Q4.初仕事で気付いたことは? A.みなさん、苦労してるんだなって(苦笑)②

 会社のロビーまで降りてくると、いつの間に話が通っていたのか知らないが、私服の平野さんがすでに待っていた。白ワンピにカーディガン。散策にでも行くのかって格好だ。というか、まずその格好で、会社まで来てんのかよ。

 榊さんは軽やかな足取りで、平野さんの元へと跳ねて歩いた。


「ヨっちゃん。お待たせー。南は?」

「南ちゃんは今着替えに行ってるよー。すぐに来るって言ってたよ」


 ほわわっと笑顔を飛ばし、安っぽい花柄な雰囲気を纏って、彼女はこちらにもパタパタ手を振っていた。しかし、その目が俺の足先からゆっくり上がり、眉がにゅにゅにゅにゅ、と寄っていいき、花柄な雰囲気は消えうせた。


「えっと、コンくん。その格好、どうしちゃったの?」


 だから俺の服装のどこが、そんなに変だっていうんだよ。もういっそ、直接指摘してくれた方が、心が休まるんですけど。

 後ろからカッカと冷淡な足音。振り返ると……南さん……か? 

 なんでそんな、クリティカルダメージなジーンズに、やたらめったら謎の紐やらリボンやらがくっついた、ちょいパンキッシュ入ってる格好してんですか、あなた。

 南さんは困惑している俺を放って、上から下まで視線を動かす。


「何その格好。ダサ」


 極寒の台詞だ。あんたに言われたくねぇよ、パンクな爪研ぎ女め。

 南さんは、そのまま横を素通りし、平野さんの元へ。


「じゃ、行こっか」

「うん。行こっかー。久しぶりだねー三人揃うのはー。ほらコンくんもおいでー?」


 ささっと歩みを進める先輩方に、追いすがる。冷静に考えたら、なんで犬猿の仲っぽい榊さんと南さんは、一緒に飯を食えるのだろうか。意外、でもないけど平野さんが二人の仲を取りなしているのだろうか。

 となると、X=プロレスで、Y=プロレスな榊さんと平野さんだから、つながるのは……プロレスか。マジか。マジか? 日がな一日爪を研いでるパンカーが?

 

 会社を出て、疑問を背負って田舎道をのこのこ歩いて、たどり着いた先。そこは駅前の小汚い居酒屋だった。古臭くちょいと汚い感じの赤ちょうちんに、格子状に擦りガラスがはめ込まれた引き戸がある。

 まぁね、予想はしてたよ。こんなドのつく田舎じゃ駅周辺くらいしか飲めそうな所はないだろうから、駅の方だろうとは思っていたさ。

 

 でもさ、普通はチェーンの居酒屋とか、そうじゃなくても女子多いんだし、男の俺もいるんだし、もちっと小洒落たお店じゃないのかよ。

 なんなんだよ、このいい具合にさびれちゃった感の店は。

 いくら社会人ったって、うら若き女子三人が、若い男連れてくる店だぞ。こういうところでいいのかよ。

 俺が脳内でツッコミを繰り返している間に、平野さんがさっさか店に入った。


「おじさん、ただいまー」

「おかえり、ヨっちゃん」


 了解。把握した。そういうタイプの店か。

 なんとなく既視感デジャヴを感じる光景に、思わず大学生活を思い出させられた。そういえばゼミの先生も、おかえりーなんつって暖簾をくぐってはいるような店を、大学近くに一件、確保していた。

 仕事に疲れたら、みんなこういう店を持ちたくなるものなのか。


「お、ヨウちゃん南ちゃんも、おかえり」


 カウンター越しのちょいとイカついおっちゃんの声は、なんだか落ちつく低音ノイズ入りだ。なるほどなぁ、そういうことか、そういうことなのか。

 俺は今日、まだあんまり上りたくない大人の階段を一歩のぼった。


「お、兄ちゃん新顔。よろしくね」

「う、うす。よろしくお願いします」


 優しげな大将の不意打ちで、俺は微妙に足りないコミュ能力を露呈させられた。

 見知らぬ他人と会話するのって、なんで毎回こんな緊張するんだ。

 一段上がった小さなお座敷に上がると、ヘタれた座布団に若干ベタつくような気がするゴツい木一枚板のテーブルが待っている。突きだされるのは、明らかなヌカ漬けである。ド田舎か。

 ド田舎だよ。

 ポンポン頼まれていくメニュー達。なにも聞かれないまま、全てが進行していく。


「で、飲み物は何にするね」

「えっ、あの、えっと」


 しどろもどろになりつつ思った。

 おっちゃんはマトモだ。

 またか。


「ビールをピッチャーで!」元気な声の榊さん。

「私もビールをピッチャーで」ほんわか声の平野さん。ん?

「梅酒、ロック」ゲンナリ声の南さん。

「お兄ちゃんは?」


 え、まって、いま、ピッチャー二個入ったよね? 

 まさか二人はピッチャーで飲むってことなのかよ。酒豪なのか。というか、何があるのさ、この店。まだ俺、メニューを見せてもらえて、ないんですけどー。

 ジト目でこっちを見てくる南さん。待って待って、まだ決まってない。


「あなた、もう飲めるんでしょ?」


 殺し屋ザ・キラーじみた視線を前に、縦にぶんぶん首を振る。


「じゃあ、梅酒ロック、もう一個」


 決められた。勝手に。でもまぁ、ビール苦手だからいいか。

 というか南さん、結構気配りするタイプの人なのだろうか。

 とりあえず礼だ。 


「あ、ありがとうございます」

「二人に付き合わない方がいいわよ。明日会社来れなくなるから」

「……うす」


 そっと返事をしたところで、榊さんが南さんにがっつり噛みついた。


「あん!? 南! あんたは別にいいじゃん! 爪研いでるだけじゃん!」

「まぁまぁヨウちゃん。私たちみたいに、いっぱい飲める人だけじゃないんだよー」


 平野さんのフォローもむなしく、南さんはご機嫌斜め。


「アルコールで頭やられてるんじゃないの? 二人とも」

「むぅ、南ちゃん、私、そんなに飲まないよ?」


 ピッチャー程度だもんね。ってアホか。

 そうこうしているうちに運ばれてくる、茶色中心の酒の肴たち。唐揚げ、ポテトフライ、アジフライ、カキフライ……揚げ物ばっかじゃねぇか。アホか、アホなのか。ビールをピッチャーで飲んで、揚げ物を喰いまくるとか、正気の沙汰とは思えない。

 あ、ワレ緑を視認、緑だ、サラダもあるよ。やった! 

 テキパキと小皿に取り分けていく南さん。え。


「はい」

「」


 何も言えないまま、受け取ってしまった。大しくじりだ。睨まれてる気がする。

 と思ったら、こっち見てねぇ。サラダを皆の分も取り分けてる。南さん、実はすごくいい人。

 思い返せば、初めて会社に来たときには、綺麗な造花のような笑顔を出してくれたのだ。少なくとも、お仕事モードと私生活モードを、きっちり使い分けるのは得意なのだろう。そして根っこは後輩に優しい、のかも。

 よし、勇気出せ。


「あの、南さん?」

「あん?」


 ギヌロと藪にらみ。やっぱ超怖いよ、この人。でも、折角振り絞った勇気だ。


「先に料理が来るって変わってますね。ここ」


 何つまらねぇ事聞いてんだてめぇは、って目をされた。

 しかし、すぐにフっと息を吐き出した彼女は、榊さんと平野さんを見やった。

 

「あのバカ二人がいつもあんな調子だからね。店に来るときには、私が連絡しとくのよ。何飲むのかは毎回分からないけどね。油もの出しとけば喜んで食べるし、何を頼んだのかなんて覚えてないから、ほっときなさい」

「ああ……南さん手際いいんですね」ジト目、違うのだろう。「……お疲れ様です」


 ほっとため息、南さん。

 ああ、何度も繰り返されて、身に付いてしまった技能なのだろうなぁ。

 おいたわしや……。

 南さんがささっとサラダ以外のもの――つまりフライ――を取り分け終えた頃、上座に座る榊さんと平野さんの前に、ドカンとピッチャーが置かれた。二つ。マジか。

 俺と南さんの前に梅酒ロック。……榊さんと平野さんの前に、コップは出ない。

 ピッチャーをがっちり握った榊さんが、それをテーブルの真ん中に掲げる。


「コンくんの初仕事、無事生還を祝してぇ!」


 あわててグラスを手に持つ俺。


「「かんぷぁーい!」」


 ガツンとぶつかる榊さんと平野さんのピッチャー。俺は梅酒ロックのグラスがぶち割れそうな衝撃を感じた。せめて、ジョッキだろ、普通。

 ゴブゴブとピッチャーから直で飲み始める二人。『ップァー!』じゃねぇだろうよ。こっちは完全に思考停止寸前だよ。

 グラスにコツンと、小さな衝撃。カロン、と氷が音を立てた。南さんだ。


「……乾杯」

「あ、はい、アリガトウゴザイマス……」


 せくしぃ。なんて思うわけがない。

 どうやら俺は、とんでもないところに連れてこられたらしい。味方は、乾杯と同時に、南さんだけとなっている。

 ……ほんとに味方か?



 ガバガバと酒を飲むたった二人の手によって、ピッチャーが四つが空になった頃、俺が信じられない量の揚げ物で胃がやられはじめていた。

 ついでに、正面でちびちび梅酒を嗜んでいる、と思っていた南さんは、二杯目の梅酒ロックにグデグデに酔っ払い、榊さんに絡みはじめてもいた。

 

 俺の前には飲めと言われた梅酒ロックが鎮座したまま。しかし、揚げ物地獄の向こう側を目指す俺の胃に酒を追加したなら、スプラッシュは必死である。俺は定期的に胃袋の意外と上の方からこみ上げてくるなにかを紛らわせるため、隣に顔を向けた。

 平野さんは、重量感すら感じるお胸をテーブルに乗せ、肩を休めていた。すげぇ。

 ちらりん、とこちらを見た。やべぇ。なんか言わないと。

 

「……あの、平野さん。なんで『異世界に送る会』に入ったんですか?」


 頬をほんのりと桜色に染めた平野さんは、アジフライに、ばっくりと噛みついた。


「んー? わたしはぁ、ハンセンのファンだったからかなぁ」ピッチャービールをガブり、レンコンの挟み揚げを一かじり。「あとは、怪我しちゃったからかなぁ?」

 

 ハンセンって人は知らない。でも、怪我?

 

「あの、怪我っていうのは?」


 いつの間にかレンコンを食べ終え、メニューを見ている。まだ食うのかよ。


「んー? 私はねぇ、昔は運動部だったのです。でもぉ、怪我で続けるのが難しくなっちゃってねぇ。それで、どうしたらいいか分からなかったんだけど、ヨウちゃんが誘ってくれたの」


 表情を変えることなく、さらっと重そうな話がデロリと流れた。

 平野さんは、にこっと口角をあげ、榊さんと目を合わせた。

 そして、何かに気付いた榊さんと声を合わせて、


「「ねー」」


 と、言った。なんだそれ。

 平野さんは間髪いれずに手を挙げて、コエビと野菜のかき揚げを頼んでいた。まだ揚げ物を食べたいのかよ。実はその乳袋は肉袋でなく油袋なんじゃないんですか。

 ニマニマしながら榊さんがこっちを見ている。なんかムカつく。


「……なんすか?」

「別にー」そう言ってビールをガブリ。「でも、コンくんがどういう理由で来たのかは知らないけどさ。他人の働く動機が気になるなんて、若いなぁってねぇ」


 そんなに歳は変わらねぇだろ、って、この人酔っ払ってるし。南さん、助けて。 

 南さんは、手だけを悠然として、梅酒ロックのグラスを片手に持っていた。顎はテーブルにつけ、座りきった目をしている。……こっちもダメか。

 つか、睨まないでくれよ、俺のせいじゃねぇよ。

 ゆっくりと酔いどれし爪研ぎの魔女が、口を開いた。


「ひろの働く動機なんれねぇ! 無意味よ! 無意味!」梅酒ロックを呷って、漬物をポイポイっと口に放り込む。「ひろろるうんはるあうんらあらぁね!? あるぇなんられぇきらい!」


 呂律が回らな過ぎて、まるで何を言っているのか分からん。凄い困る。

 多分、他人に聞いても自分が同じ動機を持てるわけじゃないとか、そういうことなんだろうけど。でもなぁ、仕事が欲しかっただけ、とかだとなぁ。

 まだ絡んでこようとする南さんを、榊さんがなだめる。

 その目がこちらを向き、またニマニマ。なんかムカつくから、この人にだけは聞かないでおこう。


「私はねぇ……」


 聞いてもねぇのに語りだしちゃったよ、この人。

 榊さんの言葉が続く。


「合法的に、ルチャの! 強さを! 知らしめるために!」


 ピッチャーを掲げながら、そう叫ぶ榊さん。なんだよそれ。しかもアンタ、社内で言ってた事と微妙にニュアンス変わってないか。入る前は詳しくなかった的な――。


グァチャン


 皿が跳ねる音と、グラスがテーブルに叩きつけられる音に驚き、目を向ける。

 南さんが憤怒に燃える目で、榊さんを睨んでいた。


「ぶぁぁぁか! ぬぁにが、ルチャよ! 時代はMMA! MMAよ!」


 マジか。この人もそう言う系統の人か。でもMMAはなんとか分かるぞ。たしか総合格闘技だ。でも、たしか総合格闘技にプロレスラーも参加してたような――


ドガッチャン


 右隣から平野さんの油袋、もといお胸がテーブルの上を滑り、皿をなぎ倒した音がした。あ、胸にソースついちゃってますが。

 しかし彼女は、白ワンピに飛んだ茶色い斑点がガン無視し、気付いたら置いてあったコエビの掻き揚げをバリっと一口。


「違いますぅ! 今こそ王道プロレスの復権が必要なんですぅ!」

 

 ああ、嫌な予感がしていたんだ。絶対こういう風になると、思ってはいたんだ。

 榊さんが立ち上がったことで、三人が侃々諤々とやりはじめる。

 こうなってしまったら仕方がない。ゼミのときもそうだった。俺は詳しいんだ。

 こういうときには、そっと席を立つしか、ないものなのだ。

 

 とりあえず便所で用を足し、顔を洗い、鏡を見る。蛍光灯の光に照らし出された顔をは、疲れ、すでにむくみ始めている気がする。

 ……そんなに俺の格好は変なのか? 

 顔を洗って出てみると、お店のおっちゃんが、苦笑いで立っていた。


「あ、すいません。今やめさせます……」

「あー、いいのいいの。あの子ら学生の頃から、あんなんだからさ。それより、はい、お茶」


 学生の頃からなのかよ。ってことはもう、何年もあの調子かよ。

 差し出された茶を受け取り、一口飲む。ようやく息がつけた気がした。


「えぇっと、俺は……」

「いいのいいの。三人にもらうから。君はもう帰りな。そろそろ電車なくなるよ」

 

 時計を見やれば、たしかに、もう遅い。明日も仕事だ。

 つか、今日はなんだったんだ、一体。


「それじゃあ、その……」

「いいよいいよ。上手く言っとくからさ」

「御馳走さまでした……」

「はいよ。気を付けて帰ってね」


 店の出口でちらっと振り返ると、三人の議論には、なぜか泣きが入り始めていた。

 いや、どこらへんに泣きが入る要素があったんだよ。聞きたくはないけどさ。


 帰りの電車の中で考えたのは、酔っ払ってプロレス談議をして盛り上がり、終いには泣いていた三人のこと。あの三人、仲が良いのだか悪いのだか、良く分からん。ただ、なんでもいいから動機を作った方が良さそうなことと、動機と仕事内容は別に関係なくても良さそうなことだけは分かった。

 社会人って、こういう風にして、なっていくのだろうか。

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