第8話 絶望を乗り越えた先に

黄色の光を放つ眼光に、動悸が加速する。漆黒の全身から放たれる威圧感に、本能的な恐怖を呼び覚まされ、息が荒くなるのを感じた。

『そうか、お前がカルナが言っていた新入りか。糞ガキ風情が俺様に何の用だ』

糞ガキと呼ばれた事に、思わず怒りがこみ上げてきたが、無視して会話に集中する。

「俺の仲間が、モルス帝国に連れ去られて危険なんだ。でも、俺は外に出ちゃいけないって言われてる。だからお前の力を借りたい」

ジークは、鼻らしき場所からフンっと噴気を鳴らした。

『嫌だね、俺様は眠いんだ。糞ガキを乗せて運ぶなんざ—』

「そう言うと思ってたよ。でも俺は、お前にちゃんと見返りを持ってきてる。」

そう言うと、カルナの部屋からとってきた新聞の一部を、ポケットから取り出し、ジークに向け、放った。

新聞はヒラヒラと宙を舞い、ジークの目の前に落ちた。

ジークの眼球が、目の前に落ちた新聞の内容に吸い込まれる。

『これは……』

「読めるだろう?カルナに、人間の言葉も文字も習ってるらしいしな。」

新聞の内容は、モルス帝国本土で畜産業をやっているガトー農場という場所で、アヌール豚の品種改良に成功し、現在、大量に量産しているという物だ。

『俺様を豚で釣るとは、いい度胸だな。糞ガキが…』

新聞に行っていた瞳が再度、こちらを睨みつける。

その瞳は、俺を殺すか、殺さないか、考えているように見えた。

信じられない話だが、不愉快にされただけで、目の前のこいつにとって、それは殺す対象になるらしい。

これから俺は、こいつの気分次第で、1秒後には死んでいるかもしれない。

全身を浸す冷たい恐怖で、足の裏が地面に縫い付けられたように感じ、1歩も動けなくなった。

今、ここで目を逸らすか、後ろに逃げたりすれば、間違いなく殺されると感じた。

体内を切り裂く魔力路の痛みすら、全く気にならない程の恐怖を必死に堪え、表に出さないようにしながら、瞳を見つめ返す。

「モルスについたらお前は、好きな所に行ってくれて構わない。俺は、仲間が捕らえられている放棄された城に行くから。

ここからモルスに行くまでだけでいいんだ。……頼む。」

必死の思いを乗せて言った、最後の言葉の後、数秒間の沈黙が流れる。

目を逸らさずに見つめ続けていると、こちらを睨みつける眼球が細まった。

『いいだろう。ちょうど腹も空いていた頃合だ。糞ガキの乗り物役をやってやる』

「本当か……!ありがとな!」

意外とすんなり許可してくれたことに、思わず、ここ数日間で一番の笑顔が零れる。

「ちょっと待っててくれ。武器を部屋の前に置いてきたから」

ダッシュで部屋の前に戻り、雷槍を、何とか担ぎ上げ、部屋の中に戻る。

『さっさと乗れ』という言葉に背中を押され、雷槍を必死に抱えながら、ジークに近寄る。

先程は、小山のような大きさだと感じたが、近くによると、更に大きい。

村を襲った奴も巨大だと感じたが、これと比較すると、確かにあれは子供だと思える。

ジークは、俺が全身を震わせながら、何とか担いでいる雷槍を見ると

『身の丈にあわねぇ武器を持ってきてんじゃねぇよ……俺様が運んでやるからさっさと乗れ』と呆れたような声を出した。

意外な優しさに驚きながら、雷槍をジークの目の前に置く。

ジークはそれを軽々と、牙で挟んで、持ち上げた。

あれほど重かった雷槍が、ジークの口に挟まっていると、爪楊枝のように見えた。

「それじゃ、失礼します。」という言葉と共に、漆黒の体を手探りで登っていく。

何とか背中らしき場所に到達し、巨大な両翼の付け根にしがみつく。

『しっかり掴まっとけよ』と言うと同時、ジークは両翼を全開にし、前方の壁に向かって突進を開始した。

突風が顔面を叩き、反射的に目を閉じ、開くと、壁が目の前まで迫っていた。

衝突すると同時、轟音が響き、壁は豆腐のようにあっさりと崩れ、砕かれた壁の大きな破片が、後ろに流れていった。

ジークは、全く減速することなく、壁を砕きながら突進していく。

後方を振り返り、崩れて吹き飛ばされていく瓦礫を見ながら、今自分がこの手を離したら、あれに仲間入りだなと思った。

何度目かの壁との衝突を終え、ジークは、遂に船から脱出し、大空にその身を踊らせた。

ジークは減速し、ゆっくりと羽ばたきながら、前進する。

下を見れば、雲が遥か下にあり、地上の様子はよく見えない。

いつも思うのだが、船は高度何千メートルを飛んでいるのだろう。

振り返ると、今まで居た船の姿が見て取れた。初めて見たその姿に思わず威圧される。

ジークすらも小さく感じるほどの大きさの船だ。見れば、もうジークが空けた穴が塞がり始めている。

船の姿は、ゆっくりと遠くなっていき、唐突に姿を消した。

エレナの結界の効果が発動したのだろう。

あんな安全な場所に匿われていた事に改めて、驚きを感じる。

ここに帰ってこれるかはわからないが、必ずセリスだけは救い出す、と改めて自分に誓い、視線を正面に向けた。


戦局は、僅かにアレスが有利になっていた。モルス軍には、ファウストも、シロナも、竜もおらず、ミラとレイナの2人を足止めする役がいないからだ。

ミラの魔法が、レイナの槍が、ディアンの双剣が、ゲンのハルバードが、モルス軍を、次々に蹴散らす。

流石にモルス軍なだけあって、1人1人が、騎手も魔法使いもゴーレムでさえも強いが、彼らは問題なく戦えている。

だが、デュナスと刃を交えるカルナと、他の魔法使い、ゴーレム、そして騎手達を蹴散らす4人は、全く安心できずにいた。

セリス1人を連れていくために、帝国で最も強い魔法使いである2人、シロナとファウストは、この戦にほとんど参加していない。

それはつまり、よほどセリスが大事だという事。またユウの時のような事になるかもしれない。

そこまで考えていた彼ら、《レヴァテイン》のメンバーと、アレス軍は、唐突に同時に動きを止めた。

彼等の前方で、何の前触れも無しに、今まで戦っていたモルスの魔法使い達が、一斉に、後退し始めたのだ。

そして騎手や歩兵の騎士達、そして、ゴーレムまでもが、魔法使いを追いかけようとした者の前に、立ち塞がる。

その背後で、魔法使い達が、前回のアレス進行の時のような、円状の陣形を作り始めた。邪魔されること無く、後退に成功した魔法使い達が、次々に円陣に加わり、千万規模の巨大な陣形が、完成していく。

騎士やゴーレムも、捨て身の戦法で、殺されても殺されても、次から次へと、盾になる。

異様な後継だ。命令に従うしかないゴーレムはともかく、騎士達までもが、まるで自分達が死ぬことを、何とも思ってないように見える。

「まさか、また転送魔法で逃げる気か!」

「いや、あれは……!」

直後に響いたゲンとディアンの声に、被せるように、魔法使い達は、詠唱を始めた。

後退に失敗し、殺された魔法使い達、守ろうとし、敗れた騎手達。そして、戦場で死んだ全ての者。

彼等の血が、詠唱が紡がれる度に、陣形の中央に、取り込まれていく。

「まさか、戦場一帯の血をリソースにして極大の魔法で、一帯を消し飛ばすつもりですか……」

とミラが呟いた途端、アレス軍と《レヴァテイン》が、恐怖で一瞬固まる。

直後に、盾になる騎手達に向かって無謀な突進をする者、魔法の予想される破壊規模の範囲から、離脱を試みる者などによって、戦場は一気に混沌に叩き込まれた。


「……っ!」

戦場の中心から少し離れた、ぽっかりと空いた穴のように誰も近寄らない空間。

そこで、デュナスと激しく切り結び続けるカルナは、思わず舌打ちする。

「安心しろカルナ。ここにあの魔法による破壊は届かない。」

デュナスは、カルナが魔法の破壊に巻き込まれる心配をしていると勘違いしているが、カルナは全く別のことを考えていた。

皆を助けにいかなければ。ただ、それだけを考えながら、終わりのない剣戟を続けていた。

唐突に、長大な詠唱が止む。どうやら術式は完成したようだ。

カルナは、振り下ろされたグラムを、渾身の力で弾き返し、素早く跳んで、デュナスから距離を取った。

デュナスはそこで、カルナは一旦距離を取ったのだど勘違いした。

だが、カルナは、更にもう1度跳んで、長距離を移動し、その空間を離脱した。

「なっ……」

デュナスは、カルナが戦闘を放棄した事に衝撃を受け、一瞬硬直し、慌ててカルナを追った。


魔法使い達は、完成した術式を円陣の頭上に保持したまま、待機している。

盾になっていた多くの騎士が、一斉に円陣の背後に退避していく。

耳を劈くような、数千万規模の馬蹄の轟音と、大地が震えるような振動が響く。

ゴーレムだけは、この場に残るように命令されたようで、離脱しようとする騎士を追いかけようとした者に、襲いかかっている。

ミラが、序盤で使った術式と同じものを、高速で組み上げ、他の《レヴァテイン》のメンバーと、アレス軍は、予想される範囲から離脱していく。

最後の騎手が、離脱し終わると同時、ミラの術式が完成し、最初と同じく水色の巨大な円盤状の盾が現れた。

ほぼ同時に、円陣の頭上から、極大の光の柱が放たれ、盾に衝突する。

柱は直撃した後、呆気なく盾を破壊し、水色の盾の破片が空中に拡散した。

柱は突き進み、背後の戦場を蹂躙する。

凄まじい轟音と風圧。

触れたもの全て、ゴーレムも、離脱し損ねた者も、例外なく消し飛ばされる。

逃げようとしていた1人の少年が転けた。

その傍にいた女が、少年に駆け寄ろうとし、2人に破壊の閃光が到達する寸前。

1陣の疾風が飛び込み、躊躇わず少年だけを抱え、 光の柱の破壊範囲から離脱する。

疾風はカルナだった。カルナは、《レヴァテイン》のメンバーが全員、安全な位置にいる事を確認し、魔法に飲み込まれそうになっていた少年を助けたのだ。

破壊範囲から離脱したカルナは、思わず背後を振り返る。

光が通過した地面が真っ黒に焦げている。極大の光柱は、戦場を一直線に駆け、軌道上にあった全てを、跡形もなく消し飛ばしていた。

放たれた直後だったため、1人しか救えなかったという事実に、思わず怒りがこみ上げる。

「まさか、こんな手を使って来るとはな……!」

「母さん……」

一人呟いていたカルナは、下からの声に、目を向けた。

赤い髪。背中には巨大な大剣の柄。そして全身に、赤銅色のフルプレートアーマーを着込んだ少年。

先程、カルナが飛び込んで、助けた少年だ。

目に光がなく、ただ呆然としているその少年は、ある人物を脳裏に蘇らせた。

鈍い痛みが脳を掠めるが、軽く頭を振ってそれを吹き飛ばし、少年をそっと下ろしたカルナは、少年に背を向け、猛烈な勢いで突進してくるデュナスに視線を向けた。


「私の最大の盾魔法が、あんなにあっさりと……」

ミラは、戦場一帯を見回して、唖然とする。今の一撃だけで、生きていたアレス軍の2割近くが、木っ端微塵に消し飛んでしまった。

レイナの槍と同じ原理だが、これは威力が桁違いだ。

全員生き残れた《レヴァテイン》のメンバーとアレス軍も、周囲を見渡して、目を見開いている。

「呆然としている暇はないぞ。奴ら、まだやる気のようだ」

レイナの声に視線を向ける。

魔法使い達の後方に退避していた騎士達が、馬蹄を響かせながら次々に、こちらに向かってきていた。

レイナとミラは、軽く頷きを交わし、戦闘態勢に入った。


カルナは跳んで逃げ回り、デュナスと自分が助けた少年を充分引き離したと感じた所で、止まった。

魔力の足場を蹴り飛ばし、カルナは着地する。

その姿を見て、デュナスは突進を中止し、呟く。

「俺との勝負中に、他の事に気を回す余裕があるとはな、カルナ」

デュナスの呟きは、カルナには聞こえていない。

「バルドに与えられた力を、お前との剣の戦いに持ち込みたくはなかったが、仕方がない。」

その言葉は聞こえていなかったが、カルナは、デュナスから巨大な魔力の反応を、しっかりと感じ取った。

—どっちで来る。極限解放か、《拒絶》か。

カルナは、デュナスがこちらに達する数秒もない時間で、必死に思考する。

今、《対話》やその応用魔法を使っても意味がない。

どちらかが来るのは明白なのだから、膨大な魔力を持っていかれるような2つで、思考を読んでも仕方がない。

故に、もし極限解放ならば、それを相殺できるほどの威力を。もし《拒絶》ならば、弾けないほどの超出力を。この一撃で出すしかない。

思考の末、その結論にカルナは至った。

デュランダルをデュナスに向け呟く。

極限解放リミットブレイカー

カルナの声と同時に、氷剣デュランダルは唸り、神々しい輝きを放ち始めた。

この世の魔装兵器には、一部において、過去にとてつもない伝説を持った物がある。

巨大で濃密な雷の柱によって穿たれた、対岸が見えないほどの大穴の底にあった雷槍。

1人の騎士が所有しているだけで、軍に常勝をもたらした希望の大剣。

そういった魔装兵器の始まりの記憶。

つまり伝説そのものを、莫大な魔力を使用して、強制的に具現化させる。

それが、極限解放リミットブレイカー。原初の記憶に至る、魔装兵器の深奥にして極限。

今、この瞬間だけ、デュランダルは現実と伝説を繋ぎ止める媒介となる。

極限解放の力によって、デュランダルの島国一つを、丸ごと巨大な氷塊にした伝説そのものが、今、この世に現界した。

デュランダルの刀身から、氷結の暴風雨が吹き荒れ、触れるもの全てを例外なく凍らせていく。

それは、ミラが以前使用した複合魔法ブリザードプリズンクラスの大きさの氷塊が、数百、数千単位の数で、凄まじい勢いの竜巻と共に吹き荒れているような光景だった。

暴風雨が自身に達する寸前に、デュナスは《拒絶》を発動し、デュナスを中心として、小規模なドーム状のエネルギーが展開する。

暴風雨が直撃し、《拒絶》の神術は、迫り来る凄まじい攻撃の嵐を、凄まじい音を響かせながらあらゆる方向に次々に弾き飛ばす。

だが、《拒絶》のエネルギーは、暴風雨の勢いによって、少しずつ削られていく。

ほぼ全ての暴風雨を弾き飛ばした《拒絶》は、最後の氷塊によって、完全に消滅した。

ほとんど減殺されたエネルギーが、デュナスの腕に直撃し、篭手が凍りつく。

「ぐっ……!」

そこで極限解放は終わった。

カルナは、真っ直ぐな視線で、デュナスを射抜いた。

デュナス本人は、篭手の部分だけが凍りついているだけで、他には全くダメージを負った様子がない。

だが、辺りには、弾かれた氷塊によって、ありえない光景が出来ていた。

島一つを丸ごと氷漬けにしたその力は、弾かれた後、空気中・地上のあらゆる物を凍らせた。

その結果、デュナスとカルナを包むように、ドーム状にエネルギーが堆積し、上だけスプーンでくり抜いたような形の大規模な氷山を形成していた。

氷山は、様々な方向に向け、先端が鋭い氷柱が突き出していて、とてつもない冷気を放っている。

戦場にいた全ての者が、戦いを中断し、その光景をただ見つめた。

一瞬の沈黙を、デュナスの声が引き裂く。

「バルドから撤退命令だ。全軍後退」

明瞭な落胆を帯びたその声が響くと、モルスの騎手達は、一斉に魔法使い立ちの元へと、逃げるように去っていく。

デュナスは、カルナを一瞥すると、跳んで氷山の隙間から離脱し、騎手達に合流し、ここに来るまでに騎乗してきた馬に飛び乗った。

その光景を《レヴァテイン》の全メンバーは、ただ見送った。

今は、深追いするよりもセリスを助けに行くほうが先だと判断したからである。

事情を知らないアレス軍は、将軍のダライアスを含めて、モルス軍を追いかけないことに困惑していた。

全軍が撤退完了すると同時に、前と同じく円陣から光が放たれ、数千万規模の軍隊は、一瞬で消え去る。

カルナは、ミラにセリス搜索・救出のためについてくる事と、レイナ達に、事後処理と、アレス軍への事情説明を任せる事を念話で伝えた。


「なぁ、ジーク」

最初は高所から見下ろす景色に目を奪われていたが、少し空の旅に飽きてきたので、ちょっとした好奇心でジークに話しかけてみた。

『気軽に俺様の名前を呼んでんじゃねえよ。ぶっ殺すぞ』

返答に少々頭が痛くなる。この竜からすれば、言葉一つで、殺しの対象になるらしい。

「なんでそこで怒るんだよ……なあ、《レヴァテイン》に協力する代わりにカルナが皇帝になったら何かをしてくれるっていう約束があるって聞いてるんだけど。どんな約束をしたんだ?」

『なぜ今そんな事を聞く』

「いや、何となく。答えたくなかったら別に—」

『カルナが皇帝になったら竜種殲滅令を撤廃してもらう。それだけだ』

「そっか。まだ残ってるんだな、殲滅令……でも、帝国の外にでなければよかったんじゃないか?」

『地下牢に繋がれてるのは性に合わねえんだよ。それに—』

「それに?」

『飛ぶのが好きだったからな』

その答えに少々驚き、口元が緩むのを感じた。

「へぇ。なんかいいな、そういうの。」

『噛み殺すぞ、糞ガキが』

「だから何でそこで怒るんだよ……」

どうにもジークを含めて、竜という生物は気性が荒すぎる気がする。

こめかみを押さえながらそんな事を考えていると、視界の隅に巨大な漆黒の城が映った。

「あれは……」

『あれが糞ガキの目的地。オブジディア城だ』

「もうついたのか?早いな。てかなんで知ってるんだ?」

『あれは、竜を服従させる目的で作られた建物だ。俺様とディアスとバルカークは、幼少期の大半をあそこで過ごした。モルス近くの放棄された城なんざここぐらいしかねぇよ』

「わざわざあんな巨大な建物を作ってまで、服従させたかったのか」

会話が終了し、ジークは少しずつ高度を落とし始めた。

高度を落としたジークは、城の2階らしき高さまで来たところで、一旦停止し、前方に向け、高速の突進を開始した。

強風が顔面を叩く。嫌な予感を感じ、背筋に冷たい汗が流れる。

視界いっぱいを城の壁が埋め尽くし、俺が身を硬直させると同時、先刻の船のように城の壁が、あっさり崩れ去った。

ジークは、城内部の黒床にしっかりと着地し、大きく口を開いた。

挟まっていた雷槍が落下し、重い音が響く。床に細い亀裂が走った。

『ほらよ、到着だ。じゃあ俺様は豚共を食い散らかしてくるぜ』

と言うが早いか、ジークは身を翻し、先程自身が開けた穴から飛び去った。

「ありがとな」

と言い、雷槍を両手で持ち上げる。

渾身の力を込めているのに、少しずつしか動かない。

なんとか持ち上げ、肩に担ぎ上げる。

途方もない重みが肩に伸し掛るが、歯を食いしばって堪える。

魔力路形成の痛みがまだ止まない体を、無理矢理引きずりながら、1歩1歩踏みしめるように、歩みを進める。

どれほど進んだのだろうか。半日近くも歩いた気がするし、15分しか経ってないような気もする。

そんな奇妙な感覚の中で、ひたすら足を動かし続けた。

魔力路形成は終盤に達したらしく、体感では、9割近く終了している。内部から響く痛みは、一秒ごとに大きくなっていっている。

強烈な痛みに顔をしかめながら、前方をみると、通路が三方向に分岐していた。

左には下りの階段。右には上りの階段。中央は、通路の奥に、床や壁と同色の真っ黒な扉。

深く息を吸い込み、両手が塞がっているので、体で扉を押した。

扉が開いた瞬間、中の部屋に滑り込む。鼻をついたのは、濃厚な血の匂い。部屋の中には、大量の鮮血が散らばっていて、床には赤髪の少年が、傷だらけの様子で転がっていた。気を失っているようだ。

「セリス……っ」

どうやらセリスはここに監禁され、誰かによって、痛めつけられていたようだ。

駆け寄ろうとし、寸前で踏みとどまる。 セリスの脇にいる黒い髪の毛の男を見た途端、全身の血が沸騰するような怒りを覚える。

「ファウスト!」

「やあ、やっぱり来たね」

内側から響く痛みが全く気にならない。全神経が目の前のファウストに集中している。

「今回は何が目的だ」

全力の殺意を込め、睨みつける。

「んー今回も最終的には君かな。あんな失敗の後ならカルナは、絶対君を戦闘員から外すと思ったから、こういう回りくどい感じになっちゃったけど」

「?もう俺に使い魔をつけても無駄だぞ」

「もうしないさ。今回は、単なる遊びでここに連れてきたんだ。」

「は……?」

「君は何か勘違いしてるみたいだけど。

君達とアレスじゃ、モルスとは比べ物にならない。

既に埋め難いほどの差がついている。だから遊びで戦争しようと問題ないんだ」

力の差があるのは、事実なのかもしれない。

だが、使い捨ての駒のように自軍を扱うファウストに、強い憤りを感じる。

目の前のこいつにとっては、今までの戦い全てが遊びでしかない。それが堪らなく腹立たしい。

「まあ、あまりに退屈だったんで、セリス君で遊んであげたんだよ。いやー兄弟愛ってやつなのかな?戦場でも俺だけを必死に探してて笑えたよ」

口元を歪め、ファウストは転がっていたガラス球を拾い、手で弄び始めた。

「それ以上言ってみろ。ぶっ殺してやる」

「さっきから持ち上げるのに必死なその雷槍グングニルでかい?ふふ、無理だよ。

君は俺の娯楽のための道具なんだ。敵とすら思ってない」

ファウストは、人差し指の先で、器用にガラス球をくるくると回転させる。

「娯楽?」

「ユウ君はさ、綺麗な物、好きかな?

俺は大好きなんだ。だって見てるとさ—」

ガラス球の回転が停止する。それは掌の上に落ち、ファウストはそれを握り潰した。

砕け散ったガラスの破片が散らばり、空気中でキラキラと輝く。

「真っ黒に汚く、取り返しもつかないほどに染めたくなるからね」

ファウストの瞳が、ゾッとするほど綺麗で、同時に危険を感じる色に染まった。

全身に走った恐怖を抑えつけながら、しっかりと目を合わせた。

「なぁ、一つ聞きたいことがあるんだが」

「なんだい?」

「匣の実験は、ずっと続いているのに、匣が無くなった人間達をどうして誰も探さなかったんだ」

ファウストは、不思議そうな表情を浮かべる。

「どうしてって……魔法使いは、周りがみんな敵なんだ。皆、自分だけの研究成果を出そうと日々、死ぬような努力をしている。資格を失った元の敵なんて見捨てて当然だよ。奴隷としてもそんなに役に立たないし」

「そうか。やっぱりお前らに見捨てられたから、彼等は逃げ出したんだ。」

「何が言いたいのかな?」

「匣が無くなった彼らは、皆で集まって逃げ出したんだ。お前らがいる所から。

彼らは辺境の地に村を作って、少ない人間が身を寄せあって何とか生き抜こうとしたんだ。」

これは俺が考えていたある仮説に過ぎない。だが、あっている可能性は非常に高いだろう。

「それは傷の舐め合いだったかもしれない。でも、そうして子供が生まれたり、新たにお前らから逃げ出してきた人達が加わってたりして、そうやって仲良く暮らしていたんだ。」

俺も、10年ほど前に、たくさんの人間が村にやって来て、村長と話していたのを見たことがある。その翌日、彼らは、村に住むことになっていた。

目の前で、ニヤニヤ笑いを浮かべ始めたファウストに問う。

「なぁ、両親共に匣がなかったら、子供にも匣が無いって言ってたよな」

「ああ。遺伝子から匣という情報そのものが抜き取られるからね。抜かれたらそいつの肉体には、元から存在しなかったことになる。」

「ああ……だから俺には、村のみんなには、匣が無いんだ。抜き取られた人達の悲しみから産まれたのが俺達だったんだ。」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ファウストが腹を抱えて笑い始めた。

「そうかそうか!これは傑作だね!実験で負った傷の舐め合いのために作られた村が、俺の実験のせいで滅ぶなんて!」

甲高く響く哄笑。これ以上こいつが喋るのを聞いていると、怒りで全身が燃え尽きそうだ。

「うるせぇよ。テメエだけは殺してやる。」

雷槍が重い。体の内側がすごく痛い。それらを抱えたまま、突進して、雷槍をファウストに突き立てようとし—

「無駄だよ」という一言で紙のように、吹き飛ぶ。後方にあった壁に勢いよく激突し、雷槍から手が離れる。

無様に地面に転がるが、指1本動かせない。

俺は、何が起こったのかもよくわからず、ただ床に転がって、無防備な姿を晒していた。

「君と俺との実力差をよくわかってないみたいだね?でも良かった。ようやくこれで今日の目的を達成できるよ」

ファウストは俺の前に立ち、壁に寄りかかる俺の顔を見つめる。

「なんだ、まだ綺麗な水色だね。いつになったら君の瞳は汚く濁るのかな?」

言葉と共に、斬撃の嵐に切り刻まれる。

体が動かない。声も出ない。意識が遠のいていく。

わかってはいたが、レベルが違いすぎた。これがミラと同格の魔法使い。あまりにも自分と違いすぎる。

視界が白く塗りつぶされる。その中で、ただひたすらに色んな事を考え続ける。

「許す」と言ってくれた時から彼女に感じていた想いを伝えていなかった。ジークは今どうしているのだろう。どうやらこいつは俺の瞳を絶望に染めたいようだ。

そんな益体もない考えが、頭の中をグルグルと回っている。

ただひたすらに、思考し続ける俺に、ファウストは、容赦なく様々な魔法を浴びせ、体が跳ねて、壁に何度も叩きつけられる。跳ね返って床に転がって、また壁に叩きつけられる。

色んな方向に吹き飛ばされ続け、上下左右がぐちゃぐちゃになる。

その度に、体中から生暖かい血が噴出し、全身を包む。

ファウストはわざと使っている魔法の威力を調整しているようで、俺の心臓は鼓動を続けている。

しかし、これで俺はもう終わりだ。内側の痛みと外側の痛みに挟まれた俺は、全く動けない。

何度も何度も、耳障りな笑い声と共に、威力を抑えた魔法を浴びせられ、あの日と同じように、自分が死ぬことを受けて入れているのを感じた。

いくら痛めつけられようが、死ぬことになろうが、絶望するつもりはないが、ただ一つ心残りがある。

セリスはまだ生きている。なのに助けられなかったことが本当に——

『弟のセリスの事を頼む』

不意に、セシルが途切れ途切れに残したその言葉が、脳内で反響した。

その瞬間、偶然か運命か、内側からの痛みが嘘のように止んだ。

それだけで理解した。魔力路がついに、全身に行き渡ったのだと。

内側からの痛みが止むだけで、体は動かせるようになった。これなら——

目を動かし、雷槍の位置を確認すると、有難いことに、自分の近くにあった。

動かなかった手を、必死に伸ばす。

懸命に突き出した手が、雷槍をしっかりと掴んだ。

ただそれだけで、全身が痛みを訴える。 だがありがたいことに、外側からの攻撃が止んだ。ファウストは俺をじっと見ている。

今がチャンスだ。

瞳を閉じる。心臓と細い管で繋がった匣をしっかりと思い浮かべた。

匣に、心臓が収縮するほどの生命エネルギーを吸い上げる。

遠のきそうだった意識が、更に遠くなりかけたが、無理やり繋ぎ止める。

吸い上げられたエネルギーは、匣の中で、魔力に変換され、散々俺の体を暴れ回った魔力路を、一瞬で循環した。

魔力を、腕の魔力路に少し残し、残り全ての魔力を掌の内側まで運ぶ。

魔力は掌から雷槍に流れ込み、雷槍の中で、雷に変換され、それを雷槍の穂先に纏う。

これまでの流れで、かなり時間を使ったように感じたが、ファウストはまだ俺の様子を伺っている状態から動いていない。

おそらく体感時間が引き伸ばされて、長く感じているだけで、これまでほぼ一瞬の出来事だったのだろう。

雷槍を杖替わりに必死に体を起こす。

全身のあらゆる傷が開き、血が滴るが、無視する。

痛みなんて気にならない。俺には、それを無視できるほどの強い感情がある。

俺は、セシルに託されたこの匣を最後まで燃やし尽くして、必ずセリスを助ける。そのためには、目の前のこいつが邪魔だ。

魔力で補強した腕は、重さを訴えることなく、雷槍をしっかりと支えている。

反応が遅れたファウストが、掌から青い炎を放った。

それは、間違いなくセシルを殺したあの炎だった。

「アアアアッ!!」

血の塊を零しながら、喉が張り裂けんばかりの絶叫を上げ、全力で雷槍を叩きつける。

炎は二つに裂け、その間を全く躊躇うことなく駆け抜ける。間を抜けた直後、背後で青い炎が爆発した。

爆風の衝撃が背中を叩くが、無視して突進し、否。その衝撃波すら追い風にするような勢いで駆け、前方まで迫ったファウストに、しっかりと狙いを定め、刺突を放った。

雷を帯びた刺突。それはまるで、自分の意思で動かしてるのではないような、鮮やかな一撃だった。

雷槍を放つ一瞬、腕が自分から切り離され、独りでに動いてるような奇妙な感覚を感じた。

放った突きは、ファウストの掌の魔法陣を貫いて、穂先が手の甲から突き出る。

鮮血が滴り、貫いた魔法陣の光が薄くなっていく。

「まさか匣を移植したのかっ!」

ファウストは、慌てて後方に飛び退き、彼の手を貫いていた雷槍が抜け、床に転がった。

彼は、呆然と自分の掌に空いた穴、俺の一撃で消滅した魔法陣が、元々あったはずの場所を見下ろした。

「やってくれるね……!」

ファウストは、もう片方の魔法陣が残っている手を俺に向けた。

慌てて立ち上がろうとした瞬間。

側面の壁が、轟音を立てて崩れさり、瓦礫の隙間を縫って、二つの影が部屋の中に飛び込んできた。

二つの影の一つが倒れているセリスに駆け寄り、もう一つの影に倒れそうだった体を、しっかりと支えられる。

二つの影は、ミラとカルナだった。カルナがセリスを助け起こし、俺はミラに支えられている。

崩れた壁の先から、ジークが滞空しているのが見えた。

ファウストは舌打ちし、俺を睨みつける。

「認めてやるよ、ユウ君。君は俺にとって明確な敵だ。次はもっと深い絶望に叩き落としてやるから覚悟しな」

ファウストは、不穏なセリフを残すと、こちらに背を向けて、その場を去った。

『追わない方がいいぜ。ウロヴォロスにバルカークまで来てやがる』

というジークの声に頷き、二人ともファウストを追いかけようとはしなかった。

静寂が訪れ、カルナが最初に声を発した。

「ミラ、セリスは無事だ。だが、出血量がひどい。任せてもいいか?」

「ええ」

二人とも、俺がなぜここにいるのかは、全く疑問に思ってないようだ。

ミラは俺に、輝くような笑顔を向け、セリスを背負って去った。

カルナが、

「セリスは生きていた。もう少し遅かったら助からなかっただろう。

それにファウストの魔法陣の敷設には、少なくとも6ヶ月はかかる。魔法使いも相当数必要だ。多くの魔法使いがその状態では、帝国は迂闊に動けない。2つとも間違いなくお前の手柄だ。よくやった」

自分で、そこまですごい事をした自覚はなかったので、少々驚いて返答に困る。

「改めてお前が戦闘員になる事を認めよう。よろしくな、ユウ」

頷き、しっかりと手を握り返す。

大きな回り道をしたが、ここに戻ってこれてよかった。

心からそう思い、そっと呟く。

「改めてよろしくお願いします」



ここに来て三ヶ月が経過し、季節は夏を迎えた。

あの戦いの後、様々な事が起こった。

俺の独断でセリスを助けに行ったことについて、ゲンやレイナは俺の事を見直した、背中を預けてもいいかもしれないと褒めてくれたが、ディアンには、そういう無茶は心臓が痛くなるのでやめてくださいと言われた。

戦いの後、ダライアスというアレス軍を率いていた将軍が、《レヴァテイン》の戦場での活躍をアレス国王シャルルに報告した。

ダライアスは相当カルナ達を気に入ったらしく、なんでも、仕留められる可能性はあったかもしれないのに、たった1人の少年のために、デュナス達を平気で見逃す精神に感動したらしい。

その報告により、《レヴァテイン》も、レオス・アレス2国の友好条約の中に組み込んで貰えることが決まった。

これにより船の中に、様々な人間が連日訪れるようになり、2国の一部の人間はここに住むようになったりしている。

新しく訪れた人間達も皆、ちゃんと何かしらの仕事をしてくれるので、船は以前よりも快適になった気がする。

今までは、モルスのレストランに潜ませたスパイによって、食材を転送してもらっていたが、レオスの後ろ盾を得た今は必要がなくなり、毎日の食事が、これまで以上に豪華になった。

中には、船の1室を丸々使って畑を耕し、自給自足を始める者までいて、とても驚かされた。

俺は、新しく手に入れた匣を使いこなすために、媒介を必要としない簡単な傷を塞ぐだけの治癒魔法や、魔力を固めて足場にする術、念話などを学んだ。

更に、毎日欠かさずゲンと訓練することによって、とうとう素手ではなく、彼の武器であるハルバードを使わせるまで強くなれた。

そんな日々の訓練の成果によって、雷槍グングニルも少し軽く感じるようになり、実戦に充分使えるようになったと思っている。

そんな日々の中で、俺は、ほぼ毎日ジークに会いに行くようにしていた。

相変わらず怖いが、あの戦い以来少しだけ刺が取れた気がしている。

部屋の前にあった鎖は、綺麗になくなった。カルナ曰く、最近食事が豪華だからジークの機嫌が良く、鎖は必要なくなったそうだ。

あの戦いの時、豚をあらかた平らげ、満足したジークは、すぐにカルナとミラと合流し、助けに来てくれたらしく、その話を聞いた俺は、この竜をひどく気に入ってしまい、ここに来るのが毎日の楽しみになっている。

そして、もう一つ日課にしていることがある。

セシルの遺体は燃やされ、骨になったのだが、俺はそれを引き取り、小さな一室に、土を敷き詰め、その中に骨を埋めた。

そして上から石を縦に置き、セシルの名前を刻んで、簡単なお墓にした。

始めてこれを作った時に、怪我が治ったばかりのセリスとセシルの母親に見られ、これまでの俺に対しての言動について、すごく頭を下げて謝られた。

この墓に訪れる日課は、毎朝行うことにした。

その姿を偶然見たミラからは、大感激されたが、正直とても恥ずかしかった。

彼女には、未だに自分の胸の内の思いを伝えられずにいるが、それはいつの日か機会が来るだろうと信じて待っている。

今日もまた、朝からセシルの墓に来ている。しゃがんで両手を合わせ、目を閉じつぶやく。

「少しずつだけど確実に前に進んでる。だから安心して見ててくれ」

目を開き、その場を去った。

部屋から出たすぐあとに、窓の下から赤い光が、目に飛び込んだ。

窓から下を見下ろすと、焔を全身に纏い、華麗に舞う鳥の姿があった。

幻獣・神獣の中でも竜に近しい高位の存在。見たもののこれから先の未来に、幸福が訪れると言われる幻の不死鳥。フェニックスだ。

その姿が完全に見えなくなるまで、俺はいつまでも見送り続けた。

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