第6話 黒い太陽

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レオスでの激戦を終え、一夜明けた。警戒のため、船はまだレオスの上空にいる。

俺は、ある要件のため、セシルを呼び出していた。

「正式な戦闘員になりたいって本気かよお前……」

「さっきから本気だって言ってるだろ。何回言えば、お前はわかってくれるんだ。」

「何回言われてもわかる気しねぇ……」

5分程前から、このような会話がずっと続いている。俺が決めた事——正式にこの船の戦闘員になって戦うと言い出してからというもの、セシルはずっとこの調子だ。

「なんで戦場で地獄を見た直後に、そんな言葉が出てくるのかわかんねぇ……」

「見た直後だからこそだ。俺の手で救える人間がいるのなら、できるだけ多くを救いたい。」

それにあれを地獄だと言うのなら、ここに来るより前に、あれと同じぐらいか、それ以上の地獄を見ている。

「お前は止めても聞かなさそうだしなぁ……しょうがない、俺も戦闘員になるかぁ」

頭を掻きながらセシルが出した答えに、俺は、とても驚いた。

「お前……戦闘員になるってことは、また人を殺すって事だぞ?」

「知ってるよ……はぁ、いいから行こうぜ。カルナさんにちゃんと伝えとかないと。」

と言い、ずんずん歩き出したセシルを追う、俺の顔は、きっと笑っていた。


「何も言い出さなければ、そろそろこちらから何か職業を提案する所だったぞ」

戦闘員になりたい、と伝えたカルナは開口一番、そう言った。

カルナの部屋に入ったのはこれが初なのだが、ほとんど自分の部屋と、内容が変わりないことに少々驚いた。

唯一、俺の目を引いたのは、壁にかかっている黒い外套だった。肩の部分には、向かい合う2匹の竜の紋章が施されている。

「でも、戦闘員になってほしかったんでしょう?戦闘訓練させたり、殺し合いの場である戦場に行くことを許可したり。」

隣でセシルが、驚きの表情で俺を見る。訓練の時から、何かおかしい、と思っていたのだ。セシルはともかく、匣を持ってないような俺に訓練をさせて、傷を完全に治療したり、殺し殺される場である戦場に行くことを、平気で許可したり。

でも、戦場に行った後に、気がついた。人を殺した罪を背負わせ、同時に人を救うことの喜びも教え、戦場から逃れられないようにしようとする意図に。つまりカルナは、戦える人間は、全員戦わせようとしたのだろう。

カルナは苦笑し、

「……気づいていたのか。悪いがうちの戦闘員不足は無視できる問題じゃなくてな」

「責めるつもりはありませんよ。……ただ、カルナも顔に似合わず性格の悪いことをするんだな、と」

「今のバルドの体制を崩壊させて、この組織の活動を完全に終えたら、好きなだけ殴ってくれ。……それで許されるとは思ってないが、俺の気が晴れない。」

セシルとほぼ同時に、軽く首を横に振った。

ここにいる皆は、世界で1番力を持った国に立ち向かうつもりなのだ。それを成し遂げるためには、みんなを率いるリーダーは時として、人間性を捨て去らなければならない。それはわかっている。

「お前らは優しいんだな……では、正式に戦闘員に入ることを認める。セシル、新入り—いや、ユウ。」

カルナの差し出した手を2人で取ろうとした途端、船内にアナウンスが響き渡った。

《緊急事態です。船内にいる戦闘員は今すぐ会議室に集まってください。繰り返します—》

「どうやら、早速初仕事のようだな」

と、カルナは呟き、黒い外套を壁から外して、上から羽織った。セシルと頷きを交わし、一斉に扉の方へ向け、駆け出した。


「2人共、戦闘員になったんですか、よろしくお願いします」

「セシルに坊主、2人ともこの道に来るか。うむ、その勇敢さ、実に素晴らしいぞ!」

会議室へ向かった俺達を待っていたのは、ディアンやゲンの賞賛の言葉だった。

反対にミラやレイナは、渋い顔をしている。

「……本当にいいのですか?私は心配ですが……」

「大丈夫、自分で選んだ道だ。もう他の道に行くつもりは無い。」

ミラに心配されるのは、正直とても嬉しかったが、もうこの道を変えるつもりはなかった。

「セシルはともかく、ユウには匣がないんだろう?本当に大丈夫か?」と言うのがレイナの言い分だった。

「匣がないならないなりに、できることはある」と答えたが、それを聞いてもレイナは渋い顔をしていた。

「カレン、状況を」

俺とセシルが戦闘員に入ったことにより、ざわざわしていた場が一瞬で静かになる。

理由は、この場に皆を集めたカレンがこれまでとは、比べ物にならないほどに蒼白な顔をしていたからだ。

「皆さん、落ち着いて聞いてください。つい先程アレスに向けて、モルスの騎士と魔法使いの大部隊が進行を開始しました。」

「「「なっ——!?」」」

その場にいた全員が驚愕した。アレスはモルス帝国の次に力を持つ国で、殲滅令により、ある騎士がアレスを抜け、モルスに仕えるようになるまでは、モルスと同格かそれ以上の力を持っていたほどの国だ。もしあの国の軍事力を全てモルスに持っていかれたら——

「しかも……その部隊は竜を連れており、それを率いているのが……」

カレンはそこで一瞬、間を置き、震える声で

「……デュナスです」と言った。

カルナの表情に、明確な焦りが浮かぶ。

「既に船は、アレスの近くまで来ています。軍勢の速度を考慮すると、アレスの南にある森林地帯で迎撃する他ないかと」

「わかった」

カレンは軽く一礼し、会議室を出ていった。

「レオスの侵略途中なのに、なぜアレスに」

「魔法使いと騎士の軍勢に、竜にデュナスか……」

「今、敵に回すには人員が圧倒的に足りませんね。ファウストもきっといるでしょうし……」

「この船始まって以来、最悪の展開だな」

とざわめく皆を余所に、カルナはセシルと俺に

「お前達はここに残れ。さすがに初仕事にしては荷が重すぎる」

頷きを返し、会議室をセシルと共に去った。流石に、自分達に対処できるような状況じゃないというのが感じ取れたから。



カルナ、ミラ、レイナ、ディアン、ゲンの順番で薄い緑光の円盤の上に立った。

皆、自分の愛用している武器を手に、沈黙している。

彼らは皆、一騎当千の猛者ではあるが、今回の敵は、彼らでも正直手に余る。

ここに来るまで沈黙していたミラが口を開く。

「……カルナ」

「デュナスは俺がやる。竜を任せた。」

「でも、それではファウストがいたら——」

「もしファウストがいた場合は、レイナに任せるしかない」

「……残酷ですが、それ以外無さそうですね」

円盤から光が溢れ、視界を埋め尽くした。


「大丈夫なんですかねぇ」

「さぁどうだろうな……それにしても、竜にデュナスだなんて、今回は随分と大盤振る舞いだな」

皆が転送された後、セシルは自室に戻り、俺は何となく医務室を訪れ、シノさんと話していた。

「しかも目的地がアレスですか……あまり詳しくないんですけど、どういう国なんですか」

「元々この世界は、商業の国レオス、剣術の国アレスと、そして魔法の国モルスという三つの大国。そしてそれ以外の、多くの小国によって構成されていたんだ。」

シノはそこで言葉を切って、葉巻を取り出して、火をつけ、口に咥えた。

正直、医務室で葉巻を吸う医者ってどうなんだろうと思ったが、黙って気づいてないふりをした。

「だが、モルスで龍種殲滅令が発布された途端、当時アレスで最強だった騎士イグナティウスが離反を宣言し、モルスに仕えるようになった。それにより多くの騎士は、彼の後を追い、モルスには、多くの騎士が訪れるようになった。まあ、騎士イグナティウスが何を考えていたのかは知らんが、モルスに騎士がいるのはほとんど彼の影響と言っていい。」

「じゃあ、イグナティウスがもしモルスに来なかったら、モルスは今でも騎士がほとんどいない国だったんですか?」

「ああ。モルスで剣術を学べるのは、皇帝や上流階級の者達だけだったらしい。イグナティウスが来なければ、それは今でも続いていただろう。」

「だが、多くの騎士がモルスについたことによって、アレスは弱体化してしまい、逆にモルスは、魔法と剣術の両方が栄える最強の国になった……」

「そういうことだ。今や、モルス最強の騎士であるデュナスも、アレス出身だ。」

「へぇ……じゃあカルナは?」

「カルナは元からモルスさ、皇帝バルドの息子だよ」

と、まるで当たり前のように、葉巻を外して、ふーっと息をついた。

「ふーん………………え?皇帝の……息子……つまりカルナは……皇子!?」

シノは再び葉巻を咥える。

「そういうことだ。そもそも《レヴァティン》は、皇帝バルドを殺して、現体制が崩壊した後、カルナにその後を継がせる目的で結成した組織だぞ」

「初耳ですよ………………皇子…………」

と、肩を落とした所で、

《緊急事態発生です。船に残っている戦闘員の2人は至急、転送装置の前に集まってください。繰り返します—》

「今日は随分騒がしいねぇ。これはモルスも、とうとう本格的に準備が整ったのかもしれない。」

「それじゃ、行ってきます」

「ん、無事に帰ってきなよ」

と言い、手を振るシノさんに背を向け、俺は転送装置の下へと急いだ。


「それでは状況を。先ほどレオスの西側の街に2体のゴーレムが現れ、暴れ回っています。2体がそれぞれ街の北側と南側に別れて行動しているようです。2人にはそのゴーレムの対処をお願いします。幸い住人はもう避難してしまったようなので、思う存分戦ってください」

軽く頷く。隣のセシルは、不安げな様子で杖を握りしめていた。

「それはそうと、なんで集合場所が転送装置の前なんだ?」

「不幸中の幸い、と言うべきでしょうか……レオスはアレスから山一つ隔てた先にあるだけですごく近いんです。なので、移動時間がこの前ほどかからないのですぐに来てもらおうかと」

「そっか……そうだな」

先程は、相手が相手だったため、しっかりと話し合う時間が必要だったが、今度はそこまで危険な敵ではない。

そこまで考えたところで、カレンが大きなあくびをした。

「カレン、眠そうだが大丈夫か?」

「ここ最近、帝国の動きが活発になって、寝る暇がなくて……」と、カレンが苦笑する。

「大変だな……」

「これも仕事ですから。……2人を下に転送し終えたら少し仮眠をとろうと思います。」

「ああ」

「どうやらついたようです……では、2人とも、よろしくお願いします」

緑光を放つ円盤の上に立ち、放たれた光に目を細め、軽く開くと、そこはもうレオスの街の真ん中だった。

周りに人影はいない。既に避難しているというのは本当だったようだ。

「俺、あっちに行くから、お前は逆の方よろしく」と言うと背を向け、あっという間にセシルは走り去っていった。

その背中には、とても不吉な予感が漂っていた。一瞬声をかけて、2人で一体ずつ撃破したほうがいいんじゃないのか、と言いそうになり、踏みとどまった。

セシルに背を向け、走る。だが、不吉な予感は頭から全く離れる気配がなかった。


「前方に森林発見!あれを越えればアレスです。恐らくそろそろ来るかと」

「ああ」

隣を並走する騎手の言葉に、彼は頷く。漆黒の兜に、同色の重厚な鎧には、血を垂らしたような紅い模様。通常の2倍ほどもある巨軀の馬を、平然と乗りこなしている。

彼こそは、帝国最大にして最強の騎士デュナス。

その背後を追う、騎手の大群。それらは、モルスに仕える騎士と魔法使い達だ。

上空には、巨大な竜が1匹。その圧倒的な存在感は、ファウストにより従わされてるとはいえ、真下の騎手達にとっては、恐怖でしかなかった。

黒い鱗、巨木を一口で噛みちぎりそうな程に巨大な顎。オレンジ色の瞳は、ファウストの術式による影響で、真紅に染まっている。

これだけの軍勢を揃えれば、まず間違いなくカルナ達は、自分達を止めに来る。デュナスはそう確信していた。

森が目前に近づいた瞬間、デュナスは、森の奥で光が瞬いたのが見えた。

最小限の首の動きだけで、飛来した閃光を回避する。閃光は背後の軍勢達に突き刺さり、爆発した。巻き込まれた配下の騎士と魔法使い達の悲鳴。

デュナスは全く振り返らず、森へと突進した。森に入った直後、直感で彼は、頭上を見上げた。

木に張り付いて、こちらを見下ろしていた人影と視線が交錯する。

黒い外套。美しい、という表現が一番似合う銀髪に、水色のヘアピン。

月のように美しい彼はだが、見るもの全てを恐怖させるほどの殺意を放っていた。

「カルナ……ッ!」

デュナスは、兜の下で口元をつり上げた。カルナは無言で木から、デュナスへと飛びかかる。

デュナスは手綱を離して馬の背から飛び降り、腰から、炎剣グラムを抜いた。

カルナは渾身の力を込めて、氷剣デュランダルを叩きつけた。グラムはデュランダルを受け止め、炎と氷が2人の間に吹き荒れる。お互いの顔が間近に迫る。

「久しぶりだな、カルナ……」

カルナはそれに答えず、不可視の足場を蹴って、後方に跳躍する。デュナスもそれを追い、跳んだ。


閃光が軍勢の前方で爆発した後、デュナスを追おうとした騎士と魔法使い達は、森の前で動けずにいた。

木々の隙間を抜いながら衝突する、2つの影。それが衝突する度に、剣戟の音が響く。

彼らは、この森の中に踏み入ってしまったら、間違いなく自分の命は消し飛ぶ、と直感で感じ取っていた。

森から、デュナスの跨っていた馬が飛び出してきた。モルスでも有名な名馬として知られるそれですら、あの殺戮地帯に留まる事が出来なかったのだ。

ほぼ同時に、森の奥から上空の竜へ向けて、一直線に赤い雷が放たれ衝突した。

それをまともに食らった竜が、咆哮を轟かせると同時に、赤雷が放たれた位置から、ミラが一直線に竜の方へ、跳びあがってきた。

竜の真上へ到達したミラは、軽く右腕を振った。

巨大な火球がミラの周囲に5つ出現し、それらが竜へと殺到した。

それらが竜に着弾した途端、爆発する。鬱陶しそうに翼で爆風を吹き飛ばす竜に向け、ミラが掌を向けた途端、竜の背中に光の細い柱がいくつも突き立つ。

「ほぼ無傷ですか……」

即座にミラは、次の攻撃の準備を始めた。


「ほう、詠唱無しであれほどの威力を……さすがファウスト様と並ぶほどの魔法使い。格が違いますね」

馬を降り、フードの下から、空を見上げていた彼は、素直に感心する。

魔法の威力は、頭の中にあるイメージに、依る部分が大きい。詠唱とはあくまで、イメージを補強するための物であり、使わない場合もある。

しかし、詠唱をしなければイメージは固まりずらく、魔法の威力も落ちやすい。だが、ミラは詠唱無しで、あれほどの威力を出している。それは彼にとって驚くべきことだった。

「余所見をするとは、余裕だな」

突如前方から、槍による刺突が3度放たれた。体を掠めたが、彼はギリギリで回避に成功した。

「あなたは……」

「私の名はレイナ。で、フードなんて被って顔を隠してる陰気なお前は誰だ」

「あなたがレイナさんでしたか。ふふ、ファウスト様から話は聞いていますよ。私の名前は、そうですね。シロナ、とでも呼んでください」

「シロナ……知ってるぞ。ファウストの右腕とも言われていてる出自も、本名も、一切が不明の魔法使いだっけか」

「あなたのような高名な槍手に知られていたとは。光栄です。」

彼はそう言うと、フードの下で妖しく微笑んだ。


ディアンは双剣を、ゲンは己の身の丈ほどもあるハルバードで、軍勢を蹴散らしていく。

今の所、問題なく戦えているが、2人の脳の片隅には、疑問がずっと溜まっていた。

「なぜファウストがいないんでしょう……しかもこの陣形、ほぼ全ての魔法使い達が一つの円陣を形成し、それを守るように騎士が取り囲んでいる。これは一体……」

ディアンが零した呟きに、ゲンも頷く。

「モルスは魔法の国だ。魔法使い達が騎士に劣るようなことはまず有り得ない。故に守る必要は全くないはずだが。この状況は異常としか言いようがないな」

嫌な予感を吹き飛ばすように、彼らは武器を振るい続けた。


「あいつか……」

木陰からゴーレムを発見する。人の形をした石が、二足歩行している光景はなんとも奇妙だ。人も、動物も、植物も、何も無い地帯をレーザーで焼き払い、周辺一帯が焼けている。

その光景を見た途端、脳裏に地獄になった自分の村が蘇る。燃えている。燃えている。何もかもが燃えている。木々が。人が。家族が——

「っ……」

とにかく今は、あいつを何とかしないと。槍を握りしめ、1度深く深呼吸する。

呼吸が落ち着くと同時に、ゴーレムに向け突進する。

ゴーレムの背中が迫るが、気づいた様子もない。

「ふっ—!」

槍を無防備な背中に向け、全力で薙ぎ払った。岩の表面を浅く削ったが、驚くことに、一瞬で傷が塞がり、元通りになる。

「嘘だろ……」

と、呟くと同時に、ゴーレムの頭が180度回転し、こちらを向いた。

そこには、人の顔は無く、赤い宝石が埋まっていた。宝石が発光し、ほとんど直感で、後方に跳んだ瞬間に、今まで自分がいた場所に、レーザーが穴を穿った。

さらに体も180度回転し、背を向けていた体が、こちらを向く。胸の中央には、顔と同じく赤い宝石が埋まっていた。2つの宝石が光を放ち、放たれた2本のレーザーをギリギリで回避する。

突進しながら2度突きを放ったが、両肩を穿った穴は一瞬で塞がった。

「もしかして……」

腕を掠めたレーザーを、無視しながら突っ込む。気合いと共に放たれた槍が胸の宝石を粉々に砕き、ゴーレムの体を貫通した。

素早く槍を引き抜き、距離をとって、様子を観察するが、狙い通り、先程より治癒速度が圧倒的に遅い。

続けて突進し、躊躇うことなく、ゴーレムの首を薙いだ。頭が吹き飛び、地に転がる。

そして、顔の宝石に上から槍を突き立てた。宝石は砕け、岩石も崩れ去って、大きく息を吐く。

「すぐにセシルに合流しないとな……」

セシルの背を見た瞬間に感じた嫌な予感。ただの気のせいだといいんだが、と思いながら全力でセシルが向かった方へ、駆けた。


船内で、カレン達、操縦室のメンバーは仮眠をとっていた。

《レヴァテイン》が結成されて1年、これほどまでに様々な対応をしたのは、彼女達にとって、初めてだった。

だから、セシルの近くに出現した2つの、巨大な魔力反応に、彼女達は気づかなかった。


セシルは杖を下ろし、倒したゴーレムに背を向けた。

彼は、魔法使いであり、彼の持つ匣は、モルスが欲しがるほどに優秀だ。だから、治癒魔法を発動している魔力の起点は、容易く感じ取れた。彼にとっては、全く相手にならない敵だったのだが——

セシルは額を拭って、少し驚いた。

「汗……?」

季節は春を迎えており、まだまだ暑いとは言えない。今の戦闘もほとんど一方的なもので、汗をかくほどのものではなかった。

だが彼は、気づいていた。何故こんなに自分が汗をかいているのか。その理由がわかっていた。

振り返ったら死ぬ。今の彼にわかるのは、それだけだった。背後にいるそれは、自分では相手にならない。だと言うのに—

「やあ、セシル君。一日ぶりだね」

と、背後からかけられた声に振り返ってしまった。

セシルはそこで地面に縫いつけられたように、動けなくなってしまった。

背後に立っていた男は、まるで漆黒の太陽のようだった。深い闇のような髪の毛と、妖しい輝きを放つ双眸。セシルは彼を知っていた。

「帝国、最大の魔法使いファ、ウスト」

ファウストは、獰猛な笑みを浮かべ

「ご指名ありがとう。お礼にとっておきのプレゼント」と言い、セシルに魔法陣が刻まれた掌を向けた。


デュナスとカルナの実力は、互角だ。森の木々を足場に、突進し、剣戟を辺りに響かせているこの戦いは、終わることがない。

双方、相手に劣る面はあるものの、両者は、自分が有利な点を活かした戦法を組み立てるため、実力は結果的に全くの互角となる。

「それでいいカルナ。俺を止められるのは、お前だけだ。もっと俺を楽しませろッ!」

吹き荒れる炎と氷の乱舞。この戦いが決することはない。

外部からの干渉がない限りは。


既に10の上級魔法を浴びせた。だが依然としてこの竜には、ほとんど傷がついていない。

「仕方がありませんね……」

ミラは今回、詠唱無しの魔法で隙を作り、詠唱有りの魔法で一気に終わらせるつもりだった。

だが、あまりにも相手が強すぎた。

ミラといえども、詠唱の有無で大きく威力は増減する。

「詠唱有りの本気じゃないと通じないなんて、この前の幼竜とは、まるで違う……」

ミラの掌の上に顔より少し小さいぐらいのサイズの光球が出現する。

それは圧縮され、一気に豆ほどの大きさになった。

光球を囲むように、真空の刃が耳障りな音を立て、出現する。

「受けなさい—《デストロクシオン》」

ミラは、下から上昇してきた竜が放った爆炎に向け、手のひらを傾けた。

爆炎が、落下する光球の周囲を回転する刃に引き裂かれ、二つに割かれていく。吹き荒れる熱風がミラの頬を撫で、髪の毛をたなびかせた。

爆炎の出発地点である竜の口に達する直前、真空の刃は消え去り、光球が剥き出しになった。

光球が竜に着弾した途端、それは凄まじい爆発を起こし、竜の上半身を包み込んだ。解放されエネルギーが、竜の体を蹂躙する。

竜が苦悶に満ちた叫び声をあげる。今まで全ての魔法を通さなかった鱗から、多量の血が滴っていた。

「《ブリザードプリズン》」

続いたミラの呟きと同時に、氷が竜の周囲に発生し、凝固していく。

そして一瞬で氷は正八面体の氷塊になり、中に閉じ込められた竜の動きを、完全に封じた。更に、氷の内側から、光の鎖が飛び出し、竜の体に幾重にも巻きついていく。

ミラが放った二つの魔法は、複合魔法。複数の魔法を組み合わせて、相乗効果を生み出し、単一の魔法では、生み出せない威力を生む魔法だ。

「そこでじっとしていてください」

と呟くと同時に、ミラは跳んで森に降りた。

飛び交う影を見つけると同時に、軍勢を最初に蹴散らした光線を放ち、デュナスの横腹を掠める。

「ミラか」

デュナスは舌打ちし、素早くその場を離脱する。この戦いは、一方に邪魔にならない適切なサポートをできる者が味方についた時点で、もう一方の負けが確定する。

カルナが、追いかけようとした途端、剣戟が止んだ森に、騎士たちが突撃してきた。

「邪魔だ!」

突進しようとしたカルナを、ミラが制止し、

「騎士は私が。カルナはデュナスを追ってください」

「すまん。助かる」

ミラは、騎士達を魔法で蹴散らし、その脇をカルナが抜けていった。


ミラの放った複合魔法も、驚きだったが、彼にとっては、目の前の赤髪の女の振るう槍の方が、圧倒的に異常だった。

放たれた突きを、完璧に躱したはずだったのだが—

着ているローブの肩の部分が裂け、肩の肉が抉られ、血が吹き出る。背後で、木が根元から折れ、轟音を撒き散らし、倒れた。

この槍の威力は異常だ。まさか極限解放リミットブレイカーを使っている……?

シロナは、自分で出した考えを、否定した。先ほどから槍に送られている魔力量は、微量。なら、なぜこれほどの威力の突きが……

シロナが前方に展開した三重の障壁を、レイナは、1度の突きで、破壊した。

シロナは知らない。レイナの槍の秘密を。

彼女の槍は、殲滅令の後、竜核を使って、人工で生み出された魔槍だ。

この槍は、軽く魔力を注ぎこみ命令するだけで、周囲の飛び散った血を集め、魔力に変換することが出来る。レイナは、それを槍に乗せ、放っている。

魔力とは、生命エネルギーを変換する物。血は、生命エネルギーを色濃く内包しているので、血を変換すれば、莫大な魔力となる。

加えてここは、戦場だ。周囲には、たくさんの者が流した血が、飛び散っている。それら全てが槍の魔力となる。それが、レイナの強さの秘密だ。


レイナは内心、少し焦っていた。

自分の槍を躱したのは、これまで戦った中で、ミラとカルナとファウストぐらいであり、後、躱せる可能性があるとすれば、デュナスぐらいだと思っていたからだ。

相手が剣や槍を使う騎士であれば、彼女には、カルナですら手こずらせた最強の槍術がある。しかし、相手が魔法使いでは、彼女の槍術は使えない。

シロナと名乗るその男は、雪のように真っ白なフード付きのローブを着ており、表情が全く読み取れない。

これは案外強敵かもな、と思いつつ、レイナは周囲に飛び散った血を槍に集め、放った。


カルナは、デュナスに追いつき、剣を上段から叩きつけようとし—

しかし、次の瞬間に、上空から氷に反響しながら轟いた咆哮に、動きを止めた。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

その直後、氷塊に亀裂が走り始めた。

「おいおい、嘘だろ」

と誰かが呟いた。戦場にいる全ての人間が空を見上げている。モルスの軍勢も、《レヴァテイン》のメンバーも、全員が驚愕の表情で固まっていた。

亀裂は氷全体に拡がり—直後あっさりと、砕け散った。氷の破片がキラキラと空を舞う。

竜は、体中に巻きついた鎖を噛みちぎり、引きちぎっていく。自由になるのに後、数秒もない。

「まずいな、ファウストの術式が切れかかっている。」

デュナスは振り向くと、

「ここまでか。カルナ、次会う時を楽しみにしているぞ」と言い放ち、いつの間に傍に来ていたのか、先ほど森から逃げた馬に飛び乗って、魔法使い達が形成している円陣の前に移動した。

ミラと戦っていたモルスの騎士達が、ゲンとディアンと戦っていた騎士達が、レイナと戦っていたシロナが、突然戦闘を止め、デュナスと同じく円陣の前まで逃げ去った。

嫌な予感がして、カルナ達は必死に、逃げた連中を追った。

シロナが《シャドーチェイン》と呟き、

シロナの周囲から上空の竜に向け、4つの巨大な漆黒の鎖が放たれた。

漆黒の鎖は、光の鎖を懸命に引きちぎる竜を、無理矢理上から絡めとって、シロナ達の前方の地面に叩きつけた。

目の前に達したカルナ達に、シロナが「では、また」と言い、魔法使い達の円陣から光が放たれ、カルナ達は目を覆う。光が消え去った後、軍勢は竜ごといなくなっていた。

「転送魔法……どういうことだ」

「魔法使い達は最初からこのつもりで……じゃあアレスを侵略するつもりはなかった、ということなんでしょうか……」

「ファウストがいなかったのも気にかかるな……」

突然、全員の脳裏に、カレンからの念話が届いた。

『皆さん、無事ですか!軍勢達の反応が消えているんですが、一体何が……』

『全員無事だ。奴らは撤退した。恐らくアレスを侵略するつもりがなかったようだ』

『やはりですか……先ほどレオスに2体のゴーレムが現れたので、セシルさんとユウさんに対処を任せたのですが……』

そこでカレンは言いにくそうに、言葉を切った。

『どうしたんですか?』

『私たちが仮眠している間に、セシルさんの近くに2つの巨大な魔力反応が現れていたんです。……私たちが仮眠していばかりに、気づかなくて本当にすいません』

『問題ないです。で、その2つの魔力反応っていうのは……』

『……ファウストとウロヴォロスです』

全員の表情が、恐怖で凍りつく。

『今から馬をそちらに転送します。すみませんが、皆さんは急いでレオスに!』

『ええ!』

全員で強く頷き、念話をそこで切った。

「ユウ、セシル……どうか無事で……」

ミラは呟き、両手を胸の前で合わせて一心に祈った。



足りない酸素を求めて、心臓が飛び跳ね続ける。だが、疾走を止めない。胸の内に訪れる嫌な予感を振り払うように。

シノさんは、モルスがアレスに侵攻する時は、レオスの全てを手中に収めてからにするはずだと言っていた。

アレスほどの国を攻め落とすには、それぐらいの慎重さが必要だ。

つまり高い確率で今回のモルス軍の進行は、アレスではない。

少なくとも、モルスの領土をたった2割から、僅かな期間で4割に拡大したバルド皇帝なら、間違いなくそう考えるはず。

なら、今回のアレス進行の裏に隠れた目的は——

そこまで考えた所で、前方に真っ黒な髪の毛の青年と、宙に浮かぶ青い炎が見て取れた。

弾けそうな勢いで激しく跳ねる心臓を、上から無理矢理押さえつけながら、走り続けた。青年と青い炎が目前に達し、

「やぁ、来たね。ユウくん」

という声に疾走を止めた。

目の前に立つ青年は、一見すると、眉目秀麗だが、怪しい輝きを放つ双眸に、隠しきれない残忍さが、潜んでいる。

「お前、誰だ。住人はもうとっくに避難して」という俺の言葉を遮って

「俺?昨日も会って……ああ、そうか。話をしたわけじゃないか。」

と、意味不明なことを言った。

「俺はファウスト。まあ、君の、君達の敵さ」

あれだけ激しく跳ねていた心臓が、一瞬止まったような気がした。その名を聞いた途端に、今、自分がどんな状況にあるのかも忘れた。

「ファウスト……じゃあお前がうちの村を襲った竜の……」

「お、よく知ってるね。そ、モルスの2匹の竜を無理矢理交わらせたのも俺、産まれた子供を操って襲わせたのも俺。いやーゼノから、生き残りがいるって聞いた時はめちゃくちゃ驚いたよ。まさかミラ達が君みたいな少年を助けるなんてねぇ」

ふふふ、と笑いながら、とんでもない事を口にした。つまり、皆が、俺の村が滅んだのは、この男のせい—!

「一つだけ聞くぞ。なんであんな事をした。」

「実験さ。俺の服従の魔法は不完全でね。どれだけの時間竜を操れるか、試してみたかった。」

「ただそれだけで……うちの村を……なんで、なんで、俺達の」

「んー君の村に特別に恨みがあった訳じゃないんだぜ?」

ファウストは、まるで人を殺しちゃいけません、と一般論を唱える人のように

「でもさ、君達の村は、みんな匣を持ってないんだろ?なら別に滅ぼしちゃってもいいかなって。だって匣のない人間に価値なんてないし」

—とんでもない事を口にした。

「は……?」

今、あいつは何と言ったのか。聞こえなかった。いや、聞こえていた。でも、耳が聞こえていても脳が理解するのを拒否していた。

「んー正確に言うなら、匣のない人間は匣のある人間より価値がない、かな。だって、この世界の人間は、中身の優劣こそあれ、みんな匣を持ってるんだぜ?なのに君達は、生まれついて持っていなかった。欠陥品だ。生まれついての欠陥品だ。」

「ふざけんな!てめ」

「匣を持ってない、なんて有り得ない。身体の外に取り出すか、もしくは、両親が共に匣がない場合を除いて、みんな匣を持っている。それがこの世界の住人である証だ。匣のない人間なんて、人間じゃない。だから滅ぼしてもいいと思った。それだけだよ」

「人の価値を勝手に決めやがって……」

折れそうな勢いで、槍を握りしめる。生まれついて、覚えがないほどの殺意を感じている。この男を殺したい。今すぐこの槍で心臓を貫いて、首から上を吹き飛ばしてやりたい。

「俺を殺す気?やめといた方がいいと思うよ。今、ここにはカルナもいなければミラもいない。俺が可愛がってあげたレイナちゃんも、彼女を必死に守ろうとしたディアン君も、老兵のゲンもいない。……そして、君の、大事なお友達のセシル君もこの有様だ。」

と言い、宙に浮かぶ青い炎を指さした。

青い炎の中心には、人間が焼かれていた。杖を持った赤髪の—

「セ、シル……」

呆然と呟いた。あまりにも目の前の男に殺意を向けていたせいで、セシルと合流する予定だったのを忘れていた。恐らくゴーレムを倒した直後にこいつに襲われたのだろう。

「今すぐセシルを降ろせ!」

「ふふ、しょうがないなぁ」

ファウストは指を鳴らした。セシルを包んでいた青い炎が爆発し、セシルは宙を舞いながら地面へ真っ逆さまに落ちていく。

「……っ!」

落下予測地点に体を滑り込ませて、なんとか受け止める。受け止めたその体に力は無く、多量の出血をしていた。息はしているが、とても弱々しい。

「ナイスキャッチ」

「てめぇ……」

ギリギリと奥歯を噛み締める。この男は、ミラと並ぶほどの魔法使いと言われている。相当強いのだろう。

だが、自分を制御出来そうにない。今すぐセシルを横たえて、飛びかかろうかと、したが—ファウストは、複雑な模様が刻まれた掌を向け、軽く1振りして、背を向けた。

「目的は果たした。じゃあね、ユウ君。また会おう。もっとも次会う時は、君は木っ端微塵になってるかもだけど」

「逃げるのか……っ!」

槍を強く握りしめ、突進する構えをとるが、

「来い《ウロヴォロス》」

ファウストの声と同時に、ズンという音と共に、何かが目の前に着地し、衝撃波にたたらを踏んだ。

ファウストの隣に着地したそれを、見た時、蜘蛛に翼が生えたようだ、と思った。

漆黒の全身のいたる所に、赤い瞳がびっしりとついており、それぞれが、忙しなくギョロギョロと動き回り、様々な方向を見ている。

細長い4枚の翼まで真っ黒で、全長は、村を襲った竜ぐらいだ。8本の細長い足には、関節がいくつもあり、途中で折れ曲がったり、急にまっすぐになったりして、とても気味が悪い。

ファウストはその背に飛び乗り、こちらに意味ありげな笑みを見せ、ファウストを乗せたウロヴォロスは、4枚の翼を羽ばたかせて、飛び去った。

「セシル……セシル!」

セシルを抱え起こし、懸命に揺すりながら呼びかける。ファウストの目的は、不明だったが、今はセシルだ。この出血量は、かなりまずい。早くなんとかしないと……

「ああ……ユウ……か……ファ……ウス、トは」

セシルの声は、途切れ途切れで、とても弱々しかった。

「あいつはもう去った。大丈夫だ。今すぐ船に……」

「そ……っか。俺、は……もう、無理……だ。なんと、なくわかる……」

セシルはそこで、咳き込み、血の塊を吐き出した。

「無理って、何が」

セシルはその質問に答えずに、ただ喋り続けた。

「俺さ、戦場に……出て……から、ずっ……と思って、たんだ。これ……から自分は、何かを奪う……だけで、何かを、与える、こと……を一生せずに……、死ぬの、かなって……」

セシルの声は掠れて、どんどん小さな声になっていく。

「俺、とセリ……スが、……モルスの連中に、匣、目当てで、連れていか……れた時、護送してい……た馬車を……カルナさんが襲撃し……て助けて、くれ、たんだ。『お前達は……、人生の、交差点……にいる。選べ、ここから逃げ……るか、俺について……くるか』って言って、……くれ、た。」

「セシル、もう—」

俺の声を遮り、セシルは続けた。

「馬車の……中には、た……くさんの人が……いた、のに、カルナさ、んについて、行った……のは、俺と、セリス……だけだった。お、れはその……時のカルナさんの姿、に憧れ、たんだ。」

また咳き込み、セシルが吐き出した血が顔にかかるが、無視して続けさせた。

「俺は……カルナさんみたいに、は……なれなかっ、たけど、一つだけ残せ、るものがあ、るんだ。……受け取って、くれ……《リムーブ・コア》」

呟きと共に、セシルの身体の中央から、とても小さな水色の輝く光を放つ、立方体が浮き出てきた。

それがセシルの身体から出ると、水色の光が収まった。

それをセシルは震える手で手に取り、俺の手の上にゆっくりとした動きで、そっと乗せた。

「セシル、これは……」

「俺の、匣……だ。お前、武器……庫に行く度に、……雷槍、をみ、てたから……これ、はおまえ……にや、るよ。役に、立て、てくれ……あと、悪い、が、おと、うとのセリスの、事、よろしく、たの、む……」

セシルの声は、もはや蚊の鳴くような、かすかで、聞き取り難いものになっていた。

「最後に、俺にで、きる……の、はこれだ……けだ……じゃあ、な……

……短い間、だったけど、楽しかったぜ。親友」

セシルは、全く途切れることなく、最後まで言葉を言い切り、ニッと笑みを浮かべ、俺の肩にポン、と叩いた

その瞬間、俺の体は地上から消失した。


「ここ……は」

呟きと共に、体を起こし、辺りを見渡す。この風景は見覚えがある。銀色の汚れ一つない床と、壁。同色の天井。ここは、現在俺が生活している場所。つまりこれは、船の中だ。

船の中にいる理由はすぐにわかった。手を見下ろすと、そこには小さな立方体。これが無くなった後も、少しは魔力が残っていたんだろう。それで転送魔法を使って、俺を船の中に飛ばした。

つまり、セシルはあんな所で、1人で、孤独に……

目から雫が、床に滴る。拳を、血が出るほどに強く壁に叩きつけ、絶叫した。

「馬ッ鹿野郎ぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」

虚しくその声は、静かな船内に響き渡り、反響し、際限なく目から雫が溢れ、床を濡らした。


「で、君はセシルの転送魔法で飛ばされて帰ってきたわけだ。」

「はい……」

通路で拳を叩きつけながら泣き叫んでいた俺は、シノさんに発見され、医務室に連れていかれ、全てを語った。

セシルをあそこに置き去りにしてきたのは、未だに心残りがあるが、ともかく今は、メンバー全員が現状を正しく認識するべきだと思い、船に残った。涙は収まったが、胸の内には、まだ切り裂くような痛みが残っている。

カルナ達は、まだ帰ってきておらず、がらんとした船は寂しく感じた。

「それで、セシルの匣は移植するのか?移植と魔力路の形成なら私が出来るが。」

「まだ俺には、決められません。」

セシルが託してくれた力。それを自らの物とするか、それはまだ決めかねている。

「そうだろうな……とりあえず、セシルの匣は厳重にこちらで保管しておく。今、私が聞きたいのは、なぜファウストが君達を襲い、なぜ去ったのかだが……まあ、わからんだろうな」

「ええ、全く。一つだけ言えるのは、2体のゴーレムは、俺達をおびき寄せる為の餌だった、ってことだけです。」

「そうだな……この前のレオス侵略ですら《レヴァテイン》にとっては、初と言えるほどに激しい戦いだったのに、こんなにすぐにあちこちで、モルスの侵略が始まるわけがない。」

「ってことは、この組織が出来るまでには、こんなのはなかったんですか?」

「なかったなかった。そもそも私達が《レーギャルン》と竜を盗み出して、帝国を抜けてからまだ1年経ってないぞ。」

「じゃあ、メンバーの死も」

「ああ、これが初だ。」

「俺のせい、ですね」

深く息を吐く。村が滅んだ後、大事な人を2度と殺させないと決意し、そして戦闘員になった。 そして初めての戦いでこのザマだ。

「ファウストが現れたんだろう?仕方が無いさ。君達が相手にできるような奴じゃなかった。ただそれだけだ。」

席を離れ、扉の前に立つ。

「とりあえず、自室に戻ります」

扉を開け、後ろ手で扉を閉めると、そこにはセシルの弟セリスとその母親が立っていた。

「あ……」

声が出ない。2人から目を逸らし、その場を離れようとした時、

「カレンさんから全部聞きました。ユウさん、あなたのせいだ。」

「……」

セリスの声を黙殺し、去ろうとする俺の背へ、

「あなたが見殺しにしたんだ!兄さんが死んだのは、あなたのせいだ!」

「ち、が」

振り返って、反論しようとするが、声が出なかった。セシルの母親は、何も言わなかったが、その目には明確な憎悪が浮かんでいた。

瞳に滲んできた雫を隠すように、前に向き直り、背後からの視線を無視して、歩き続けた。


「セシ……ル」

レオスに到着したカルナ達は、馬を飛び降り、その亡骸に駆け寄った。カルナがそっと手を当て、開いていた瞳を閉じさせ、馬に乗せた。

カルナは歯を食いしばり、ミラは、涙を浮かべて、佇んでいたた。ディアンもゲンもレイナも俯いて、暗い表情を浮かべている。

「ユウは、どこへ行ったんだ……まさか、ファウストとウロヴォロス相手に無事なんて、ことは……」

そのレイナの声に全員の表情が、更に暗くなる。まず生き残れるはずがない、そう考えていた全員の脳裏に、カレンからの念話が届いた。

『皆さん!ユウさんが無事に帰ってきました!ですが、彼の話によると、セシルさんが……』

『ああ、わかっている。回収頼む。』

と、カルナは答え、セシルに目をやった。

「匣が無い。ファウストに持っていかれたか……?それとも、」

カルナの話が終わる前に、全員の身体が上空に吸い込まれた。


セリスの前を立ち去り、自室の目の前まで来た時、背後から声をかけられた。

「ユウ……無事で、」

と声をかけようとしたミラが、凍りついた表情を浮かべて、停止していた。後ろには、カルナ、レイナ、ゲン、ディアンもいることから、帰ってきたのだろう。

なぜ止まってこっちを見ているのか、と思っていると、背後にいたカルナと目が合った。

瞬間に、カルナが同様の表情を浮かべ、俺に向かって、突進してきた。

「え……?」

カルナは、俺の襟を掴んで宙に吊るして、乱暴に俺の髪の毛に手を突っ込んだ。

数本の髪の毛が、引き抜かれる感触。カルナは、俺から手を離し、俺はそのまま尻餅をついた。

カルナの手には、俺の茶色の髪の毛と、黒い小さな小鳥のような物体が握られていた。それを躊躇うことなく、握りつぶした。そして俺を睨みつける。

「今のは、使い魔だ。恐らくファウストが、お前の髪の毛に潜ませていたのだろう。ご丁寧に、周りの人間には見えないように、隠蔽魔法まで使ってな」

後ろにいたミラ以外の人と、俺の目が、見開かれる。

「こいつは、お前の頭の上から様々な情報を収集していた。もう少し発見が遅ければ、この船の座標が特定され、攻撃を受けて、船ごと全員消し飛んでいたかもしれない」

息が段々荒くなる。呼吸をしているのに息が苦しい。汗が背中に滲み出る。

頭の中では、ファウストの声が反響していた。

—もっとも、次会う時は、君は木っ端微塵になってるかもだけど。

「匣があれば、隠蔽魔法があろうとも、自分の頭の上にいる使い魔の存在くらい直ぐに気づく。お前の弱点が、ファウストによって突かれた、という訳だ。お前は悪くないが、お前のせいだ。今回で、はっきりとわかった。お前は、戦闘員に向いてない。2度と船の外に出るな。」

「ちょっとカルナ!何もそんな言い方……」

ミラが言いかけた言葉を、カルナは視線だけで、黙らせた。

呆然と、2回頷いた。皆がカルナは、黒い外套を翻して、去り、その後に、こちらに、軽く視線を送りながら、みんないなくなった。



「あーあ。潰されちゃったなぁ、俺の使い魔」

「では、船を攻撃するための術式は、もう」

「ああ、全員に中断させる。あっちにエレナがいる限りもう特定は無理だろうし。お疲れシロナー」

モルス帝国の宮殿。その一室に、ファウストとシロナがいた。

ファウストは、全魔法使いに命令を飛ばし、船を墜落させるために編んでいた術式を、止めさせた。

「匣がないため、存在を認知できない人間に、使い魔をつけ、船の座標を特定し、沈める。相変わらず考えることがえげつないですね」

シロナはフードの下でニヤニヤと笑う。

「カルナのせいで失敗しちゃったけどねー。さて次はどうしようか。」

ファウストは、ユウに忍ばせた使い魔と視覚、聴覚を共有していた。そのため、使い魔が、見聞きして得た情報は、ファウストにも蓄積される。

「カルナにミラ、レイナ、ディアン、ゲン、エレナ……組織名は《レヴァテイン》、船の名前は《レーギャルン》……そして、俺が殺したセシル君の弟に母親……」

「彼らの目的は、やはり現体制崩壊、そしてカルナを帝王に、でしょうね」

「だろうね。けどそれは絶対無理。」

「ふふ。アレを知っているのは、バルド様、デュナス様、ファウスト様、私だけですから。この4人を殺してしまえば、不可能ではありませんよ。まあそのことを彼らが知らない時点で、詰んでいますが。」

「あーそういうやり方もあるかー。でも、そのうちの誰かが生き残っちゃった時点で、カルナは絶対皇帝にはなれない。」

「そうですね。ところで、またあの少年で遊ぶつもりですか?」

「ふふ、当然さ。彼は面白い。なぜかこの世界に住んでいながら、匣のない人間。

それに、あれだけ絶望していながら、瞳がいつまで経っても綺麗だ。どうしたらあの瞳が汚れてくれるのか、考えると楽しみで仕方が無い。シロナも1度遊んでみるといいよ」

「考えておきます」

と言い、シロナは全く足音をたてずに去った。

「さて、とりあえず次は、セシル君の弟セリス君で遊ぶか」


「やはり匣がない人間には、無理があったようだな。にしたって、カルナ。やりすぎじゃないのか。あんなの、ここでもお前とミラとエレナしか気づけないだろ」

通路を先行するレイナの声にみんな、沈黙を返した。

「なぁ、ユウをこれからどうするんだ」

レイナは沈黙が気に食わないようで、言葉を続けた。

「とりあえずは、レオスから連れてきた避難民達と、戦闘員以外の仕事をさせるさ」

「でも、死に際にセシルが、彼に匣を託したんだろ?それならもう一回チャンスをあげても—」

「それは、あいつ次第、だな。」

重い空気。その空気を突き破るように、活発な人影が飛び出してきた。

「みんな、おっはよー!」

「なんだ、エレナか」

全員がため息をつく。彼女は今まで寝ていたらしい。もし起きていれば、使い魔程度の異物は、ユウが船内に入った瞬間に感知できた。

だが彼女は、結界の維持のために多量の休憩を必要とするため、誰も彼女を責められない。

「なんだとはなんだ!……あれ、ミラは?」

その言葉に、全員が背後を振り返ると、先程までいたはずのミラが綺麗さっぱりいなくなっていた。


電気もつけずに。暗い部屋の隅で、体操座りをして、俯いていた。

身体が、心が冷えていくのがわかる。もう自室に戻って何時間経ったのかもわからない。

自分のせいで、友人が死んだ。自分のせいで、仲間だと、家族だと言ってくれた人達の命が、危険に晒された。

ずっとずっと安全で、全員が無事だったこの船は、俺一人のせいで、危うく全員死にかけ、実際一人死んだ。

もう何もかもを捨ててしまおうか、と自暴自棄になり、顔を上げた瞬間、強い光に目が眩んだ。

開いた扉から、光と、手が差し出され、訳もわからず、それに向けて手を伸ばした。

伸ばした手が、優しくそっと包まれた。

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