Q5.この会社のいいところは? A.充実した社員研修ですかね①

 翌日。実にうざったい程よく晴れた、いい天気だった。

 眠い目をこすりながら出社したすぐに目にしたのは、こちらに気付いた瞬間に目を逸らす南さんだった。相当気まずいんだろう。彼女的には。

 でもまぁ、誰だってはっちゃけることあるし。奢ってもらったわけだし。

 なにも気にしてませんよアピールだ。


「あ、おはようございます。南さん。昨日はごちそうさまでした」

「……おはよう。さっさと行きなさい」

 他には何も言わず、さっさと立ち去る。最後まで目をこちらに向けることはなかったが、別にいいのだ。多分プライドが高いタイプなんだ。きっとそうだ。


 このエレベーターの、ぐぃーんと感じる加速感にもたった三日にして慣れるのだから、人間はすごい。まぁ迷路はまだ無理そうな気がするが。

 タイムカードを押して、パーティション迷路入口の門番、斎藤さんに向けて挨拶。

「おはようございます」

 

 ひょいっとパーティションの影から斎藤さん。ちゃんと来てる。当たり前か。

「ああ、おはよう。そうだ、近藤くん、今日は技術開発部に行くから、先に部長の所に行ってもらえるかな?」

「えあ? あ、分かりました」

 

 軽く会釈をして、部長のところへ……どうやって行くんだろう。

 まったく順路が分からず茫然としていたせいで、斎藤さんが笑い声混じりで話しかけてきてくれた。

「いいよ、連れて行ってあげる」

「ありがとうございます」

 言えた。自然に。どんどん順応してきてるな。まぁいい、斎藤さんも笑顔を深めた。これでいい、これでいいはずだ。

 

 部長は、いつものように太いバネのハンドグリッパーをニギニギ。

「来たね、コンくん。今日は『異世界送り六号』がまだ戻ってきてないから、榊くんと一緒に技術開発部だ。まぁインターンシップだから、本格的にはやらないから安心して。ちょっと一日、技術開発の体験をしよう。くらいの感覚でね」


 技術開発の体験ってなんだよ。○○開発って会社で一番大事なところで、ちょろっと体験しました、でどうにかなる分野じゃないだろうよ。

「あ、はい、分かりました」

 しかし、口は勝手に返答をするようになってきていた。


 ニギニギとハンドグリッパーを握りつぶす部長。いい笑顔だ。

「うん。それじゃあ」部長が立ち上がり、オフィスに向かって叫ぶ。「榊くーん! さ、か、きくーん」

 振り返ると、ひょこっとパーティション迷路に榊さんの頭頂部が見えた。

 

 こっちまでテッテコ歩いてきた榊さんは、昨晩の居酒屋での醜態なぞ存在しなかったかのように、すっきりとした顔をしていた。

「なんでしょう部長。あ、おはようコンくん。昨日はごめんねー。三人で飲むと、いっつもああいう風になっちゃってねー」

 こっちが挨拶を返すより早く、呑みの話。しかも部長の目の前で、朝っぱらから。会社ってこういうもんなんだろうか。


 一応会釈だけ返しておいて、俺は部長に向き直る。

「それじゃ、榊くん。近藤くんと一緒に、技術開発部に行ってきて」

「えぇっ。なんで私まで……」

「キミ、近藤くんのメンターじゃないか。一人で行かせたって、困るだけだよ」


 露骨に嫌そうな顔をして、目元を抑えてムムムと、榊さん。

「……分かりました。じゃあ、行ってきます」榊さんはこちらを向いて続けた。「よし、行こうか、コン君。ここにいても、しょうがないのは事実だしね」

 そして、さっさか歩きはじめる。行動早いところだけは見習いたいかもしれない。


 ロビーで榊さんと南さんが顔を合わせる。ヤバいか?

 ニヘって二人して笑って特に嫌味を言うでもなく通りすぎていく。南さんに睨まれたのはこっちだった。なんでだよ。

 

 駐車場までついていくと、軽トラ。まぁそりゃね。何かにつけて軽トラなのが、この会社なんだけどさ。あ、でもこれ、黄色ナンバーだ。ガチ軽トラか。

「さ、乗って。技術開発部に行くから」

「うす」

 言われるがままに乗り込む。大分疑問を抱かなくなってきている。

 

 乗り込むと、榊さんはカーナビをいじっていた。カーナビがついているのかよ。しかしそれよりも、同じ会社の部署なのにほとんど交流がないのか行かないのか。そっちの方が気になってくる。

 いずれにしても、ただ行くだけで時間がかかりそうだ。なにせカーナビの地図が、みにょんと縮尺広げてたから。


 走り続ける車の中で暇を持て余し、榊さんに昨晩の話にあった、平野さんの怪我について聞いてみることにした。

「あの、榊さん。昨日の夜、平野さんが言ってた怪我してって、なんですか?」

「んー。本人に聞いた方がいいと思うんだけどねぇ」首をコキキと鳴らした。「ヨっちゃんは、元はアマレスの選手でね。結構いいとこまでいけてたんだけどさ」


 マジか。あの人ホンワカ系レスリング女子かよ。あの胸、さぞやレスリングに邪魔だっただろうなぁ。


 車は信号を軽やかに抜けていく。

「それでまぁ、怪我のせいで色々あってねぇ。結局アマレス辞めるってなって。それで引きこもり一歩手前になって。当時私はここで働いていたし、まぁ働けば、いい意味で頭空っぽになるから、丁度いいかなって思ってね。それで色々お願いして、うちで採用ってもらったのよ」


 ああ、なるほどなぁ。今の俺みたいに、思考停止が大事なときもあるんだろうなぁ。でもレスリング選手から異世界への営業コールって……ああ、営業には体育会系は向いてるっていうし、そういうことなんだろうな。とはいえ、部活とかはロクな思い出ないから知らんけど、いいとこまでいってたのならショックだっただろうに。


「あの、でも怪我って、どんな? 後遺症とかないんですか?」

 自分の口からスラスラ出た疑問にびっくり。いくらなんでもぶっ込み過ぎてるような気がしてならない。だけど、榊さんはニマっと笑った。

「怪我したのはヨっちゃんじゃなくて相手よ、相手」


 は?

「は?」思わず内言が流れ出た。

「だから、試合で怪我しちゃったのはヨっちゃんじゃなくて、相手の方なのよ。ヨっちゃんが相手の子のタックル切ったときに、首をいわしちゃってねぇ。まぁ、それだけなら大ごとにはならなかったんだけど、興奮しちゃってたからね、ヨっちゃん。そのままぶっこ抜いて投げちゃってさぁ。相手の子は失神。ヨっちゃんはドン凹みよ」


 うわぁ。カラカラ笑いながら言ってるけど、首って一歩間違えたらヤバい大怪我だろ。っていうか、そんな人がデスバレーなんちゃらーとか言ってたのかよ。もう立ち直ったってことなのだろうか。


 車が信号で止まり、榊さんがこちらをチラ見。

「そんな青ざめることでもないって。怪我だって、相手の子のトレーニング不足が原因だし、半身不随とかにはならなかったわけだしね。まぁ、ヨっちゃんは元々おっとりした子だから、物凄く凹んじゃって、見てて可哀そうなくらいでね。それで、プロレスに連れてったのよ。なつかしー」


 ……なんでレスリングで怪我させた人連れてプロレスなんだよ。いじめかよ。

 新たに浮上した猜疑心に対して、榊さんは真面目な顔をして優しく語った。


「プロレスはケガさせたらヘタクソって言われる世界だからねぇ。いかに派手に痛そうに受けて、それでケガしないかってのが実力の一つでもあるわけ。受けの美学。そしたら今度はプロレスにハマりすぎちゃってさー。会場にだけは足を運ぶ、アクティブな引きこもりにクラスチェンジよ」


 つまりそれ、怪我させて凹んでた平野さんをアンタがプロレス沼に引きずり込んで、次は会社に引っ張り込んだってことかじゃねぇか。

 不審の色を載せて榊さんを睨んでみたが、彼女はカラカラ笑っていた。


「まぁ、何でもいいのよ、何でもね。大事なのは何でもいいから、何かすることなんだしね」

 含みのあるイントネーション。もしかしたら、彼女のテキトーさと雑さは、ただの演技なのかもしれない。理解に隔たりを作るものが何か分からず、少し悲しかった。

 

 俺の疑問と榊さんの元気を乗せた車は、小汚いアパートについた。

 併設されているのは、小さな体育館のような、倉庫のような箱物。中からはアスレチックなバンバンとよく響く板の音が聞こえていた。それと、オッサンの叫び。

 嫌な予感しかしない。


 敷地内に車が入るときに見えた木製看板には、太い墨字で『秘密結社異世界に送る会 技術部』と書いてあった。あからさまに不審な建物だというのに、付近の住民は怖がったりしないのか。まぁ、ほとんど民家もないが。

 榊さんについて中に入るとそこは、凄まじい熱気で満たされていた。


「エイシャァ! オラァ!」

バアァン

「シャア! エイシャァ!」

バアァン


 なんか、ちょっと細いオッサンがゴツイオッサンに、ポンポンと投げられ、リングに体を打ちつけられていた。あまり見たくなくて、目を滑らせると、ホットパンツを履いた兄ちゃんやオッサンが変な棒につかまり、スクワットを繰り返している。


 口から出す言葉の一切を失った俺の手は、榊さんに引かれて魔窟の奥まで引き摺られることになった。連れられた先にいたのは、分厚いおっさん。『技術部』と胸に書かれた青いTシャツをパツンパツンにする筋肉の塊。と、その上に乗せた脂肪。

 俺は人生で初めて、人間の体の評価に『分厚い』という文言を浮かべた。


「よう! ヨウちゃん! 頑張ってるか!」

 ガラガラ声がでかい。腹の底どころじゃない。亜空間から取りだされているような声だ。そして両手で肩をバシンバシンと叩いてくる。痛いんじゃない。重い。

「なんだ兄ちゃん! 細いな! もっと食べろ! 吐いても食べろ!」


 『細い』と『食べろ』そして『吐いても食べろ』。理由も目的も自明だと言わんばかりにすっ飛ばされた論法。はやくも、思考停止スキルが発動しはじめた。


 隣で腕組みをしていた榊さんが、苦笑いしながら言った。

「この子は実行部のインターンシップだから。ここじゃないから」

 呆れ声だ。しかし、おっちゃんは意に介さない。


「そうか! だが食べなきゃダメだ! 食べてからだ! 朝は喰ったか!? どうだ!?」

 その勢いに負け、答えてしまった。

「や、今日は食ってないです……」

 榊さんのため息が聞こえた。そして再び両肩がバンバン叩かれ、隣の部屋に連れて行かれる。


 汗臭い会議室のような……ダイニングだろうか。古ぼけたクーラーが部屋を生温くしているその部屋にはデカいテーブルと丸椅子が並び、無駄に大量の料理があった。

 胸やけを起こしそうなほどの肉と、煮込みに煮込んで形を失いかけているドロドロ状態の野菜汁。そして真ん中に大量に置かれた胃腸薬。


 おっちゃんは手早くデカい皿にドカドカと肉を盛り付け、野菜汁を丼に入れ、俺を席に座らせた。

「あの……」

 この量を、今食えってことなのか。絶対無理だ。まだ昼には早いし、俺は小食だ。


 おっちゃんはニカっと笑った。

「そうだな! 米忘れちゃダメだな!」

 違うよ、おっちゃん。食えねぇって話だよ。こんな量一回で食ったら、俺の体、主に腎臓がタンパク質と塩分でぶっ壊れるよ。


 しかし、おっさんは無言の抗議をサラっと無視して、いや、気付いていないのか、丼に小山を形成している大量の米をゴドン、と置いた。

「まず食え! とにかく食え! 食って食って、食ってから、それからだ!」

 泣きそうな思いで、部屋の隅にいる榊さんを見る。にっこり。違うよ?


 泣きそうを通り越し、泣いた。泣きながら飯を食べた。味はいい、正直言って美味かった。だがそれ以上に暴力的な量と、それを食わねば話を進めてもらえないことが辛かった。

 食べ終えたら胃腸薬を豆乳で飲まされ、背中をバンバン叩かれる。吐きそう。


「よし、着替えてトレーニングだ! 時間は平等だ! より多く使った奴が勝つ!」

 言ってる事は分からんでもないが、それ以上に吐き気が凄い。なによりも、一体何がはじまるのか分からないまま、全てが進行していくことがキツい。

 おっさんに渡されたのは同じ柄のTシャツとジャージ。それらに小さな部屋で着替える。部屋を出て体育館に戻ると、榊さんはアホほどデカいバーベルを背負い、スクワットをしていた。


「何、やってるんすか?」

 榊さんは、薄く、早く息を吐き出し伸びあがり、バーベルを後ろに放り落とした。

「何って、トレーニングよ。まぁ、私の場合はリハビリみたいなもんだけど」

 リハビリ。何キロあるんだ、そのバーベル。社会復帰に必要なのか、その筋力。


「あの、結局、俺はなんでここに連れてこられたんですか?」

「何でって、異世界送りの技の一つや二つできないと、明日の仕事はキツくなりそうだからって聞いてるけど?」

 インターンシップの半学生にそんなキツい仕事やらせる気かよ。

 

 ぼっとしていた俺はおっさんの接近に気付けず、ズルズル引き摺られた。

 「よし、まずは腕立てだ! 限界超えて潰れて、もっかい限界超えるまでだ!」

 意味が……分からりません。

 

 地獄は、ここから始まった。

 信じられない回数の腕立て。いや、回数の問題ではない。やって、やって、やって、潰れる。潰れたらおっさんが三〇秒程度の間を取って、やってやって、やる。潰れたら……あとは同じことの繰り返しだ。同じことというのは正確ではないかもしれない。最後に潰れたときは、どれだけ踏ん張っても体が浮かなかったから。


 おっさんはそんな俺をひょいと担ぎあげ、立たせスクワットだ。ヒンズースクワットとかいう、伝統的な屈伸運動によるトレーニング。膝を痛めないように注意する必要があると言われた。どうでもいい。倒れるまでやらされるからだ。


 どこが痛いのか、なんて分からないし、知りたくない。ただひたすらに繰り返される反復運動。あがらなくなるとおっさんが体を支えて、動かさせられる。キツい。

 

 そして腹筋。吐いたらダメだと念じ続けた。

 おっさんは俺の腹をぐいぐい押して言った。

「吐くなよー。吐いたら倍食えよー」

 吐くわけにはいかなくなった。


 どれほどの筋トレをこなしたのか分からない。多分、思考停止スキルの恩恵だ。

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