Q6.この仕事のいいところは? A.普通はできない経験ができます(笑)①

 インターンシップ四日目の朝は、異常なまでの筋肉痛から始まった。まず、躰を起こそうと手をつくと、しびれているのか痛みがあるのか判別できなかった。ついでに力も入らない。

 無理して躰を起こしてみれば、立ち上がっただけだというのに、すでに息が切れている。


 加えて明らかな胃もたれがある。こっちは技術開発部で食べさせられた、尋常じゃない量のメシのせいだろう。間違いない。だって一回の食事をキロ単位で図られたのは人生で昨日一回しかないからな。

 ヘロヘロになりつつシャワーを浴びて着替えて、外に出る。太陽が邪魔。

 電車に乗れば乗ったで、田舎の電車は程良く混んでる。要するに席は埋まっているし、ドアの前には常に誰かが寄り掛かっているけど、快適ですよってやつだ。

 

 吊り革にぶら下がるようにして、背筋の痛みに耐え、最寄り駅までたどり着く。

 駅から出て、会社に向かう。タクシーでも使ってやろうかと思ってしまう。しかしいつも通り、タクシープールには一台として止まっていなかった。

 仕方なく歩く。


 背中を伸ばして会社のビルを見上げると、なんとはなしに、感慨にも似た高揚感が湧いてきた。今日と明日で、とりあえず一旦はインターンシップが終わる。ほんの数日間の勤務だと言うのに、なんでこんな感情が起こるのか。

 しかも、昨日の儀式のおかげか、すでに社員の一人になったような気すらする。

 ……騙されているのだろうか。

 

 余計な思考を振り払うように頭を振って、ロビーへと足を踏み入れる。

 パっと開いた麗しき造花のような南さんの笑顔がまっている。当然、俺の姿を視認したであろう瞬間に、花が散る。しかし、もう四日目である。傷つくこともなければめげることもないのである。


「おはようございます。南さん」

「……おはよう」


 目線も上げずに挨拶を返されたが、気にしない。すでに気付いているからだ。

 おそらく彼女は普段から準備をしておいて、知り合いであることを確認してから、わざわざ爪を研いでみせている。すなわち、爪研ぎは、気恥ずかしさを隠すためだ。

 業務用の笑顔を作り続けているのを知り合いに見られる。これが恥ずかしいから、わざわざ演技ですよと、アピールしている。


 ……真相は知らないが、そうだったら嬉しいし、飲み会のときの彼女は基本的に常識人だったから、そう信じたい。

 エレベーターに乗って、実行部。さすがに今日は、加速感が身体に堪える。

 降りて、タイムカードを押し、斎藤さんに向けて挨拶


「おはようございます」


 ひょこっとパーティションから出てくるイカつい頭。 


「あ、おはよう。そろそろ慣れた? ……あいかわらず、変わった格好だね」

「はい。おかげさまで。ちょっと筋肉痛が酷いですけどね」


 何かに気付いたように首を少し伸ばして立ち上がった斎藤さんは、パーティションに寄り掛かり、俺の頭から足までじっくりと見た。

 そしてボソリと呟いた。

 

「ああ、そっか。榊さんがメンターだもんね。ルチャにいったんだね」


 ……なんで分かるんだよ。もしかして、昨日言っていた魂のマスクとかいう意味不明なモノのせいなのか。あるいは、全身からアステカ文明なオーラが出てるのか。

 あらためて自分の躰を上から下まで眺めてみる。特に変わった様子もない。筋肉痛が酷いし、きっとシャツの下で腹が微妙にたるんでいるはず。


「俺、なんか変わりました?」

「……まぁ、多少ね。まだまだ体型が細すぎるとは思うよ。でも、今日を入れてもたった四日。随分サマになるもんだなぁって思ってね。一回技術部に連れていくべきだって言った甲斐があったよ。あとは、服装だけだよね」


 やっぱり進言したのは斎藤さんだったのか。何となくそんな予感はしてたんだよ。この人が一番まともな人だし。

 だったらまぁ、礼を言わなきゃダメだろな。


「気にかけてもらって、ありがとうございます。服装については、善処します」

「え? ああ、うん……まぁ、服は、うん……」


 そこは言い淀むのかよ!

 俺は慌てて頭を下げた。危ない。思わず顔に出ていたかもしれない。そのままの姿勢で躰を半回転させ、榊さんのデスクに向かって歩き出す。

 背後から、明るい笑い声が聞こえた。まぁいい。

 この調子でパーティション迷路を抜けて……昨日と構造が微妙に変わってやがる。日替わり迷路とか、どういう意図でそうしてんだよ、ここは。



 たっぷり一〇分近くウロウロし、なんとかオアシスにたどり着き、その先に榊さんの後ろ頭が見えた。どうやらパーティション・オアシスの先には彼女のデスクがあるらしい。これは常に変わらないルールのようだ。もしかしたら、迷路の構造を変えているのは、榊さんなのではなかろうか。

 違うだろうな。榊さん、そこまでマメじゃねぇし。


「おはようございます。榊さん」


 彼女は背もたれに寄り掛かり、体を伸ばすようにこちらを見て、眉を寄せた。


「おはよー。今日はちょっと忙しくなりそうよー?」


 触れないでいてくれたが、恐らく変な格好だと思ったのだろう。 

 でも、あんたの着ている○ルティモドラゴンのマスクがデカデカと入ったTシャの方が、絶対ダサいからな。そんなの外で着るのは、どうなんだよ。

 まぁ? 格好に触れないでいてくれたから? 聞かないことにしとくけど?

 隣のデスクに座ると、三冊のファイルを投げ渡された。


「マジすか? 三人も?」

「しかも、その内一人は、異世界送られ経験者。というか、見るとびっくりするわよ。一番下のファイル」


 榊さんは、手を頭の後ろで組んで、背もたれをギシギシ揺らした。 

 とうとう来たか、経験者め。俺も昨日でレベルアップしてるし、多少はいけるぞ。

 決意を新たに、なんとなく三つ目のファイルを開く。

 しょぼくれた、つい最近どこかで見た顔。名前は、佐藤淳平、二四才。なんだと。


「あの……これって?」

「そ、一昨日前に送った奴よ。もう帰ってきたみたいね。大したもんだとは思うけど、向こうで何年戦ってきたか分からないから、要注意」

「何年もって……どういうことすか? 時間の流れが異世界とこっちで違うとか?」


 榊さんの天井を見ていた目が、こちらに向いた。ゆらりと足を組みなおす。

 

「そう。一昨日送った先はパンテオンとかいうどマイナーな世界。だけど中世ヨーロッパ風の世界観で、ファンタジーの癖に魔法がないから、危険よ」


 ファンタジーで魔法がないことのどこが危険なのだか、良く分からない。魔法がないってのがポイントなのか? それとも中世ヨーロッパ風ってとこか? 

 悩んでいると、榊さんが補足をしてくれた。


「中世ヨーロッパ世界だから、武器が単純なのよ。剣、槍、こん棒って感じでね。しかも魔法のない世界だからね。佐藤淳平は単なる肉弾戦か、あるいは指揮官として異世界を救ったってこと。つまり、肉弾戦ならバット一本で脅威。指揮官なら、『異世界送りから守り隊』と合流されたら、ヤバい敵になるってこと」


 そういうことか。

 つまり下手したら、相手は数年間をかけてガチの戦闘を繰り広げてきたわけだ。しかも戻ってきているということは、生き残りの古参兵になっているということ。

 ついでに言えば中世ヨーロッパ風の世界観を生きたのならば、物理的な殺し合いを経験している可能性も高くなる。言いかえれば、俺なんかより遥かに度胸が据わっている。普通に戦っても、勝ち目はなさそうってことだ。

 でも、待てよ。


「あの、数年間異世界で過ごしたとして、すぐにバットやらなんやらで、戦闘できるもんなんですか? 普通に戻ってきたとしても、スキル発動! なんてわけにはいかないですよね?」


 腕組みをしていた榊さんは、ピっと、俺の顔を指さした。


「そう。そこがポイントなのよ。前回で送った異世界が、どの程度ゲーム的なのかが重要なの。それこそステータス! なんて世界に送ってたなら大抵は余裕よ。所詮こっちに帰ってくればただの人、呪文を叫んだところで、変人だからね」


 一度言葉を切った榊さんは、机の上からアステカなケツァルコアトルの絵柄が入ったタンブラーを取り、口をつけた。……なんで今、ケツァルコアトルと認識できたんだ。怖い。

 俺の静かな恐怖に気付かず、榊さんは言葉を続ける。


「問題は今回の佐藤淳平みたいな、リアル志向のファンタジーに放り込まれたパターンよ。こっちに戻ってきたばかりの、まだ体が出来上がっていない内に、もう一回送る。これが重要よ」


 何度も何度も送られる佐藤さんが可哀そうな気もするが、これも仕事か。

 でも、なんで何回も送らなきゃならない? もしかして、問題のある人物か?

 

「あの、こんなに短期間の間に、同じ人を送るって、何か理由があるんですか?」

 

 榊さんは、机の上に置いてあったミル・マ○カラスのマスクを撫でた。……ヤバい。何のマスクか分かる。怖い。


「依頼人がリピーターなのよ。パンテオンとかいう世界の神官が直々に、もう一度あの英雄をここに、って言ってるの。つまり、相当に腕が立つってこと」


 リピーターがつくとか、そういうのもあるのかよ。いや、あるか。

 送りこみ方こそ乱暴極まりないけど、やってる業務は人材派遣会社みたいなもんだもんな。異世界の住人にしてみれば、あの人もっかいお願いしまーす、でしかない。

 ……いや待て。

 それってさ。佐藤さん、めちゃ有能な勇者さまだったってことじゃね?

 背筋を冷たいものが流れ落ち、俺は思ずゾクゾクっと身を震わせた。

 

「じゃあ、気を引き締めていかないとですね」

「ええ。それじゃあ、ファイルを持ってね。今回もサポートはマサくんよ」

「ウス!」


 顔を叩いて気合いを入れて、立ち上がる。太ももはビリビリとしびれているが、泣き言はなしだ。今日と明日だけでも踏ん張ることができれば、それでいい。

 二人で斎藤さんに一声かけて、駐車場へ向かう。

 ロビーでの榊さんと南さんのやりとりは、いつもの通り。仲がいい友達がいるというのは、少しうらやましい。久しぶりに、なつかしい昔の友達に連絡してみようか、なんて考えさせられる。


「行ってきます」


 なんとなく去り際に言ってみたくなっただけだ。

 しかし――。


「いってらっしゃ……い……」


 虚をついてしまったようで、目を丸くした彼女は返事をくれた。

 やっぱり常識人だ。多分。

 駐車場へと出る間に、榊さんが肘で脇をつついてきた。


「なにー? たった四日で、もう仲良くなった? ミナミは結構ガード硬いよー?」

「別にそういうんじゃないっすよ。普通に挨拶くらいするじゃないすか」

「えー? ミナミは年下がいいらしいから、チャンスあるのにー」


 マジか。あの人年下好きなのか。

 もしかして、世話好きの常識人だから面倒見れる人がいいってことなのか。ありうるのか、そんな話。それなんて……。


 そんなことを考えながら駐車場に行くと、ピカピカ……ではなく、微妙に薄汚れた『異世界送り六号』が待っていた。なんで汚れてるんだよ。田舎道走ってきたから?

 榊さんは帰ってきた『異世界送り六号』の周りを一周して言った。


「迷彩もいい具合じゃない。車両部もよくやってるわね」


 迷彩て。まぁ田舎道に溶け込むなら薄汚れてないとな。

 ってなんだよ、それ。

 この前とは違うナンバーに交換されてるし、これほんとに法律的にOKなのか?


「じゃあ、今日も一人目は私がやってみせるから、まずは助手席にね」

「ウス!」


 疑問は華麗にスルーされたが、そのことに怒りも湧かない。パッシブスキルは今日も発動中らしい。

 助手席に乗り込み、ファイルを開く。相変わらずのショボくれた……女? 


「あの、この仕事って、女性も対象になるんですか?」


 車のエンジンをかけた榊さんは、眉を寄せてこっちを見た。


「当たり前じゃない。まぁ、異世界側からのオファーってことは少ないけどね。最近なら、親御さんとか、場合によっては、心配になった友人とか、そういうところからやってくれって依頼されるパターンが増えたかなぁ」

「……心配になったってどういうことすか?」


 榊さんは少し言いにくそうに、頭を掻いた。


「あー……なんというか、隠してた漫画を親が見つけて心配にってパターンとかね。一回大変な思いをすれば、更生するんじゃないか、とか、そういうのよ。放っておいてやればいいのにねぇ、ただの趣味なんだし」


 手元のファイルを見ると、たしかに依頼人という欄には、ターゲットと同じ苗字。おそらく親兄弟。送り先の異世界は聞いたこともない。ゲームの世界ではないのかもしれない。どんな世界かは別ファイルで、今は分からない。

 ……仕事には関係ないし、知る必要もないか。

 

「まぁ、仕事ですもんね。気にしてても仕方ない」

「そういうこと。私たちの仕事は送ることだけ。依頼があっても、受けるかどうかは会社が決めることだしね。余計なこと考えてミスするのが一番マズイの」


 気にしない方がいいとは言え、ため息は出てしまった。

 たしかに対象となる人間はロクでもない人種なのかもしれない。しかし、ほんの一歩、いや半歩もズレれば、俺だって対象になりかねなかったのである。

 この商売、気にしていたら仕事にならねぇ。ほんとに。

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