第7話 救いと決意

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包み込んでくる手から、暖かさが伝わってくる。手の主は部屋に入ってくると、後ろ手で、扉を閉めた。

入ってきたのは、ミラだった。

「なんで来たんだ」

掠れ声で問うと、

「ユウがとても辛そうな顔をしてたので」

と言い彼女は、涙の跡が残る顔に無理矢理に作った笑顔を貼り付けた。

以前の自分なら間違いなく心臓が激しく跳ねたであろうその表情ですら、今の自分には、ひどく空虚に映る。

「もういいんだ、ほっといてくれ」

「できません」

言葉を言い終えると同時に、思考したかどうかも疑わしい程の即答をされ、苛立ちが全身に広がっていくのを感じた。

「同情してるのか」

自分の口から出たとは思えないほどの、冷たい声が漏れた。

ミラは俺の隣に座ると、天井を見上げながら呟き始めた。

「全くしてない訳じゃないですよ。でも、違います」

「それならなんで」

「私、辛そうな顔をしてる人を見るのがとても苦痛で、見るのも嫌なんです。だから、これは私のために—」

「じゃあ見なければいいじゃないか。大丈夫、俺はこの部屋からもう出るつもりは無い。」

「そんな……なぜそこまで、」

天井を見上げる彼女の横顔は作り物のように美しいが、まるで何とも思わない。心が凍りついてしまったようだ。

「今日1日で、わかってしまったんだよ。俺が外に出ることによって、周りの皆が危険に晒されたり、死んだりするくらいなら、俺はもう外に出ない方がいい。」

「ユウは悪くないです。ファウスト相手に生きて帰って来られただけでも素晴らしい、と私は思います」

「あいつが見逃しただけだ。俺を船への案内役にするために。

それにさ、ミラ。確かに俺は、悪くないのかもしれない。けど、カルナが言っていた通り、俺のせいなんだよ。俺に匣が無いせいだ。俺が戦闘員になろうとか思わなければ、セシルは外に出なかっただろうし、そもそも俺がいなければ、ファウストは使い魔の事を考えもしなかっただろう」

知らず声に力が入る。俺のせいでセシルが死んだも同然という事実は、俺の心に深い絶望の根を生やしていた。

「仮に、原因の一つにユウの存在があったとしても、ユウは出来る限りの事を精一杯しました。だから、きっとセシルは恨んでないと思います。」

その答えに少々驚いた。ミラは、俺の気持ちがまるでわかってないらしい。

「俺は、セシルに恨まれる事なんて全く考えてない。あいつは、俺に笑顔で匣を託してくれた。あいつは俺を親友と呼んでくれた。だから、恨んでないって断言できる」

「なら、何をそこまで思い詰めているんですか?」

「これから先も、また同じことをしてしまうのが怖いからだ。また、誰かを目の前で失ったり、危険に晒したりしたら、俺は自分で自分を許せない。」

次こんなことがあれば、この組織のメンバー全員が、俺を嫌うし、避けるだろう。

そして何より、自分が嫌いになるだろう。

セリスの目もセシルの母の目も、もう二度と見たくない。もし、この組織の人たちに、あんな目を、もう一度でも向けられたら、俺の心はきっと壊れて、もう二度と元通りにすることは不可能だろう。

だからもう、外には出ない。これ以上周りから嫌われないように、そして何より、これ以上自分の事を嫌いにならないように。

「自分の間違いのせいで、周りの人間に嫌われること、そして自分を嫌うことが怖いのですか?」

「そうだ」

ミラは、天井を見上げていた顔をこちらに向け、思いもよらない言葉を口にした。

「何でもかんでも自分のせいだと思うのは、思い上がりですよ」

3秒以上絶句した。明らかに俺のせいなのにミラは、それを思い上がりと言ったのだ。

「よくも知ったような口を——」

全身に充満した怒りに任せて、睨みつけた俺を、ミラがそっと抱きしめた。

全身の筋肉が、衝撃に打ちのめされて硬直する。

「わかりますよ。自分の近くで誰かを失う事は、1人では背負いきれないほどの重みを背負うことになります。」

花のような香りが漂う。触れる体は、歴戦の魔法使いとは思えないほどに、普通の魅力的な女性だった。

「でも大丈夫です。例えカルナが、そしてあなた自身が、あなたの事を許さなくても。私は、私だけはユウを許します。

例えあなたがどれだけの間違いを犯そうと。あなたが原因で、どれだけ私達が危険に晒されようと。

どんな結果を迎えることになっても、あなたが全力を尽くしたのであれば、私だけはあなたの味方です」

そう言い、そっと俺から離れた彼女の笑顔は、今まで見た中で、最も美しく感じた。

心臓が激しく暴れ、凍った体と心に炎が灯るのを感じた。

許す。ただそれだけの言葉に全身が安堵する。

「けど、俺はもう外には」

「外に出るのは、簡単ですよ。カルナだって鬼じゃないんですから。ユウの意思と行動次第で、いくらでも変えられます。

それとも、他に何か怖いことがあるんですか?」

怖いこと。許されないこと以外に怖いことは、失うことだと思う。

でもこれから強くなれば。仲間を失わずに、それどころか、命の危機に瀕した仲間を救うことだって出来るかもしれない。

なら、何を怖がるのだろう。許してくれる人がいるのなら、きっと俺は戦える。

「いや、もう大丈夫だ。ありがとう」

彼女は、そっとこちらに微笑み、部屋を出て行った。

俺は、これから行動する度に付きまとう無慈悲で残酷な結果を、誰も許してくれないと思っていた。

何かをする度に、過程でどれだけ努力しようと、結果的に自分は周りの人間を自覚なしに危険に晒し、周りから人がいなくなり、そのうち孤独になると思っていた。

でも、もう大丈夫だ。何があっても許すと言われた。だから、どれほど間違えても、もう俺は決して逃げたりなんかしない。

それが例え、自分の間違いを正当化するための詭弁であったとしても、守り抜こう。

ただ1人、俺を許すと言ってくれた彼女のために。


「いい加減頭を上げてくれないか」

俺はミラに励まされ、直ぐに立ち直った後、カルナの部屋に来ていた。

部屋に入るなり、電光石火の速度で、頭を下げた俺に、新聞を読んでいたカルナはそんな言葉をかけた。

「俺のせいでセシルを失った上に、仲間の命を危険に晒してすいませんでした」

「何のつもりだ。いくら謝罪しても俺はお前を戦闘員に戻すつもりは無いぞ。そうだな、せめて何か手柄の一つでも立てれば考えてやる」

「手柄を立てればいいんですね?」

「急にどうしたんだ。この船の中で手柄を立てるなど、不可能に等しいぞ」

「俺はみんなのために、部屋から出ないつもりでした。でもそれは間違いだった。みんなのためを思うなら、自分に出来る事を精一杯やるしかない。だから—」

カルナは背後の窓に顔を向け、

「そういえばユウ、お前は知っているか?この船のエレナの結界のことを」

と、全く関係ない話を始めた。

「知ってますけど……それが」

「あれはな、物理で壊すことはまず不可能だ。そしてこの船も、竜核に損傷がなければ、どれほど壊れようと秒で回復できる。つまりは、この船をぶち壊して誰かが外に出ようとしても、全く迷惑にはならないという事だ」

「……」

「ジークに夕食を持っていかなければな。あいつはアヌール豚が好物だ。覚えとくといい」

と、言い残して部屋を去っていった。

カルナが残していった新聞に目をやる。それで今の自分に必要な情報全てが揃った。

「ありがとう、カルナ」


「へぇ……髪の毛の中に使い魔が。そりゃ災難だったねぇ」

シノは、葉巻を吸いながらそっと呟いた。見た目は文句無しの美人なため、葉巻を吸う姿は、とても違和感がある。

どうやら俺は時間を持て余すと、自然に医務室に足を運ぶ習性がついてしまったらしい。

「隠蔽魔法か。確かに私には全く感じ取れなかったな」

「でもカルナやミラはすぐに気づいて、」

「あの2人とエレナなら気づくだろうね。エレナの場合は、結界の中に異物が紛れ込んでいた時点で、気づく筈だが。まあ、多分寝てたんだろう。」

そこで一旦言葉を切り、葉巻を口から離して大きく息を吸う。

「ミラは、視認した時に魔力的な異物を感じ取れるだろうし、カルナは、『対話』の神術の影響で、視界内に生物が存在すれば感じ取れる。それ以外の人間に隠蔽魔法で隠された使い魔を見破るのは不可能だ。」

「でも、頭の上に乗ってればさすがに気づくんでしょう?」

「匣があれば、ね」

「なんで匣がないと認識すら出来ないんですか?ミラの出していた炎の魔法とかは目に見えたのに」

「君は魔法の知識が全くないんだな」

「うちの村では、魔法とか全く異世界のことで」

「はぁ、前から思っていたんだが、君の村は少し閉鎖的過ぎじゃないかね?今時レオスでも少しは魔法についての知識は持っているぞ」

煙と共に、大きなため息をついた彼女に、俺は何も言い返せなかった。

「魔法はな、魔力を媒介の中で変化させて行う物なんだ。

変化は、大きく分けて属性変化、形状変化、性質変化、温度変化に分類される。

属性変化は、魔法使いが己の持つ属性を魔法に与えるものであり、本人が持つ属性と媒介となる杖や魔法陣の属性が一致すると、魔力に属性の変化を与えることで、魔法にできる。この魔法は匣が無くとも肉眼で捉えることは可能だ。

五大属性という火・水・雷・風・木が最も一般的な属性だと言われているが、もちろん複数の属性を有する魔法使いもいるし、五大属性以外の属性を持つ事も珍しくはない。ちなみにミラは、7か8ぐらい持っているぞ」

「7か8……」

「性質変化と形状変化は、匣が無ければ認識できない。匣無しに認識できる魔法は属性に変化したものだけだ。温度変化は、氷魔法などに用いられるな。あれは、属性変化の水魔法に温度変化の理論を用いたものだ。」

シノの話は、半分ぐらい意味不明だったが、一つ気になった。

「そういえば匣無しってこの世界では珍しいはずなのに、随分とこの組織の皆は、それを気にしないというか」

「ああ、まあ帝国でエレナの実験で匣無しになった人間を大勢見てきたからな。別段私達にとって匣無しは珍しい話でもない」

その言葉を聞いて、自分の中に渦巻いていた疑問が浮上する。

「その実験なんですけど、匣が抜き取られて無くなった魔法使い達って、その後どうしたんですか」

「歴史では、実験の後、用済みになった彼らは帝国の奴隷にされ、その後唐突に姿を消した筈だ」

「唐突に……!?」

「ああ。殲滅令の後、この船を作ることに成功した魔法使い連中が、これなら人体実験も可能だろうと、匣を結合させ、そして人体へそれを埋め込む実験を始めた。

つまり相当昔から、実験は続いている。まあ、成功例はエレナだけだがね。」

「つまり、殲滅令の後から相当数の匣無し人間が生まれた、という事になりますね」

「ああ。匣を抜かれた彼らは、昔から奴隷として扱われてきたんだ。しかし彼らは、皆同様に、ある日を境に唐突に姿を消す。」

「原因は」

「わかってない。というより魔法使い達は、彼らの存在を必要としていなかった。全く搜索すらしてないんだ。ずっと昔からね。」

—だって匣のない人間に価値なんてないし。

ファウストの声が、頭の中で再生され、苛立ちが全身を駆け巡った瞬間、

《戦闘員は至急、会議室に集まってください。繰り返します戦闘員は—》

と、船全体にアナウンスが流れ始めた。

「君は行けないだろ?ここでお留守番さ」

「ですね。じゃあここに来た本題を話そうと思います。」

「お、ちゃんと目的があって来てたのか。まあ薄々内容は想像できるが、一応話してくれ。」

葉巻を灰皿に押し付けるシノの表情はいつになく険しい。

俺は軽く頷き、

「魔力路の形成。後、セシルの匣を俺に移植してください」

と真っ直ぐ目を合わせて言った。


「今回は、奇襲部隊や囮ではありません。宣戦布告して少し経ちましたが、モルスの本隊がレオスに向かっているようです。そして同時にアレス軍もレオスに向かっています」

「ああ。助かったぞカレン」

アレス王国がこの戦いに参戦する理由は一つ。アレスとレオスが、友好条約を結んでいるからだ。

はるか昔、殲滅令によって、イグナティウスを初めとする多くの騎士がアレスを離反し、モルスに仕えた。

それによる深刻な軍事力不足を補うために、アレスは、隣国の商業の国レオスに進行した。

結果はアレスの圧勝。レオスは商人達が集まり、貴重な物資が行き来する素晴らしく栄えた国ではあるが、軍事力は皆無と言っていいほど乏しく、多くの騎士を失ったアレスに敗北するほどの力しか持っていなかった。

終戦後、レオスは豊富な物資を毎年3割アレスに輸出し、アレスは、レオスが軍事的な攻撃を受けた場合、レオスの友軍として加勢する、という内容の友好条約を結んだ。

前回レオスに奇襲部隊が来た際は、対応が遅れたため、レオスからの信用を僅かに失っているアレスだが、今回は間に合い、現在レオスに向かっている。

つまりこれは、モルスがレオスに進行するのをアレスが食い止め、そしてそこに《レヴァテイン》が加わる、というカオスな戦いが予想される。

「それにしても、ようやく戦闘服着れましたね」

というディアンの呟きに、全員が苦笑する。カルナはいつも通り黒い外套を羽織っており、他のメンバーは、白く神々しい衣装を着ている。

カルナの外套には肩、他のメンバーの衣装には背中に、2頭の竜の紋章がある。

これまでの戦いは、急いで戦場に向かわねばならなかったため、外套を羽織るだけのカルナ以外は私服で出るという、何とも動き難い状態だったのだが、今回は時間に余裕がため、全員が戦闘服を着ることが可能だった。

「これで多少は動きやすくなるだろう、さぁ行くぞ」

全員が一斉に頷き、下への転送装置へと向かおうとした瞬間—

「すいません!僕も連れていってください!」

という大声に全員が足を止めた。

声の主はセリスだった。

「お前は戦闘員じゃないだろう?それに今回の戦場は今までとは比較にならないほど激戦だ。危険だから—」

「お願いします!危険を感じたらすぐに避難します。戦力は多い方が有利なはずです。」

と言い、頭を下げたセリスに、

「カルナ、この少年は匣持ちだ。この前のような状況になる心配はないと思うぞ」

とレイナが助太刀に加わった。

「しかし、戦場は」

「こいつは多分、意地でも来るだろう。私達が強敵をできるだけ引きつければいい。それにこの船の戦闘員不足は本当に深刻だ。1人でも戦える人間は必要だ」

「……わかった。」

《レヴァテイン》の戦闘員達は、適当に挨拶をして、すぐに転送装置へと向かった。よほど急いでいたのか、彼らの目には、追ってくるセリスの表情に明確な憎悪の色が浮かんでいるのが見えていなかった。


「それじゃあまずは、匣を君の体内に入れるぞ。これ自体はそこまで痛くないから気を楽にしな」

葉巻を吸い終わったシノに青いシーツが掛けられたベッドの上に俺は寝かされた。

今は、上に着ていた服を脱ぎ、上半身裸の状態だ。

深く深呼吸する。なぜか自分が、そして自分の村が、持っていなかった匣と魔力路が今から自分の中に—

シノが俺の心臓の真上辺りに、セシルの匣をそっと置き、その上に手をかざして、複雑な術式を組み上げていく。

水色の光が匣から放たれ、脈を打つように光が強くなったり、弱くなったりしている。

ゆっくりと匣が俺の肉体へと降下していく。触れた瞬間、氷が当たったようにひんやりとした。

匣は、俺の体をすり抜け、完全に姿を消した。

匣が入っていった部分だけが、とても熱い。どうやら無事に埋め込めたようだ。

上から手をかざして、術式を組み上げていたシノが、ゆっくりと息を吐く。

「これで匣はOKだ。さぁ、次は地獄の痛みだ。魔力路形成に入るとしよう。」

そう言い、1粒の丸くて細長い錠剤を渡される。こんな物で、本当に魔力路を作れるのか一瞬不安になるが、今はそんな事を言う余裕もない。

「これが君の体内で、匣から全身に魔力を循環させる魔力路を形成する。主要な臓器は避け、一秒ごとに削られた部分を治癒するように術式を組み込んでおいた」

恐る恐る手に取り、一息に飲み下す。

飲み込まれた錠剤は、ゆっくりと体内で降下していき、匣が入っていった場所に到達すると同時に、そこで落下を止めた。

同時に、匣から全身に向け、魔力路が伸びていく。

「がッ……!?」

まるで複数の炎の蛇が暴れ回っているようだ。蛇は匣から何匹も何匹も現れ、体を食い破りながら全身に散らばっていく。

熱い。痛い。熱い痛い。熱い熱い。痛い痛い。熱い熱い痛い痛い熱い痛い痛い熱い熱い痛い痛い熱い——!

蛇は、ゆっくりとゆっくりと俺の体の内側で、広がりながら喰らっていく。

「あ……っ」

だが、これはセシルが俺に残してくれた唯一の力だ。だからこんな物には屈しない。この痛みを乗り越えれば、きっと皆と肩を並べて一緒に戦える。

熱い。それがどうした。痛い。セシルはもっと痛かったはずだ。こんなものは、苦痛でも何でもない。

俺の親友がファウストによって、与えられた痛みに比べれば。

だからこんなものは、何でもない。この先で今よりずっと強くなれると信じている。

「私は、少し外すから。ここから動くんじゃないぞ」

と言い、シノは去っていった。

俺は、喉にこみ上げてきた血の塊を無理やり飲み込み、目を見開いた。


レオスから3キロ南の広大な平地にアレスの軍勢は陣取っていた。

歩兵・騎乗兵合わせて、1000万以上の軍隊。

掲げられた旗には、炎を纏い踊る獅子の紋章。

重厚な鎧と兜に包まれたその顔から伺える表情は、歴戦の戦士に相応しいオーラを放っている。

超巨大な集団であるにも関わらず、彼らの列には全くの乱れがない。モルスに次ぐ軍事力の国と呼ばれるだけあって、彼らは戦士として一人一人が超一流だ。

だが、彼らはわかっていた。こんなものは、負け戦だと。

1度アレスに気づかれない程度の規模で、レオスに奇襲部隊を送った時。

その直後、なぜかアレスに進撃しようとした時。

そのどちらも、謎の集団により邪魔されたが、モルスは本気ではなく、アレス進撃の際は、魔法使い達は転送魔法の陣形を組んでおり、戦いにすら参加しなかった。

だが、今回は違う。アレスから吸い取った騎士達。豊富な魔武器。古くから受け継がれてきた最強の魔法。そして、殲滅令により滅ぼされたはずの竜が生きており、しかもモルスに加担している。そんな戦力が今回は、本気で攻めてくる。

彼らは、ありとあらゆる手段を使って情報を集め、確信した。

自分たちでは、どうあってもモルスには勝てないと。自分達の国もレオスも、モルスの領土になって終わりだと。

それを承知の上で、彼らがレオスを守るのは、レオスと友好条約を結んだ先代の王に恥じぬ戦いで、自分達の人生に幕を下ろそうと決めたからである。

突如、上空から青い閃光が軍勢の少し先に突き立った。

「まさかもう来たのか……?」

という将軍ダライアスの呟きが終わると同時に、閃光によって上がった土煙が晴れた。

そこには銀髪の月のような青年を中心として、扇状の陣形で片膝をついて頭を垂れる6人の武装集団の姿が見て取れた。

その姿を見ると同時に、ダライアスは声を張り上げた。

「何者だ!」

「将軍ダライアス殿とお見受けする。俺の名前はカルナ。レジスタンス《レヴァテイン》のリーダーをやっている。貴殿に提案があるのだが」

カルナ、という名前を聞いた途端、集団が一気にざわめき、直後に殺気立つ。

「カルナ……知っているぞ。『対話』の神術を応用し、限定的な部分だけを開放する『念話』の魔法をモルスにもたらした皇帝の息子……そのような者が何用だ。まさかそんな少人数で、先闘部隊のつもりか?」

「俺はもうモルスに属していない。先程も言ったとおり、俺達はレジスタンスで、今回は貴殿に提案があって来た。話を聞いて欲しいのだが。」

「ほう……レジスタンスか。いいだろう、聞いてやる」

ダライアスは背後に向け、腕を一振りした。ざわめきながら、今にも飛び出しそうだった騎士達が一斉に静まる。

「俺はモルスの皇帝バルドをこの手で殺すためにレジスタンスを結成した。

モルスに力をつけられると、これからの戦いでこちらが不利になる。

そこで、提案だ。俺達を今回限りアレスの軍勢に加えてはいただけないだろうか」

静まっていた軍勢が一気に騒がしくなる。

今度は、ダライアスも背後の軍勢を黙らせようとはしなかった。

「ほう、実の父親をその手で殺すつもりか。だが、我が軍は貴様らを信頼できない。ただでさえ負け戦に等しい状況であるというのに、さらにそこに不確定要素を加えることを簡単に認めるのは」

「タダではとは言わない。こちらを貴殿の軍に差し上げよう」

カルナの言葉が終わると同時に、その隣に青い閃光が再び突き立った。

土煙が晴れるとそこには、煌びやかな鎧や魔装兵器が大量に積まれていた。

「これは」

「アレスは騎士の国だと聞いている。魔法相手に魔武器無しは圧倒的に不利だ。これがあれば、多少勝ち目が見えてくると思うが?」

魔装兵器とは、魔剣・魔槍の類の他にも様々な武器があるが、全てに共通するのが、少量の魔力で大きな威力を出せる、属性付きの魔武器であれば魔法と同じく属性変化をすることができる、という二つの点だ。

騎士は、簡単な媒介を必要としない治癒魔法や魔力を固めて足場にする程度の事しかできず、匣の魔力は騎士達にとって、宝の持ち腐れになっていた。

しかし、殲滅令で竜と人間の戦いが長引くにつれ、各地で魔装兵器が発見され、彼らにも魔力を使って戦うことができるようになった。

これまで、遠距離から放たれる魔法使いの攻撃になすすべもなく、やられていた騎士達はこの武器を大変重宝した。

今となっては、カルナやデュナスのように神術や神術の一部を限定的に利用する魔法などを、ごく一部の騎士達が使うこともあるが、それでもなお、魔装兵器は騎士達にとって、貴重な武器であり続けている。

勿論、欠点はある。魔法が大量の魔力を消費する代わりに、様々な攻撃、もしくは攻撃以外にも場面で多くの役に立つのに対し、魔装兵器は、少量の魔力しか消費しない代わりに、炎の剣なら炎の攻撃しかできない。

その上、魔法と同じく媒介となる魔装兵器の属性と持ち主の属性が一致していないと魔力を流し込んでも無意味になる。魔装兵器と持ち主の属性が一致して始めて、属性を武器に纏うことが可能になる。

以上の点を思い出しつつ、ダライアスは真剣に考えた。

—こいつらを信用していいのかは微妙だが、これだけの魔装兵器があれば、あるいは……

そこまで考えていたダライアスは、ふと無言で頭を垂れる6人の中に水色の美しい髪の毛をした女に目が止まった。

「そこの女、名はなんという」

指名された女は、顔を上げると、少し驚いた表情をして

「私、ですか。その、私はミラ、と申します。」

と名乗った。

ダライアスと軍勢に驚愕が連鎖的に広がった。

「では、貴様はギルフォードの……」

ギルフォード、という名前が出た途端、ミラの表情が暗くなる。

「ギルフォードは俺が殺した。《雷槍》もうちの武器庫にある」

というカルナの答えにダライアスは頷く。

「知っているとも。帝国を抜けたギルフォードは、18年経って反乱を起こすが、カルナとの一騎打ちに敗れ去ったと聞いておる。

しかし、父親を殺した男の配下として従っているというのはなかなかに面白い」

ダライアスは少しの沈黙の後

「良かろう。負け戦がほとんど決まっているような状況だ。貴様らに賭けてやる」

と言った。

「感謝する。しかしどうしていきなり—」

「なに、昔に少しギルフォードに因縁があっただけのことだ」

言い終えたダライアスは振り返ると、全軍にカルナ達が持ってきた魔装兵器を装備するよう命じた。

《レヴァテイン》のメンバーとダライアス将軍が挨拶を交わし終わり、配置につく。

ダライアスは予想以上に強い連中が加わり、この戦いに一筋の希望を見出していた。

だが、一つだけ引っかかることがあった。

カルナとミラ。2人はこの全体の中でも最強だろう。アレスを抜けたレイナがレジスタンスに入っているのには、少々驚いた。彼女も相当強い。

ディアンという金髪の青年には、若さを感じるが、同時にかなりの双剣使いである事を感じた。ゲンという白髪と同色の髭の偉丈夫には、かなりの迫力があり、相手を蹴散らしてくれるだろうと確信している。

だが。セリスという少年は、匣がそこそこ優秀なだけで、ほとんど普通の少年だ。 なぜカルナは、戦場にこんな少年を連れてきたのか、という疑問がずっと引っかかったまま、ダライアスは遠方を睨み続けた。


モルス帝国の地下牢獄。2匹の竜が縛られているその場所に、ファウストとデュナスはいた。

「なーんか、索敵範囲ギリギリから使い魔で探った感じだと、カルナ達セリス君連れてきたっぽいねー。きっと俺を兄の仇で殺しに来るだろうなぁ。

本当はこの戦いをまた囮にして、ゴーレムか何かで誘い出そうと思ってたんだけど。」

「で、どうする。今回も竜を使うのか」

「んー、今回は迎えに来させるだけでいいかなぁ。ミラに殺されちゃう可能性もあるし。

この前は、ディアスを連れていったから今度は、お前だね。バルカーク」

ファウストはそう言うと、複数の鎖と術式に絡みつかれ、全く動けない状態にある竜のオレンジ色の瞳を見上げた。

ファウストの双眸が真紅に染まり、見上げられた竜の瞳も同色に染まる。

「とりあえずセリス君を俺が捕らえた時点で、バルカークをシロナに転送させる。

というわけでシロナは参加出来ない。なかなか面白い戦いになりそうだね」

「俺は、カルナと戦えるなら何でもいい」

「相変わらずだね、デュナスは。さぁ行こうか。開戦だ」


「来たな……」

突如赤い閃光が墜落し、土煙が視界を埋め尽くした直後のダライアスの呟きに、周囲の騎士達が身を硬くする。

視界の遥か遠くには、大小様々で、個体によって色が違うゴーレムを先頭として、こちらに突進してくる騎手達の姿が見て取れた。

前回のアレスに向けての進軍のように、魔法使い達は守られる訳ではなく、戦いに参加している。彼らによって産み出されたゴーレム達は、レオスに囮役として配置された2体とはレベルが違う。

飛行する個体や、剣や槍などを扱う個体。中には、魔法を自身で組み上げる個体まで存在し、一目見ただけでも、その軍勢の圧倒的な力が感じられる。

モルス軍の先頭のゴーレムの全身がはっきりと見えるほどに、接近した瞬間—

数百、数千人規模の人間の詠唱が一斉に平野に響いた。

ほぼ同時に、アレス軍の中央にいたミラが対抗するように、高速で詠唱を始める。

後で組み上げたにも関わらず、ミラの詠唱が先に終わり、アレス軍の横幅以上の巨大な円盤状の水色の盾が、二つの軍の間を隔てるように出現した。

直後、モルス軍の魔法使い達の術式が完成し、水色の盾に次々に、豪快な音を響かせながら、様々な魔法が突き刺さった。

爆炎の乱舞や氷の嵐、荒れ狂う雷は、盾により、あっさりと跳ね返される物もあれば、盾を貫き、アレス軍に直撃する物もあった。

跳ね返された魔法は、モルス軍のゴーレムを粉々に砕き、騎士や魔法使いを吹き飛ばした。

アレス側も同じく騎士たちが、盾を貫通してきた魔法に、騎乗する馬ごと吹き飛ばされる。

魔装兵器や魔法などで飛んできた魔法を相殺する者もいたが、既に両軍共に、少なくない数の人間が死んでいた。

「これは……」

ダライアスは、思わず我が目を疑った。負け戦だと思っていたが、ここまで力の差があるとは、彼は思っていなかった。

ミラがいなければ、もう既にかなりの騎士が、なすすべもなく殺されていたであろうという事実に思わず身震いするが、すぐに意識を戦場に引き戻した。

モルス軍の騎士たちが、武器を構え、盾に向け突進を開始する。

アレスの騎士達も魔装兵器に魔力を叩き込み、盾が破壊された瞬間に、全力の一撃を放つため、ただ待った。

モルスとアレス。世界最大の軍事力を有した二国は、ここにかつてない規模の決戦を開始した。


もう、2時間は経っただろうか。身体中を駆け巡る魔力路は、体内を破壊し、瞬時に再生させていく。

熱さも痛みも、全く収まる気配がないが、何となく実感として、もう全身の5割以上に、魔力路が行き渡っているだろうと感じる。

この魔力路を通して全身に魔力が流れるようになれば、今よりもずっと強くなれるだろう。

絶対にセシルの残してくれたこの力を使いこなしてみせる。

それだけを考えながら、ひたすら痛みの渦を耐え続けた。


振り下ろされる炎剣を氷剣で弾き返し、カウンターを叩き込む。それも弾き返され、攻守が入れ替わる。この繰り返しにより、辺りに断続的に金属質な音が響く。

デュナスとグラム。カルナとデュランダル。

この組み合わせの戦いは、盾が破壊された直後からずっと続いているが、第3者の介入は全くない。

この剣舞の嵐に割り込めるのは、この戦場においては、ミラとファウストだけだ。

後の人間は、加勢しようとした方の邪魔になるか、自分が死ぬかしかない事を理解している。

そして、ミラはファウストを。ファウストは、セリスを探している。

つまり、この戦いに決着はない。

力と重さで上回るデュナスと、俊敏さと技量で上回るカルナの戦いは、お互いが長所を活かした戦いをするため永遠に続く。

だが、デュナスは、これこそを望んでいた。何者にも邪魔されないカルナとの勝負こそを。

漆黒の兜の下の彼の口は歪んでいた。帝国最強の騎士である自分と、唯一互角に渡り合えるカルナとの戦いを噛み締めながら、彼は剣を振るい続ける。

その先のことは、一切考えずに。


セリスは、ただ攻撃の隙間を縫いながら走り続けた。兄を殺した男がこの戦場にいるはずだから。帝国最大の魔法使いなんて関係ない。

身体を時々、魔法や剣が僅かに掠めるが、それら全てを無視して、ファウストを探し続けた。兄の仇を取るために。

通常ならば、彼はファウストを見つける前に、死んでいただろう。

だが、今回限りファウストもまた、彼を探していた。2人は、広大な戦場を、互いの事だけを探し続けた。その結果—

血で溢れかえる戦場を、ただ走り続けたセリスは、足下にあった血で滑って転びかけた。

血の発生源は、目の前にあった。目の前に転がっている騎士達は、100を軽く超えていた。

全員が、驚愕の表情で固まっており、体中から血が溢れ続けている。

その血の海の中央に、真っ黒な太陽のような青年がいた。

一見すると、とても整った顔立ちをしているようだが、禍々しい輝きを放つ二つの瞳が、その印象を打ち消している。

セリスは、その姿を一目見ただけで、自分は、目的にたどり着いたことを確信した。

「やぁ、来たね」

「ファ、ウスト…!兄さんの仇!」

セリスはファウストの心臓に杖を向け、深呼吸する。

「ふふ、そんなに焦らなくても俺は逃げないよ。だって、俺も君を探していたんだ」

「え……」

「よく考えてみなよ。君1人で誰の助けも借りずにここまで来ようと思ったら幾つ命があっても足りないよ」

「それは違う!現に僕は1人で」

「足下の騎士達を見なよ。そいつらはアレス軍じゃない。」

言われるまま、セリスは足下の死体に視線を移した。

その死体達の傍らにある旗についた紋章は、炎を纏い踊る獅子ではなかった。

月を背に、美しく舞う麒麟とそれに騎乗する騎士の紋章。これは—

「モルス帝国の紋章……」

「そ。俺が殺したんだ。わかる?俺が殺さなければ君はこいつらに殺されていた。」

「なんで、自軍の仲間を……」

「仲間?違うね、道具だ。君で遊ぶためにはこいつらは邪魔なんだよ」

セリスは目の前の男に恐怖した。こんな男が存在することにただ恐怖した。

目の前の存在が在る事に耐えられない。一刻も早く視界から消えて欲しい。その一心でセリスは、杖に全力の魔力を注いだ。

「《ブレイジングストーム》」

詠唱と共に放たれた一撃は、爆炎と豪風の複合魔法。セリスの出せる最大出力の最大の威力を誇る魔法。

触れたものを消し炭にしながら突進してくる膨大な熱の塊にファウストは、掌の魔方陣を向けた。

詠唱無しの無言で放たれた水の竜巻は、軌道上にあった爆炎をあっさりと消し飛ばして、セリスの目前へと到達し、そこで、氷の縄に形状と属性を変化させた。

「なっ……」

詠唱無しの魔法で、簡単に自分の最大の魔法を消し飛ばされた事と、一瞬で形状どころか属性まで変化させる、という有り得ない現象にセリスは硬直した。

縄は一瞬で、セリスの全身に巻き付き、手足の動きを完全に封じた。

「来い、バルカーク」

ファウストの呟きと同時に、赤い光がセリスの背後に炸裂した。

唯一自由な頭を精一杯動かして、背後を見たセリスは、再度硬直した。

赤の鱗に包まれた巨大な竜。船で一度、興味本位でユウの村を襲った竜を見に行った事があるが、その4倍以上ある。

ファウストは、動けないセリスを脇に抱えると、バルカーク、と呼んだ竜の背中に飛び乗った。バルカークは跳躍し、戦場の真上の上空を、優雅に飛行する。

戦闘に必死なモルス・アレスの軍、そして《レヴァテイン》のメンバーは、上空を見上げる余裕すらなかった。

ただ1人、カルナを除いて。

「待て……!」

上段から叩きつけられたデュナスの一撃を乱暴に弾き返し、カルナは上空の竜を睨みつける。

跳んで追おうとした途端、

「逃がさん」

デュナスの一撃が、カルナの首めがけて放たれた。

「邪魔だ!」

だが、デュナスの放った一撃をカルナは姿勢を低くして突進することで、掻い潜り、完璧に回避した。

「なっ……」

懐に密着したカルナは、デュナスの腹の中央の鎧に、デュランダルを突き立てた。

「がッ……」

この戦いで1度も流れなかった血が、デュナスの腹部から大量に滴った。いくら重厚な鎧といっても、伝説級の魔剣である氷剣デュランダルの一撃をまともに受ければ、簡単に砕け散る。

だが、デュナスの驚きはそこではない。彼の驚きは、これまで回避できずに、弾き返していたはずの一撃を、完璧に掠りもせずに回避した事だ。

「一体、何をした……カルナ……!」

背後に倒れながらのデュナスの呟きを、カルナは無視して、上空に視線を向ける。

だがそこに、既に竜の姿はなかった。

舌打ちし、再びデュナスに視線を向ける。後方にいた魔法使い達によって、今の一撃で負わせた傷は、ほとんど治癒されていた。

「まるで俺の一撃を読んでいたかのような回避だったな……あの一撃を放つ前に、お前が大量の魔力を使って何かを発動させた事を感じた。貴様、一体何を……」

読んでいた、という自身の言葉でデュナスはある可能性に思い至った。

「まさか……『念話』と同じように『対話』の神術の応用か……?対話の思考を読むという部分だけ限定的に開放する魔法……」

デュナスの問いにカルナは、一切答えない。

だが、デュナスにとっては、その沈黙こそが何よりの答えだった。

「俺には、『拒絶』の限定的な部分だけを開放するなんていう芸当は出来ないからな……一本取られた、というところか。

やはりお前は最高だ。まさかこの世に俺に血を流させる人間がいるなんてな……」

彼はゆっくりと立ち上がる。

「だが、王の匣継承者でもなければ、特別優秀な匣を持っている訳でもない貴様に、限定的な開放とはいえ、思考を読むほどの魔法を乱発することはできないはずだ。

半端な傷なら先程のように後ろに控えている魔法使いによって回復させられるだけ。」

カルナは全てを見通されていることに、内心で歯噛みをした。

「俺が神術や極限解放を使う可能性も考えれば、先ほどの魔法はもう使えない。さぁ、どうする?カルナ」

彼は言い終えると、炎剣を構え、カルナも無言で氷剣をデュナスに向ける。

この戦場における頂点は再び、激突を開始した。


外の空気が慌ただしくなったのを感じる。先程から様々な人間が医務室の外を行き来しているが、足音から慌てる様子が感じられる。

何となく聞き耳を立てていると、医務室の外でカレンと、シノが話しているのが声でわかった。だが、声が小さく、内容が聞こえない。

好奇心をくすぐられ、痛み続ける体に鞭を打って、扉に近寄り、耳を扉に密着させ、意識を耳に傾けると、2人の声が辛うじて聞き取れた。

「なぜ、セリスなんだ」

「わかりません。とにかくファウストは、モルスの近くにある放棄された城にいるようです。ですが、戦場にいる皆さんは、それどころではなく……」

「ユウ少年に使い魔を潜ませた時と同じく、何か企んでいるのかもしれないねぇ。誘拐なんて、なかなか大胆な事をしてくれるじゃないか」

「とにかく何とかしないと」

扉の先にいる2人が去っていく音が聞こえなくなるまで待ち、扉をそっと開けた。

「セリス」「ファウスト」「誘拐」それらの単語がぐるぐると頭の中を渦巻く。

状況は詳しくわからないが、とにかくファウストが原因でセリスが危険な状態にあるということがわかった。

体を駆け巡る魔力路の痛みを無視して、カルナの部屋に忍び込み、先程見た新聞の一部を切り取って、ポケットに無理矢理詰め、武器庫に行き、そしてある部屋へと向かった。

動く度、足が前に出る度に、視界がグラグラする。熱くて痛くてしょうがない。

でも、足を止めることは出来ない。セリスを誘拐した目的は不明だが、これは見逃していい事ではない。

まずレオスにアレスに気づかれないほどの奇襲部隊を送ったが、ディアンにより部隊は大部分が壊滅した。

次に、邪魔な《レヴァテイン》を全滅させようとアレスにカルナ達を留め、ゴーレムで俺を誘い出し、使い魔を潜ませたが、それも惜しくも失敗した。

なら今度は、セリスを使って何をしようというのか。予想するだけで、恐ろしい。

思考をしながらも足を動かす。武器庫から取ってきた雷槍グングニルがとてつもなく重い。無理やり引きずっているため、穂先が床に擦れている。

顔や背中から多量の汗が滴るが、体は魔力路形成のため、とても熱い。

朦朧とする意識を必死に繋ぎ止め、ただ足を前に踏み出し続ける。

1時間も歩いたような気がするほど長い道のりの末、そこに辿りついた。

交差した頑丈な鎖の後ろには、表面のあちこちが剥がれた扉。

ついに着いた目的地の前で俺は、深く息を吐いた。

少しずつゆっくりと、でも確実に雷槍を持ち上げる。筋繊維が切れそうな痛み。体内で響き続ける魔力路形成の痛み。

あまりの激痛に視界が白くなる。これ以上雷槍を持ち上げると、筋繊維どころか腕がちぎれそうだ。

それらを無視して、懸命に持ち上げた雷槍を何とか鎖の交差点に乗せた。

雷槍を握る手に全力を込める。

かん高く、耳障りな音が鳴り続ける。雷槍と鎖の間で火花が飛び散る。

雷槍が重くてしょうがない。体が、脳内が、その槍から手を離せと警告してくる。全てを無視して、ひたすら鎖に当てた槍に全力を込め続けた。

終わりは、唐突に訪れ、2本の鎖は、呆気なく砕け散り、勢い余った雷槍の穂先が床に叩きつけられる。

何とか拾い上げた雷槍を、扉の隣の壁に立て掛けて、扉を両手で押した。

ギィと錆び付いた音とともに、ゆっくりと扉が開き、中の部屋を露にする。

真っ黒な部屋に、光沢のある漆黒の小山のような物体がある。

『誰だ……俺様の眠りを妨げる奴は』

低くて、威厳のある声が部屋に反響すると同時、二つの黄色くて丸い光点が漆黒の物体に灯る。

それは瞳だった。黄色い眼球がこちらを見ている。

全身を包む恐怖を必死に堪え、真っ直ぐに、眼球を見つめ返し、告げる。

「お前がジークだな。

初めまして、俺はユウ。今日はお前に頼みがあって来た。」

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