気にしない、気にしない。私だってミスすることあるって言ったじゃん。さ、交代しよう、交代!」

「……ウス」

 次はミス出来ないというプレッシャーがかかってくる。


 妙に力が入ってしまう手でファイルを開くと、一見ごく普通の高校生男子の写真。依頼人欄は空欄のままだ。誰かの依頼ではない。よくやっているゲームと送り先の名前が同じだから、多分適応のしやすさなんかで選ばれたんだろう。見ていると、ついターゲットの生活だの周りの人間関係だのと考えてしまう。見るのは止めよう。


「緊張しないでいいからね。楽勝よ、楽勝」

 そう言って、榊さんは運転席を降りた。

 よし、やるか。今日こそは、ハネる。……考えちゃダメだ。思考停止だ。

 交代して助手席を見ると、榊さんが念を入れてか、ファイルを開き、眺めていた。


「この子は簡単にいけそうね。一昨日前のコンビニ前で大丈夫そう。今度はちゃんとアクセル踏み切るようにね」ガチャガチャとカセットをいじりだしている。「練習と同じように、アレかけよっか。最初はテンション上げないとキツいとこあるしね」

 曲ってあれか。ス○イハイか。まぁ、たしかにテンション上げていかないと、アクセルを踏みきる勇気がでないような予感もある。


「お願いします。ただ、いざってときだけで」

「なんで? 結構いい曲だと思うんだけどなー」

 榊さんは、口先をとがらせ、シートに深く座り直した。しかし、待機時間中ずっと入場曲をかけられたら今度は調子が狂いそうだから、我慢してもらおう。


 コンビニ前の道で車を止める。一昨日前には、榊さんがここで異世界送りをした場所だ。たしか……ヨコ、よこ、横道さん。たしか横道さんだ。

「あの、榊さん」

「んー?」

「このコンビニ前の道って、よく使うんですか?」

「あー、ここら辺、コンビニってあそこのしかないからねぇ。結局、田舎の出不精な人の行動パターンってワンパになりがちで、コンビニなんか顕著なのよ」

 

 榊さんは無線機を手に取り、俺に言った。

「問題なのは除去班がしょっちゅう人払いすることね。あそこ潰れちゃわないか、ちょっと心配よね。準備はいい?」

「……あ、はい」

 一瞬、この業界って結構周りに迷惑を及ぼしてそうだとか、そういう疑問が頭をよぎった。しかし、榊さんの無線でそれも打ち消された。


“こちら『異世界送り六号』所定位置に着きました。運転はコンくん。ドーゾ”

“除去班了解。人払いは済んでいます。ターゲットがきたら、また連絡します。交信終了”

 そして待機。静かになると鼓動の音がやけに大きく聞こえてくる。しかも、体まで心臓の動きに合わせて揺れている気がしてくる。


“こちら除去班。ターゲット確認。そちらに向かっています”

 榊さんが無線を取った。

“『異世界送り六号』了解。”

「さぁ、コンくん。エンジンスタート」

 鍵を回す。かかるエンジン。高まる緊張。

 この緊張の源は、間違いなく、人をハネるという倫理とか道徳とかを無視する行為への躊躇。

 

 理性を潰し、思考停止する。そうでなければ、アクセルは踏めない。

 のんびりとコンビニに向かって歩く少年が、視界の端に入ってくる。一瞬だけ助手席に目を向ける。榊さんが頷き、カセットデッキから例のアレが流れ始める。


 車の真正面に少年が入り始める。

「行きます」

 アクセルを踏み込む。けたたましい音を立て、加速する車。流れるス○イハイ。

 

 音に気付いた少年がこっちを振り返る。目が合う。やっぱ無理すぎ――


ブロゥンィトアー


 サビに合わせるようにアクセルをがっつり踏み直す。


――カイハァァァイ

――ゴワッシャ

 

 そして、ブレーキタイミング。

 吹き飛ぶ少年。宙を舞い、半捻りのムーンサルト。星のきらめきと共に、ぱわゎゎあっと消えた。

 車はスキール音と共に滑り、停止した。


「完璧なスターダストプレスね。でも、七〇点。次は走り抜けてね」


――ユーブロゥイトール、スヵイハァーィ


 曲になぞらえるように、倫理観や道徳観や、それらをひっくるめた理性というものが、粉砕された。一昨日前のやっちまった感を遥かに上回る後悔。なんてことをしてしまったのだろう。どう考えてもコレ、殺人だろ。


 背中が擦られる。

「落ち着いてコンくん。異世界送れてたから。殺してないから」

 何か言い返したいが、言葉が思いつかない。というか、マジで心臓が痛い。

 ガチャコとカセットを止める音と、無線機を取る音が聞こえた。


“こちら『異世界送り六号』。転送終了。ただ、コンくんがダウン。時間もいいし、昼休憩にしましょう。ドーゾ”

“除去班了解。こっちは本部に呼ばれているので、一旦、社に戻ります。コンくんに、悩める内に悩んだ方がいいと、お伝えください。交信終了”

 ガチョンと、無線機を戻す音。


「だってさ、コンくん。まぁ、私は悩まない方がいいと思うけど、人にもよるしね」

「……榊さん、悩んだことないんすか?」

 

 榊さんは困ったような、悲しいような、ともすれば泣きだしそうにも見えた。

「私だって、最初は悩んだよ? けど、悩みすぎると仕事やってられないし、これで一つ別の世界が救われてるはず、って思うことにしたからね」

「……そうっすよね。送ったってことは、困ってる世界があって、そこに彼を派遣したって考えないと、キツいっすよね」


 擦られていた背中が、今度はバシバシと叩かれた。既に彼女は笑っていた。

「そういうこと。さ、折角だし、そこのコンビニでご飯買って食べちゃおう。午後も仕事あるし。ま、次は危ないヤツだから、私が担当するけどね」

「……ウス」

 車をすぐ横のコンビニの駐車場に入れると、コンビニからバイトと思しき店員が出てきていた。口を半開きにした間抜けな顔をして、近づいてくる。


 榊さんが助手席の扉を開けた。

「あ、どうもー。すいませーん。凄い音しちゃったでしょう?」

 なんという猫なで声。あの人、あそこまでほんわかした声出せるのか。


 突然の猫なで声のパワーによってコンビニの店員はいきなりデレっとなった。

「いえ、あの、すごい音でしたけど、なんかありました?」

「いぃえぇ。友達が運転してたんですけどぉ。まだ田舎道に慣れてなくて、何か飛び出てきた! ってびっくりしちゃったみたいでね? ごめんなさいねぇ」

「いえ……それならいいんですけど……」


 店員さん、車のフロントがっつり見てた。絶対に怪しまれてる。もしかして、これ後でナンバープレート変えたりとかするんだろうか。カメラに映ってたら着替えもいるし……思考が犯罪者のソレになってる。コワい。

 手招きをする榊さんを見て、ため息一つで車を降りた。


 どこかで聞いた様な入店音を聞き流して、謎のコンビニ店の弁当棚を見る。正直、食欲は沸いてこない。しかし、午後も仕事が待っている。さらには折角時間を作ってもらったというのに、食わなかったせいでヘバりましたじゃ最悪だ。小さい弁当でもいいから、何か食おう。


 隣では榊さんが、ボリューム感たっぷりの唐揚げ弁当を、二個もカゴにぶちこんでいた。なんか煮鶏のパウチとか見てるし。どんだけだよ。鳥肉好きすぎだろ。

 ヤバい、見てるの気付かれた。


「そんなちっちゃいのでいいの!? 女子か!」

「あんま、食欲が――」

「体重減っちゃうって! もっと大きいの一個食べなさい! ね?」

 気にするのそこかよ。まぁでも、必要なことなのか。いざってときの必殺技も、体重ないと効果自体薄くなりそうだし。従っておこう。

「……ウス」

 小さい弁当を棚に戻し、焼き肉弁当にしておいた。

 

 鳥肉女子の提案によって軽トラの荷台に座り、温められた弁当を開け、箸をつける。正直、箸をつけても食欲が湧かず、空を見る。まるで昨日見たプロレスリングのマットようだ。ヤバい。昨日のせいで俺の思考がヤバい。

 遠くに厚く、暗い雲が張っていた。夜には、このあたりも雨が降っていそうだ。さながらあれは……やめよう。想像すると怖くなる。


 斜め向かいには、胡坐をかいて弁当を食べている榊さん。パっと見、休憩中の女子プロレスラーか、現場仕事の人にしか見えなかった。……現場仕事か。

「ものすごい食欲っすね」

 ガツガツと音が出そうな勢いで食べていた榊さんは手を止め、こちらを見る。


「食べてもあんまり太れないのよね。多分、走ってるせいだとは思うんだけどさー」

「あぁ、それで足がしっかりしてるんすね」

 他愛のない話をしていると箸が勝手に動きはじめ、食べられる自分に気付いた。


 榊さんは、食べだした俺を見て、ニっと笑って、再び箸を動かし始めた。榊さんに少し感謝を……すでに二つ目に突入している。健啖家ってこういう人のことか。


「走ってるって言っても、そんなに食べたら太りますよ。どんだけ走るんですか?」

「毎日二十分くらい? だからー……五キロくらいかな?」

 五キロを二〇分。えーと、一時間で一五キロだから、フルマラソン三時間ペース。


 それ、めちゃ早くないか。どうせこの人のことだろうから、筋トレなんかもこなしているはず。仕事内容がアレとはいえ、アスリートみたいだ。

 未来の自分のマッチョな姿を想像していたら、なぜかやる気と一緒に食欲が出てきた。もしかしたら、これも昨日のマスクの影響なのかもしれない。怖い。

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